み言葉の力

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み言葉の力

1)主よ、わたしは心をつくしてあなたに感謝し、もろもろの神の前であなたをほめ歌います。
2)わたしはあなたの聖なる宮にむかって伏し拝み、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、み名に感謝します。あなたはそのみ名と、み言葉をすべてのものにまさって高くされたからです。
3)あなたはわたしが呼ばわった日にわたしに答え、わが魂の力を増し加えられました。
4)主よ、地のすべての王はあなたに感謝するでしょう。彼らはあなたの口のもろもろの言葉を聞いたからです。
5)彼らは主のもろもろの道について歌うでしょう。主の栄光は大きいからです。
6)主は高くいらせられるが低い者をかえりみられる。しかし高ぶる者を遠くから知られる。
7)たといわたしが悩みのなかを歩いても、あなたはわたしを生かし、み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、あなたの右の手はわたしを救われます。
8)主はわたしのために、みこころをなしとげられる。主よ、あなたのいつくしみはとこしえに絶えることはありません。あなたのみ手のわざを捨てないでください。詩編 138篇 1節~8節

【 み言葉の力 】


  今朝聞いて参ります、詩篇138篇を含む、詩篇の第五巻はおもに「讃美について」教えられています。139篇の時にも申し上げました。人は何故、主なる神を褒めたたえるのかということで、特に135篇から145篇は、その理由は、神の御業にあるということが歌われています。ここで告白される歌、詩ではその中に教理的な色々なテーマを取り上げ、そこから神の御業を讃美し、146篇以降のハレルヤ詩篇の序章となっています。


138篇においては、御言の御業。主なる神さまの言葉の、確かさと、その力が示されています。前半部分1節から5節では、御言の三つの御業をあげて、これを褒めたたえ、ハレルヤを捧げます。


そして、後半の6節から8節は、その御言がもたらす、救いの御業をとりあげ、褒めたたえます。教理的に言いますと、前半は御言つまり「聖書論」。そして後半は御言による救いの御業「救済論」について讃美しているということであります。


では、御言に聞いてまいりましょう。まず1節、2節。


<1)主よ、わたしは心をつくしてあなたに感謝し、もろもろの神の前であなたをほめ歌います。2)わたしはあなたの聖なる宮にむかって伏し拝み、あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、み名に感謝します。あなたはそのみ名と、み言葉をすべてのものにまさって高くされたからです。>


御言の第一の御業は、礼拝を生む御業。私たちを礼拝に導く御業である、と言うことが述べられます。神さまへの礼拝を生む力であるということであります。御言によって導かれる礼拝の御業を通して、褒め歌います。


御言は、私たちの、御前にひれ伏す礼拝を導きます。心を尽くして感謝を捧げるようにします。世の様々な神々。霊的な力とか、み使い達と訳すこともできますが、ここでは、異教徒たちの偶像礼拝の対象であるところの、人間の作った色々な神々。その前で、それらの中にあっても、御言によって讃美し礼拝する。神のおられる聖なる宮に向かって私たちはひれ伏す。なぜなら、主なる神が、その御言を何より高く、全てのものにまさって高くされたから、と言うことであります。


2節で、<あなたの「いつくしみ」と、まこととのゆえにみ名に感謝します>とあります。慈しみは「恵み」とも読め、その中には「愛」という単語が含まれています。ここでは、御言の内容を二つで表しています。まことであるということは、真実であるということ。つまり「必ず果たしてくださる」ということです。神のいつくしみ、すなわち愛と真実。その二つのみ名が御言に常に現れている。その御言が高くあげられてる。だから私たちはこの御言によって礼拝致します。御言は私たちを礼拝に導かれます。それゆえ主を褒めたたえるのであります。


