2020年4月19日(日)聖日礼拝 「まことの神の守り」

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2020年4月19日(日)聖日礼拝 「まことの神の守り」

91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
91:5 あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。
91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
91:7 たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災はあなたに近づくことはない。
91:8 あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである。
91:9 あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、
91:10 災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
91:11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で/あなたを守らせられるからである。
91:12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。
詩編 91篇1-12節

《式次第》 ※先日お知らせしたものと多少異なります。

前奏
1.讃詠 545下
2.主の祈り.
3.讃美歌 322番「神よ、おじかの 谷川の」
4.牧会祈祷
5.聖書朗読 詩篇91篇1~12節
6.説教 「まことの神の守り」
7.讃美歌 267番「神はわがやぐら、わがつよき盾」
8.祝祷

 

---説教---

 

1.詩篇91篇
詩篇91篇のように神に信頼する喜びと祝福を美しく歌う詩は多くないのですが、残念なことに標題が無く作者や成立時期を確定する有力な手掛かりもありません。聖書学者によると、「作者名が挙げられていない場合、直前の詩篇記者のものとみなしてよい」そうです。また、「この詩篇の独特な語法は、申命記のモーセのものと類似している」そうです。このような理由でこの詩篇記者をモーセと考えることも可能です。
さらに、イスラエルの民が、奴隷の地エジプトから脱出して約束の地へと向かう道中数多の試みにより、多くの不信仰な人々が裁かれ滅んでいった中で、モーセ、ヨシュアとカレブが、主にとどまり続けた報いとして、命を保ったこと(民数記・ヨシュア記)は、この詩篇にぴったり当てはまるのは興味深いことです。
   91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
   91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
1-2節は、詩篇記者自身の実体験に基づく結論・信仰告白です。多くの詩篇同様、冒頭に記された言葉は、宗教的お題目でも哲学でもありません。だからこそ詩篇は、読者を慰め励まして救いへと導き続けるのです。


2.私たちも試みに篩(ふる)われる
神の民イスラエルの指導者に召されたモーセ、ヨシュアとカレブですら、奴隷の地エジプトから救い出されて約束の地へと向う道中で数多の試みに遭いました。同様に、キリストへの信仰により死と滅びから救われた私たちも、御国へと向かう人生の途上で数多の試みに篩われます。今回の新型コロナウイルス禍もその最たるものです。なぜそう言えるのか、お話しします。

※なお、注意していただきたいのです。感染した人が罪深く健康な人は正しいとか、そういう差別・区別を言ってはいません。信仰を持てば病気にならないとも言ってません。全人類が試練に遭っていて、皆が感染者としての意識を持ち、自分の防御意識を高く持ち行動する必要があると言うことです。そして、“せいぜい自分の人生という極々短い物差しではなく、永遠という神の物差しで物事を洞察し、聖書信仰に基づいて最善をなす事が大切、と受け止めて下さい。

   91:3 主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。
   91:6 また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。
とあります。ここで「疫病」と翻訳されたヘブル語は旧約聖書で48回使われていますが、この詩篇91篇を除く46回全て、不信仰の罪を悔い改めるべくふるわれた神の御手の業、裁きとして使われています。御言葉に聞く時、疫病の本質を霊的に洞察できます。
また、主イエスは教えて下さいました、試練・試みにサタンが用いられることがあると。
  ルカ22:31 シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。
そして同時に、私たちがふるい落とされぬよう主ご自身が祈り励まして下さっていることも。
  ルカ22:-32 しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
また主イエスは、試練・試みが世の常であるが故に、備えの大原則を教えて下さってます。
  マタイ 7:24-25 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。/雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
  マタイ7:26-27 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。/雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
今、洪水や嵐を凌駕する新型コロナウイルス禍、すなわち神から出た試練・試みよってまさに世界中が篩われ、激しく動揺し、人類が心血注いで築いてきた文明と繁栄の脆さ、危うさが露呈し始めてます。

 

篩われるのは、人類の営みばかりではありません。私たちの信仰の真価も試されています。
「礼拝や祈りに意味がないとは言わないけど、意味があるとも思えない。具体的に何かを変えられるわけじゃないから…。ワクチンを作るとか、もっとしなきゃいけないことがあるって思う」。 こう言われたらどうでしょう。
確かに、それぞれに託された使命と責任と賜物を駆使して為される人々の営みは、どれも貴いものです。家を建てる職人さん一人一人の働きがどれも無くてはならぬ如く、社会で働く一人ひとりの勤労と労苦が人間社会を支えています。汗水流した結果が空しく潰えてしまうのはたまらないことです。
だからこそ、人の営みを不動の土台、「岩」なる主イエス・キリストの上に構築して、試みに耐え不朽の価値を保つべきではないでしょうか。このことを実現する手段が信仰であり祈りであり、礼拝でもあります。

