実現する力

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実現する力

(6) ヘロデが彼を引き出そうとしていたその夜、ペテロは二重の鎖につながれ、ふたりの兵卒の間に置かれて眠っていた。番兵たちは戸口で獄を見張っていた。
(7) すると、突然、主の使がそばに立ち、光が獄内を照した。そして御使はペテロのわき腹をつついて起し、「早く起きあがりなさい」と言った。すると鎖が彼の両手から、はずれ落ちた。
(8) 御使が「帯をしめ、くつをはきなさい」と言ったので、彼はそのとおりにした。それから「上着を着て、ついてきなさい」と言われたので、
(9) ペテロはついて出て行った。彼には御使のしわざが現実のこととは考えられず、ただ幻を見ているように思われた。
(10) 彼らは第一、第二の衛所を通りすぎて、町に抜ける鉄門のところに来ると、それがひとりでに開いたので、そこを出て一つの通路に進んだとたんに、御使は彼を離れ去った。
(11) その時ペテロはわれにかえって言った、「今はじめて、ほんとうのことがわかった。主が御使をつかわして、ヘロデの手から、またユダヤ人たちの待ちもうけていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ」。
(12) ペテロはこうとわかってから、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に行った。その家には大ぜいの人が集まって祈っていた。
(13) 彼が門の戸をたたいたところ、ロダという女中が取次ぎに出てきたが、
(14) ペテロの声だとわかると、喜びのあまり、門をあけもしないで家に駆け込み、ペテロが門口に立っていると報告した。
(15) 人々は「あなたは気が狂っている」と言ったが、彼女は自分の言うことに間違いはないと、言い張った。そこで彼らは「それでは、ペテロの御使だろう」と言った。
(16) しかし、ペテロが門をたたきつづけるので、彼らがあけると、そこにペテロがいたのを見て驚いた。
(17) ペテロは手を振って彼らを静め、主が獄から彼を連れ出して下さった次第を説明し、「このことを、ヤコブやほかの兄弟たちに伝えて下さい」と言い残して、どこかほかの所へ出て行った。使徒行伝 12章6節から17節

<(11) その時ペテロはわれにかえって言った、「今はじめて、ほんとうのことがわかった。主が御使をつかわして、ヘロデの手から、またユダヤ人たちの待ちもうけていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ」。>
 使徒行伝12章11節の御言葉でございます。今朝もまた、使徒行伝のみ言葉から導かれたいと願っております。この12章は、丸々1章を使ってペテロの牢獄からの脱出が描かれています。初代教会が生れ、成長していく過程が記される中で、一つの節目にあたるとルカは判断致しました。それはこの出来事によって、信徒たちが、キリスト教伝道の広がりと、教会の成長がまさに、主のみわざであることを、あらためて確信させられたからだと言えます。
 ペテロは、ヘロデ王。ヘロデ・アグリッパ1世に捕らえられ、投獄されてしまいました。その場面は先々週お読みいただきましたが、もう一度振り返りましょう。12章1節から4節。

<(1) そのころ、ヘロデ王は教会のある者たちに圧迫の手をのばし、(2) ヨハネの兄弟ヤコブを  つるぎで切り殺した。(3) そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、さらにペテロをも捕えにかかった。それは除酵祭の時のことであった。(4) ヘロデはペテロを捕えて獄に投じ、四人一組の兵卒四組に引き渡して、見張りをさせておいた。過越の祭のあとで、彼を民衆の前に引き出すつもりであったのである。>

 以前、ペテロとヨハネがエルサレム宮殿で伝道を行った時。足の悪い男性を、イエス様の御名によって癒し、その名による救いを宣べ伝えた時も、彼らは捕まっていました。大祭司たちに捕まって、サンヘドリンで尋問を受ける、といったことを繰り返していました。しかし、今回は、その時とくらべて、さらに状況が悪化していることが分かります。王による、国家権力による逮捕ということになります。使徒達を囲む状況の厳しさは、ペテロが受けた扱いからも明白です。
 「4人一組の兵、4組」に番をさせた。更に、6節を見ますと。

<(6) ヘロデが彼を引き出そうとしていたその夜、ペテロは二重の鎖につながれ、ふたりの兵卒の間に置かれて眠っていた。番兵たちは戸口で獄を見張っていた。>

 二重の鎖でつながれて、四人に見張られている。これが四組ということは、ヘロデ王は24時間の監視体制を引いたということになります。完全に重罪人の扱いです。実際、この直前に、使徒ヤコブ(ゼベダイの子)がヘロデによって処刑されています。前のように裁判の機会も与えられることなく、確実に命を奪おうという姿勢が見て取れると思います。ですから、教会も熱心に祈っていたわけですが、ここまでキリスト教会への迫害が厳しくなった背景を少しお話したいと思います。
 
