月報 2019年2月号 「 すべての人に臨むところは、みな同様なのか ?! 」
すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも…その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない…すべての人に同一に臨むのは、日の下に行われるすべての事のうちの悪事である…その後は死者のもとに行くのである。伝道の書 09章02~03節
すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも…その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない…すべての人に同一に臨むのは、日の下に行われるすべての事のうちの悪事である…その後は死者のもとに行くのである。伝道の書 09章02~03節
現実には殆どないと思いますが、「あなたは罪を犯したことがありますか」と突然問われたら、不快に思うで…
~ 今回の掲載はありません ~ ■この日の信仰告白 ウェストミンスター小教理問答 問39~42 ■この日の…
キリスト者が信仰に召されたのは、自由を与えんがためである。キリスト者は律法の束縛と詛(のろい)から解…
聖書は私たち人間についてこう言います、「…あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんな…
本題に入る前に、今日の詩篇を読み解く鍵となる聖書箇所を開いてみましょう。 ローマ5:1-5 このように、わ…
1.確信の告白 (1)神は「いと近き助け」 46:1-3 神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助け…
この詩篇は、信仰に生きる人生とそうでない人生を比較しながら、神への全き信頼から来る平安と希望、喜び…
主イエスはこう言われました、「 わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうで…
この世には、あきれるほど多種多様の“敵”が存在します。覇権を争いあう国家・民族といった敵、人間関係に…
大勢の方々に愛読される詩篇は個人的な信仰の歌にとどまりません。主イエスはこう言われました。 ルカ24:2…
全部で150篇からなる詩篇は、多くのキリスト者の座右の書として、愛し慕われ続けています。 この詩篇には…
ルカ二四章には、主イエスのよみがえりを信じることがどれほど困難かが記されています。 弟子たちは、イエ…
1.弟子たちの証言 ルカ24章には、イエスのよみがえりを確認した弟子たちについて、こう書かれています。 (…
9月16日は敬老の日です。老年に入る年頃を「初老」と言い、四十歳からだそうです。平均寿命が延びた現代は…
先ほど私たちは「罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。アーメン」と使徒信条を唱えました。聖…
私たちは、どうすればイエス・キリストを知ることが出来るのでしょうか。まず第一に聖書の言葉に接し、き…
今日の箇所からは、聖書の中でも特に美しい物語が始まります。 今日はその第一幕、讃美歌272番でも歌われ…
キリスト教を信じようとしない人々がその理由を挙げるとき、一つに奇跡があります。キリスト教は奇跡をい…
7月21日の説教で、標記の詩篇を引用しながら「いつの時代も『彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、…
今日は、十字架刑で息を引き取られた主イエスの遺体の葬りについて記す箇所です。そして、世界中のキリス…
説教に入る前に使徒信条を唱和しましたが、その使徒信条は「私たちは、聖書に書かれていることを、この様…
この世と神の秩序に反抗して生きてきた二人の犯罪人がイエスと共に十字架につけられ、みじめな死で人生を…
十字架上のイエスを、人々は「彼は他人を救った。もし彼が神のキリスト、選ばれた者であるなら、自分自身…
痛ましい事件が頻発する昨今です。しかし、それらは私たちにとっては“遠いところの出来事”なので、当事…