同様に私たちも試みに耐えて命を守る為に、注目したいことがあります。出エジプトの道中モーセ、ヨシュアとカレブは、数多の試みにも関わらず御言葉に聴従して主にとどまり続け、その報いとして命を保ちましたが、その根底に、主なる神への信頼と、神の義と愛の渇望があったことです。
今、コロナ禍の渦中における礼拝の持ち方が神学的にも議論されていますが、それ以上に真剣にならねばならないことがあると思います。激しく篩われるこの世の一員である私たちも、悔い改めを迫られていることです。私たちはどれだけ真剣に主を信頼し、神の義と愛をどれだけ渇望し、礼拝を守ってきたかです。
  詩篇 42:1-2 神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。/わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。
私たちは、こうであったかどうか問われています。


3.恐れるな、主である私はあなたを守る
詩篇記者は、こう言ってます。
   91:4 主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。
なんと麗しい主の守りの表現でしょうか!
それにも関わらず、この御言葉のままに「その羽をもって覆おう」とした神の御子イエスを拒み続け、挙げ句の果てに十字架に付けた人々について、主イエスは言われました。
マタイ23:37 ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
神の忍耐の末に、彼らは「悪しき者の報い」(91:8)を受けて滅びたこと、これは世界史に残る事実です。

ところで万葉集に、私たち日本人の心に響く「我が子の守り」が歌われています。
  「旅人の 宿りせむ野に霜降らば 我(あ)が子羽ぐくめ 天(あま)の鶴群(たづむら)」
  旅人が宿をとる野に霜が降ったら、空飛ぶ鶴の群よ、我が子を羽の下に包んでやっておくれ。
万葉の歌人は空を仰いでこう歌ったのですが、私たちは主の十字架を仰いで、「主を避け所とし、いと高き者をすまい」(91:9)とし、主におおわれるようにして守られています。その主の御業が誉め讃えられています。
   91:11 これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で/あなたを守らせられるからである。
   91:12 彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。


4.今、緊急避難的措置をとる私たちへのメッセージ
ところで、緊急事態宣言の発動下にあって、私たちは礼拝を守るうえで、どう御言葉に聴き、主に信頼してどう具体的に行動すれば良いのでしょうか。
海外で報道されるような“眉をひそめる”様な礼拝は厳に慎むべきです。サタンの罠に嵌まります。サタンが、この詩篇91:11-12の御言葉を用いて主イエスを誘惑したこと(マタイ4:章)を思い出して下さい。その時、
  マタイ4:7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。
と誘惑に勝利されました。主イエスは、聖書全体の文脈で御言葉に聞き従うことの範を垂れて下さいました。

また、サムエル記下15章に、実子アブサロムのクーデターを察知した時、ダビデは御心を悟り無益な流血を避け、自らエルサレムから逃れようとしたことが記されています。
聖職者たちは神の箱を携え行こうとしました。サムエル記上3-4章を読めば彼らの思いの間違いが解ります。
  サムエル記下15:25 そこで王はザドクに言った、「神の箱を町にかきもどすがよい。もしわたしが主の前に恵みを得るならば、主はわたしを連れ帰って、わたしにその箱とそのすまいとを見させてくださるであろう。/しかしもし主が、『わたしはおまえを喜ばない』とそう言われるのであれば、どうぞ主が良しと思われることをわたしにしてくださるように。わたしはここにおります」。
ダビデは、神の箱に固執した一種の偶像礼拝を避け、いつ何処ででも一緒に居て下さる神を信頼し一切を御心に委ねて御言葉に従い続けました。

今回の災禍に臨んで、会堂での礼拝を固守をすべきかどうか専ら礼拝論的に議論されています。私はそこに立ち入ることはとても出来ません。ただ一つはっきり言えることは、神は私たちに今回の試練としての災禍を通して、「公同礼拝を真の礼拝たらしめるものは何か」と問うておられることです。
私たちは肉体的命を守る為に、今しばらくは会堂に集って為される公同の礼拝を休止します。主の日の公的礼拝は家庭礼拝・個人礼拝に優る最上の礼拝であり、それを一時期とは言え休止することは苦痛であり痛恨の極みです。しかしながら、今の状況下で皆様の霊的いのちと肉体的いのちを守る為に、私たちの教会で今直ぐにできる最善をとれたのではないかなあと思ってます。
ですが、今後しばらくは、あって当たり前だった主の日の礼拝の恵みに気付かされることになるでしょう。そして、これ迄の礼拝態度の悔い改めへと導かれることでしょう。
しかし主は、身深いお方です。必ず公同の礼拝を再開させて下さります。唯一真の神のみを第一とする公同の礼拝を通して、唯一真の神を証していく任に私たちを用いようとしておられます。
その為にも、会員の皆様お一人おひとりが祈り、あらゆる手立てを用いて「主にとどまり続け」、隣人との絆をいっそう強固にしながら再会の日を待ち望んで戴ければと願っています。主イエスは約束して下さいました。
  ヨハネ15:4 わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
わたしたちは直にこう神を誉め讃えるようになるのです。
   91:1 いと高き者のもとにある/隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は
   91:2 主に言うであろう、「わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神」と。
アーメン

 

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オンライン礼拝の式次第と説教を掲載しました

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