 まず、当時ユダヤはローマ帝国の支配下にありました。ある程度の自治はありましたが、ローマから非常に重い税を課せられていました。ユダヤではローマに対する不満が相当に溜まっていて、いつ爆発して、反乱が起きてもおかしくない、そのような状況でした。
 当時の200年ほど前、紀元前2Cには、当時の支配者ペルシャ帝国に武力蜂起をして、領土を取り返すなど、一定の成功を収めていました。実際に、使徒行伝の時代にも、一部で反乱があったことが証言されていました。それこそ、ペテロたちがサンヘドリンで尋問され、殺されそうになった時、サウロの師で律法学者のガマリエルが、ガリラヤ人ユダが反乱を起こして、鎮圧されたことを例を出して、裁判が一方的に、過激になるのを抑えていました。
 このような、非常に緊迫した、不安定な世情の中で、ヘロデはローマに認められたユダヤの王として、民衆が過激な行動に出るのを防ぐ必要があったようです。そこで、ユダヤ教の上流階級、サドカイ人から疎まれており、またユダヤの大衆も迫害していた、クリスチャンをスケープゴートにして、ガス抜きを図ったと考えられています。
 では、人々の迫害がこれほど厳しいものとなったのはどうしてか。それは、クリスチャンが、神殿や律法を否定して汚した、というパリサイ派による誤った情報操作があった、そそのかした、ということが書かれています。再建されたエルサレム神殿と律法は、ユダヤのアイデンティティの中心でしたし、拠り所でもありました。間違った理解ではありましたが。
 しかし、ヘロデ王によってヤコブが処刑され、それがユダヤ人の意に適った、というほどにキリスト教会への敵意が高まったことには、もう一つ理由があります。それは、教会が「異邦人の世界へと広がって行った点にあることが、使徒行伝の流れの中で浮かび上がってきます。
 10章から11章ではローマの100人隊長、コルネリオの回心が描かれていました。奇しくも、ペテロの宣教でした。その後には、アンテオケの異邦人にも福音が広がって行ったことが記されています。異邦人ユダヤ教徒ではなく、完全な異邦人、異教徒にイエス様の福音が伝わって、教会が立ち上がっていきました。
ちょうど、この時から、アンテオケで「弟子たちがクリスチャン(キリスト者)と呼ばれるようになった」と証言しています。これはつまり、もうユダヤ教ではない、と認識されたということになります。ユダヤ教にとって、唯一の生ける神主は、ユダヤの神様でした。待ち焦がれていたメシヤは、イスラエルを復興するダビデの末、ユダヤを救う救い主のはずでした。
ところが、クリスチャンは、メシヤが来たと言っている。ナザレ人イエスを神の子救い主だと信じているようだ。ここまでなら、ユダヤ教の異端というか、一分派、新しい教団といった認識だったかもしれません。しかし、彼らが「来てくださった」と言っているメシヤによって、ユダヤを支配するローマや、汚れた異邦人までが救われた、と言い出した。これは、もう放っておけない。内輪の話で済まない、ということになります。

こうして、御霊の導き、主の奇しいお働きによって、イエス・キリストを信じて救われる福音は、エルサレムから、ユダヤ・サマリヤの全土、異邦人の地にまで広がりつづけてきましたが、それは同時に、世の激しい憎悪と迫害を生むことになったわけであります。最初はサドカイ派、
パリサイ派、民衆と広がり、ユダヤの王が迫害するようになりました。
さて、そのように時代がうねっていく中、ペテロは投獄されて、厳しい監視下におかれました。ほぼ、死刑判決が下されたようなものです。それが分っていたため、教会はペテロのために熱心に祈りを捧げていました。そして、その祈りは、まさに主の御心でありました。

<6) ヘロデが彼を引き出そうとしていたその夜、ペテロは二重の鎖につながれ、ふたりの兵卒の間に置かれて眠っていた。番兵たちは戸口で獄を見張っていた。
(7) すると、突然、主の使がそばに立ち、光が獄内を照した。そして御使はペテロのわき腹をつついて起し、「早く起きあがりなさい」と言った。すると鎖が彼の両手から、はずれ落ちた。
(8) 御使が「帯をしめ、くつをはきなさい」と言ったので、彼はそのとおりにした。それから「上着を着て、ついてきなさい」と言われたので、
(9) ペテロはついて出て行った。彼には御使のしわざが現実のこととは考えられず、ただ幻を見ているように思われた。>

 ペテロの前にみ使いが現れます。ここで起きたことは、人の業ではなく、明らかに、超自然的な、神の御業でした。そのことを、ルカは注意深く、伝えようとしています。もう一度、9節から16節まで通して読んで参りましょう。

