2019年4月28日(日)聖日礼拝 「命を守るために ~誘惑と戦う」

神戸市のプロテスタント教会 日本キリスト住吉教会のホームページへ戻る

2019年4月28日(日)聖日礼拝 「命を守るために ~誘惑と戦う」

22:39 イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。
22:40 いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。
22:41 そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、
22:42 「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
22:43 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。
22:44 イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
22:45 祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって
22:46 言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。
ルカによる福音書 22章39~46節

聖書は、この世の常である試錬・困難・誘惑と戦って勝利する術を教えます。
誘惑・試錬と戦って勝利を得るための武器として、前回 4月7日はルカ22章35~38節から、聖書の御言葉についてお話ししましたが、今日は、「祈り」もまた誘惑・試錬と戦う武器であることをお話しします。


1.イエスの祈り
   22:41-42a そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、/「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。…
(1)具体的に祈る
「この杯をわたしから取りのけてください」の「杯」は旧約聖書に20数回使われています。その八割以上は神の怒りの象徴です。イエスが祈られた「杯」とは、他でもない私たちの身代わりに神の刑罰を受ける十字架です。
イエスは、「この神の怒りの杯を取りのけていただきたい」と、①自分の思いを率直に、②具体的に祈られました。誘惑と戦う第一歩は、神に自分の願いを率直に申し上げることです。イエスは自分の手で十字架を回避しようとされたのではなく、神に願われたのです。これは、ヨナがニネベ伝道の使命を回避し、「主の前を離れてタルシシへのがれようと、立ってヨッパに下って行った」(ヨナ書1:3)のとは対照的です。
ところで、「十字架の回避を願ったイエスは、初代教会の信仰者たちの様には潔くないではないか」との批判もあるようです。確かに、
  ローマ14:8 私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。
この聖句の通り、①キリスト者は生きるにも死ぬにも神の愛の内にあります。②イエスの十字架とよみがえりにより、キリスト者にとって「死」は滅びではなく栄光に至ることです。③肉体の死の直後には一層鮮やかに神の愛の御顔を仰ぎ見ることかできます。ですから初代教会の信仰者たちは、殉教の死を厭(いと)いませんでした。
しかし、イエスの十字架の死は、信仰者の死と根本的に違っています。イエスは、私たちの身代わりに、私たちの罪に対する神の怒りを受けての死でした。このイエスの御苦しみがあってこそ、初代教会ばかりか現代に至るまでのキリスト者の“潔い”生き様が可能になったことを覚えたいです。
(2)自分の思いを神の御心と調整するために祈る ~祈りは格闘
   22:42b …しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
イエスの祈りは、父なる神を自分の思い通りに動かそうとするのでなく、神に自分を従わせようとする祈りです。人は目の前をどうしても見がちですが、イエスは父なる神が成し遂げんとする御業を見通しておられます。このことから、祈りとは「わたしの願い」を神に調整していく、そういう格闘でもあります。
これがよく分からないと、「わたしの願い」が叶わなければ〝祈りが聞かれなかった″ということだけで終わってしまいます。そうではありません。聖書が教える祈りは、自分の願いを神の願いへと合わせる、そのことのために格闘することです。祈りにはこの様な一面があることを覚えたいです。
(3)助けられつつ祈る
   22:43-44 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。/イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
「汗が血の滴るように地面に落ちた」とは、単に死の恐怖に怯えているからではありません。少々断定的で恐縮ですが、私たちが知らない神の怒りと裁きの恐ろしさと向き合っていたのです。イエスはこう教えられました。
  ルカ12:4-5 そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。/ 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。
人間は誰も理解できない地獄の恐怖をイエスは知りながら、イエスはそれを十字架で引き受けようとされていたので「汗が血の滴るように地面に落ちた」のです。
これで皆さまお気づきになったと思いますが、御使いがイエスを力づけたのは、目前の苦しみを和らげるためではなく、“格闘”の祈りを全うするためです。その様な祈りは、イエスですら天来の励ましを受けました。ましてや、私たち自身の力と自分の熱心だけで“格闘”の祈りは出来ません。まず祈り始め、神に助けられつつ祈りを深めるのです。
余談になりますが、御使はどの様にイエスを力づけたのか興味がわくところです。もし聖書に記されていれば、苦悩する兄弟姉妹方を私たちもその言葉で励ませるのになあ、と思います。ただ、人を励ます時にとても大切なこととして、悩む相手をどれだけ理解し配慮出来ているか、ということがあると思います。涙無しには祈れない苦しみや悩みを抱えていて、簡単には委ねきれないからこそ苦悩している人に向かって「委ねましょう」と勧めたり、その人がいるところで「(私は)全部のことをお委ねします」などと祈ると、その方に冷や水をぶっかけたり煮え湯を飲ませるようなことが起きかねません。最新の注意と配慮が要ります。