今日の聖書箇所は、主イエスの地上の御生涯の縮図です。この情景はヴィア・ドロローサ(悲しみの道)として…
イエスを十字架に掛けた当時のユダヤ人たちは、まことの平和と救いをもたらすイエスを捨て、熱狂的な民族…
この日の信仰告白 ウエストミンスター小教理問答問33、36 この日の讃美歌 11番「あめつちにまさる」 2…
6月は、ペンテコステにちなんだ聖書箇所からお話ししてますが、今日はその最終回です。 自分がキリスト者…
誰の言葉を聞くか、誰を相談相手とするか。これは人生を左右します。そこで今、自分に問うてみましょう…
「イエスは失敗もした」と言われたら、まさかと思うでしょう。しかし、イエスが徹夜の祈りの後に選んだ十…
私たちは日本史とか世界史といった歴史を学びます。人間社会の経験から知恵と教訓を得て、より良い人生と…
私たちは大人になる迄に、学校で日本史とか世界史といった歴史を学びます。人間社会が経験してきた事から…
イエスは、十字架に掛かられる前夜から、徹夜で繰り返される裁判に臨まれました。なんとしてもイエスを処…
今日の聖書箇所は、イエスが十字架に掛かられる直前の宗教的裁判の場面です。四つの福音書を読むと、イエ…
中島みゆきさんの歌詞には、聖書の言葉を連想させるものが少なくありません。「時代」もそうです。この作…
ペテロは、ペンテコステの説教で大勢の人々を悔い改めと救いへと導き、初代教会のリーダーの一人となった…
今回の改元に際して、昭和の激動期を生き抜いた人がこう言っておられました。「平成は、我が国に戦争がな…
聖書は、この世の常である試錬・困難・誘惑と戦って勝利する術を教えます。 誘惑・試錬と戦って勝利を得る…
今年もイースターを迎えました。 先日、K兄S姉ご夫妻をホームに訪問し、一つのテーブルを囲んでお昼をご一…
元気なうちは、生きていることは当たり前のことで気にもとめません。しかし、死が近づいてくるのを感じる…
教会暦ではこの日から受難週に入ります。四つの福音書は、それぞれの視点からイエスの十字架を記していま…
「つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい」「主よ、ごらんなさい、ここにつるぎが二振…
人の救いは、ただ信仰によるものであり、行いによるものではない。これが、ガラテヤ人への手紙のテーマで…
こう言った質問を受けることがあります。「クリスチャンになっても苦しむことがあるのはどうして!?」と。…
導入 先週はイエスが聖餐式を制定された出来事でした。過越の食事が出エジプトという過去によって十字架と…
教会学校の子どもたちにも良く知られたザアカイは、突然主イエスの訪問を受けた人々の一人です。ザアカイ…
ルカによる福音書22章に入ると、イエスが十字架に引き寄せられていく様に感じられます。あたかもサタンの…
ルカによる福音書22章に入ると、あたかもサタンの力・この世の謀略がイエスに勝って、イエスが十字架に引…
「これくらい大丈夫」と小さな悪事を繰り返すうちに、泥沼にはまりこみ抜け出せなくなったり突然の破局を…
ルカ21章に入ってから、イエスは「その日」について懇懇と説教してこられました。その結びと言える今回は…
伝道の書は、虚無的な言葉を多用ながら人生の目的・生きる意味を問いつつ、間接的に神の存在とその神に対…
ルカ21章では、“終わり”に関するイエスの説教が続いてますが、今回と次回で一区切りになります。 先週は、…
イエスの十字架を間近に控えた21章では、“終わりの日”に関する説教が続いています。今日は、 (1)〝世の終…
人々がエルサレム神殿の見事な奉納物や石垣に感嘆してた時に、主イエスは教えられました。どんなに壮大で…
今年の標語聖句は「主にあっていつも喜びなさい」です。そこで、この御言葉が私たちのものとなるようにと…
この2019年標語聖句もそうですが、私たちの現実から掛け離れてると感じる御言葉が聖書には少なくありませ…
8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるよ…
今朝は2019年 標語聖句の御言葉に聞きます。 聖書には「~なさい」という命令形の言葉が頻繁に現れます。…
パウロの論調は、当初の激しい憤りから、自らの使徒性についての弁証、救いの原理と律法の役割の説明と、…
掲載準備中です。
