神はあなたを知っておられる(2)

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神はあなたを知っておられる(2)

139:13.あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
139:14.わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。
139:15.わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。
139:16.あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。
139:17.神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。
139:18.わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。詩編 139篇13節から18節

 詩篇の第五巻、107篇から150篇はさらに五つの部分に分かれます、と前回お話ししました。五つの小さな歌集がまとまっていると言えます。そのテーマは「讃美」だと言いました。全体として、最後の146篇から後はもう、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤで、ハレルヤの大合唱です。


 その前に感謝の詩篇、御言の詩篇、礼拝に伴う詩篇ときて、今、神さまの御業のテーマを讃美している詩篇の積み重ねに入っていって、そしてハレルヤの準備が始まっています。神の御業を覚えるにつれて、私達がハレルヤに導かれていく、という部分になっています。


 137篇で闇の中に暮らしている私達の心に、御業があるということ。捕囚の、本当の暗黒の中で心の御業の讃美です。


 138篇は、御言から生まれてくる、世界への御業。御言の力が礼拝に導き、そして宣教になっていく、その御言から生まれる世界に対する御業が讃美されました。ハレルヤの準備が進んでいきます。


 139篇は、世界に広がる神さまの全知。全てを知ってらっしゃる。それから遍在。どこにでもいらっしゃる。しかも、神さまの恵の契約の御業である。それを讃美して、主を褒めたたえるということが本格的に深いものになっていきます。


 先月139篇の1節から12節で、全知の神さまが全てを知っていらっしゃるということ。そして神さまの御遍在、どこにでもいらっしゃるということ。しかも、この前特に覚えたのは、ただ神さまがどこにでもいらっしゃるという、事実それだけが言われるだけではなくて、具体的に神さまと私達の関係です。恵の契約です。神さまがどこにでもいらっしゃる時に、本当に私達と共にいて下さる。私達をあわれんで、恵んで、いつも顧みていて下さる。どこにでもいらっしゃるだけじゃない。共にいて下さる。その契約的なご臨在が、世界中にあるのだ、ということ。それをくみ取ることによって、本当にこの御言の意味が私達にはっきり入ってくる、ということを、この前お話ししました。


ですから、私達がどこにいても光が共にある。これは神さまの愛であり恵みです。どんな暗闇の中でも、結局は同じことだ。光がある。私達にとってこの光は、御霊によってイエス・キリストにつながることによって、与えられるところの光ということになります。


 そして、今日のところは、さらに進んで、私達の人生というところになってまいります。


 この詩篇139篇に聞いていくにあたって、実は前回の1節から12節の前に、岡本先生からアドバイスを頂いていたことがありました。少し前回のところを振り返ります。第5節に「あなたは後ろから、前から私を囲み」この「前から」というヘブル語はイザヤ書45章21節では「昔から」と訳されています。同じく、9節の「海の果てに住んでも」「はて」はやはりイザヤ書46章10節で終末的な「終わりのこと」と訳されている。共に時間に関する意味を持つということですね。これに留意しなければならないということです。


では、なぜイザヤ書と訳された言葉が違うかといいますと、イザヤ書を見てみましょう。45章21節「このことを誰がいにしえから示したか。だれが昔から告げたか」そして46章の10節は「わたしは終わりのことをはじめから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う」これは予言のことを言っていますね。イザヤ書自体、全体としてメシヤ予言の書ですが、ここの文脈では「だれが古より、ずっと以前から今の起きているこのことを、あるいは将来のことを告げ示したか」という、予言とその実現。つまり時間軸における神さまの御業、時間を超越して、真実である神さまがテーマとなります。ですから、ここで「昔から」という単語を方位的に「前」と訳すと、文章として意味がおかしくなってしまいますね。


逆に、詩篇139篇の前半では、神さまの全知と遍在が語られます。私のことをすべて、全方位どこからでも内も外も後ろも全部ご存知である。また神さまはどこにでもいらっしゃる。この世界の思いつく限りのどんな場所にも、いや想像を超えてどこにでも、いらっしゃる、しかも私と共にいてくださるということ。


