2020年5月17日(日) 聖日礼拝「わが魂は、いける神を慕う」

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2020年5月17日(日) 聖日礼拝「わが魂は、いける神を慕う」

聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子のマスキールの歌
42:1 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
42:2 わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を/見ることができるだろうか。
42:3 人々がひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は/わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
42:4 わたしはかつて祭を守る多くの人と共に/群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。今これらの事を思い起して、わが魂をそそぎ出すのである。
42:5 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
42:6 わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。
42:7 あなたの大滝の響きによって淵々呼びこたえ、あなたの波、あなたの大波は/ことごとくわたしの上を越えていった。
42:8 昼には、主はそのいつくしみをほどこし、夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる/祈がわたしと共にある。
42:9 わたしはわが岩なる神に言う、「何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしえたげによって/悲しみ歩くのですか」と。
42:10 わたしのあだは骨も砕けるばかりに/わたしをののしり、ひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言う。
42:11 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
詩編 42篇01~11節

1. 魂のあえぎ
この詩篇42篇は特徴的な詩篇です。その冒頭は、これ迄取り上げた詩篇にあった様な“結論”ではなく、「渇き」について非常に印象的な詩的表現で語り出されます。
   42:1 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
   42:2 わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。いつ、わたしは行って神のみ顔を/見ることができるだろうか。
詩篇記者は1節前半で、枯れた谷川で鹿が生存に不可欠な水を懸命に探す様子を述べ、1節後半では、癒され難い渇きにあえぐ自分を、神なしには生き続けられない自分を言い表してます。しかも2節4節では、今は事情があって集えない神殿礼拝(公同的礼拝)に一日も早く与り神を礼拝したい、“いのちの水”で魂の渇きを癒やされたい渇望しています。にもかかわらず彼は自分の魂に「神を待ち望め」と言い聞かせるだけでこの詩篇を締め括っています。不思議と言えば不思議です。

しかし、主イエスの言葉に聞いてこの詩篇を読むと、この詩篇はやがて現される神の栄光の“序曲”であることが判ります。サマリヤのスカルという町の井戸端で、主イエスはこう言われました。
  ヨハネ4:14(新約140頁) …わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
  ヨハネ4:23 (新約141頁)しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。
神は、神の御子イエスを私たちの元へ遣わして、神の栄光を現して下さったのです。そればかりか、
  黙示録21:6(新約407頁) そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。
  黙示録22:3-4(新約408頁) のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、/御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
この様に、神は全ての信仰者を代表した詩篇記者の祈り応えて、人知を遙かに超えた「終わりの日」の祝福をも黙示録で啓示して下さっています。これでこそ御言葉は常に私たちの拠り所でありえます。


2. 8節を境にして一変する「わが魂」
(1) 3-7節
その詩篇ですが、3節から7節迄は、試煉に遭って絶望的な状況が詩的表現を用いて生々しく綴られます。
   42:3 人々がひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は/わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
   42:4 わたしはかつて祭を守る多くの人と共に/群れをなして行き、喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。今これらの事を思い起して、わが魂をそそぎ出すのである。
「おまえの神はどこにいるのか」とは、信仰者が艱難に遭う時、周囲の「人々」すなわち「敵、あだ」(10節)から受ける嘲りを描写する決まり文句です。それで詩篇記者の「涙は昼も夜もわたしの食物」となったのです。

ところで、少々余談になりますが、詩篇では殆どの場合「敵」の正体が明かされず曖昧です。むしろ「敵」がもたらす苦しみとそれを許容する神を語ることに力を注いでいる様に見えます。その理由の一つに、まず主イエスによって「敵」の本質が説き明かされ、その御言葉を聞く耳のある者は「敵」を霊的に洞察して勝利できるようにとの神のご配慮があるのではないでしょうか。