掲載準備中です。
今年も、救い主イエス・キリストが降誕されたクリスマスを祝う時期となりました。この月報を皆さまにお配…
讃美歌112番 クリスマスに歌われる讃美歌には情景を歌う曲が多いですが、今日取り上げる讃美歌112番 「も…
今年もクリスマスが近づいてきました。世界中で、平和で喜びあふれるクリスマスが祝われることを心から願…
ここで言われていることは、直接的には、 (1)エルサレム滅亡(西暦70年)迄に、弟子たちが受ける試錬 (2)こ…
自分の将来に希望を見出せず落ち込む時、どうすれば良いのでしょうか。イエス・キリストの言葉に信頼する…
先日、私たちの教会のホームページを見られた関東在住の方が電話を下さいました。最近難病宣告を受けられ…
「報い」とは、善行や悪業の結果として身に受けるもののことを言います。また一般には、報いを期待した行…
今日の聖書箇所では、イエスの方から畳みかけるように問いかけても答えは出されない、不思議な箇所です。 …
近年は、終活(死を迎える準備)への関心が高まってきている様ですが、死後についてはどうなんでしょうか。…
私たちキリスト者はこの世から贖い出された存在ですが、現実逃避や隠遁生活を聖書は勧めていません。むし…
今年の日本は、災害並みの猛暑、希に見る豪雨、大地震、猛烈な台風と言った自然災害に次々襲われました。…
ぶどう園を造って農夫たち(小作人)と賃貸契約を結び、収穫期にしもべを遣わして主人の取り分を受け取る、…
律法の下に、律法を守ることを至上と考えて生きてきた人々にとって、律法ではなく信仰、人は信仰によって…
今日の出来事は19章45節以下に記された“宮きよめ”の続きです。 1.「何の権威によるのか」 20:1 ある日…
今朝は、三回にわたる「平和への道」と題した説教の最終回です。これまで、(1)神との平和を知らない罪人に…
9月5日(水)NHKの「ガッテン!」で、『86万人の自宅に届く!乳がんで死なないための切り札をあなたへ』が放映…
1.エルサレムに入ろうとされるイエス エルサレムは、ユダヤの国の都であると同時に、神の救いの御業が進展…
平和への思いは、日本の元号にも込められてきました。「平成」とは、“国の内外、天地とも平和が達成される…
この譬えで「ある身分の高い人」、「主人」とは、もちろんイエスご自身です。まずはじめに、譬えを通して…
「イエスがエリコに近づかれたとき」の出来事に続く出来事で、教会学校でも良く用いられる箇所です。 19:1…
喘ぐような暑が続くと、標記の御言葉を思い出しますが、聖書には、炎暑に喘ぐ私たちを励まし慰める聖句が…
主イエスによる癒やしの奇跡は、イエス・キリストが神であり、人を死と滅びから救い出して永遠の命を与え…
「人にはできずとも神にはできる」三回シリーズは、 ルカ18:18 また、ある役人がイエスに尋ねた、「よき師…
今日は、先週に引き続き、「人にはできずとも神にはできる」その2と題して、ルカ18章18節から30節の御言葉…
今日の出来事は、マタイ、マルコも記してます。これらをあわせて読むと、彼は若くて人望があり、しかも裕…
聖書は、信仰によって大洪水から救われたノアをこう記します。「ノアはその時代の人々の中で正しく、かつ…
人々の救いが神様の約束に基くものであり、ただキリスト・イエスを信じる信仰によるものであるならば、律…
ガラテヤの教会の人々が陥った誤ちは、自分たちの救いに律法の行いが不可欠であると、考えたことであった…
イエスが、連れて来られた病人とか悪霊に取りつかれた人たちに触れていやした出来事や、病人たち自らイエ…
はじめに 「目は心の鏡」という諺があります。『目はその人の心を映し出す鏡のようなものだから、目を見れ…
「私たちは失望しない」です。どんな望みを失わないのか。終わりの日に於ける主イエスの再臨であり、完成…
この「その日その時」とは、聖書の預言で唯一成就を待っているその日その時のことです。この日のことは、…
私たちの世界の中に神の国は、最初のクリスマスに主イエス・キリスト降誕と共に来ていることを聖書は証し…
今日から三回に分けて「神の国」に関して聖書からお話しします。今日の箇所は、 17:20a 神の国はいつ来る…
私たちは、お医者さんから「病気は完治しましたよ」、「手術は成功しましたよ」と言われると飛び上がらん…