2.命を守るために、祈りによって誘惑と戦う
(1)祈らずば、「死人が眠っている状態」同様となる
   22:45-46 祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって/言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。
弟子たちは霊的な戦いについては鈍感でしたが、イエスとの別離は気付いていました。しかし、弟子たちはイエスのように、①具体的に祈らなかった。②自分の思いを神の御心で調整しようとも祈らなかった。③神に助けられて祈り続けることも無かった。その結果、彼らは悲しみの果てに「寝入って」しまったのです。この「寝入って」という言葉は、「死人が眠っている状態」をも現す言葉です。祈らずして試錬・誘惑と戦おうとすると、「死人が眠っている状態」に引きずり込まれるのです。
(2)誘惑とは?
ところでここで言われる「誘惑」とはどんなモノを言っているのでしょう。世の中には数限りなくいろんなものがありますが、究極的には「人を神との関係から引き離そう、引きずり落とそうとし、私たちの命を奪うもの」、すなわちサタンからの誘惑です。
(3)「起きて」祈る
イエスは「起きて祈りなさい」と教えられました。確かに、寝てては祈りでなく寝言になってしまいます。私たちがお祈りする時は何となく手を合わせ目をつぶりますが、ここでイエスが教える祈りは“正反対”です。祈る自分の思いと、その発露である言葉とを、目をカッと見開いて注視しなさい。そこで自分が誘惑に引きずり込まれそうになっていないか、自分の心に蓄えた御言葉とすりあわせて吟味すること。それが誘惑と戦って命を守る祈りです。聖書は勧めています。
  エペソ6:18 絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。


3.勝利されたイエスにならい、私たちも誘惑と戦う
(1)勝利されたイエス
イエスは十字架上で、
  ヨハネ19:30 …「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。
「すべてが終った」とは、完全になし遂げたと言うことです。イエスが「(何とか)この杯を取りのけてください」と祈った自分の願いを達成したからではなく、自分の願いを、「神の怒りの杯を飲み干すことが御父の御旨である」ことに合わせることができたからです。今日の聖書箇所を一言で言い表した聖書箇所があります。
  ヘブル5:7 キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。
イエスのゲツセマネの祈りは、①私たちに最大の賜物、救いを与える為の祈りであり、②私たちキリスト者も、命を守るために祈り誘惑と戦うことの模範でもあります。
(2)私たちも祈りをもって誘惑と戦おう
イエスは祈りを教えて言われました。
  ルカ11:9 …求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
ですから、私たちは様々な願い事を神に祈ります。
その中で一番大切なモノは何でしょう。永遠の命のはずです。ですから、私たちの命を奪おうとする誘惑と戦って勝利させて戴くために祈るのです。イスカリオテのユダのように滅びないようにと祈るのです。
最後に、繰り返しになりますが、自分の願いをイエスのように率直に神に申し上げてこそ、私たちは神と向かい助けを得て誘惑と戦えます。なぜ自分の思いを正直に神に申し上げるべきかと言うと、
  箴言14:12 人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある
つまり、自分の思いを遂げようとすることがしばしばサタンの誘(いざな)いであったりするのです。だから神にありのままを申し上げるのです。そして、主のみこころに信頼し、神に自分の願いを従わせようと祈るのです。その様な私たちの祈りは、しばしば神との格闘になります。しかし、必ず最善の結果を神から受け取ります。