その表現を伝えるために、文脈や前後の単語から、三次元的と言いますか方位的に「前」や海の「はて」と訳され説明されているわけです。元の単語が同じでも、複数の意味がある場合、文章の中で記者が伝えようとする適切な意味を表すために、訳が変わってくるといいますか、選ぶということが大切になってまいります。不思議なことに、日本語だと「前」といった場合、この家の前の道路、とか言うような位置の場合と、寝る前とか、ずっと前にといった時間を表す場合があります。しかし英語だとはっきり区別されますね。目の前だとfront、昔だとagoとかでしょうか。詩篇139篇では、ほとんどの日本語訳(文語、口語、新共同、新改訳)が位置的に「前」「はて」と訳しています。日本語ですと、その含みについて瞑想できるかもしれませんが、英語だと原文を読むしかないですね。これは翻訳の難しいところだと思います。


そして、ここで言うこの二つの単語が、時間的意味を持つということは、この後の、本日のテーマを考えますと、その繋がりの示唆を考えることもできるかもしれません。イザヤ書は時を超えた予言だと言いました。この後半はまさにその時間性に関わってくるということです。


そこで、聖書に戻りますとちょうど16節の前半のところあなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき


これは、人生の初めから終わりまで、全て神さまが知ってらっしゃる。世界のどこでも、じゃなくて、私達の人生の初めから終わりまで全部知って、見ておられる。その御業についてですから、いわば、予定についての、予定という御業、または予知という御業ということができるかもしれません。私達が胎内で、お母さんの胎内で作られた段階で我々の人生全部が知られていた。これは予知といえます。


 しかし、それは神さまが私達を全部わかってお造りになった。この奇しい、恐ろしいほどの御業。その表現の背後には、神さまが全てを定めておられる予定があると思います。予定とは救いの御計画のことです。ですから、この私達の人生、私達の人生の初めから終わりまで、その中で、しかしこの前の全知や遍在のところと同じように、神さまの恵みとあわれみのご契約における私達との関係。私達と共におられるということが、なんと、胎内にいる時から、私達を予定しておられる。


 そして私達が本当に(18節後半)私が目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。この人生が終って、そして死んでいって、そしてそこから目覚めさせて頂く時にも、ずっといらっしゃる。普通に朝の目覚めと読むこともできますが、しかし、それよりも、神さまの、私達の人生の初めから終わり、さらにその向こうの栄光に至るまで、その神さまが私達と共に、全部ご存知であり、知っていらっしゃり、単に知ってらっしゃるだけでなく、私達との関係の上で、神さまの恵によって、愛によって見ておられる、知っていらっしゃるということ。それがここで讃美されているということが言えると思います。


 ですから、12節までところは、世界全体に神さまが働いていらっしゃるという、水平的な空間的な視点。今度は私達の人生の、一人一人の人生の、胎内からやがて私達が御国に行くまで知っていらっしゃるという、時間的なことになると思います。


 まず、胎内からの御業ということですけれども、13~14節。「あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内で私を組み立てられました。わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。」


 「あなたはわが内臓をつくり」と書いてありますけれど、ヘブル語を直訳すると「手綱」という言葉が出てきます。この、私達の中身の全ての手綱というか、綱を持ってらっしゃる。というような表現になりますが、私達の内臓を握って、所有していらっしゃるというようなことです。


12節のところで「やみも光も異なることはありません」言われた後に、13節の最初に、ヘブル語で「なぜなら」という言葉がはいっています。だから繋がりがあるんです。私達の人生の初め、お母さんのおなかの中の、胎内の暗闇の中でも、あなたの光は照らしている、というように。12節から繋がってきます。


そこで神さまは私達の全ての内臓の手綱を握ってらっしゃる。内臓を造ってらっしゃって、その上に「わが母の胎内で私を組み立てられました」これは私に形を与えられた。私の存在をカバーされた、皮膚で覆って形をお造りになった。人間にされたという意味です。ですから、私達を所有していらっしゃって、私という存在をお造りになった。それが神さまだ、ということがここで言われております。神さまは、全部私のことを知って、そしてお造りになった。そこでも神さまは光であった、ということです。「あなたは最もよくわたしを知っておられます」


 14節わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。」口語訳では「あなたは」と訳しています。知っているのは「あなた」、主ですね。しかし、本当は知っているのは「私」。主語は「私の魂」で、正確に訳すと「あなたの奇しい、驚くべき御業を、私の魂はそれをよーく知っています」ということになります。文語、共同訳、新改訳がそうです。「私のたましいはそれを知っています」ということが一つの鍵だと思います。「たましい」は、ギリシャ語でキシュケーですけれど、「いのち」という意味もありますし、それから「たましい」という意味もあります。両方の意味が深く関わってきます。「私の命は」「私の魂は」なんですけれども、私のいのち。人生自体のいのちは、本当に神さまの奇しさ、おそろしさを身に沁みて経験してきています。知っています。神さまの、この奇しいということは英語ではWonderfulです。本当に恐ろしい神さまの御業なんだけれども、素晴らしい。私にとっては素晴らしい御業。おそるべき、しかし素晴らしい御業。それを私のいのちは、私のたましいは、極みまで、実は悟っています。これもまた、御霊のお働きによるのですけれども。


