2020年7月26日(日)聖日礼拝 「主はわたしの牧者」

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2020年7月26日(日)聖日礼拝 「主はわたしの牧者」

ダビデの歌
23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
23:6 わたしの生きているかぎりは/必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
詩編 23篇01-06節

■式次第
オンラインでの礼拝参加者の紹介/挨拶
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前奏
頌栄  539
主の祈
信仰告白 使徒信条 (讃美歌566 参照)
讃美歌 213番 「みどりのまきばに」
祈祷
聖書朗読 詩篇23篇1~6節  (旧約聖書766頁)
説教 「主はわたしの牧者」 
聖餐式
讃美歌 294番 「みめぐみゆたけき」
献金
頌栄 540
祝祷
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オンラインでの礼拝参加者の紹介/挨拶

 

■説教 「主はわたしの牧者」
1 はじめに
この詩篇23篇は、いつ読んでも新鮮に感じられ、読む毎に心が安らぐ不思議な魅力を持っています。それは、詩篇記者が自分の信仰体験を裏付けとして、「私たちを救う神の意思表明」をこの詩篇の主題としているからではないでしょうか。ですから、御言葉には説得力と確かさがあります。現代社会でも、まともで実力がある政治家の公約は必ず果たされるので信頼できますが、神の言葉にはそれ以上の全幅の信頼を置けます。
その神の意思とはこうです。「善き羊飼いは、迷い出た羊を探し出して連れ帰るではないか。ましてや人間を創造した神である私は、私を見失ってさ迷う人々を、本来あるべき状態へと回復するのだ」と言うことです。このことは、旧約預言者エレミヤ(エレミヤ23:1以下)や預言者エゼキエル(エゼキエル34:11以下)を通しても繰り返し語られ、イエス・キリストにおいて実現しました。
今日は、この詩篇23篇を通して、私たちの救い主イエス・キリストを仰ぎ見、神を誉め讃えましょう。


2 「主はわたしの牧者」(1-3節)
 23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
 23:2 主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。
ここでは主と呼ばれる神が羊飼いに、詩人が羊に譬えられている事は自明です。そして私たちは美しい牧歌的情景を思い描きます。ところで2節では、羊を飼育した経験がある人々なら「この羊飼いの気配りはなんと行き届いていることか!」と気づく表現が用いられています。と言いますのは、羊は動物の中でも特に面倒が掛かる動物でして、様々な条件が整わないと「緑の牧場」にいても伏すことをしません。また「いこいの水のほとり」にいても、少しでも身の危険を察知すると怯えて水を飲みません。しかも長い乾期が続く国土の大部分は荒涼としています。そこを移動しながら羊の命を守り養うことは、優れた牧者によってのみ可能でした。詩篇記者はこの様に印象的な表現を用いて、私たちの神が知恵と力と愛情に満ちたお方であることを言い現しています。

 23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
この3節前半の「魂をいきかえらせ」とは一過性のリフレッシュではありません。神は「憂い悲しみに沈んだ魂を引き上げて、生きる喜びと人間の尊厳を回復させ続けて下さる」ことを言っています。つまり詩篇記者自身、「かつては、羊飼いからはぐれた羊の如く神を見失見失ってさ迷い、滅びるばかりだった」と救われた喜びを告白しているのです。そしてこの喜びは、私たちが主イエスを仰ぐ都度与えられます。
後半、「み名のためにわたしを正しい道に導く」とありますが、主はご自分の名誉にかけてわたしを導いて下さることを言っています。そして「正しい道」とは必ずしも平坦で歩き易い道とは限りませんが、4節以降に記された、死の陰の谷を通り抜けて“王の祝宴”に至る道です。


3 「あなたがわたしと共におられるから」(4-6節)
 23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
「死の陰の谷」とは、死が間近に迫った状況、試煉や艱難の真っ只中で絶体絶命の状態です。しかし、詩篇記者は言います。たとい災いが襲いかかって来ても、あなたが共にいて下さるから恐れない、と。
ここでは、主の守りが羊飼いが使う道具に譬えられています。4節後半の「むち」とは現代の警官が所持する警棒のような棍棒で、羊を襲う獣と獅子奮迅の戦いをするときに使われました。また「杖」は、一端にフックが付いた独特の形状をした長くて頑丈な杖で、迷い出る羊を引き戻す時にも使われました。つまり4節では、「私たちの神は、羊飼いが大変な労力を払って羊を守る如く信仰者を守って下さる」と証されています。もちろん神がお使いになるのは道具ではなく、聖書のみ言葉です。神は御言葉によってわたしたちを危険から守り慰め元気づけてくれます。

