永遠の命の約束

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永遠の命の約束

(21)わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。
(22)偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。
(23)御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。
(24)初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。
(25)これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。
(26)わたしは、あなたがたを惑わす者たちについて、これらのことを書きおくった。
(27)あなたがたのうちには、キリストからいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼のうちにとどまっていなさい。
(28)そこで、子たちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、彼が現れる時に、確信を持ち、その来臨に際して、みまえに恥じいることがないためである。
(29) 彼の義なるかたであることがわかれば、義を行う者はみな彼から生れたものであることを、知るであろう。ヨハネの第一の手紙 2章 21節から29節

○「(24)初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。
(25)これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。」

 ヨハネの第一の手紙2章24節、25節のみ言葉でございます。ここに、神の御子である、救い主イエス・キリストが、私たちに約束して下さったこと。その内容が、宣言されています。主のお約束。すなわち恵み契約によって、私たちが得る究極の恵みとは、永遠の命である、と言うことでございます。本日は、このみ言葉に導かれたいと思います。
 永遠の命が約束されている、と言われております。永遠に生きる、ということは、現在の地上の肉体に縛られた、有限な私たちには、なかなか想像しにくいことですが、ここでは別の表現でも説明されています。25節では「これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。」
 永遠の命が、彼。これは御子の事ですが、つまりキリストの約束であると。その最初に「これが」とあるように、永遠の命は、直前の内容のことを言い換えて説明しているわけです。直前のみ言葉は「あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。」ということです。
 つまり、全世界の造り主であり、自律自存。無限永遠不変の霊なる神。聖義善真実なる三位一体の神様との交わりの中に入れていただける、ということであります。これが天国、御国に入ると言うことになります。そこでは、一切、しみもしわもなく、清くて傷の無い栄光の姿にされると聖書は教えます。ウェストミンスター大教理問答の90問では「あらゆる罪と悲惨から、完全に、永遠に解放され、思いもよらない喜びに満たされる」と答えています。「父、御子、御霊なる神を喜び、幸せになる」これが、救いによって与えられる姿であります。
 すなわち、約束された救いとは、永遠の命であり、永遠の命とは、神様との永遠の交わりが、与えられる、ということ。正確に言えば、交わりを回復して頂ける、ということになります。本来、人間はそのような存在として造られ、エデンに置かれていました。しかし、自らの罪で、神様に背を向け、堕落してこの幸いから落ちてしまいました。世界に罪と悲惨が満ちる基になってしまったわけです。
 しかし、憐れみ深い、愛なる神様はこれをそのままにしておかれませんでした。神様の御許から落ちてしまった、私たち人間を永遠の死から救い出すために、ご自身の一人子を、救い主として、人として地上に送ってくださいました。この方が、私たちが果たすべきであった父なる神への従順を完全に果し、その上で、全ての罪を贖うために生贄となって十字架にかかって下さいました。神様が、遥かな昔から約束されて来た通りに、実際に行われたこの愛の御業を見て、また聞いて信じたものに、この永遠の命の恵みが約束されたわけです。
 真実なる神様は、約束を果たす方で、実際果たしてくださいました。その上で更に約束して下さっているわけです。信じる者に、神様の下での永遠の幸せを得るということをです。ですから、クリスチャンは生きていても、地上での生を終えても、幸いなのです。いつも、神様が共にいて、交わりに入れていて下さるからです。これが聖書が教える真理であります。
それでは、少し戻って、み言葉に聞いてまいります。21節から23節。

「21)わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。
(22)偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。(23)御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。」

 ヨハネがこの手紙を書き送った相手は、当時の教会の人々でした。そして、彼等は混乱と不安の中に置かれていました。そのため、ヨハネは最後の使徒として福音の真理、神髄を、改めて心に刻み込みたかったと思っていたようです。混乱の原因でもある、偽教師、異端の教えに対して、正しい福音に立ち帰るように、語っています。間違った道を教えられて迷っている人に、正しい地図を示すような感じです。
 そこで、ヨハネは「あなた方は知っている」と断言します。すでに真理を知っている。先ほどの24節では、「初めから聞いたこと」と言っています。初めに伝えられたこととは何か。それが、つまり、23節の最期「御子を告白する者は、また父をも持つのである。」。
 ナザレのイエス。つまり、十字架で死んで甦られたイエス様を、神の御子だと信じた、その教えです。使徒や弟子たちが、聖霊に満たされて宣べ伝えていた真実は、約束の救い主が遣わされたこと。それが、人となられた神の子、イエス・キリストでした。そして、その方が救いの御業を成し遂げて下さったことでした。これをまた聖霊によって、信じて、告白していました。
 その彼らが混乱したのは、結局、最初に宣べ伝えらえたことと違ったことを主張し、教える人々がいたと言うことになります。それを「偽りもの」と呼んでいます。彼らが語ったことは、「イエスのキリストであることを否定する」ことでした。「父と御子とを否定する者は、反キリストである。」と重ねて説明しています。父なる神様と、御子イエス・キリストの関係を否定していた、ということです。当時から教会を悩ましていた異端である、グノーシス主義では、イエス様を神の御子、つまり父なる神と一体の神であるお方と見なしていませんでした。イエスはただの人であって、洗礼を受けた時に聖霊が降って、特別な力を得て、十字架で死なれた時に、聖霊が離れて行った・・というようなことを、さも真実のように主張していました。
 全能の神が行われた、宇宙の歴史上に一回限りの、究極の救いの御業は、確かに超自然的なもので、人間の知恵だけでは、理解や納得できないものです。頭に中で、知性だけで、何とか納得できるように、と考えだすと、人間は勝手なお話を作り上げてしまいます。当時も、特に学識があったり、地位が高かったりするような人々が、このような異端に迷い込んでいきましたから、多くの信徒が惑わされたようです。
 もうすでに、いくつかの福音書や書簡など、新約聖書が認められつつあった時代ですが、まだ全て確立されていない時代でもあり、偽典も多く出回っていましたから、より混乱は激しかったはずです。そのため、この後、徐々に正典の確立や、偽教師を防ぐために、教会制度や教職の確立。信条の作成などが、聖霊に導かれて勧められていくことになるわけです。
 戻りますと、真理とは、イエス様がキリスト、救い主であり、神の御子であること。これが世界の真理であり、これを信じて告白して、永遠の命に入れられるのであります。ここでは「父を持つ」と言われています。ヨハネ福音書8章19節(151頁)
「すると、彼らはイエスに言った、「あなたの父はどこにいるのか」。イエスは答えられた、「あなたがたは、わたしをもわたしの父をも知っていない。もし、あなたがたがわたしを知っていたなら、わたしの父をも知っていたであろう」。」
 御子は御父と一体であって、御子イエス・キリストを知らなければ、神さを知ることはできません。神の愛は、御子のうちに完全に現わされているからです。御子を神の御子であること。その方がなさった御業を知ることなく、愛なる神様を知ることはかないません。当然、交わりを得ることもできるはずがないのです。キリストのみが神のみもとに導く唯一の道であります。
 福音の基本であり、根本です。聖書を信じるとは、まさにこのことを信じる事ですが、人がその知恵だけで神を知ろうとするとき。真理を理解しようとすると、聖書を離れて、神が語っておられない勝手な解釈を造りだしてしまうのであります。これは時代を超えた人の常でもあります。み言葉から離れることの危険性を、ヨハネは早くから指摘しています。そこで、24節からもう一度お読みしますと。

