月報2020年10月 【キリストのもとに生きる平安】
9:神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救いを得るように定められたのである。
10:キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。テサロニケ人への第一の手紙 5章 9節~10節
私たちは、今現在、混乱した社会の現実を目の当たりにしています。それは新型コロナウィルスという、目に見えない微小な存在によってもたらされました。伝染し、簡単に人の命を奪う可能性があり、しかもまだ有効なワクチンも開発されていません。
わが国においては、「命を守るために」伝染病による初めての「緊急事態宣言」が発令され、社会活動に制約が課されました。これによって、一時的に感染者は減少し、やがて宣言が解かれました。そして今度は「経済的な死」を避けるために、経済活動の活発化が求められ、様々なキャンペーンが行われています。しかも、緊急事態宣言が発せられた当時より、感染者がはるかに増え続けるなかで、これらの政策は実行されています。あの緊急事態宣言は何だったのでしょうか。確かに、一時感染者を抑えることで、医療現場の態勢を整え、研究、対策の猶予を得ることができたのでしょう。しかし、だからといって根本的な治療薬が開発されたわけではありません。おそらく近い将来、画期的なワクチンが開発されるまで、私たちはこのコロナウィルス感染への恐れと共に、日々の生活を送ることを余儀なくされているようです。
私たち、多くのキリスト教会もこの疫病に揺らされ、あらためて、御心にかなう、主なる神様に従う道を考えさせられ、自己吟味を迫られました。現実に生きていくための、答えを求めるその先は、結局神様の御言にしかないということを、現実問題として再認識させられたのです。
教派を超えて議論やコミュニケーションが図られましたが、私たちが今の時点で言えることは、キリスト者の信仰生活の判断基準の元は、十戒に示されていることに他ならないということです。第六戒の命:神の似姿を、本当に尊重し守るために、第五戒に従い父母:この世の権威を授けられた者、専門家を尊重し耳を傾ける。しかしその目的は、私たちに命を賜り、全ての権威の源であり、この世の全てを支配されている主なる神、御子イエス・キリストに栄光を帰し、心と体を御前に捧げ、霊とまこととをもって礼拝するところにあります(第一~四戒)。
それは、この世の権威者、この世の様々な働きがみ心にかなうように、主なる神様の聖名が高められ、御もとにひれ伏すように。また、一日も早い平安を与えてくださるように祈る勤めでもあります。
そのような中、「コロナウイルスとキリスト」(※)という小冊子が翻訳されました。作者は、米国のベスレヘム神学大学の学長、ジョン・パイパーです。福音的な力強い信仰を告白されています。同書では聖書を通して、コロナ騒動だけにかかわらず、様々な病気や災害や災厄の中においても、全てが神様の御主権の下にあること。私たちは、いつどのようにそれらによって命を落とすかもしれませんが、それは決して主なる神様の罰ではなく、死ぬにしても生きるにしても、私たちは常に神様と共にあること。なぜなら主イエス・キリストの十字架によって、主を信じる私たちは、神の御怒りから出る罰を受けることはないからである、と告白されています。
頭書の御言は同書で引用されたものです。あらためて、主イエス様の民として生かされているところの平安と喜びを味わい、感謝を捧げたいと思います。 (土井浩 牧師)