つづいて3節。


<あなたはわたしが呼ばわった日にわたしに答え、わが魂の力を増し加えられました。>


御言の、私たちの魂を導く力。お働きが歌われます。ゆえにハレルヤ。御言は礼拝を恵みとまこととによって導き。そして私たちの魂に力を加えてくださる。私たちが神を呼ぶと、御言を通して応えてくださる。御言の中から語り掛けて下さる。そして私たちの魂、生命と言う意味でもあります。日々の生活の中にある生命に力を与え強くしてくださる。よってハレルヤ。御言による魂への力の御業、それを覚えて、み名を褒め称えます。


次に、4節~5


<4)主よ、地のすべての王はあなたに感謝するでしょう。彼らはあなたの口のもろもろの言葉を聞いたからです。5)彼らは主のもろもろの道について歌うでしょう。主の栄光は大きいからです。>


ここで、三つ目の御言の力が語られます。それは、御言の御業は宣教をもたらす、ということです。御言はこの世界、国々に、そこに主の御業を、真実なる主の証をもたらす。御言はこの世界に向けてり語りかけます。あなたの口の御言を聞いたから、王たちが讃美する。世界中に広がる、世界の王たちに宣教を生む御言の御業。5節に3回出てくる「主」ということばは、新改訳では全て太字になっています。口語訳では区別がありませんが、ただの「主」ではありません。文語では「エホバ」と表記されます。私たちとの恵の契約において、名乗ってくださった、あのモーセに示してくださった、「あってあるもの」という、真実を証しする、そして全てにまさって高くされた聖なるみ名であります。


ここまで、138篇の前半で、御言の三つの力、その御業が告白されてきました。御言は、礼拝を生み、魂に力を与え、世界に、世界の王達に、まことの慈しみ、愛の契約を果たされる救い主の御業を証しします。全ての王権を持つ者達を感謝のうちに伏せさせる。主の御言を世界が聞く、主の道を覚えてうたわせられる。主の栄光が大きく表れる。王権と宣教と栄光。御言はこの世界の中でこれを導く。


御言は礼拝において、魂において、国々、世界に対して宣教の御業をなさいます。御言の力、御言しか為しえないお働きを思い、讃美する、ということであります。 


それで、6節以降の後半部分。その御言の内容、もう少し詳しく見ると御業の中身はどうなのか。いわば御言の御業について讃美してきて、御言をレンズで拡大して、細かく具体的に見てみるような感じで、そこにどんな素晴らしいことがあるのか。それが結局、御言の御業を生んでいくわけですが、それが、御言の何が力なのかというと、「救いの御業がうたわれているから」ということなります。


御言葉の中にある、御言の力の源である「救いの御業」が最後に6から8節で讃美されています。これが礼拝を生み、人々の心に力を与え、世界中を変えていく原動力になっていく。御言、私たちに与えられておりますのは聖書。聖書に記された、まことの神の言、その中心は、わたしたちの救いにあるということであります。


6節


<主は高くいらせられるが、低いものを顧みられる。しかし高ぶるものを遠くから知られる>


まず最初に、これがまとめのことばになっています。救いの御業、御言が私たちに与えてくださる、救いの御業は主の業。先ほども言いました聖なるみ名である「主」が6節と8節の前半と同じく後半で、3カ所に出てきます。それがポイントになると思います。つまり、恵みの契約の愛の主。真実なる神様。この愛の主の救いの御業は、一言でいうと「低いものを顧みられる」と言われています。


救いの御業とは、神さまは高くあげられ給うた主ですが、まさに5節のところで主の栄光が大きい、ということが語られていて、高くいらせられる主なのですが、そのお方が低い者を顧みられる。ご自分自身、低くなられて。天において全てをお持ちであったイエスキリストは、私たちを富ませるために、貧しく低くなってくださいました。この顧みられるというのは、「見る」「目で見る」という言葉です。私たち低い者を、本当に一人一人を見ていてくださる。神さまの御言の力は、この救いの御業が源で、それは、低いものを顧みて下さる。見ていてくださるということです。


さらに具体的には、7節から8説の前半に三つのことが言われています。


<7)たといわたしが悩みのなかを歩いても、あなたはわたしを生かし、み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、あなたの右の手はわたしを救われます。8)主はわたしのために、みこころをなしとげられる。主よ、あなたのいつくしみはとこしえに絶えることはありません。あなたのみ手のわざを捨てないでください。>


