2020年1月19日(日)聖日礼拝 「深い淵から神を呼ぶ」

神戸市のプロテスタント教会 日本キリスト住吉教会のホームページへ戻る

2020年1月19日(日)聖日礼拝 「深い淵から神を呼ぶ」

都もうでの歌
130:1 主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。
130:2 主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。
130:3 主よ、あなたがもし、もろもろの不義に/目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。
130:4 しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。
130:5 わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。
130:6 わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。
130:7 イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。
130:8 主はイスラエルを/そのもろもろの不義からあがなわれます。
詩編 130篇01~08節

「神がいるなら、なぜ神は私をこんな状態へと突き落としたのか!」と叫びたくなることが人生にはしばしばあります。この詩篇130篇の記者も経験したのです。しかし詩人は、そこから“光の中”へと引き上げられたのです。この詩篇130篇はその詩篇記者の“証”です。
私は底知れぬ絶望のただ中にいた。どんなにもがいてもあがいても這い上がる足がかり一つ無かった。だが、その時私は神を大声で呼ばわった。私は自分の罪深さを認めざるを得なかった。同時に、神はいつくしみ深く罪を赦して下さる方であることを信じて待ち望んだ。やがて「あなたの罪は赦された」とをもって神は私を救い出して下さった。
だから私は貴方に証する。あなたが奈落の闇の底で苦しむことがあっても、諦めず神に呼ばわり、神に信頼して待ち望みなさい。神はあなたを必ず“光の中”へとすくい上げて下さる!


1.広く知られる詩篇
宗教改革者ルターは、「この詩篇は罪のゆるしが律法の行いによるのではなく、信仰によることを教えているが故に、この詩篇はパウロの詩篇だ」と言ったそうです。そして彼がこの聖句から作詞したコラールは、バッハ等の作曲家のモチーフになりました。
また、著名な小説家・大岡昇平氏の著作『野火』の中で、「デ・プロフンディス」、ラテン語で「深き淵より」という言葉を主人公に聞かせたことから、日本でも旧約聖書詩篇130篇がより多くの人に知られるようになったとも言えます。私たちの教会のM姉も『野火』を呼んで詩篇130篇を知り、後日「信仰による罪のゆるし」を体験され、M姉の愛誦聖句になっています。


2.主を呼び求める
冒頭の標題からこの詩篇が歌われた歴史的背景が判ります。「都上りの歌」とあることから、エルサレムに向かう道中、巡礼者たちによって歌われたのです。そうして巡礼者たちは、心が整えられて神殿で真心から礼拝を捧げたのです。
1節、詩篇記者は大声で神に向かって叫んでいます。
130:1 主よ、わたしは深い淵からあなたに呼ばわる。
「主なる神様、私は今、深い淵にいます。自分の力では抜け出せません。絶望なのです。」と。
ここから、私たちは大切な事を学び取ることが出来ます。
(1)原因・理由は何であれ、神に信頼する人でも「深い淵」にいる様な苦しみを体験しうると言うことです。神を信じれば人生ばら色になり、病が治癒し金銭に恵まれ万事益となる、ということは聖書のどこにも書かれていません。そんな考えは“罠”です。
(2)神は、詩篇記者が「深い淵」を経験しないようにはされませんでした。しかし、神に愛が欠如しているからでも力不足だからでもありません。神は、意味なく私たちを苦しめることはありません。他の詩篇でこう言われています。
詩篇119:71 苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。
パウロも証しています。
Ⅰコリント10:13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
続いて2節、詩篇記者は主に懇願します。
130:2 主よ、どうか、わが声を聞き、
  あなたの耳をわが願いの声に傾けてください。
詩篇記者の切羽詰まった懇願が、対句と言う表現技法を三重ねして表現されています。まず「主」と「あなたの耳」、次に「わが声」と「わが願いの声」、そして「聞き」と「傾けて」です。「あなたの耳」でわたしの懇願に傾聴して応えて下さいとの強烈な願いが伝わってきます。
しかし、ここで、詩篇記者は夢中で叫んだばかりではなく、自分自身を弁えつつ神の御前に謙っています。
 130:3 主よ、あなたがもし、もろもろの不義に/目をとめられるならば、主よ、だれが立つことができましょうか。
「主よ、あなたがもし人の罪に目を留め見張るなら、誰一人としてあなたの裁きに堪えられません」と詩篇記者は自分を弁え謙りながら、
130:4 しかしあなたには、ゆるしがあるので、人に恐れかしこまれるでしょう。
口語訳聖書の翻訳は少々難解ですので新共同訳聖書を参照してみましょう。
【新共同訳】 130:4 しかし、赦しはあなたのもとにあり 人はあなたを畏れ敬うのです。
「人が神を真実に畏れ敬えるのは、罪を罰する厳しさと同時に罪を赦す愛が神にはあるからです」と詩篇記者は神への信頼を告白しています。彼は神の本質に寄り頼んでいるのです。また、信仰者の「畏れ」とは、聖なる存在に愛され受け入れられた喜びから湧き出る自然な尊敬と敬虔な感情であることも判ります。このような「畏れ」を持つ者は、主に罪を犯す生き方を選びません。


