月報2020年11月 【キリストによって自由になる】
イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もし わたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。
また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。」ヨハネによる福音書 8章 31節~32節
♰ 説 教 「キリストによって自由になる」
まず、第一はイエス様の言葉に「とどまって」いなさいと教えられます。この「とどまる」という言葉は、15章のぶどうの木と枝のたとえ話で、何度も「つながっておれ」「とどまっておれ」「おれば」と繰り返されている、同じ単語です。イエス様の教えられた言葉に深く根を下ろし、固く立ち、最後までとどまっていなさい。一時的な感情、感激ではなく、持続的な霊的繋がりを求めること。そういう者がイエス様の真の弟子と言われています。
当時から、自らをイエスの弟子と自称するものは多く、知識と信仰を誇るものは、結局は自分を誇っていました。しかし、誇るべきは主であって、誉れと栄光はただ主にのみ帰すべきものです。なぜなら、「とどまらせて」いて下さるのは、御霊なる主だからです。私たちはその愛と憐れみを思い、感謝して応えるべく、み言葉に聞くのです。
Ⅰテサロニケ5章で「絶えず喜んでいなさい」「常に祈りなさい」「全てのことに感謝しなさい」と教えられるとき、それは24時間ずっと・・というような義務でなく、そのようにされるという恵みであり、喜びなのです。私たちが、み言葉を神の言葉と信じて聞いてとどまるうちに、み言葉に求めて与えられる、恵みです。求めれば、み旨にかなう必要が与えられるのです。
そして、信じて聞く者には、真理が知らされます。真理とは難しい概念や理論ではなく、キリストご自身のことです。キリストがどのようなお方で、何をして下さったか。それは御霊の照明により、誰の目にも明らかにされた真実であります。父なる神の一人子、真の神が真の人として、罪の内に滅ぶべき私たちの元に来てくださった。私たちの罪をすべてその身に負い、自らを捧げて私たちを義として下さった。死に勝ち天に昇られ、天地の全ての権威を持ち治めておられる方。やがて再臨の日に、自らの民を全て、甦りと御国での永遠の交わりの内においてくださるお方。唯一の真の救い主であられるキリスト。この真理、すなわち福音は一つであり同じであり、変わることがありません。
さらに、この福音を信じる者は「自由を得る」のです。信仰を持ち、信じることは不自由であり、窮屈なことなのではありません。この世の罪の内にがんじがらめになっている、私たちを自由にしてくれるのです。自分中心の、欲望中心の、知らぬ間にサタン捕らえられている牢より、私たちを解き放ってくれる。それが福音の真理なのです。
また、それは自分の心からこの世を切り離して、逃れることでもありません。この世が、私たちを愛して下さり止むことの無い、主のご摂理のもとにあることを知るとき、私たちは、与えられた信仰によって、この世の全ての上に主のご主権があり、全ての奥に主の御心が存在することを確信し、主が万事を益として下さることに、依り頼むことができるのです。
もう一つは死からの自由です。人類が、やがて定められている永遠の滅び、地獄からの解放であります。すでにイエス様は、歴史において死への勝利を明かしてくださいました。私たちはみ言葉に聞いて、信仰によって、キリストにつながり続けることで同じくされ、真の自由を得ることができるのです。真実の神なるイエス様の、このみ言葉に信頼して、困難と労苦に満ちた、しかし一時の、この世の信仰生活の糧としたいと願います。 (土井浩 牧師)