敵意を取り除く

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敵意を取り除く

2:11)だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、12)またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。13)ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。14)キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、15)数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、16)十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。エペソ人への手紙 2章 11節から16節

<十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。>


 エペソ人への手紙216節の御言です。本日はこのエペソ2章から、イエス・キリストの十字架の贖い。救いの御業というものが、ただ個人的な救い、ということに留まらず、教会というものに、どのように業をなして下さったか。十字架と教会の関係について、御言に導かれたいと願っています。ここでのキーワードは、「敵意」と言うことになると思います。


 先日、お話ししましたように、この手紙が書かれた発端は、コロサイの教会に、異端の教えが入り込んで、混乱したというところにあります。その異端というのは、前回も取りあげました、天使崇拝だけでなく、割礼や律法儀式を求めるユダヤ主義、さらにコロサイへの手紙で言われる「触るな、味わうな、触れるな」とする極端な禁欲主義や、同じく「空しいだましごとの哲学」と言われている、ギリシャ哲学の影響を強く受けた人間の思弁的な、空想的な哲学。そういうものが教会内に入り込んでいたというのであります。


 パウロはこれらの異端に対し、真っ向から反駁していきます。当時の教会は、ユダヤ教から改心したキリスト者と、元々ユダヤの民に啓示されていた唯一の真の神を知らず、神のご契約、救いの約束も知らずにいた異邦人が、キリストを信じて共に構成要員となっていました。ただ、やはり彼らはユダヤ人から見れば、元々は背信の民であり、偶像礼拝の民であり、やがて滅ぼされるべき人々だったと言うことですから、相互理解はまだ十分ではなかったと言えます。


 ですから、パウロはコロサイに入ってきたような誤った教えに、信徒たちが惑わされないよう、あらためて、唯一の生ける真の神の教え。三位一体の神の救いの御業を、整然と大胆に力強く教えたのであります。それが、エペソ第1章前半の教えでした。


 そして、1章の後半は、その真の神の救の御業。永遠からのご計画と実行の御業を成し遂げられる、その全能の御力とご主権。それが、今やすべてキリストにあって、キリストの内に働いているのだということ。この世においても来る世においても、全てをお持ちであるイエス・キリストが教会の唯一のかしらであって、このキリストが満ち満ちているのが教会である、と宣言しております。1章の23節です。ですから、すでにキリストが満ち満ちている教会に、キリスト以外の何ものも、入ることはできない。入れてはならない。キリストにとどまり、キリストにつながっておれ、それが永遠の命に至る救いの道だと言う、パウロの指導であります。パウロの教えは、原則キリストの霊によるものと、福音書の教えを適用しているということが言えます。


 そして、2章に入って、前半では、異邦人もユダヤ人も共に罪の内にあって、肉の欲に従って生きていた者であった。同じ罪人なのだ、と告白し、「救われたのは、実に、恵みにより、信仰による」と救いの真理。キリストによって賜った神の絶大な恵みが宣言されました。


 このような流れから、本日の11節以降の御言に入っていきます。その内容は、この手紙の大きなテーマの一つ、ユダヤ人と異邦人の融合ということになります。それがキリストによってもたらされる恵みであり、そこに真の教会の姿が示されてまいります。


 11節からお読みいたします。


<11)だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、12)またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。>


まず異邦人の信徒に語り掛けています。 あなたがたは、かつては約束された契約とは縁がなかった。確かに、歴史において、主なる神の救いのご計画は、まずユダヤの民族を自らの民とされたとことから始まっています。その民の末に、真の救い主をお送りになるというご計画、お約束によってユダヤ民族は繋がれてきたのであります。主はユダヤの民と契約を結ばれ、それゆえ彼ら救いの希望を持ちつづけることができていました。ところが、異邦人達は、その契約の外に置かれていた。「縁がない」というのは、主がイスラエルの国と結ばれた契約について、他国人であって対象外だった、ということであります。だから、神もなく当然希望もない。全能の造り主、憐れみ深く怒ること遅い、真実なる神を知らず、人間が刻んで作り上げた偶像をありがたがっていれば、本当の希望など生まれるはずはなく、保たれることもない。それがこの世に生きる人間の、自らに頼る姿であります。そして、キリストを知らなかった。今は知らされたけれどもかつては関係がなかった。


ここで、「記憶しておきなさい」とパウロは言っています。この言葉を私たちも受け止めたいと思います。今や既に私たちは、イエス・キリストを知って、信じる信仰を与えられて、神の恩寵により、値無くして選ばれ、天国での永遠の栄光を約束されたクリスチャンとされています。ところが、私たちはこれをともすれば忘れやすい。せっかく父なる神様が多大な犠牲を払ってキリストの民とし、自らの子として下さったにもかかわらず、この世のものとかわらず、自分中心の生き方、自分の欲望に支配されやすいものだということです。


もう一つ「手で行った肉の割礼あるもの」とはユダヤ人の事ですが、異邦人を無割礼のもの、神の契約から漏れたものと見下していたユダヤ人に対しても、手で行う肉のというように、自らの行いでは救われない。神が恵によって与えて下さった律法を守っているようで、実は全くそれを成し得ていない、結局異邦人と変わらず、救われない者だということを暗に示しています。希望はあったけれども、いざそれが叶えられると、実現したその希望を認めることができず、却って非難し迫害した。そのような罪の内にあるものだったということです。


