惜しみなく与える

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惜しみなく与える

1 主をほめたたえよ。
主をおそれて、そのもろもろの戒めを
大いに喜ぶ人はさいわいである。

2 その子孫は地において強くなり、
正しい者のやからは祝福を得る。

3 繁栄と富とはその家にあり、
その義はとこしえに、うせることはない。

4 光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。
主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。

5 恵みを施し、貸すことをなし、
その事を正しく行う人はさいわいである。

6 正しい人は決して動かされることなく、
とこしえに覚えられる。

7 彼は悪いおとずれを恐れず、
その心は主に信頼してゆるがない。

8 その心は落ち着いて恐れることなく、
ついにそのあだについての願いを見る。

9 彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。
その義はとこしえに、うせることはない。
その角は誉を得てあげられる。

10 悪しき者はこれを見て怒り、
歯をかみならして溶け去る。
悪しき者の願いは滅びる。詩編 111篇 1節から10節

○「9 P彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。Tuその義はとこしえに、うせることはない。
Qその角は誉を得てあげられる。
10R 悪しき者はこれを見て怒り、W歯をかみならして溶け去る。(消え去る)Ta悪しき者の願いは滅びる。」

 詩篇112篇、9節10節のみ言葉でございます。今朝は、先週の111篇続いて、112篇のみ言葉に聞いてまいりたいと思います。
 讃美歌集である詩篇は、永遠に神様の栄光を表わし、これを喜ぶという、人が存在する、おもな目的。その讃美を教えてくれる神様の言葉です。この讃美集は、5巻に分けられていることは、
度々見て参りました。
第1巻は、個人の日々の生活、人生の様々な境遇における讃美。私と神様との増し割を歌います。第2巻は「私たち」という共同体の讃美。イザヤ書に「主のしもべの歌」と呼ばれる歌が幾つかありますが、そこでは主のしもべが、約束のメシヤとイスラエルの民、両方を指していて、共同体の讃美は、キリストを頭とする一つの体である、主にある人々。教会の讃美と言えます。第3巻は、主の民の生活の基盤、礼拝における讃美です。讃美は礼拝と共にあり、礼拝は御国の交わりの前味であり、主に召された地上の伝道の務めでもあります。第4巻では、礼拝の対象。礼拝を成立せしめる御霊のぬし。主の王権の讃美になります。
そして、第5巻讃美とは何か、ということが教えられていきます。第5巻はさらに五つの小歌集に分かれており、111編と112篇は第1歌集に含まれています。第1歌集のテーマは、讃美は主なる神への感謝から生まれる。主に感謝して褒めたたえよう、讃美への招きであります。その中で、感謝すべき理由。感謝の内容が教えられているわけです。

先週の111篇は、「主を褒めたたえよ」で始まる、ハレルヤ詩篇。その始まりでした。1行ごとに、最初の文字がヘブル語のアルファベット順に並んでいる、あいうえお作文の形で書かれていました。そこで、讃美を生む主への感謝が歌われています。その感謝は、主のみわざに対する感謝でした。主のくすしいみわざ。それは、主の恵みとあわれみの深さを表わしています。その、みわざの中心は「あがない」ということです。主があがない主を送って下さいました。そして、この恵みのみわざは、主が、ご自身の御名によって立てられた「契約」に基づきます。永遠の約束が果たされたのだ、という、恵みの契約のみわざ。そのくすしさへの感謝から生まれる、讃美への招きでありました。

そこで、つづく112篇に聞いて参りましょう。1節2節。

「1 H主をほめたたえよ。(ハレルヤ) A主をおそれて、そのもろもろの戒めをB大いに喜ぶ人はさいわいである。
2 Gその子孫は地において強くなり、D正しい者のやから(世代)は祝福を得る。」
 112編も、形としては111編と、全く同じです。「主を褒めたたえよ」で始まる、ハレルヤ詩篇で、同じく、行頭の一文字目がアルファベット順に並んだ、あいうえお作文になっています。
111編と112篇は、一対とみて良いかもしれません。111篇では、主のみわざへの感謝が歌われていました。そして、続く112篇では、「主の戒め」への感謝から始まっています。
 「主をおそれて、そのもろもろの戒めを 大いに喜ぶものはさいわいである。」
最初のハレルヤを除いた一行目は、アルファベットの一文字目から始まります。それは、ℵ(アレフ)。A(ア)になります。「ア」で始まっている、と言うと、思い出されるかも知れません。詩篇の1篇です。1篇の第1行は、「アシュレイ」で始まっていました。「幸いである」と言う意味です。その幸いな人とは、「主のおきてを喜び、昼も夜もそのおきてを思う。」口ずさむ、そのような人だ、と歌っていました。1篇の「掟は」律法と言う言葉でしたが、112篇では命令になっています。「アシュレイ」幸いである、ではじまり、幸いは主のもろもろのご命令を喜ぶ人に備えられていると歌い出しています。
 主の戒め、ご命令は、み言葉である聖書によって教えられ、私たちを幸いへ導いてくれるのであります。その幸いとは、私たちを強くするもの。み言葉には、それに聞き、喜ぶものを強くする力があります。それも、その子孫に至るまで。戒めとは、実に祝福であることが教えられました。