「(24)初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい(命令)。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。
(25)これが、彼(αυτος)(御子:御子)自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。」
 「初めから聞いたことが、とどまるようにしなさい」。初めから聞いたこと。これは、福音の
み言葉であります。み言葉そのものに留まることが、安全な道であると言うことです。み言葉を通して働かれる聖霊が、救いに至る信仰を与えて下さいます。本日のみ言葉全体の中で、ヨハネが人々に、命令形で教えている箇所が2カ所だけあります。その一カ所目が、24節の「とどまるようにしなさい」です。ストレートに訳すと「留めなさい」とか「留まらせなさい」と言う意味になります。つまり、福音のみ言葉を、わたしたちの内に留め置きなさい、と教えてます。
 もう一ヶ所は27節です。
「27)あなたがたのうちには、キリスト(αυτος)(御子:御子)からいただいた油がとどまっているので、だれにも教えてもらう必要はない。この油が、すべてのことをあなたがたに教える。それはまことであって、偽りではないから、その油が教えたように、あなたがたは彼(αυτω)(御子:御子)のうちにとどまっていなさい」
 最後の「彼のうちにとどまっていなさい」ということです。「彼」というのは、御子キリストのことです。ここでは、最初の命令、「聞いたことをうちに留めなさい」を、どうすればよいのかが教えられています。「あなたがたのうちには、キリスト(αυτος)からいただいた油がとどまっている」。そして「この油が、すべてのことをあなたがたに教える。」直前の2章20節を見てみましょう。
「20 しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。」
  続いて一ヶ所、聖書を引きます。ヨハネによる福音書15章26節(168頁)
「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。」

 注がれた油が、すべてを教えてくれる。つまり油は「聖霊」のことです。イエス様を、御子キリストと証ししてくださるのは、御霊のみであります。ヨハネが手紙であえて「油」と表現しているのは、この油はギリシャ語で「χρισμα」(クリスマ)と言います。油注がれたものと言う意味の、キリストの語源です。22節で「キリストを否定する者」が「反キリスト」と断じていますので、それに対してキリストを受け入れる者、キリストを証しする御霊を「油」クリスマ、と表現していると思われます。
 ヨハネは、私たちに、福音すなわち、神のみ言葉を、こころに留めないさい、と諭しました。しかし、これは元々、私たちが努力したり、修行したり、学ぼうとしてできることではないということです。イエス様が遣わして下さった御霊が、私たちの内に、入ってとどまって下さる、という性質のものです。既に頂いているものです。御子を告白すること、信仰は、御霊によるしかありません。
 では、なぜ私たちに「留めなさい」と勧めるのか。頂いた御霊、信仰は、本当に幸いなことに、何の努力も苦労もせず、ただ頂いた幸い。神様からの一方的な恵みであります。ですから、ややもすると、私たちはこれを軽んじてしまう、ということです。しかし、私たちは何の苦労もせず、与えられていますが、この恵みを与えて下さるお方が、与えるために、どれほどの苦難と、苦痛を味わわれたか、犠牲を払われたかを思い起こしたいと思います。
 キリストが天から、み言葉を通して与えられ、とどまっていてくださる御霊に、より一層満たされるために、与えて下さった方、御子イエス・キリストを思うこと。「イエス・キリストに留まりなさい」と教えられました。留まること、繋がっていること。それは、主が私たちにして下さっていることです。私たちは、み言葉に聞きつづけ、その確信と喜びを新たにして、そこから離れて行かないように、したいと思います。
 その先に、御子が約束して下さった、永遠の命。喜びに満たされた天の交わりが、待っているからであります。

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