「この曲った時代から救われよ」。これはペンテコステ(聖霊降臨日)の中心的メッセージです。今日は、世界…
ペンテコステ(聖霊降臨)は、クリスマスとイースターに優るとも劣らぬ大きな喜びと感謝に満ちた主の日です…
今日の聖書箇所では、後ろから遡ることで文脈がはっきりしてきます。 (1)7-10節、しもべの主人に対する謙…
私たちは様々な知恵や知識に関心を持ちます。ところが、死後に関してはけっこう無頓着でいます。それも無…
教会の歴史は、ある意味、異端との戦いの歴史でもあります。ガラテヤ人への手紙は、ガラテヤの教会に入り…
欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。(16:14)とありますが、これ…
キリストはよみがえった!このキリスト復活の喜びは深く大きな喜びです。フェイク(偽物)やプロパガンダ(政…
イエスが語る例え話は、私たちの身近な事柄を通して、目に見えない世界の永遠の事に気付かせてくれます。…
自分が何を信じているか深く考えることはとても大事です。日本人の場合は、専ら「先祖等からの言い伝え」…
「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより… 」この「…
来週はイエス・キリストのよみがえりを記念するイースターですが、その三日前に、イエス・キリストは十字…
いよいよ春です。そこで「春」が聖書にどの様に使われているか調べてみました。すると、「春の雨」(「後の…
終活とは、人生の終わりのための多岐にわたる多様な活動の総称です。マスコミで頻繁に取り上げられ、「終…
今日は、“福音書中の福音書”とか「放蕩息子のたとえ」と呼ばれる有名な箇所です。先週の二つの譬えに続い…
私を見出して! 現代人の多くの方々が、ツイッター、フェイスブックやLINEと言ったSNS(ソーシャル・ネット…
まず最初に、はっきりさせたいことが二点あります。 まず第一に、今日の主題です。それは、26, 27, 33節で…
先週、主イエスは「まことのおもてなし」について聖書から学びましたが、 14:15 列席者のひとりがこれを…
冒頭から私事で恐縮ですが、居室から廊下に出ると気温は氷点下、せいぜい5℃の日が長く続きました。給湯…
「お・も・て・な・し」、素敵な言葉です。2013年9月のIOC総会で、東京にオリンピックを招致するアンバサ…
上座と下座とを峻別し自分の分を弁えた席に着くことは、その人自身の評価に繋がることです。 1.譬えのあ…
イエスが「安息日に人をいやす」出来事はルカによる福音書では三度目です。これほど繰り返されるのは、私…
今朝も、先週に引き続き今年の教会標語聖句、 3:15a キリストの平和が、あなたがたの心を支配するように…
今もなお多くの人に愛されている著名な説教者がこう書いています。 「『あなたの御言葉はなんですか』」と…
会員総会が礼拝後もたれる今朝は、今年の教会標語聖句を含む一つの段落からお話しします。 教会の標語聖句…
ダニエルの預言は、自分たちの拠り所エルサレム神殿すら破壊され、祖国からバビロンに連れ去られ、70年も…
先週まで賑わいだクリスマスは、寒風により何処かに吹き飛ばされてしまった感がしますが、聖書に記された…
導入 ~「言(ことば)」とは? 今日はクリスマス礼拝です。先週までクリスマスの情景が記された聖書からお…
今日の聖書箇所は、クリスマスカードや降誕劇に頻繁に登場します。 この出来事が聖書に記されているのは何…
今は待降節、そしてクリスマスに続いて新年を迎えようとしています。詩篇24篇は、この様な時期に相応し…
はじめに 先週は、マリヤが御使いからの受胎告知と親戚のエリザベツから祝福を受けて、マリヤが、 ルカ1:4…
12月となりクリスマスを迎えようとしています。 1:46 するとマリヤは言った、「わたしの魂は主をあがめ、…
今日の聖書箇所では、日本語訳では表面に出ていませんが、頻繁に使われているキーワードが一つあります。…
「私の良心は神の言葉に捉えられております。私の誤りが神の言葉によって指摘されない限り、私は何一つ撤…
暦の上では立冬が過ぎ、多くの人々がカボチャなどに仮装して楽しんでいたハロウィンは、余韻など跡形もな…
