2019年3月3日(日)聖日礼拝 「希望の目じるし」

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2019年3月3日(日)聖日礼拝 「希望の目じるし」

22:7 さて、過越の小羊をほふるべき除酵祭の日がきたので、
22:8 イエスはペテロとヨハネとを使いに出して言われた、「行って、過越の食事ができるように準備をしなさい」。
22:9 彼らは言った、「どこに準備をしたらよいのですか」。
22:10 イエスは言われた、「市内にはいったら、水がめを持っている男に出会うであろう。その人がはいる家までついて行って、
22:11 その家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。
22:12 すると、その主人は席の整えられた二階の広間を見せてくれるから、そこに用意をしなさい」。
22:13 弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。
ルカによる福音書 22章07~13節

ルカによる福音書22章に入ると、あたかもサタンの力・この世の謀略がイエスに勝って、イエスが十字架に引き寄せられていくかの様です。しかし注意深く読むと逆だと気が付きます。聖書は、イエスが荒野に於ける誘惑以来のサタンの攻撃をはねのけ救いの御業を着々と成し遂げていく過程を克明に記しています。
今日の、過越の食事の準備もその一環です。過越の食事をする場所の準備は、イエスと同行する弟子たちにさえ知らされずに整えられました。それは、密かにイエスを捕らえるチャンスを覗っていた裏切り者ユダの密告を封じ込める為でした。


1.救いを成就させる為の二つの準備
22章に入ると、神の救いのご計画が成就する上で不可欠な準備について、二つ記されています。
(1)過越の祭で屠られること(先週の箇所)
ユダヤ教の指導者たちはイエスを殺す機会を覗っていましたが、「民衆が騒ぐとまずい、人でごった返す祭りの間はやめよう。人の目に触れない時にしよう」と決めていました。ところが、過越の祭りでイエスが十字架に掛けられる為に、神はイスカリオデのユダの裏切りを用いられました。イエスを密かに捕らえ得るチャンスを心得ていた彼は、ユダヤ教の指導者たちと密約を交わし、群衆の目を避けてイエスを捕らえる運びになりました。しかしそれはユダにとって裁きとしての「その日」をもたらすことになりましたが。
(2)聖餐式を制定する(今日の箇所)
準備の二つ目がです。「希望のめじるし」聖餐式を私たちに賜る準備です。私たちがイエスの死の意味を悟り救いを全うするために、神は「聖餐式」という“希望の目じるし”を与えて下さりました。


2.神の小羊が屠られるその日が来た
22:7 さて、過越の小羊をほふるべき除酵祭の日がきたので、
「過越祭」とは、モーセに率いられて神の民がエジプトから脱出する前夜、神が定めた儀式です。
出エジプト記12:25-27 あなたがたは、主が約束されたように、あなたがたに賜る地に至るとき、この儀式を守らなければならない。/もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、/あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』」。…
この「過越祭」は、将来のイエス・キリストによる死と滅びからの解放、すなわち「罪の贖いと救い」の雛形でした。ですから、イエス・キリストによる「罪の贖いと救い」は過越祭で為されねばならなかったのです。