低いものを顧みて下さるということは、まず「生かしてくださるということ」次に「救ってくださるということ」三つめは「みこころを成し遂げられるということ」であります。成し遂げると書いてありますが、直訳すると「終わりに至らせてくださる」決着をつけてくださるということだと思われます。


神さまの救いの御業が、本当に低いものを見ていてくださる。顧みてくださる。憐みの御業だ。どういう風にしてくださるかと言うと、まず第一に<わたしが悩みの中を歩いても、あなたは私を生かし>てくださる。これは現在の問題の中で、私は悩みの真ん中をなお歩いていくだろうけど、英文だと「Keep me alive」と表現されています。私は生かされていく。これが救いだと言っています。悩みは苦しみとも苦難とも訳されていますが、その苦難の真ん中を歩いていくだろうけど、神さまは生かしてくださる。それが低いものを見てくださる第一です。


第二は救ってくださる。<わが敵の怒りを防>いで。ずっと、過去のこともあると思います。人間の怒りというものは本当に恐ろしい。表に出てこない場合もある。しかし、怒りこそ、人々の心の中に宿る怒りこそ、いろんな問題のすべての根です。その人々の怒りになかで私たちは本当に傷ついたり、おじ惑ったり悩んだりします。その人々の怒りの中に、神さまが御手を伸ばしてくださいます。


私たちは人々の怒りに囲まれて、しかし神さまはその、怒りのただ中に御手を送ってくださって、救ってくださいます。それが救いだというのです。


三番目に<主は私わたしのために、みこころを成し遂げられる>英訳にはendとありますから終わりに至らせる。必ず全てのことに決着をつけてくださるということです。このような、低い、至らない、罪ある私たちのために。


私たちはクリスチャンになっても、いろいろな問題に直面していくときに、この問題果たして解決するんだろうか?いったいどうなるんだろうか、自分どうすればいいんだろうかと、思い悩むことが数多くあります。しかし、神さまは低いもの、この弱いものを顧みて、見ていてくださって、必ず、みこころを成し遂げていってくださいます。それも私たちのために。それが救いです。 


後半部分で、御言の「力」を一つずつ拡大して見て参りました。それは、実は神さまの救いの御業が語られているものでした。それを一言で言うと、低いものを顧みてくださるということです。


さらに、顧みられることが実際に何か、というと、私を悩みの中を歩いていく中でも生かしてくださるということ。人々の怒りが私を恐れさせ、おじ惑わせても、御手がそこで働いて救ってくださる。そして必ずことがらを決着させていってくださる。愛の恵の、救い主の御業がそうだということを御言は語っているわけです。


そして、最後にそれをまとめていっています。その主の救いの御業は<主よ、あなたのいつくしみははとこしえに絶えることはありません。>「いつくしみ」これは恵と言う言葉で、すなわち愛といっていいです。永遠の恵が、愛がそこにあります。また救いの御業は、これは、決して絶えない。無くならないという意味です。神さまの御手の業は、8節の業は複数形です。数々の御手の業は、私たちから、私たちの人生から決して無くなりません。そういう告白です。


 


こうして、救いの御業はどういうことかということを改めて確認して、この詩篇138篇は終わっています。私達、この詩篇から、あらためて主にひれ伏し、褒めたたえる。その源である主の御業を数えているところです。御言の御業を覚えるとハレルヤになりますが、特にそれを拡大して見てみると、そこには「救いの御業」がいつもあります。生かして下さる、救って下さる、なしとげて下さる。イエス様によってそれは実現し、明かされ、またさらにとこしえの恵がそこに約束されています。


これを覚えて、力ある救いの御言に、ひれ伏して聞いて、高きみ名を讃美し、集い祈るという、この礼拝を捧げている。主の身みもとに招かれ、また導かれている喜びをかみしめたいと願うものです。


(以上)

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