導入 13:23 すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。 このイエスへの…
13:18 そこで言われた、「神の国は何に似ているか。またそれを何にたとえようか。 “そこで言われた”との…
46:1 神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。 今日は宗教改革500年を記念する…
今朝は、予定を変更して、「奇跡はなんのために?」と題してマルコ6章30-44節から福音に聞くことにします。…
今年は宗教改革500年記念の年ですので、今月の礼拝では、宗教改革当時に誕生した讃美歌から一曲を歌い、説…
今年は宗教改革500年記念の年ですので、今月の礼拝では、宗教改革当時に誕生した讃美歌から一曲を歌い、説…
月報9月号でお話ししたように、修道士ルターは苦悶の末に「信仰による義人は生きる」というローマ1章17…
今年は宗教改革500年記念の年ですので、今月の礼拝では、宗教改革当時に誕生した讃美歌から一曲を歌い、説…
救いは信仰によるのか、それとも律法の行いによるのか。パウロはガラテヤの教会に吹き荒れる律法主義・ユ…
導入 私たちの祖国の内実や日本を取り巻く世界の状況を見ていると、私たち一人ひとりが、自分の力では抗え…
1.導入 このたとえ話に登場する果樹園の主人は、ぶどう園にいちじくの木を植えて3年で実を結ばないと切り…
私たちには、口に出すことはせずとも心の底に潜む、ある考え方があるのではないでしょうか。それは、「普…
☆福音が凝縮されたローマ1章17節 福音がこの17節に凝縮されていると言っても過言ではありません。この1…
1.導入 月報8月号にも書きましたが、2017年8月1日の朝日新聞に、「扇風機、寝具、正露丸…猛暑のりきるグッ…
今日でルカ12章を終えます。今日の聖書箇所後半の「和解の勧めの譬え」は、前半の「今の時代を見分ける」…
72年前、広島と長崎への原爆投下、そして終戦を迎えたこの時期、私たちは平和への思いを一層かき立てられ…
「テサロニケ人への第2の手紙」の第2章13節~17節の御言です。 短い御言葉の中に、信仰へと至る道筋、救い…
2017年8月1日の朝日新聞に、「扇風機、寝具、正露丸…猛暑のりきるグッズ人気」という見出しの記事があり…
前回は、主イエスの再臨という、確かな約束を不断の備えをして待つことの幸いを聖書から学びました。さて…
ペテロがアンテオケに来た時に、ユダヤ人キリスト者達に迎合して異邦人キリスト者達と距離を取ったことは…
導入 12:37 主人が帰ってきたとき、目を覚しているのを見られる僕たちは、さいわいである。よく言ってお…
導入 12:32 恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。 イエス…
12:22 それから弟子たちに言われた、「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のこと…
主イエスは、「たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらない」と言われた後、そ…
今回は、“愚かな金持の農夫のたとえ”として良く知られている箇所でが、(1)「この世を去る時は生まれた時の…
導入 今日の聖書箇所は、「自分の信じるところ」を堂々と生きなさいと私たちを励まします。 12:11 あなた…
前回は、1~7節より、困難の中で信仰を守り抜く心構えとして、人を恐れず神を恐れるべき事を学びました。 …
1.導入 12:4 そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにも…
梅雨に入った今月は、「雨」をキーワードにして聖書を探訪してみました。 (1)雨を降らせるのは「私だ」 「…
今日はペンテコステ(聖霊降臨)記念礼拝をしています。キリスト教会の誕生日でもあります。それゆえペンテ…
来週は、キリストの教会の誕生日ペンテコステ(聖霊降臨)を記念する礼拝です。今日は、このことが預言され…
はじめに 今朝の聖書箇所にも一つの出来事が記されています。それを学んで私たちはどうしようと言うのでし…
