礼拝のよろこび

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礼拝のよろこび

1:全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
2:喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。
3:主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。
4:感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。
5:主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである。詩編 100篇 1節~5節

<全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ>


今朝も、み言葉に聴いて参りましょう。


 この詩篇100篇は、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)の礼拝で、始めに読まれたと聞いております。それだけ重要な詩でありますが、そこには礼拝で求められる3つのこと、①喜び②知識③感謝について示されています。


 詩篇の93~99篇は、王国をテーマとしています。そして詩篇100からは讃美をしようというテーマが明確に現れるのですが、その前提として大切なことは、主は王である、王である主に捧げる礼拝であるということであります。詩篇100~106は、王である主にふさわしい礼拝について歌われています。


 主は王であると申しましたが、詩篇93~99は王国をテーマにしています。93:1~2(831)に始まって99:1~2(835)という93~99のメインテーマが語られます。(この部分は新改訳聖書では<主は王である>と明解に語られます)


 私たちの主は、王であります。天地万物を創造し、統べ治めたもう王であります。その王であられる主に捧げる礼拝はどのようなものでしょうか。そこには何が求められるのでしょうか。み言葉に聴いて参りましょう。


 100:1~2礼拝は喜びの時であります。喜びをもって奉仕すること、喜びをもって声を上げること、歌うこと、喜びをもって集うことが求められます。礼拝は喜びであります。詩篇122:1(863)これは都もうでの歌、巡礼の歌ですが、私たちが日曜の朝、さあ礼拝に行こうという時の思いは、喜びなのです。王である主に招かれた。王である主が親しく招いておられる。この特権、主の愛顧を思うとき、礼拝は喜び以外の何ものでもありません。


 そして100-3a礼拝に求められるのは知識であります。(これも新改訳の<知れ。主こそ神>は心強い響きですね。また文語聖書の<知れ、エホバこそ神にますなれ>も) 礼拝は、単なる習慣でも形式でもありません。先ほど礼拝は喜びであると申しましたが、その喜びは私たちが知ることによって深まります。知ることによって真実のものになっていきます。私たちは知らねばなりません。何をでしょう。神さまがどのような方か、そして何よりも神さまと私たちの関係がどのようなものであるかについて、知らなくてはなりません。


 創世記にもあるように、神さまは人を神の似姿としてお造りになりました。神の似姿とは、知、義、聖、神さまを知り、神さまの義—正しさに与り、聖—聖さに与ることができるということです。人は自らの知性によって神さまを知り、神さまを讃え、神さまに感謝することができます。神さまは人をそのようなものとして、造ってくださいました。だからこそ私たちは、知力を尽くして神さまを知らなくてはなりません。地上の生活で誰かを好きになったとき、人は相手のことを知りたいと願います。より多く、より深く知りたくなります。神さまを慕う思いも、そのように生き生きとした願いです。神さまがどのような方か、どのようなみ心でいらっしゃるか、私たちに何を求めておられるか。


 私たちはそれらのことを、み言葉によって知ることができます。礼拝は聖書によって、み言葉の解き明かしによって、神さまを知る場であります。


 余談になりますが、アメリカの教育史を学んでいるときに、アメリカにおける公教育は、何よりも国民が聖書を読めるように整えられた、そして学校の音楽教育は讃美歌を歌えるようになるためであったと聞きました。なるほど、プロテスタントの理想の国を目指したアメリカらしいと、感心したことを思い出します。


 100-3b神さまが私たちをお造りになりました。人は、決して偶然に発生したものではありません。天地万物のすべてを神さまが創造され、その最後に、創造の冠として、人を造ってくださいました。そして主の民、み牧の羊として養ってくださいます。神さまはそのように私たちを養い、導き、ご自分の似姿として造られた人が、自らの意思で神さまを慕い神さまに従い、神さまの義—正しさ、聖−聖さを目指して生きることを、望まれたのです。


 人は、罪を犯して神様の下を離れ、神さまとの交わりを絶たれてしまいましたが、それでも神さまは人を見捨てたまわずに、み心によって永遠の選びのうちに、私たちを召してくださったのです。礼拝は、そのように神さまの選びによって召された者への、特別な招き、召しがあってのものなのです。


 100:4礼拝は感謝の時です。100:5主の恵み、主の慈しみを思うとき、そこには感謝しかありません。


 神さまは天地の造り主、天地万物を創造し、摂理のわざの下においてくださいます。摂理のわざについて、ウエストミンスター小教理問答書では


11: 神の摂理のわざとは何であるか。


答:神の摂理のわざとは、神の全被造物とそのすべての行動の、最もきよい、賢い、力強い保持と統治である。 と、あります。


 保持ということについて、神学校で言われた「もし神さまがこの世界を保持なさるのをやめたら、TVのスイッチを切ったみたいに、世界は一瞬にして消えてしまいます」という言葉が、忘れられません。私たちは今も働く神さまのみ手に支えられた世界に、命をいただいています。そしてこの世界は、神さまのみ心によって統治されています。その神さまが、私たちを招いてくださるのが礼拝です。


  詩篇100篇が歌われた時代、人々は神さまのご臨在とは隔てられていました。罪人である人間が神さまに直面したなら、神さまの聖さ、正しさは、その罪人に対して怒りを発することになるからであります。罪人を滅ぼさないために、神さまはご自分と人間を幕で隔てられました。そして特別に立てられた祭司の手によって犠牲の動物が捧げられ、供え物が捧げられる礼拝でした。それでも、神様の下に集い、神さまの恵み、ご愛、憐れみをあらためて感じ、心に刻むことは、大切な一時でした。そこで讃美の歌を唄い、奉仕をすることは大いなる喜びであり、感謝の時でありました。


 今私たちは、何の隔てもなく神様の下に歩み出ることが赦されています。最早、動物の犠牲を捧げることもありません。なぜなら、一人子なる神=イエス様が、自ら祭司として、ご自身を犠牲の捧げものとして、父なる神さまに捧げてくださったからです。イエス様が十字架上で息を引き取られたとき、「その時、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた」(マルコ15:38/80頁)のであります。神さまと人間を幕によって隔てる必要がなくなったのです。私たちはイエス様によって罪を被われ、神さまを恐れることなく、アッバ父よと慕いよることができるのです。


  礼拝の始めに、司会者が祈るとき、神さまが召してくださってこの場に集う喜びを祈ります。まさに礼拝は喜びの時です。その喜びは神さまのことを知ることで深まり輝きを増します。そしてこの喜びをもたらしてくださる神さまへの大いなる感謝をもって、霊とまことによる礼拝を捧げようではありませんか。


(以上:滝田善子 教師)

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