私たちも、豊かな恵みを与えられ、天国の希望も約束されていますけれども、その栄光は常に主に帰すべきもので、私たち自身は、この世の人々と何ら変わりない、いやキリストになければ、むしろ劣った弱い存在である。そのようなものを、栄光を主に帰し、主を誇りとするために、召して下さっているのだという、このことを忘れないように、と教えられています。13節。


<ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。>


 12節で「キリストを知らず」と訳されているこの「知らなかった」ということは、「キリストから離れていた」遠かったと訳される言葉です。ですから,その方がここで「近くなった」ということと繋がってきて、わかりやすいと思います。キリストから最も遠いところにいたと思われるものが、信仰を与えられることで、近くなり、似たものとされるのであります。これは、信仰により与えられる祝福で、聖とされること。聖化のことを表しますが、それが完成されるのは御国においてであって、この世の私たちはその過程を歩でいます。また、この御言は私たちが常に陥りやすい偏見と、過剰な自己正当化をも戒めていると思います。14節以降もお読みいたします。


<14)キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、15)数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、16)十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。>


 ここに、キリストによって、二つのものが一つにされたということが教えられます。キリストがご自分の肉によって、つまり神の子が人となられて、その肉体を犠牲とされて。全く罪のないその血と命を捧げてくださって、律法を廃棄された。律法はなくなったのではなくて、キリストが全うされ成就されたこと、人が成し得ない律法による救いを完成させられたということであります。それは救いが人の行いでなく、神の御業であり、今やキリストを信じる信仰のみによる、ということが明白になった、歴史的に明かされ、実現したということであります。


ここに至って、神の律法によって分かたれていた民族の、隔てがなくなったということが示されました。このユダヤ人と異邦人の民族の隔て。すなわち敵意と言うことの大きさ、重さは、現代の日本に住む私たちの想像をはるかに超えたものがあると言えます。


旧約聖書を読んでいけば、ユダヤ民族の歴史は、そのまま異邦人との戦い、それも血みどろの戦争の歴史であったことがよくわかります。ヨシュアが約束の地に入る際には、聖絶と言う、偶像礼拝の民への徹底した裁きが行われました。ユダヤ人の国イスラエルを栄えさせたダビデの時代も、ペリシテやアマレクといった、異邦人、偶像礼拝の民との戦の連続です。異邦人と関係を結ぶだけで、命を取られるという出来事も数多く記されています。


栄えたイスラエルも、その罪のために分裂し、それでも悔い改めず、やがてバビロニアによって今度は自らの国が滅ぼされ、捕囚となる裁きに合います。その後、預言通り開放はされますが周辺の強大な国家に支配されながら、属国的に隷従する歴史が続き、新約の時代にあっては、かつて血を流しあった異邦人と共に、ローマ帝国の支配下に属することになっていました。


社会的に、国家的に弱小となっていましたけれども、それでもユダヤ人を支えていたのは、真の神の選びの民だという、誇りと希望であり、その意味で内面的には異邦人を見下していた、ということができると思います。実際、21世紀の現代においても、イスラエルと中東諸国の間に絶えざる戦争の危険性が継続しています。それ程までに、両者の敵意は深く、強いのであります。


しかし、真の救い主イエス・キリストが、この敵意を滅ぼし、取り除いてくださった。「キリストは私たちの平和であって」と言われるのは、キリストを信じる信仰と言う、ただ一つの救いが実現した以上、神の御前に両者を隔てるものは存在しない。共にキリストにあって、同じただ置かれましたお一人のキリストの民として、一つとなって神との和解が果たされたということであります。キリストによる平和であります。


かつて、主なる神は創世記において、蛇であるサタン女の間に、女の末の間に敵意をおかれました。人が神に背いたにもかかわらず、神と人の間にではなく、サタンと人の間に敵意を。これは、人がサタンの側ではなく、神のものであること。神様の側においてくださったということであります。神の呪いと言われる、その裁きの初めから、主なる神は私たちを特別に愛し、自らのがわに定め、完全な滅びに至らせることなく、様々な恵みのご契約による導きの末に、約束の救い主をお遣わしになりました。それがイエス・キリストです。


このイエス・キリストの下で、全ての人の敵意は取り除かれ、全ての国々、民族は一つとされ、信仰によって一つの御国の民とされるのであります。人は、自分中心の欲望のうちに、サタンの誘惑によって、意図せず敵意を生み出し、増殖させていく、罪の内に置かれています。人の力によってこれを解決することはかないません。


しかし、キリストにあって、キリストの十字架によって実は、既に敵意は既に取り除かれているのです。これを悟らしめるのは、御言。聖書通して働いてくださる聖霊の御業であります。聖霊によって明らかにされるところの、キリストにある民族を超えた融合、一つとなる人々。それこそが、キリストの教会であり、普遍的教会の姿であります。このことは、この後の3章でキリストの奥義として、改めて教えられます。


 私たちの教会、この小さな群れも、キリストにある時代と空間を超えた普遍的教会の一部として、この世に遣わされた見える教会であります。この世の教会における礼拝は、やがて来るべき御国における、永遠の神との交わりと讃美の祝福。その前味とされています。私たちが、このような祝福の内に置かれて、主のお守りの内に、やがて召されるその日まで、主をあがめ、従う信仰生活が全うできますよう、一層のお導きを祈ります。

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