■今日の讃美歌
讃美歌58番 「かみよ、みまえに ひれふしいのる」 
讃美歌308番 「いのりは口より いでこずとも」
讃美歌311番 「花のあけぼのも 月の夕暮れも」

2019年 メッセージ一覧

2019年11月24日(日)聖日礼拝 「私の罪は私の前にある」

現実には殆どないと思いますが、「あなたは罪を犯したことがありますか」と突然問われたら、不快に思うで…

2019年11月17日(日)聖日礼拝 「愛の交わり」

~ 今回の掲載はありません ~

2019年11月10日(日)聖日礼拝 「御霊による歩み」

キリスト者が信仰に召されたのは、自由を与えんがためである。キリスト者は律法の束縛と詛(のろい)から解…

月報 2019年11月号 「 永遠への思慕(しぼ)」

聖書は私たち人間についてこう言います、「…あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんな…

2019年11月3日(日)聖日礼拝 「神の救いを待ち望む」

本題に入る前に、今日の詩篇を読み解く鍵となる聖書箇所を開いてみましょう。 ローマ5:1-5 このように、わ…

2019年10月27日(日)聖日礼拝 「神はわれらの避け所」

1.確信の告白 (1)神は「いと近き助け」 46:1-3 神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助け…

2019年10月20日(日)聖日礼拝 「神を自分のどこに置くか」

この詩篇は、信仰に生きる人生とそうでない人生を比較しながら、神への全き信頼から来る平安と希望、喜び…

月報 2019年10月号 「 詩篇を通して主イエスにまみえる」

主イエスはこう言われました、「 わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうで…

2019年10月13日(日)聖日礼拝 「なぜ国々は騒ぎ立ち」

この世には、あきれるほど多種多様の“敵”が存在します。覇権を争いあう国家・民族といった敵、人間関係に…

2019年10月6日(日)聖日礼拝 「悪しき者の末路」

大勢の方々に愛読される詩篇は個人的な信仰の歌にとどまりません。主イエスはこう言われました。 ルカ24:2…

2019年9月29日(日)聖日礼拝 「正しい者の幸い」

全部で150篇からなる詩篇は、多くのキリスト者の座右の書として、愛し慕われ続けています。 この詩篇には…

2019年9月22日(日)聖日礼拝 「イエスの昇天」

ルカ二四章には、主イエスのよみがえりを信じることがどれほど困難かが記されています。 弟子たちは、イエ…

2019年9月15日(日)聖日礼拝 「福音は全世界へ」

1.弟子たちの証言 ルカ24章には、イエスのよみがえりを確認した弟子たちについて、こう書かれています。 (…

月報 2019年9月号 「 老いの坂は上るもの 」

9月16日は敬老の日です。老年に入る年頃を「初老」と言い、四十歳からだそうです。平均寿命が延びた現代は…

2019年9月8日(日)聖日礼拝 「からだの復活」

先ほど私たちは「罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。アーメン」と使徒信条を唱えました。聖…

2019年9月1日(日)聖日礼拝 「心の眼が開いた!」

私たちは、どうすればイエス・キリストを知ることが出来るのでしょうか。まず第一に聖書の言葉に接し、き…

2019年8月25日(日)聖日礼拝 「霊的盲目」

今日の箇所からは、聖書の中でも特に美しい物語が始まります。 今日はその第一幕、讃美歌272番でも歌われ…

2019年8月18日(日)聖日礼拝 「よみがえりの主イエス」

キリスト教を信じようとしない人々がその理由を挙げるとき、一つに奇跡があります。キリスト教は奇跡をい…

月報 2019年8月号 「 破れ口」は塞(ふさ)がれた

7月21日の説教で、標記の詩篇を引用しながら「いつの時代も『彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、…