4節に戻ります。「わが魂をそそぎ出す」状況が他の詩篇でこう表現されています。
  詩篇22:14(旧約765頁) わたしは水のように注ぎ出され、わたしの骨はことごとくはずれ、わたしの心臓は、ろうのように、胸のうちで溶けた。
4節の「わが魂をそそぎ出す」とは、皮袋から中味が流れ出て袋がペシャンコになってしまう如く、気力がすっかり失せてしまうことの表現です。詩篇記者はさらに続けます。
   42:5 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
   42:6 わが魂はわたしのうちにうなだれる。それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、ミザルの山からあなたを思い起す。
   42:7 あなたの大滝の響きによって淵々呼びこたえ、あなたの波、あなたの大波は/ことごとくわたしの上を越えていった。
6節は、実際に詩篇記者自身がヨルダン川を渡り、神の宮のあるエルサレムから北北東に200km程彼方のヘルモン山に身を隠していること、或いは公同的礼拝に与れない孤独な心境を語っています。
また7節は、標高2800mもあるヘルモン山の雪解け水が「大滝」「大波」となって流れ下り淵々に響き渡る轟音を実際に聞いているのか、或いは心理描写かもしれません。いずれにせよ、詩篇記者は神の怒りに吞み込まれたかの様な抗(あらが)い難い艱難のるつぼの中にいるのです。

(2) 8節
ところが8節、
   42:8 昼には、主はそのいつくしみをほどこし、夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる/祈がわたしと共にある。
一見すると前後との繋がりが不自然です。しかし、この8節を境にして、この詩篇の雰囲気が一変します。この8節こそ「いける神をしたい、神を待ち望め」との主題に対する結論とも言えます。このことは字面を追うだけでは判りません。主イエスに聞いて聖書全体の文脈から解釈して初めて見えて来ることです。
7節以前は、「おまえの神はどこにいるのか」と嘲られて昼も夜も「わたしの涙はわたしの食物」(3節)でした。「しかし」、昼には主から慈しみをほどこされ、夜には祈りがいのちの神にささげる歌となり、「わが魂」の状態は一変してるのです。音楽が短調から長調に転調する如く、闇夜に燦然と朝日が差し込んで朝となる様に変わったのです。5節と11節は一言一句同じですが、うなだれていた詩篇記者の頭(こうべ)は8節を境にしてもたげられ、神の御顔を仰いでいます。「乾ききっていた喉がいのちの水で潤され始めた!」。これが詩篇記者の証です。

(3) 9-11節
9節以降を見てみましょう。
   42:9 わたしはわが岩なる神に言う、「何ゆえわたしをお忘れになりましたか。何ゆえわたしは敵のしえたげによって/悲しみ歩くのですか」と。
   42:10 わたしのあだは骨も砕けるばかりに/わたしをののしり、ひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言う。
もう詩篇記者はうなだれていません。神への信頼に溢れ、自分の魂にねんごろに語っています。
   42:11 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
ここに、「いのちの神にささげる祈りの力」をまざまざと見る思いがします。
私たちの教会では、今回のコロナ禍を契機に週半ばの祈祷会を再開させ、早天祈祷会も始めました。集われる方は多くはないですが、御言葉を味わい祈れる恵みを実感されてることと思います。


3.主イエスの御生涯
この詩篇を熟読すると、主イエスの地上の御生涯に思いあたることがないでしょうか。例えば4節は、ルカ2章に記された12歳になった主イエスが両親と共に過越の祭りでエルサレムに上った時の麗しい記憶です。30歳で公生涯開始迄の18年間も同様だったことでしょう。しかし公生涯を始められると、たちまち世の権力者たちから拒まれ命を狙われました。その様な状況下で救い主の御業を全うされ、ゲッセマネで祈り、ドロローサを十字架を負って歩まれ、そして「わたしは、かわく」と言われた主イエス(ヨハネ19:28)の葛藤と神への信頼が、この詩篇に漲ってはいないでしょうか。
主イエスは、最後まで「いける神」を慕い神を待ち望んだ結果状況は一変し、苦難の僕であった主イエスはよみがえらされ、天に上げられ、神の右に座する栄光に与(あずか)ったのです。このことがこう記されています。
  ヘブル5:7-9(新約347頁) キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。/ 彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、/そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、
そして主イエスは、先ほどの黙示録22:3-4に記された終わりの日の礼拝を待ち渇望されてます。


4.私たちへのメッセージ
私たちは、詩篇記者や主イエスと同様の信仰体験、神の御業に与るべく召された者です。「魂の渇き」を神以外で、突き詰めれば公同的礼拝以外で満たすことは困難です。
  ヘブル4:16(新約347頁) だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。
御言葉に聞き、主イエスを仰ぎ見て、私たちの魂に、こう、ねんごろに語りかけませんか。
   42:11 わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。

 

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