羊飼いが羊を導いて死の陰の谷を抜け出すと、詩篇の舞台は「正しい道」の終点“王の宴席”に変わります。
 23:5 あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。
主が王となって宴会を主催し「わたし」をもてなしています。しかも「敵の前で、わたしの前に宴を設け」てです。これは、王は既に“敵”を敗北させたうえで、わたしに油をそそいで敬意を表して下さるとの驚くべき表現です。
また聖書の「杯」とは神が人に与えて下さる報いを象徴します。ですから5節は、私たちの主は、短い地上の人生の間ばかりかとこしえに至る報いを与えて下さることの約束です。
こうしてみると、1節から5節迄、詩篇23篇の六分の五は、神が主体になっていることが判ります。
そして6節。
 23:6 わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
この6節で「わたし」すなわち信仰者が初めて主体となって、「わたしはとこしえに主の宮(家)に住む」との信仰告白がなされて詩篇23篇が締め括られます。


4 「あなた」と呼ばれたわたしは今ここに
説教の冒頭、この詩篇の主題は「神である私は、善き羊飼いが迷い出た羊を探し出して連れ帰る如く、神を見失ってさ迷う人々を、本来あるべき状態へと回復する」ことであり、イエス・キリストにおいて実現した、とお話ししました。そこで、主イエスこそ詩篇が指し示す私たちの牧者であることを新約聖書に聞いて参りましょう。いくつもの聖句を引用しますが、今はその都度聖書を開かず、じっと黙想して下さい。お帰りになってから教会ホームページで確認いただけますので。

 23:1 主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主イエスはこれに応えて言われました。
 ヨハネ 10:11 わたしはよい羊飼である。…
わたしこそ、旧約聖書で預言された主であり牧者です、と言っておられます。(※参照 ルカ 15:4-7)
 23:3 主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
「正しい道」について主イエスは言われました。
 ヨハネ14:6 …「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
詩篇の4節では、
 23:4 たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
主イエスの御降誕に先立って、聖書はこう記しています。
 ルカ1:79 暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。
事実主イエスは、羊飼いが棍棒や杖をふるって獣から羊を守ることより遙かに優って、私たちの罪を身代わりに負って十字架上で贖いを成し遂げ三日目によみがえることで、人類の最大の敵、死に勝利して私たちを罪と死の支配から解放して下さいました。
 23:5a あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。…
主イエスは、闇の中で敵が待ち受ける夜、最後の晩餐で聖餐式を制定してこう教えられました。
 ヨハネ16:33 …あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

ところで、一般に世の人々は自分の思いが遂げられた時などに祝杯をあげますが、5節後半、
 23:5b …わたしの杯はあふれます。
この杯は、御心を遂げた主が賜る祝杯です。その「杯」からあふれるのは、聖書では勿論ぶどう酒です。このことから、ぶどうに関わる主イエスの言葉が思い出されます。
 ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。…
王の祝宴に相応しいぶどう酒は、言うまでもなく最上のぶどう酒で、最上のぶどう酒は良いぶどうの実から造られます。良いぶどうの実は、しっかりと木につながり農夫の思いのままに剪定された枝に実ります。そのような実りからなるぶどう酒が、王から賜る杯からあふれるのです。すなわち、私たちの報いは、主イエスに繋がり続けて訓練を受けることで授かるのです。

 23:6b …わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。
詩篇記者は「とこしえに主の宮(家)に住む」との締め括りから判るように、肉体の死後の世界も彼の視野に入っています。このことを使徒パウロはこう言い現しています。
 Ⅱコリント5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。


5 結び
私たちは苦しみに出会うとき、自分の将来に希望を見出せないとき、命の灯が消えそうになるとき、その原因や意味を見出そうと問い続けて苦悶します。しかし詩篇23篇に書かれている六分の五は、主の一方的恵みの御業です。このことに気づいて自分を主に委ねるとき、もう苦悶しながら問う必要は無くなります。
「わたしの生きているかぎりは 必ず恵みといつくしみとが伴う。わたしはとこしえに主の宮に住む」(6節)。これでもう十分だからです。主が牧者でいて下さるその人、その人はなんとさいわいなことでしょう!

 

 

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