今日の御言葉は、ある人に食事に招かれた時、イエス様が、食前の清めの儀式を守らなかったことが発端とな…
主イエスが言われた「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい…
新約聖書には、ユダヤ教パリサイ派の人々に対するイエスの嘆きと戒めとが多く出て来ます。イエスは、パリ…
1.頻繁に登場するパリサイ人 今日の37節からは、当時の宗教的指導者のパリサイ人、律法学者たちの偽善に対…
先週は12-19節から、コリント教会の「ある人々」が主張した「もし死人の復活がないならば」との誤った仮定…
序.キリスト教宣教は、「キリストは確かによみがえられた」と言うこと 今日は、私たちの救い主イエス・キ…
1.「あかり」の大切さ 私たちは、「あかり」があるので日常生活を送れます。ところが、目が悪くなり「あか…
神は恵みによって、イエスは救い主であることを信じられるように、人知を超えた「しるし」を与えて下さ…
1.はじめに 救いは信仰からです。また信仰とは、御言葉に聞くことから始まります。 では、御言葉に聴くと…
人が義とされるのは信仰によってのみである、それがパウロの主張するところであった。パウロは神からその…
イエス・キリストが約2000年前にこの世界に来て下さったことにより、霊的に表現するなら「悪しき諸霊力が…
ルカ11章20節の「神の指」とは聖書でも珍しい表現ですが、神の御業の類い無き素晴らしさを私たちの記憶…
ルカ11:20 しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのとこ…
ルカ11:9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見…
ただいま長老任職・就職式が執り行われましたが、そこで読まれた聖書にこうありました。 5:1 そこで、あ…
聖書には、何故こんな事が書かれているのだろう?!と思わせられる記事が沢山あります。その一つがこの出…
今日の譬え話は、神は私たちの祈りを聞いて下さる方である事を教えながら、前回までの主の祈りと、9節以下…
キリスト者に限らず多くの人々が切々とまごころから祈ることをします。 しかし、単にまごころから出さえす…
この書はガラテヤの教会に入り込んだ誤った教えに対してパウロが反論し、正しい福音に立ち返るよう迫る文…
この、希望と平和を約束するメッセージは、今年の教会標語聖句です。 ■「恐れるな」 この言葉は、救い主…
43:1 …「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。…
イエス様が教えてくださった〝主の祈り″の前半を先週学びました。今日は、私たちの日常生活に関わる祈りの…
主の祈りは、世界中のキリスト者と教会で、それぞれの国の言語、民族の言葉で祈られています。主の祈りは…
1.導入 年初、多くの人々が、初詣に行きます。そこには、受験生、婚活・就活、商人、政治家...様々な立…
クリスマスはイエス・キリストの降誕を記念して祝う祝日です。その出来事が聖書に次の様に記されています…
1.祖国日本のクリスマス クリスマスが年中行事になったのは、救い主降誕から何百年も後になってからのこと…
クリスマスが近づくと、私たちはクリスマスに備えて色々な買い物をします。この機会に、主イエスが私たち…
1. クリスマスに私どもが忘れることのできない美しい情景を、今日から3週続けますが、最初の今日は、「ベ…
1.「救いが現れた」 クリスマス、私たちはどんなものを見て、どんなもので満されたいか、思ってみたことが…
ルカ10:42 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだの…
1.今日の主題 今日の聖書箇所は、隣人愛を教える「良きサマリヤ人の譬」として知られています。しかし、…
多くのプロテスタント教会が信仰教育に用いてきた書物に、ウェストミンスター小教理問答があります。宗教…
10:21a そのとき、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた、「天地の主なる父よ。あなたをほめたたえま…
今日の箇所は、福音宣教から帰ってきた72人もの弟子たちが、輝かしい成功に大喜びしているところから始ま…