母の胎内で造られたその御業から考えると、私の、この今生きているこのいのちは、神さまの奇しさを、極みまで知って、感謝します、と言っています。まず13節と14節で胎内から私達をみーんな予定してらっしゃって、造られて、握っていらっしゃって、そして私達のいのちは、本当に神さまがそのように私達をお造りになって、全てを定めていらっしゃる方である、ということを極みまで悟っていますということを告白します。


 そして15節16節わたしが隠れた所で造られ、地の深いところでつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。」


 神さまの、私達一人一人を「手造り」なさって、一切を定められたという、そういう私達個人に対するご主権と予定。それとともに、ここでは予知のことが言われています。


わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。」確かに隠れたところで、この地の深いところで、とは、「地の」は無くてもいいかもしれません。いちばん深いところで、つまりお母さんのおなかの中のほんと、深~いところでつづり合わされた時、「組み立てられた時」とも言えます。隠れたところで織り上げられた時、私の形がまだ出来ていない存在を、あなたの目は見ました。あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。」とありますが、人間の形がまだ十分にできていない存在という意味です。それをあなたの目は見ました。そして、その段階であなたの書に、私のために既に、もう既に、いろいろ飾られたり、定められたりしている日々が、人生全てが書かれていました。その人生のまだ一日もありませんでしたけれど。つまり神さまの全知を、予定を言っております。


 ですから、ここまで私達の人生において、全能の主が、本当に私達を一人一人、私個人を光の中において、恵みによってお造りになったんだ。私を知ってらっしゃるんだ。人、一人一人は、神の形で貴いけれど、本当に神さまにとって、私は大事な、何か意味のある存在なんだ、ということをここで覚えさせられます。私の人生の初めからそうだった。


先に、108歳というご長寿で召されました兄弟、この世の日数は約4万日。半分の50歳であれば1万8千日程でしょうか。その4万日も1万8千日も、あるいは、また個人的なことになってしまいますが・・実は私共の、母の胎を出ることのなかった、100日に満たないような二つの命があったのですが、これもまた同じように、主はその全てを、恵とあわれみのうちに知っておられ、光に中において下っているという事実。ここに本当の慰めがあります。覚えることができます。御前にひれ伏して感謝できるんです。人の命の尊さも、様々な全ての人生の意味も、主なる神さまを前提にしてはじめて、真に意味あるものとなる。キリストにあって光の内に保たれるという真実、そのご栄光によってであります。


 そして人生を通して、17神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。」


私の人生について考えても、考えていくにつれて、あなたが私について、本当に考えていらっしゃることは、なんとここで、あまりにも尊すぎて測り知れない。私には理解が難しい。それは、けっして複雑で難しいからとか、自分が駄目だからではなくて、本当に尊すぎて、あなたが私を造ってくださったことを考えることとか、そして、あなたが私のために考えていて下さることの、数量は本当に強力で、この「広大な」ということは「強い」とも訳せます。神さまが私のために考えていて下さることは、本当に圧倒的で、その数量は強力です。砂よりも多く、本当に数えようとしても数え切れません。


 これを、私達、あらためて神さまの私達に対する愛と恵みということを、私達自分の人生で覚えさせられます。神さまは私達をお選びになったからには、エレミヤ書15節ところでエレミヤが、主から言われたように、胎内からあなたを選び・・と。私達のことを本当に数え切れないほど深く考えていらっしゃいます。そして人生を通って、やがて私達は罪びとで召されるんですけれども、18節後半「私が目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。」人生を通って、結局最後まで私は神さまと共にいるのです。神さまの恵の深~い御思いに運ばれて、神さまと共にいるのです。こういう告白と、そこからくる深い讃美です。


今日の詩篇は、神さまの御業の讃美。主を褒めたたえる讃美でした。この御言から私の人生、胎内から、やがて御もとに行くまで、神さまの全能の予定と、神様の全知と、神さまの深い数え切れない御思いによって、導かれているということを改めて覚えたいと願います。これが今は、御霊により、イエス・キリストを信じる信仰をとおして、私達に証された約束であるということであります。(以上:土井 浩)

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