キリストの愛に生きる

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キリストの愛に生きる

8:こういうわけで、わたしは、キリストにあってあなたのなすべき事を、きわめて率直に指示してもよいと思うが、
9:むしろ、愛のゆえにお願いする。すでに老年になり、今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、
10:捕われの身で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。
11:彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。
12:彼をあなたのもとに送りかえす。彼はわたしの心である。
13:わたしは彼を身近に引きとめておいて、わたしが福音のために捕われている間、あなたに代って仕えてもらいたかったのである。
14:しかし、わたしは、あなたの承諾なしには何もしたくない。あなたが強制されて良い行いをするのではなく、自発的にすることを願っている。
15:彼がしばらくの間あなたから離れていたのは、あなたが彼をいつまでも留めておくためであったかも知れない。
16:しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。とりわけ、わたしにとってそうであるが、ましてあなたにとっては、肉においても、主にあっても、それ以上であろう。
17:そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。
18:もし、彼があなたに何か不都合なことをしたか、あるいは、何か負債があれば、それをわたしの借りにしておいてほしい。
19:このパウロが手ずからしるす、わたしがそれを返済する。この際、あなたが、あなた自身をわたしに負うていることについては、何も言うまい。
20:兄弟よ。わたしはあなたから、主にあって何か益を得たいものである。わたしの心を、主にあって力づけてもらいたい。ピレモンへの手紙 8節~20節

説教 「キリストの愛に生きる」


 ピレモンへの手紙は、いわば私的な用件の手紙です。しかしそこには、キリスト・イエスの十字架によって贖われた者が、その恵みによってキリストに倣う者となり、キリストの愛に生きる姿が、生き生きと現れています。今朝は「ピレモンへの手紙」から、キリストの愛に生きる人々の姿を見て参りましょう。


 


8「こういうわけで」というのは、1-7に書かれた内容ですが、簡単に見ておきましょう。


1-2まず手紙はパウロとテモテから送られたものであります。実質的にはパウロからのものですが、テモテの名があるのは、弟子として身近に使えていたこともありましょうが、手紙の内容からいって、証人のような役割であったかとも思われます。


宛先は先ずはピレモン、妻のアピヤ、アルキポ、そして家の教会へとあります。ですからこの手紙は、ピレモンと彼を取り巻く人々に公開されたものであることがわかります。パウロはアピヤを姉妹、アルキポを戦友と呼んでいます。このことから、この手紙は個人的な依頼の手紙ではありますが、信徒の交わりを前提とした、信仰的な内容であることがわかります。パウロはピレモンを、「愛する同労者」と呼んでいます。ピレモンは土地の有力者であり、自分の家を教会として、家族とともに伝道に励んでいました。パウロにとって、信仰の友であり、共に働く同士でありました。


4-7またピレモンは信仰と愛に厚い人でありました。ピレモンの信仰と愛の行いはパウロの耳にも届いており、そのことでパウロは神様に感謝を捧げておりました。


 


「こういうわけで」信仰の友、同労者であるピレモンの、深い信仰と愛を知るが故に、ということであります。もう一度1を見ますと、パウロは「キリスト・イエスの囚人パウロ」と名乗っています。使徒と名乗らず、極めて謙遜に自身を表現しています。そして8-9a使徒の権威で命ずるのではなく、愛のゆえにお願いすると書きました。パウロは依頼する内容を、信仰的に正しいものと確信していましたので、パウロはそれを使徒として命ずることもできました。しかしパウロはあくまでもへりくだって、オネシモの愛にすがるというのです。さて、その内容は9b-10でありました。


 


 オネシモはピレモンの家の奴隷でありましたが、何らかの理由で逃亡し、パウロの下に身を寄せておりました。「捕われの身で産んだわたしの子供」とあります。オネシモは逃亡してパウロの下に身を寄せて、そこで信仰を得たのでありました。パウロはオネシモを私が産んだ子供というほどに、愛しておりました。