3.周到な準備
(1)選りすぐりの弟子が遣わされた
さて、八節
22:8 イエスはペテロとヨハネとを使いに出して言われた、「行って、過越の食事ができるように準備をしなさい」。
過越祭には、家の中で小羊・苦菜・種なしパンを食べ、ぶどう酒を飲んで過越の食事を守るのです。エルサレムで過越の祭りを守るためには、人々がひしめく市中で部屋を確保しなければなりません。イエスはその準備をペテロとヨハネに指示されました。初代キリスト教会を代表することになる、厳選した二人が遣わされたのです。
(2)「その人があなたがたに会う」
22:9 彼らは言った、「どこに準備をしたらよいのですか」。
22:10 イエスは言われた、「市内にはいったら、水がめを持っている男に出会うであろう。その人がはいる家までついて行って、
どこに準備をすべきか問う弟子に、イエスは、水がめを持っている男を市内で見つけ、その後をついて行くように命じられました。「水がめを持っている男に出会う」を訳されていますが、ギリシャ語聖書を直訳すると「水がめを持っている人があなたがたに会う」となっています。当時、水がめは女性が持つもので、男性は皮袋で水を運びました。ですから、水がめを持った男は格好の目じるしだったのです。
(3)あらかじめ過越の食事の準備が指示されていた
22:11 その家の主人に言いなさい、『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』。
22:12 すると、その主人は席の整えられた二階の広間を見せてくれるから、そこに用意をしなさい」。
イエスを「その家の主人の先生」と言っていることから、その家の主人もイエスの弟子であり、「その家の主人」に過越の食事をする準備が言いつけられていたことが判ります。余談になるかも知れませんが、「ダ・ヴィンチの“最後の晩餐”には間違いがある」との議論があります。その根拠に興味がある方はネットでも調べられますが、聖書にこう書かれています。12節に「席の整えられた」とありますが、直訳すれば、「敷き物が敷かれた」です。当時のユダヤ人はテーブルで食事をすることが多かった様ですが、「過越の食事」だけは、必ず床の敷物に体を横たえて食べました。エジプトで奴隷だったところから自由な世界へと解放された、その伸び伸び感を過越の食事で表すためだと言われています。


4.イエスの御業の特徴
22:13 弟子たちは出て行ってみると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。
「イエスが言われたとおりであった」との表現は、“イエスの千里眼的予知能力への驚き”と受け止められますが、ただそれだけでしょうか?!私たちはこの言葉から“着々と進みゆく神の御業”を読み取るべきです。少し前に、イエスがエルサレムに入城される時に、つながれている子ロバを引いてくることが弟子に命じられた時も「イエスの言われたとおりだった」と書かれていますが、その時も同様です。
(1)敵に邪魔させない
イエスは、この過越の食事の準備を綿密に、しかもペテロやヨハネにすら知らせず秘密裏に進めておられました。イスカリオデのユダの裏切りと“敵”の謀略を知っておられたからです。
彼は「群衆のいないときにイエスを引き渡そうと」約束しました。祭りの期間中エルサレム市内は全国からの巡礼者でごった返しますが、人が寝静まった夜中と過越の食事の時は街中から人気が消えます。この食事だけは、律法が命じているように家の中に閉じこもって家族だけでするからです。よって、イエスが過越の食事をする場所をユダは知りたかったはずです。しかしイエスは、その場所を最後の最後まで明かさなかったのです。
(2)私たちへの配慮に満ちている
イエスはこう言われました。
22:15 イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
ここには、イエスが十字架に掛かられる前にどうしても過越の食事を取っておきたいとの思い、それも自分の思いからではなく、「わたしたち」みんなで過越の食事をしたいという強い「一体感」が漲っています。
次回お話ししますが、この時が確保されなければ、イエスの救い主としてのみわざか不完全になってしまうほどに大切だったのです。イエスがこの“最後の晩餐”でされたことは、聖餐式の制定です。聖餐式を通して、イエスの十字架の恵みが信じる者に確証され続け、新たに与えられ続けるのです。神は、救いの“雛形”としての過越の食事に代えて、御子イエス・キリストによる罪の贖いと真の救いの記念の食事、聖餐式を制定されたのです。
この聖餐式は、私たちが救いにとどまるために不可欠の礼典であることを心にとめたいのです。聖餐式は人間の意志から出たのではなく、イエスの熱心によって制定された礼典です。私たちの心は移ろいやすく、救いの確信も動揺することがあります。しかし礼典を通して具体的に確実に、主の十字架が私のためのものとして確証されるのです。キリスト教は、自分の信仰の確かさにではなく、神の確かさに望みを置きます。そのことが特に顕著に現されるのが聖餐式であり、聖餐式は「希望の目じるし」です。

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