3.主を待ち望む
詩篇記者は続けます。
 130:5 わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。
「私は、『そのみ言葉』、すなわち罪の赦しを確信させてくれる御言葉を待ち望みました」と。
しかし、主の言葉を確信し委ねることが簡単ではないことは、「深い淵」を経験した人なら誰でも知っています。特に精神的に追い詰められた時はなおさらです。しかし、「み言葉に待ち望む」ことこそ希望につながる唯一の道です。それ以外の手段で脱出を試みると、その問題解決どころか泥沼化します。あの小説「野火」の主人公がそうでした。
日本人は精神論や根性論を好む民族ではないでしょうか。信じること自体に意義がある、また信じることによって何でも乗り越えることができると。またその様に国民が教育された歴史もあります。しかし、私たちが間違ったことを一生懸命信じても、結果は空しいです。もちろん「み言葉に待ち望む」とは、何もせず「時の流れに身を任せ」ることでもありません。神の救いを待つ人の姿は、神の約束を心に豊かに蓄え、しっかりとそれに希望をつなぎ、不信仰な心が生まれないように忍耐している姿です。

130:6 わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。
6節の原文は、記者の待ち遠しさと「待つ」ことの大切さがひしひしと伝わってくる詩的表現を使っています。
130:6の直訳 私の魂は主を 夜回りが暁を待つよりも 夜回りが暁を待つよりも
最重要な動詞「待つ」に主語「私」を使っていません。
新約聖書に、深い淵から主イエスに、大声に代えて沈黙と涙とをもって呼ばわった女性のことが記されています。
ルカ 7:36-39 あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。/するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、/泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。/イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女かわかるはずだ。それは罪の女なのだから」。
この女性は、「その町で罪の女」として当時の社会から拒絶された存在だったのです。その様な女性に触られているイエスを見た人々はイエスを蔑みました。この後 「金貸しに金をかりた人」の譬えが話された後に主イエスは、
ルカ7:48 そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。
イエスが神の御子なればこそ、この女性が「罪の深き淵」にいることをご存じであり、涙を流して悔いる女性を憐み、罪の赦しのことばを与え、その女性を「深い淵」から解放されたのです。
主イエスはいやしの奇跡をされるとき、しばしば「あなたの罪はゆるされた」と言われました。その時そこでは、主の御業を待ち望んだ人々に、「深い淵」からの解放と言う救いの出来事が起きていたわけです。


4.「望みをいだく」
詩篇を結ぶにあたって、詩篇記者は、同胞に向かって呼ばわります。
 130:7-8 イスラエルよ、主によって望みをいだけ。主には、いつくしみがあり、また豊かなあがないがあるからです。/主はイスラエルを そのもろもろの不義からあがなわれます。
これは福音の到来の預言でもあります。
第一に、主には「いつくしみ」があることです。この「いつくしみ」とは、神がご自分の民に注がれる特別な愛情表現です。その愛情は、命の契約に対する忠実さ、救いの契約に基づいた祝福に現れており、神の愛の頂点としての出来事、主イエスの十字架において高々と掲げられています。
第二に、主には「豊かなあがない」があります。この「あがない」とは“代価を支払って本来の所有者が買い戻す”ことです。主イエスが十字架上で私たちの罪を負って身代わりに死んに、神の御子自身が血の代価を払って下さったことで、詩篇記者の望みは歴史的出来事により叶えられました。
しかもその贖いは「豊か」です。この豊かさとは、どんどんあふれ続けて蓋を出来ない豊かさです。「純粋なナルドの香油のかおりが家にいっぱいになった」(ヨハネ12:3)如く、「罪の赦し」を告げる御言葉は、今や世界中いっぱいに広がっています。誰も福音の芳しい香りに蓋を出来ません。
もしあなたが「深い淵」におられるなら、「主よ、どうか、わが声を聞き、あなたの耳をわが願いの声に傾けてください」と祈り、聖書の言葉に望みをかけてみませんか。

