2020年2月2日(日)聖日礼拝 「神はわが命の砦」

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2020年2月2日(日)聖日礼拝 「神はわが命の砦」

27:1 主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。
27:2 わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。
27:3 たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。
27:4 わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。
27:5 それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。
27:6 今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に高くあげられる。それゆえ、わたしは主の幕屋で/喜びの声をあげて、いけにえをささげ、歌って、主をほめたたえるであろう。
27:7 主よ、わたしが声をあげて呼ばわるとき、聞いて、わたしをあわれみ、わたしに答えてください。
27:8 あなたは仰せられました、「わが顔をたずね求めよ」と。あなたにむかって、わたしの心は言います、「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」と。
27:9 み顔をわたしに隠さないでください。怒ってあなたのしもべを退けないでください。あなたはわたしの助けです。わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください。
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。
27:11 主よ、あなたの道をわたしに教え、わたしのあだのゆえに、わたしを平らかな道に導いてください。
27:12 わたしのあだの望むがままに、わたしを引き渡さないでください。偽りのあかしをする者がわたしに逆らって起り、暴言を吐くからです。
27:13 わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
27:14 主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。
詩編 27篇01~14節

詩篇27篇は格調高い感動的な言葉で、信仰とはどのようなものであるかを教え、神は私たちの命の砦であるとの確信へと導きます。ゆえに、多くの人々に愛読されています。


1.「信仰告白」(1-16節)
 27:1 主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。
(1)聖書の「信仰」という言葉には、そこに住むとか宿るという意味があります。英語訳聖書では、believe in God、または、believe in Christと翻訳している如く、「信仰」とは、ただ客として一晩か二晩宿るというのではなくて、そこの住人になるのです。
ヨハネ12:46 わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。
この主イエスの言葉に重ねて27篇1節を読むと、信仰とは闇から脱出して、光であり命の砦となって下さる神の中に住まうことだ、と判ります。
(2)信仰とは人を恐れず主に寄り頼むことで、1節では「わたしはだれを恐れよう」と繰り返されます。他にも様々な表現がされています。
箴言29:25 人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。

イザヤ51:12 「わたしこそあなたを慰める者だ。あなたは何者なれば、死ぬべき人を恐れ、草のようになるべき人の子を恐れるのか。

2節以下は、敵が誹謗中傷を浴びせかけ総攻撃を仕掛けてくる緊迫した状況が記されています。
 27:2-4 わたしのあだ、わたしの敵である悪を行う者どもが、襲ってきて、わたしをそしり、わたしを攻めるとき、彼らはつまずき倒れるであろう。/たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。/わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。
4節の「一つの事」とは、多くの願いの中でも第一のものです。私たちが神に求めるものは様々ですが、彼の第一の望みは、敵の襲撃から守られ安んじられる所で主を礼拝することでした。彼は「神の国とその義とをまず第一に求め」(マタイ6:33)たのです。


2.主に直接向けた「祈り」(7-13節)
 27:7 主よ、わたしが声をあげて呼ばわるとき、聞いて、わたしをあわれみ、わたしに答えてください。
せっぱ詰まった祈りですがその動機は、敵と今の窮状を恐れてと言うよりは、神の約束を思い起こしたからだと言えます。
詩篇91:15 彼がわたしを呼ぶとき、わたしは彼に答える。わたしは彼の悩みのときに、共にいて、彼を救い、彼に光栄を与えよう。
この招きを知るからこそ、詩篇記者はこう祈れたのです。
 27:8-9 あなたは仰せられました、「わが顔をたずね求めよ」と。あなたにむかって、わたしの心は言います、「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」と。/み顔をわたしに隠さないでください。怒ってあなたのしもべを退けないでください。あなたはわたしの助けです。わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください。

10節には、主への信頼の深さが具体的な言葉で現されています。
27:10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。
父母は人間関係の中で最も頼れる存在です。しかし親と言えども有限な存在であって、時と場合によっては子を守り切れないこともあります。詩篇記者はこのことを良く分かって「主がわたしを迎えられる」と言えたのです。このことは、
マタイ10:37 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。…
との主イエスの言葉を理解する手がかりになると思います。

