「わたしの患難は、あなたがたの光栄なのである」今朝もみ言葉に聴いて参りましょう。
エペソ人への手紙は、前半の第1-3章が教理編、後半の第4-6章が生活編という構成ですが、第3章はパウロの経験と結びつけられた記述と、後半の祈りになっています。今日はその前半部分に聴いて参りましょう。
3:1パウロは自分のことを「異邦人のためにキリスト・イエスの囚人になっている」と言いました。パウロは今獄中でこの手紙を書いています。イスラエルも異邦人もなく、全ての人がキリスト・イエスを信じる信仰のゆえに救われ、神の国の世継ぎとされるというパウロの教えは、イスラエルの人々の怒りを買い、それ故にパウロは捕らえられ牢に入れられています。しかしパウロが囚人というとき、それは実際に牢につながれていることと共に、もうひとつ意味があります。それはパウロ自身がキリスト・イエスに捕らえられているということであります。
3:2パウロが異邦人のための使徒として立てられた経緯、即ちダマスコ途上の出来ごとであります。(使徒行伝9)若きパリサイ派の俊英であったパウロが、キリスト者を捕らえようと道を急ぐところで、天からの光に打ち倒され、キリスト・イエスに呼びかけられた出来ごとであります。この回心の出来ごとをパウロはキリストに捕らえられたと言い、神様から賜った恵みと言っているのです。
3:3これは第1-2章の内容であります。2:12-13、また2:19-22見てみましょう。もはやイスラエルも異邦人も無い、共にイエス様の十字架に与り、その信仰のゆえにひとつのものとして神の家族、また神の宮として建てられるというのです。パウロはこの奥義を啓示によって知らされました。神様から直接教えられ、そのことによって彼は異邦人伝道の使命を与えられたのでありました。
3:4この書簡を読めばパウロが伝えようとしているキリストの奥義とそれを伝えるに至ったパウロの立場がよくわかるであろうと言います。
3:5この奥義は第1章にあるように(1:3-5、1:10-14)決して今になって付け加えられたものでもなく、ご計画の変更でもありません。神様の永遠のご計画なのであります。しかし他の時代には未だ明らかにされていなかったのです。啓示することを英語でrevealと言います。これはベールを脱ぐということです。神様のご計画が説き満ちて少しずつ明らかにされていく、人々に知らしめられる、それが啓示です。
3:6その啓示された奥義とは、異邦人が福音によってキリストにあって共に世継ぎとなり、共に一体となり、共に約束に与るものになるということです。
3:7このところを文語文では「我はその福音の役者とせられる。これ神の能力(ちから)の活動(はたらき)に随ひて我に賜う恵の賜物によるなり」簡潔なことばからパウロの喜びや使命感が伝わって来るような気がします。パウロにそれまで秘密にされていた神様のご計画、それも素晴らしいご計画が明かされました。そのことをパウロは神様からの大いなる恵みと受け止めました。
3:8-9パウロは自らを「聖徒たちのうちで最も小さいもの」と言います。彼はかつてはキリスト者を迫害する者でありました。そのことは彼の痛みでありました。しかしそのような自分が使徒として召され、大いなる啓示を受けて異邦人伝道の使徒として建てられたのです。
3:10神様は今このときにパウロを通してご計画を明らかにされました。それは教会を通して明らかにされ実現していくのであります。
3:11これがキリスト・イエスにあって実現された神様の永遠の目的に沿うものなのです。
3:12私たちはこの信仰によって、臆すること無く大胆に神様に近づくことができます。私たちはイエス様によって自らの罪を購っていただき、イスラエルと異邦人という隔ても取り去っていただき、もはや何ものをも恐れることなく神様に近づくことができるのです。
3:13「あなたがたのためにわたしが受けている患難を見て、落胆しないでいてもらいたい」とパウロは言います。自分たちの敬愛する先生が牢につながれている、それは信徒たちにとってとても悲しく辛いことでありましょう。しかしパウロは落胆しないでほしいと言います。パウロが牢につながれているのは、彼の教えのゆえであります。
イスラエルも異邦人も無い、共にキリスト・イエスにあってひとつの家族、ひとつの体となるという教えは、イスラエルの人々にとっては許容できないものでありました。自分たちイスラエルは神の選びの民であるとして、異邦人たちとは食卓を共にすることも無く、選民の誇りに生きてきた彼らにとって、パウロの説く教えは赦せないものであったでしょう。神様への冒涜と思われたことでしょう。しかし、時が満ちて神様の永遠なるご計画が明かされたのです。そしてその啓示を受けて伝道したがゆえに、パウロはイスラエルの人々の怒りを買ったのです。
しかしそのことを信徒たちが悲観することは無い、むしろパウロと同じ誇りに生きよというのです。神様の選びの器として、これまで明かされなかった神様のご計画を明かされたパウロ、そしてパウロからその啓示を伝えられた異邦人たちはパウロが感じたと同じ光栄と喜びに生きよということであります。
パウロに明かされた神様のご計画、もはやイスラエルも異邦人も無い、キリスト・イエスにあって敵意の壁は取り去られ、今やキリスト・イエスを信じる信仰によって、全ての人は家族となり、同じ肢体の一部となり、共に上の宮を建て上げる、イエス様の到来によって世界が変わったのです。
神様はそのことをパウロに知らせました。パリサイ派の俊英として豊かな学識を持ち、自らの信仰に従ってキリスト者迫害の急先鋒であったパウロは、新しい時代の福音を告げるに、まことに相応しい人でありました。
私たちは、当時の世の中と違って信仰が社会の中心ではありません。しかしパウロの自分の経験を踏まえての言葉に聴きながら、今少しリアリティーをもって神様が計画してくださり、イエス様が実現してくださった世界について思いを馳せ、感謝の思いを深くしたいと思います。