<(9) ペテロはついて出て行った。彼には御使のしわざが現実のこととは考えられず、ただ幻を見ているように思われた。(10) 彼らは第一、第二の衛所を通りすぎて、町に抜ける鉄門のところに来ると、それがひとりでに開いたので、そこを出て一つの通路に進んだとたんに、御使は彼を離れ去った。(11) その時ペテロはわれにかえって言った、「今はじめて、ほんとうのことがわかった。主が御使をつかわして、ヘロデの手から、またユダヤ人たちの待ちもうけていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ」。
(12) ペテロはこうとわかってから、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に行った。その家には大ぜいの人が集まって祈っていた。(13) 彼が門の戸をたたいたところ、ロダという女中が取次ぎに出てきたが、(14) ペテロの声だとわかると、喜びのあまり、門をあけもしないで家に駆け込み、ペテロが門口に立っていると報告した。
(15) 人々は「あなたは気が狂っている」と言ったが、彼女は自分の言うことに間違いはないと、言い張った。そこで彼らは「それでは、ペテロの御使だろう」と言った。(16) しかし、ペテロが門をたたきつづけるので、彼らがあけると、そこにペテロがいたのを見て驚いた。>
 
 まず、ペテロ自身。目の前に現れて、ペテロを連れ出そうとしているのが、御使いだは、すぐに気づいていません。以前ペテロとヨハネが、サドカイ派に捕まって留置場に入れられた際にも、主の使いが扉を開けて彼らを解放されました。しかし、ここでのペテロは、御使いだと認識できなかったようです。それほど厳しい状況に追い込まれていたということかもしれません。
あるいは、7節から9節までのみ使いの言葉や行動が、雷鳴がとどろくような、凄まじい奇跡というのではなく、自然な言動のように見えたのかもしれません。はっきりしているのは、ただ、彼の目が開かれていなかった、ということでしょう。御霊が知らせて下さらなかったら、私たちは何事も悟ることはできない、ということも真実であります。特に霊的なことはそう。知恵の霊である主の御霊だけが、私たちの目も心の目も開き、ご自身を表されるのであります。
 ペテロは、獄の扉を抜け、更に三つの扉を超えて、御使いが離れてやっと、いま起きたことの真相に気づきました。11節。
<(11) その時ペテロはわれにかえって言った、「今はじめて、ほんとうのことがわかった。主が御使をつかわして、ヘロデの手から、またユダヤ人たちの待ちもうけていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ」。>

 そして、仲間の下に一旦帰ります。マルコの母の家でした。ペンテコステの前に御名が集まっていた家とも言われています。そこで、ペテロを迎えた、他の弟子たちの反応が詳しく書かれています。女中の名前まで出して、また大勢の人がいましたが、誰もペテロの脱出を信じていなかったことが描かれます。女中さんは大喜びで知らせたにもかかわらず、気ががおかしい、とまで言われて、かわいそうな目に遭っています。
 あんなに熱心に皆で祈っていたのも関わらず、それが叶うと思っていなかったのでしょうか。ヤコブのことがあったからかも知れません。状況があまりに困難だったからか、あるいはこれほどあっけなく叶うとは思っていなかったのかもしれません。目の前に出来事や自分の常識、限られた能力でしか、私たちは判断できませんが、主に限界はないということであります。

 ここでルカが伝えたかったのは、ペテロが厳重に警備された牢獄から脱出したことが、ぺテロ自身の働きでもなく、仲間の誰かの計画でもない、ということであります。さらに、この後では、ヘロデの兵士の手引きでもないことが描かれます。王はペテロを見つけ出すことができず、兵士に責任を押し付けて処刑を命じています。
 この時代、1章の最後にあったクラウディオ帝も記事と、12章最後にあるヘロデ王の活動から、この事件が、紀元43年頃の出来事であったことが、ほぼ特定されています。ユダヤの歴史家ヨセフスの記録とも照合されています。弟子が増え、福音が国を超えて広がり、同時に迫害の規模も大きくなっていく時代のうねりの中に、確かに、現実に御使いが遣わされた、主のみわざがあった、ということであります。信徒や、彼らを迫害する世の人々の、予想やはかりごと、それらを超えて、主は働かれました。
確かに主は、人の心を調べる方、心を変えて、歩みを変えて人生を変えるお方です。しかし、ただ心の問題だけではなく、現実の世に働いて、御心を必ず実現したもう、全能の父なる神様であること。この神が、御子イエスキリストにあって、私たちをご自身の者として下さているのであります。主に寄り頼むことの幸いと、確実なことを覚え、私たちの願いが御心に適うよう、祈りたいと思います。

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○「(4) すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは…

神の祝福のもとに

「わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定…

心がとこしえに生きるように

○「(1)わが神、わが神、/なにゆえわたしを捨てられるのですか。 なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、/わた…

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【8章】聖霊なる神様の御業について、御霊なる主は、私たちに救いについて決定的な働きを成して下さる。そ…

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