2019年3月10日(日)聖日礼拝 「一緒にパンを割こう」

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2019年3月10日(日)聖日礼拝 「一緒にパンを割こう」

22:14 時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。
22:15 イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
22:16 あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。
22:17 そして杯を取り、感謝して言われた、「これを取って、互に分けて飲め。
22:18 あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
22:19 またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
22:20 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
22:21 しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。
22:22 人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。
22:23 弟子たちは、自分たちのうちだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。
ルカによる福音書 22章14~23節

ルカによる福音書22章に入ると、イエスが十字架に引き寄せられていく様に感じられます。あたかもサタンの力・この世の謀略がイエスに勝つかのように。しかし聖書を注意深く読めば、そうした見方が全く誤りだと気が付きます。聖書は、出来事を単に書き連ねているだけではありません。荒野に於ける誘惑以来のサタンの攻撃をイエスが見事にはねのけて、救いの御業が着々と成し遂げられていく過程が克明に記されています。
先週お話しした過越の食事の準備もその一環でした。過越の食事をする場所の準備は、イエスと同行する弟子たちにさえ知らされずに整えられました。それは、密かにイエスを捕らえるチャンスを覗っていた“敵”の謀略を封じる為でした。
そして、弟子たちと一緒に過越の食事、いわゆる“最後の晩餐”が始まりました。それが今日の聖書箇所です。


2.「この過越の食事」が始まった
22:14 時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。
22:15 イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、あなたがたとこの過越の食事をしようと、切に望んでいた。
22:16 あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。
イエスは、十字架の死の苦しみの予告と共に、十字架の死は“終わり”ではなく“始まり”であることを教えられました。
ここで、過越の食事の意味についておさらいしておきましょう。
(1)小羊を屠る過越の食事とは神御自身が定められました。エジプトでの奴隷生活から民を救出し自由を与えて下さった神の御業を忘れず記念する為です。
(2)そこでは、小羊の血が流され屠られました。それは、全人類を罪の拘束と永遠の滅びから救い出し解放する、つまり真の自由を与えてくださるイエス・キリストの雛型でした。
(3)そして、いよいよ「イエス・キリストの雛型であった過越の食事」が、主イエスにおいて現実になる時が来たのです。


3.聖餐式の制定
(1)「わたしを記念するため」 主を覚えるため
22:19 またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
22:20 食事ののち、杯も同じ様にして言われた、「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である
聖餐式は、「わたし」を記念するために行う。つまり、
・イエスがわたしに代わって肉を裂き血を流してくださった十字架の出来事を
・ただ過去の十字架の死ではなくて、今生きておられ主イエスを
わたしたちが覚え続ける為に聖餐式を行うよう言われたのです。
(2)「わたしの血」
20節では「血」についてことさらに強調されている様な印象を受けますが、理由があります。
まず、償いについて聖書にはこう記されています。
申命記19:21 あわれみをかけてはならない。いのちにはいのちを、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を。
人の目を損ねた罪が赦されるには自分の目でもって贖うべき事、命を損ねた罪が赦されるには命をもって償うべき事、それが神の律法です。「いのちにはいのちを」について具体的に記す聖書箇所があります。
レビ記17:11 肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである。
命を贖うには血が流される、血を流すことによってのみ命を贖えるのです。
さて、ここで、最初の人類アダムとエバがしたことを思い出しましょう。自ら神に背を向け、神が与えて下さった永遠の命を損なうという罪を犯したのです。神に対して犯したのです。この罪が赦されるには、先ほどの律法に従って、
ヘブル9:22 …血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。
罪を犯した者の血が流されなければ“命を損なった罪”の赦しは有り得ないのです。どうしても犠牲の血が流される必要がある。そこで私たちの身代りになって血を流されたのがイエス・キリストです。
(3)「新しい契約」
「新しい契約」の新しさとは“時間的最新”ではなく、“質的最新”という意味で、旧約聖書に預言があります。
エレミヤ31:31-33 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。/この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。/しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
新しい契約は、「エジプトの地から導き出した日に立てたような」“石の板に書かれた律法”ではなく、イエスの十字架の福音があなたの心に記されることによります。


4.聖餐式に与るうえでの注意
22:21 しかし、そこに、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に食卓に手を置いている。
22:22 人の子は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。
私たちの聖餐式の式辞にもありますが、私たちは聖餐式に与るうえで自分の心を吟味すべきです。
(1)葛藤する者は与るべき
信仰生活について悩み、救いの確信が動揺して悩む人は、むしろ聖餐式に出席すべきです。聖餐式は、救いの“目に見えるしるし”であり、信仰が弱っていても、この“目に見えるしるし”によって、救いの確証が与えられます。
(2)繰り返す罪を戒められながらも平然として聖餐に与る者は「わざわいだ」
形ばかりに聖餐式に列席することが、まことの信者であることの保証にはなりません。ユダのように、キリストを求める心を持たないまま聖餐式に与るなら、主の厳しい拒絶に遭います。
教会には賠餐停止という戒規があります。これは処罰的な意味よりも、賠餐停止により悔い改めの緊急性を自覚させ、ユダの如く滅びぬようにする配慮です。


5.結び 「一緒にパンを割こう」
22:16 あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。
22:18 あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
ここで主イエスは宣言されました。
(1)終わりの日に神の国が完成して、過越の食事の目的は完遂される。
イエスが制定された聖餐式は、天の御国での祝宴の雛型でもあります(讃美歌205番4番)。
(2)私イエスは、あなたたちと「一緒にパンを割こう」と待っている。
最近は少なくなってきているかも知れませんが、帰宅が遅くなる家族がいる時、皆が夕食を待ったものです。家族に一体感があったからです。
この説教の前に、讃美歌第2編179番「みまえにわれらつどい」を歌いました。この黒人霊歌の起源はよく知られてませんが、黒人教会での聖餐式で歌われたようです。「自分たちはこの世にあっては奴隷として生き死んでいく。しかし主イエスは自分たちを天の御国へと導き入れて下さる。主イエスは、自分たちを信仰の友を伴って御国での祝宴に与らせて下さる。その時を望み見て『一緒にパンを割こう!』」このような思いで歌っていたのではないでしょうか。
イエスは今もなお、天にあって、私たちが御国に凱旋し、主と食事を共にする時を待っておられます。私たちが聖餐式に与るごとに、「一緒にパンを割こう」と天で待っておられる主イエスは、私たちの天国の希望を一層強くして下さいます。

【今日の讃美歌】
3番/讃美歌第2編179番「みまえにわれらつどい」(黒人霊歌「Let us break bread together on our knees」)/205番
【今日の信仰告白】
ウェストミンスター小教理問答 問88/91/93/96

 

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2019年1月6日(日)聖日礼拝 「主にあっていつも喜ぶ」

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