 11オネシモは、不始末をしでかして主人の下を逃げ出すような者でしたが、今や信仰を得て生まれ変わり、ピレモンにとっても私にとっても有益な者になったというのです。


 12-14パウロは、オネシモを主人であるピレモンの下に送り返します。オネシモを自分の身近に置きたいのは山々でしたが、筋を通すということであります。パウロがオネシモを自分の下にとどめるといっても、ピレモンは拒まないでしょう。しかしピレモンに命じてさせることはしない、自発的な愛の行為として行ってほしいと願っているのです。


 


当時、逃亡奴隷に対して、主人はいかようにも処分することが許されておりました。状況によっては死刑ということもあり得ました。そのような中でパウロがオネシモを返すのは、ピレモンへの信頼の現れでありました。


 


15-16パウロはオネシモが逃亡し、パウロの下に身を寄せたことに主のみ心を見ています。悪い、役立たずの奴隷であったオネシモが、パウロの下で信仰を得て、今やパウロの慰めとも言うべき存在となった。一連の出来事は、主のご計画による出来事であったというのです。ピレモンにとっても、神様のご計画は、オネシモを単なる奴隷と主人の関係ではなく、主にある兄弟としての深い交わりに入れるためのものであったのではないか。ピレモンの心を神様の摂理に向け、オネシモに対する愛を呼び覚まそうというのです。


そして17ここで使われている「友」は単なる友人ではなく、「私のものはあなたのもの、あなたのものは私のもの」というような深い交わりを表す言葉です。ピレモンがパウロのことを何もかも許しあうような友と思うならば、オネシモのこともそのように受け入れてほしいというのです。なぜならパウロに取ってオネシモは12b「彼はわたしの心である」という存在なのです。


 


そして18逃亡奴隷のオネシモは、ピレモンに何らかの損害を与え、負債があると考えられました。パウロはピレモンに愛と赦しを願っていますが、決して負債をうやむやにせよ、水に流せというのではありません。負債の存在をはっきり認め、それは私が負うと言いました。オネシモの罪を許し、友として受け入れるに当たっては、清算すべき負債がある、それは私が贖うということです。ここに、キリストに倣うパウロの姿勢が現れています。キリストが罪人を父なる神様と和解させるために、ご自身で罪を贖われたように、パウロはピレモンとオネシモを和解させ新たな関係に入れるために、自分がオネシモの負債を贖おうと言うのです。


19aパウロはいつもは口述筆記をさせていたのですが、ここでは自ら書いた。それほど思いを込めた手紙でありました。19b「あなたが自身をわたしに負うている」これは金銭のことではありません。ピレモンはパウロの宣教によってイエス様を知り、信仰に導かれた、即ちその命をパウロに負っていたと言えるのであります。そのことは言わないよと、チラリと言うのは、必ず私の思いを入れて、オネシモを受け入れてくれという思いでありましょう。


20  19bでチラリと匂わせたピレモンのパウロへの負債の後で、主に在って儲けさせてくれないかと言います。親しい友人ならではの言い回しです。オネシモを受け入れて、私の心を力づけてくれ。そして21ピレモンへの信頼が述べられています。


 


この書簡は、逃亡奴隷オネシモを主人ピレモンの下に返す際の、執り成しの手紙です。その手紙が正典としての尊さをもつのは、パウロの贖罪論の具現化ともいうべき意味を持つからであります。キリストに贖われ、罪を赦され、神様の下に帰ることができたパウロが、信仰の友ピレモンに、オネシモを赦して迎え入れるよう、愛をもって迫っているのです。無価値な、唾棄すべき罪人を赦し、兄弟として迎える、それはキリストの救いに与った者の、わが身におこったことであります。パウロもピレモンも、それを知る者であります。その深い信頼によって、パウロはピレモンに執り成しの手紙を送り、オネシモを送り返そうというのです。


先ほども言いましたが、当時、逃亡奴隷を主人はいかようにも処分することができました。むしろ罰することなく家に迎えるならば、社会通念に反する、非常識とそしられたかもしれません。しかしパウロは、ピレモンならばそれをしてくれると確信していました。キリスト・イエスの愛と赦しを知るピレモンへの信頼、自らオネシモの負債を贖う決意、これこそイエス様の贖いによって罪を赦され、神様の下に帰った罪人が、地上でなし得る美しい振る舞いではないでしょうか。


 

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