■この日の信仰告白
ウェストミンスター小教理問答 問29、31、33
■この日の讃美歌
 9番「ちからの主を ほめたたえまつれ」
 258番「貴きみかみよ、悩みの淵より」
 391番「ナルドの壺 ならねど」

 

2020年 メッセージ一覧

2020年8月2日(日) 聖日礼拝 「神はあなたを知っておられる(2)」

前回、詩篇139篇の前半から、私たちの、主を褒めたたえるその源は神さまご自身、特にその御業によるという…

2020年7月26日(日)聖日礼拝 「主はわたしの牧者」

私たちは苦しみに出会うとき、また自分の将来に希望を見出せないとき、その原因や意味を見出そうと問い続…

月報 2020年7月号 「 祭壇の火を燃え続かせよ 」

紀元前の幕屋(主が神の民の中に住むための聖所)の祭壇で燃え続けた火は、私たちと深い関わりがあります…

2020年7月19日(日)聖日礼拝 「神はあなたを知っておられる」

詩篇139篇は、詩篇の第五巻に含まれます。詩篇とは元々讃美歌という意味です。実際にこの詩篇をもって祭儀…

2020年7月12日(日)聖日礼拝 「人は何物か?」

この詩篇記者は、夜空を仰いだその時、この世から切り離されて輝く月や星を見て、彼の心はこの世を越えた…

2020年7月5日(日)聖日礼拝 「主の慈しみは、とこしえに(2)」

■式次第 オンライン礼拝者の紹介/挨拶 --- 前奏 讃詠  539 主の祈 信仰告白 交読文34 十戒 讃美歌 10番…

2020年6月28日(日)聖日礼拝「主の慈しみは、とこしえに」(1)」

■式次第 オンライン礼拝者の紹介/挨拶 --- 前奏 讃詠  545下 主の祈 信仰告白 使徒信条 (讃美歌566 参…

2020年6月21日(日)聖日礼拝 「主がもしおられずば」

■式次第 オンライン礼拝者の紹介/挨拶 --- 前奏 讃詠  545下 主の祈 信仰告白 使徒信条 (讃美歌566 参…

月報 2020年5/6月合併号 「 神は真実である」

この聖句により、どんなに多くの人が慰め励まされ試練から立ち上がったことでしょう! 6月最初の祈祷…

2020年6月14日(日)聖日礼拝 「朝と共に喜びが来る」

私たちの教会では、コロナ禍での緊急避難的な礼拝を凡そ二ヶ月間続けて参りましたが、再び会堂に一堂に集…

2020年6月7日(日) 聖日礼拝 「神の御前にふさわしい者」

私たちの教会では、コロナ禍での緊急避難的な礼拝を凡そ二ヶ月間続けて参りましたが、会堂に一堂に会した…

2020年5月31日(日) ペンテコステ礼拝「我が助けはどこから来るか」

★式次第 1.奏楽 J.S. Bach 「Liebster Jesu, wir sind hier 最愛の主イエスよ、われらここに集いて」 …

2020年5月24日(日) 聖日礼拝「あなたはどこにいるのか」

■要旨 人が神の命に背き、罪を犯した結果は、悲惨なものであった。彼らは神のように賢くなりたいと、禁断…

2020年5月17日(日) 聖日礼拝「わが魂は、いける神を慕う」

■オンライン礼拝式次第 1.奏楽 J.S. Bach 「Liebster Jesu, wir sind hier, BWV634」   https://www.y…

