月報 2020年8月号「キリスト者の生活の指針」
1.あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
2.あなたは自分のために、刻んだ像を作ってはならない・・
それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
3.あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない・・
4.安息日を覚えて、これを聖とせよ。出エジプト記 20章3節~10節:抜粋
この箇所は、いわゆる「十戒」が示されたところです。その中の第一戒から第四戒に相当する部分の一部を抜粋しました。
十戒は、主なる神様が人間に求められる義務として提示されました。同時に人間が完全にこれを果たすことができない道徳律法でもあります。それゆえイエス様の来臨によって、既に過去のもの、役目を終えたものという誤ったとらえ方があります。あるいは十戒の重要性を説くと、それを律法主義だという、これも十分な十戒の理解とは言えません。
十戒は、「神の国の柱・倫理構造を示す。」「人間の罪故、果たせないことから救い主の必要性を示す。」「罪の抑制。」「神による恵みの(救いの)約束に対する、応答の原則を示す(徐々にできるようして下さるという約束を込めて)」、という、神の恵みの契約であり、愛の真理です。
何よりイエス様が最も大切な戒めとしてお示しになられたことは、第一が「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なる神を愛せよ」で、第二が「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」ということでした。(マタイ22:34~,マルコ12:28~,ルカ10:25~) これはそれぞれ、十戒でいう第一戒から第四戒と、第五戒から第十戒に該当するものです。そのうち、イエス様がまず「第一」とされたのは、神への愛。すなわち第一戒から第四戒だということを覚えましょう。
なぜなら、第五戒以降に命じられた「隣人への愛」。すなわち、⑤父母を敬う:権威の尊重、⑥殺してはならない:命、人格=神の形の尊重、⑦姦淫してはならない:結婚、男女の尊重、⑧盗んではならない:所有の尊重、⑨偽証してはならない:真実の尊重、⑩他人を貪ってはならない:賜物の尊重。これら全ての、大切さの、重要性の、守るべき、尊重されるべき理由そのもの、根源が「唯一の主なる真の神様」にあるからです。絶対的な主なる神様を前提とせずに、命の尊さを究極的に説明できる論理は存在しません。
十戒は、それを守ることで私たちが義とされ救われるためものではありません。守れないから、イエス様の贖いの真実に導くものです。同時に、信仰によって救われたものが、その恵みに感謝して、お応えしていくための大切な指針です。道徳律法として原則が示されているため、私たちが具体的な行動を起こす際に、十戒に照らし合わせて、祈りつつこれを吟味していく必要があるのです。
そして、第一の「神への愛」。それが示される第一戒から第四戒。これを守るために、どのように第五戒以降を活かし、適用していくか。この順番を間違えると、神様が恵によって与えてくださった、大切な愛の秩序に混乱が生じることになります。第一戒から第四戒は、①真の神の尊重=礼拝の対象。②礼拝の尊重=礼拝の方法、③御名の尊重=礼拝の態度、④安息の尊重=礼拝の時、を示しています。
ここに、御前に心と体を捧げる真の神礼拝、神への愛の応答が教えられています。これによって第五戒以降が、現実的に支えられ、生かされるのです。
救われてなお、罪深く不完全な私たちが、少しでもみ心にかなう信仰生活を送れますよう、あらためてみ言に聞き、祈りつつ歩んでまいりたいと思います。