「義認」とは神さまから「あなたは正しい」と認めていただくことです。罪人(つみびと)である私たちが、ど…
しかし、どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えない場合には、大通りに出て行って言いなさい、『わ…
礼拝に引き続いて、修養会を下記の通り行いました。 日時場所 2015年10月18日(日) 礼拝後~午後三時頃、 …
招き 聖書について次の様に言われています。 「聖書は決して現実を無視したり、軽視したりしない。現実を…
今朝も、礼拝におかえりなさい!この一週間もお疲れ様でした。この一週間、皆さまに平安がありましたか。ま…
今年も実りの秋がやって来ました。タイトルの「収穫(実り)」という言葉は、新約聖書だけでも何十回も使…
あなたは、どの様な目標を持っておられますか。あるいは、これといった目標を持てないまま日々をお過ごし…
キリスト教には多様な教派があり、またその名による活動も多岐に亘ります。今日は、聖書が教える大原則が…
“人の大小”は何で決まるか。切実な問いです。そして、どんな“物差し”を持つかで、その人の人生が左右され…
今日の聖書箇所には、イエスの受難預言が繰り返される最中で為された癒やしの奇跡と、非常に珍しいイエス…
みなさまが聖書を読もうとする時、どのような気持ちで聖書を開かれますか。是非とも、神がこの私に語りか…
今朝は、 ①神の御子イエスの祈りは、十字架に向けて真っ直ぐ進み行く為の備えでした ②この出来事は、父な…
家内から聞いた話ですが、ある介護施設では、『水戸黄門』のビデオが特に好まれ、高齢の方々が、じいっと…
猛暑が始まってます。本格的酷暑を控え、今月は避暑がてら「暑」の言葉遊びをしてみましょう。 まず、聖…
イエス様は、「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずら…うな」(マタイ6:25)、「人…
つい先日、調整・修理に出していた私たちの教会のオルガンが仕上がって戻ってきました。 ところで、パイプ…
「ああ、それならわたしは知っていました。先生が最初にお見えになったあの五月の太陽の輝く朝、涙ながら…
今、アメリカでは大統領選の候補者指名争いが繰り広げられ、舌戦の凄まじさには圧倒されます。この様な時…
最近私が読んだ『失われた物語を求めて』(レイチェル・ナオミ・リーメン著)に次の様にありました。「人…
日本の正月の風習に、最近では廃(すた)れつつあるように感じますが、門松を飾ることがあります。「松」は…
伝道の書は、虚無的な言葉を多用ながら人生の目的・生きる意味を問いつつ、間接的に神の存在とその神に対する信仰の必要を説いています。
この聖書箇所は、“一寸先すらも分らぬ人間だが一つ確かなことがある。それは死だ。善人も悪人も、神を畏れる人もしない人も、みな同じく死ぬ。それは、あらゆる人生の営みの中で最も悪い”と言っています。全くその通りだと思います。
仏教は、最初の小乗仏教においては善因善果、悪因悪果が鉄則だったそうです。しかし、現実の世の中はなかなかその通りにはならない。そこから、やがて大乗仏教が生まれ、それが我が国では鎌倉時代にさらに進展して、法然、親鸞の念仏宗にまでいたりました。善因善果、悪因悪果ではなく、ただ阿弥陀如来の本願力に寄り頼むこと(他力本願)で救われると。
しかし伝道の書はこう結論づけています。「事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。」(伝道の書12章13-14節)。
私たちは、ルカによる福音書の御言葉に連続して聞いてきました。21章では次のことを学びました。「終わりの日」は突然万民に等しく必ずやってくること、その時は単にこの世界の消滅ではなく“万物が更新される”時であること、万民はその“最後の審判”によって「祝福された永遠の命」か「呪われた滅び」かのどちらかに分かたれて生前の報いを受ける、と。すなわち、「すべての人に臨むところは、みな同様」ではなく、神の正義と公平がもたらされます。私たちの人生という“短い物差”ではなく、天地万物の創造から終わりの日の再創造に至る“神の物差”で物事を考えましょう。ここに私たちキリスト者の望みがあります。