2019年8月11日(日)聖日礼拝 「よみがえりに備えた葬り」

今日は、十字架刑で息を引き取られた主イエスの遺体の葬りについて記す箇所です。そして、世界中のキリス…

2019年8月4日(日)聖日礼拝 「平安に生き、平安に死ぬ」

説教に入る前に使徒信条を唱和しましたが、その使徒信条は「私たちは、聖書に書かれていることを、この様…

2019年7月28日(日)聖日礼拝 「絶望からの救い」

この世と神の秩序に反抗して生きてきた二人の犯罪人がイエスと共に十字架につけられ、みじめな死で人生を…

2019年7月21日(日)聖日礼拝 「自分を犠牲にして救う」

十字架上のイエスを、人々は「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身…

月報 2019年7月号 「 悲しいことを話していいですか? 」

痛ましい事件が頻発する昨今です。しかし、それらは私たちにとっては“遠いところの出来事”なので、当事…

2019年7月14日(日)聖日礼拝 「絶望的人生の解決」

今日の聖書箇所は、主イエスの地上の御生涯の縮図です。この情景はヴィア・ドロローサ(悲しみの道)として…

2019年7月7日(日)聖日礼拝 「正義を捨てた代償」

イエスを十字架に掛けた当時のユダヤ人たちは、まことの平和と救いをもたらすイエスを捨て、熱狂的な民族…

2019年6月30日(日)聖日礼拝 「自由を得させるために」

この日の説教の内容記載はありません。 ■この日の信仰告白 ウエストミンスター小教理問答問33、36 ■この…

2019年6月23日(日)聖日礼拝 「力と愛と分別の霊(2)」

6月は、ペンテコステにちなんだ聖書箇所からお話ししてますが、今日はその最終回です。 自分がキリスト者…

月報 2019年6月号 「 相談相手 」

誰の言葉を聞くか、誰を相談相手とするか。これは人生を左右します。そこで今、自分に問うてみましょう…

2019年6月16日(日)聖日礼拝 「力と愛と分別の霊(1)」

「イエスは失敗もした」と言われたら、まさかと思うでしょう。しかし、イエスが徹夜の祈りの後に選んだ十…

2019年6月9日(日) ペンテコステ記念礼拝 「福音は地の果てにまで(2)」

私たちは日本史とか世界史といった歴史を学びます。人間社会の経験から知恵と教訓を得て、より良い人生と…

2019年6月2日(日)聖日礼拝 「福音は地の果てにまで(1)」

私たちは大人になる迄に、学校で日本史とか世界史といった歴史を学びます。人間社会が経験してきた事から…

2019年5月26日(日)聖日礼拝 「イエスは神の子キリスト(2)」

イエスは、十字架に掛かられる前夜から、徹夜で繰り返される裁判に臨まれました。なんとしてもイエスを処…

2019年5月19日(日)聖日礼拝 「イエスは神の子キリスト(1)」

今日の聖書箇所は、イエスが十字架に掛かられる直前の宗教的裁判の場面です。四つの福音書を読むと、イエ…

月報 2019年5月号 「 生れ変って歩き出すよ 」

中島みゆきさんの歌詞には、聖書の言葉を連想させるものが少なくありません。「時代」もそうです。この作…

2019年5月12日(日)聖日礼拝 「命を守るために ~救いに至る悲しみ」

ペテロは、ペンテコステの説教で大勢の人々を悔い改めと救いへと導き、初代教会のリーダーの一人となった…

2019年5月5日(日)聖日礼拝 「命を守るために ~悪しき時代と戦う」

今回の改元に際して、昭和の激動期を生き抜いた人がこう言っておられました。「平成は、我が国に戦争がな…

2019年4月28日(日)聖日礼拝 「命を守るために ~誘惑と戦う」

聖書は、この世の常である試錬・困難・誘惑と戦って勝利する術を教えます。 誘惑・試錬と戦って勝利を得る…

019年4月21日(日) イースター記念礼拝 「死に勝った!」