27:11,13 主よ、あなたの道をわたしに教え、わたしのあだのゆえに、わたしを平らかな道に導いてください。/わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
詩篇記者は今の危機的状況の先に、主の恵みを現実に味わえる「生ける者の地」を望み見ています。この「生ける者の地」とは天の御国に限らず、この世で信仰の友と共に礼拝できる場所でもあります。


3.時代を越えて為される証人たちの励まし(14節)
27:14 主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。
この詩篇27篇は、一人の詩人だけの信仰告白に留まりません。誤解され悩まされ続けた信仰者の言葉です。
(1)旧約聖書の時代
創世記の(エジプトの)ヨセフ、さらにはモーセ、ダビデ、アハブとイゼベルに苛(さいな)まれたエリヤ、エレミヤ、そしてネへミヤ等々の預言者たち。彼らはみな、誹誘中傷され悪意に満ちた言葉で苦しめられ迫害されたのです。しかし信仰と祈りという“車の両輪”でもって「生ける者の地」へ馳せ参じたのです。
(2)主イエス・キリスト
旧約聖書を成就させる為に世に来られた主イエスも言葉で攻撃され苦しめられ十字架に掛けられました。その時の裁判の様子が福音書に記されています。
マタイ26:59-63抜粋 祭司長たちと最高法院全体は、イエスを死刑にするためにイエスに不利な偽証を得ようとした。 /多くの偽証人が出て来た/大祭司が立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか。この人たちがおまえに不利な証言をしているのは、どういうことか。」/しかし、イエスは黙っておられた。
なぜイエスは一方的に不正な裁判に甘んじたのか不審に思った方もおられるでしょう。
当時の社会は十戒を土台として成り立っていました。真に神を恐れるなら「十戒」を犯す偽証など有り得なかったのです。裁判では証人が起訴事実を提出する役割を果たし、法廷には今日のような弁護人も「公正な裁判を保証する裁判官」もいなかったそうです。ところが神を恐れぬ社会になると、偽証は人の対神関係ばかりか社会的立場と命をも危うくしたのです。つまり、神を恐れなくなった法廷は、無実な者に何の手立ても持たなかったのです。その様な法廷でイエスは裁かれたのです。
しかし、しかしです。今日の詩篇27篇を思い返して下さい。神に訴えること、神に助けを求めること、そして神が裁いて報いて下さる事は残されていたのです!
マタイ10:28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
事実、父なる神は、イエス・キリストをよみがえらせ、天に引き上げ、神の右の座に座らせるという栄光を与えられました。今日の詩篇27篇は、主イエスの地上の御生涯そのものであり、かつ詩篇27篇が成就する“器”となられ、御言葉の真実さを私たちに示されたのです。
それ故この詩篇27篇は、あらゆる時代と社会において、繰り返し誤解され悩まされる人々への励ましであり続けます。
(3)誕生間もない教会、使徒たち
使徒行伝に、占いの霊に憑かれた女奴隷を解放したことで不当にも訴えられ投獄された出来事が記されています。
使徒16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。
この時、詩篇27篇が牢全体に響き渡り囚人たちが聞き入っていた、と想像することは自然だと思います。そのパウロは伝道し続けました。
ローマ8:31 …もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか。


4.むすび
 27:1 主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。
私たちもこの詩篇が真理であることの証人です。私たちは信仰という莫大な富を神からいただいています。神はその私たちに期待しておられます。神が命の砦であることを、言葉だけでなく自分の生き様で教えることを。命の砦である神こそ、私たち以上に困難な時代を生きるかもしれぬ家族や子どもたち孫たちに相続させられる最高の“財産”です。


■この日の信仰告白
ウェストミンスター小教理問答 問17~20
http://www.rcj-net.org/resources/WCF/text/index.htm
■この日の讃美歌
 24番「父のかみよ 夜は去りて」
 400番「主よ、わが痛みの おさえがたく」
 399番「なやむものよ、とく立ちて」

 

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