2020年5月10日(日)聖日礼拝「主は我らの助け、また盾(3)」

新型コロナウイルス禍という災禍によって全世界が激しく篩(ふる)われ、人間のあらゆる営みの“真価”が試さ…

2020年5月3日(日)聖日礼拝 「主は我らの助け、また盾(2)」

■オンライン礼拝式次第 1.奏楽 2.主の祈り 3.讃美歌 268番1,3節 「まごころもて 仰ぎまつらん」 4.牧会…

2020年4月26日(日)聖日礼拝 「主は我らの助け、また盾(1)」

新型コロナウイルス禍という災禍によって全世界が激しく篩(ふる)われ、人間のあらゆる営みの“真価”が試さ…

2020年4月19日(日)聖日礼拝 「まことの神の守り」

オンライン礼拝の式次第と説教を掲載しました

月報 2020年4月号 「 神の愛に踏みとどまる 」

この主イエスの言葉は、御自身が十字架に掛かられる前夜、非情とも言える試練を受けようとしていた弟子…

2020年4月12日(日) イースター礼拝 「罪を赦される者はさいわい(2)」

人は誰もが幸せを願っています。でも幸せは人により千差万別だと思います。「さいわい」について、私たち…

2020年4月5日(日)聖日礼拝 「罪を赦される者はさいわい(1)」

人は誰もが幸せを願っています。しかし、どのような状態が幸せかは千差万別でしょう。同じ状況にあっても…

2020年3月29日(日)聖日礼拝 「人生の目的」

人は何のために生まれ、何のために生きているのか。この問いを発する人は多い。そしてこの問いは、往々に…

2020年3月22日(日)聖日礼拝 「“永遠”を求める思い(3)」

この詩篇は、悪しき人々が栄える世にあって、正しく生きようと苦悩する人々に勇気と希望を与えてくれます…

2020年3月15日(日)聖日礼拝 「“永遠”を求める思い(2)」

***

月報 2020年3月号 「 “獣”から“人間”への回帰 」

3月8日を皮切りに、三回にわたって詩篇73篇から礼拝説教をします。この詩篇は、ダビデ・ソロモン王室に…

2020年3月8日(日)聖日礼拝 「“永遠”を求める思い (1)」

詩篇73篇は時代と民族を越えて多くの人々に愛されてきた詩篇です。なぜなら、この詩篇を読んでいると、自…

2020年3月1日(日)聖日礼拝 「わが魂よ、汝の平安に帰れ」

今日の116篇は、神が祈りに応えて下さり“死の縄目”から救われたことの喜び感謝の詩篇です。今回は引用箇所…

2020年2月23日(日)聖日礼拝 「あなたの慰めはわが魂を喜ばせます」

詩篇の魅力の一つに、詩篇記者の霊的体験の一部始終が、生生しく詩的に表現されていることにあります。そ…

2020年2月16日(日)聖日礼拝 「労苦への報い」

詩篇127篇は愛唱される詩篇の一つです。神がなさるのでなければ、人間のなすことはすべてむなしい。これは…

月報 2020年2月号 「 詩篇の愛おしさ 」

詩篇は、原語で「讃美の歌」という意味で、祭儀で歌われた詩篇もあったようですが、今も生き生きと息づく…

2020年2月9日(日)聖日礼拝「正しい者には災いが多いか?」

詩篇は時代と国境を越えて多くの人々に愛読され、人々の信仰の拠り所となっています。その理由の一つは、…

2020年2月2日(日)聖日礼拝 「神はわが命の砦」

詩篇27篇は格調高い感動的な言葉で、信仰とはどのようなものであるかを教え、神は私たちの命の砦であると…

2020年1月26日(日)聖日礼拝 「神を仰ごう」

この詩篇19篇は、多くの人に愛読されています。『ナルニア国物語』を著したC.S.ルイスは、この詩篇を「詩…

月報 2020年1月号 「 ひとり生まれたことで 」

私事で恐縮ですが、娘(長女)に男の子が与えられました。娘たちが生まれた時も大喜びしましたが、今回は…

2020年1月19日(日)聖日礼拝 「深い淵から神を呼ぶ」

「神がいるなら、なぜ神は私をこんな状態へと突き落としたのか!」と叫びたくなることが人生にはしばしばあ…

2020年1月12日(日)聖日礼拝 「栄えて幸いな人生」

今日の聖句は今年の教会標語聖句です。しかし、標語聖句と言っても、ただ額に入れて掲げておけばよいもの…

2020年1月5日(日)新年礼拝 「新しい歌を歌おう」

今日の聖書箇所は、「新しい歌を主にむかって歌おう」との呼びかけと、その招きへの応答が記されています…

2019年12月29日(日)聖日礼拝 「ただ新しく造られることこそ」

パウロはガラテヤの教会への手紙を、不自由な体をおして、自らしたためた。ガラテヤの教会に入り込んだユ…

2019年12月22日(日) クリスマス記念礼拝 「今日は救いの日」

1.今日という特別な日 118:24 これは主が設けられた日であって、われらはこの日に喜び楽しむであろう。 こ…

2019年12月15日(日)聖日礼拝 「栄光の王を迎えよ!」

クリスマス礼拝を来週に控えて詩篇24篇?と怪訝に思われるかも知れませんが理由があります。この詩篇は、「…

月報 2019年12月号 「 クリスマスという、神の時間厳守 」

クリスマスについて「きょう」と言われてます。聖書の「きょう...」という言葉は、昨日、今日、明日と言…

2019年12月8日(日)聖日礼拝 「信仰があってこそ」

詩篇12篇について、ラジオ伝道者としても著名な羽鳥明先生が、御自身の著書『今日の詩篇|明日の詩篇』の中…

2019年12月1日(日)聖日礼拝 「主の慈しみはとこしえに」

信仰には二種類あると言われます。ひとつは、人間が神の恵みを引き出そうとする信仰、なんとかして神から…