今年もイースターを迎えました。 先日、K兄S姉ご夫妻をホームに訪問し、一つのテーブルを囲んでお昼をご一…

月報 2019年4月号 「 生きることを諦めない 」

元気なうちは、生きていることは当たり前のことで気にもとめません。しかし、死が近づいてくるのを感じる…

2019年4月14日(日)聖日礼拝 「あなたも見ていたのか」

教会暦ではこの日から受難週に入ります。四つの福音書は、それぞれの視点からイエスの十字架を記していま…

2019年4月7日(日)聖日礼拝 「戦い無くして勝利無し」

「つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい」「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振…

2019年3月31日(日)聖日礼拝 「約束の子として生きる」

人の救いは、ただ信仰によるものであり、行いによるものではない。これが、ガラテヤ人への手紙のテーマで…

2019年3月24日(日)聖日礼拝 「試錬の日の守り」

こう言った質問を受けることがあります。「クリスチャンになっても苦しむことがあるのはどうして!?」と。…

2019年3月17日(日)聖日礼拝 「いちばん偉い者」

導入 先週はイエスが聖餐式を制定された出来事でした。過越の食事が出エジプトという過去によって十字架と…

月報 2019年3月号 「 寄り添う人、寄り添われる人 」

教会学校の子どもたちにも良く知られたザアカイは、突然主イエスの訪問を受けた人々の一人です。ザアカイ…

2019年3月10日(日)聖日礼拝 「一緒にパンを割こう」

ルカによる福音書22章に入ると、イエスが十字架に引き寄せられていく様に感じられます。あたかもサタンの…

2019年3月3日(日)聖日礼拝 「希望の目じるし」

ルカによる福音書22章に入ると、あたかもサタンの力・この世の謀略がイエスに勝って、イエスが十字架に引…

2018年2月24日(日)聖日礼拝 「小さな裏切りの積み重ね」

「これくらい大丈夫」と小さな悪事を繰り返すうちに、泥沼にはまりこみ抜け出せなくなったり突然の破局を…

2019年2月17日(日)聖日礼拝「目をさまして祈ろう」

ルカ21章に入ってから、イエスは「その日」について懇懇と説教してこられました。その結びと言える今回は…

月報 2019年2月号 「 すべての人に臨むところは、みな同様なのか ?! 」

伝道の書は、虚無的な言葉を多用ながら人生の目的・生きる意味を問いつつ、間接的に神の存在とその神に対…

2019年2月10日(日) 聖日礼拝 「神の国は近い」

ルカ21章では、“終わり”に関するイエスの説教が続いてますが、今回と次回で一区切りになります。 先週は、…

2019年2月3日(日)聖日礼拝 「救いを待ち望む」

イエスの十字架を間近に控えた21章では、“終わりの日”に関する説教が続いています。今日は、 (1)〝世の終…

2019年1月27日(日)聖日礼拝 「神の怒りの日」

人々がエルサレム神殿の見事な奉納物や石垣に感嘆してた時に、主イエスは教えられました。どんなに壮大で…

2019年1月20日(日)聖日礼拝 「神による慰め」

今年の標語聖句は「主にあっていつも喜びなさい」です。そこで、この御言葉が私たちのものとなるようにと…

月報 2019年1月号 「 主にあっていつも喜ぶ 」

この2019年標語聖句もそうですが、私たちの現実から掛け離れてると感じる御言葉が聖書には少なくありませ…

2019年1月13日(日) 聖日礼拝 「神は万事を益に」

8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるよ…

2019年1月6日(日)聖日礼拝 「主にあっていつも喜ぶ」

今朝は2019年 標語聖句の御言葉に聞きます。 聖書には「~なさい」という命令形の言葉が頻繁に現れます。…