 続く、3節から6節をお読みいたします
「3 H繁栄と富とはその家にあり、Wその義はとこしえに、うせることはない。4 Z光は正しい者のために暗黒の中にもあらわれる。HT主は恵み深く、あわれみに満ち、正しくいらせられる。5 Te恵みを施し、貸すことをなし、Yその事を正しく行う人はさいわいである。6 K正しい人は決して動かされることなく、Lとこしえに覚えられる。」

 先ほど、2節に「正しい者」という言葉がありました。さらに続いて、今お読みした3節から6節でも、「正しい」と言う言葉が4回も出てきます。つまり「主の戒め」から、正しさにつながって、主のもろもろの戒めが、正しいことの基準であることが表されています。
 正しいこと。「義」ということですが、それは、4節の2行目にあるように、主が正しくいらせられるから、であります。正しいとは、主のご本質であり、完全な正しさは主ご自身の内にある、ということです。ですから、主を恐れ、その戒めを喜ぶものは、主の正しさに与っている、ということになります。主のみ言葉に従う幸いは、私たちを強くし、正しさへと導いてくれるものであります。そこから、繁栄の賜物もまた与えられる、ということになります。
 ただ、この正しさは、主の正しさであって、私たちが正しくはあれないこと覚えなければなりません。ただ、完全に正しくあられた、神の御子イエス・キリストに結びつけられることで、同じく、正しいと見なされるだけ、ということです。正しくなくとも、正しいとされ、子として扱って下さる。そこに、主の正しさが、恵みふかく、憐れみ深いものであることが告白されます。

 
 では、私たちが正しくある、ということはどのようなことを言うのでしょうか。6節の後半で、
「6 K正しい人は決して動かされることなく、Lとこしえに覚えられる。」
 と、歌われていました。正しい人は動かされない。自分が動かない、堅く立っているのではなく、主が動かされないように、保っていて下さる、ということです。主は私たちをご存じで、とこしえに、つねに覚えていてくださいます。主が、ご自身の内に私たちをとどめて下さるのであります。このように、主がご自身の正しさ中に、私たちを罪人を置き、守り、保っていて下さることで、私たちは平安を得ることが適うわけです。7節。8節。

「7 M彼は悪いおとずれを恐れず、Nその心は主に信頼してゆるがない。
8 Sその心は落ち着いて恐れることなく、Ayついにそのあだについての願いを見る。(敵を恐れず見る)」

 主の戒めが私たちに求める正しさは、結論的に「主に信頼する」ところにあります。主が表されたくすしいみわざを覚え、恵みの深さ、憐れみの深さを覚えて、その主に信頼すること。主がつかまえていて下さいます。だから、悪い訪れを恐れずにいることが適います。世が乱れ、困難が訪れる時ほど、クリスチャンが強い、ということはこの点にあります。主が、強くあられる。御子にあって、天地の主権者がわれらの父である。この主に信頼しておれば、恐れることは無いのであります。
 主への信頼が、弱く、乱れやすい私たちの心を、落ち着かせてくれます。「あだについての願いを見る」というのは、少し分かりにくい表現ですが、敵を恐れることなく見ることが出来る、という意味です。世の悪に対して。またサタンに対して。注意することはあっても、必要以上に恐れおののくことがなくなります。なぜなら、全ての悪と、死に勝たれた、主を恐れるからであります。そして、真に恐れるべき方は、私たちを、限りなく愛したもう方であります。

 9節以降

「9 P彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。Tuその義はとこしえに、うせることはない。
Qその角は誉を得てあげられる。
10R 悪しき者はこれを見て怒り、W歯をかみならして溶け去る。(消え去る)Ta悪しき者の願いは滅びる。」

 ここから、「正しい人」が誰を表わすのか、少しいらいできます。これまでは、主を恐れ、その戒めを喜ぶ人。主の民、私たち救われた者でありました。ところが、9節以降では、それが、二重の意味を持ってくるように見えます。
 確かに、戒めを守る正しい人・・として繋がっていますが、この「彼」は、明らかにメシヤ。救い主イエス・キリストをその射程に入れていると言えます。
 とこしえの義 角を高く挙げる

「彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。」

 与えると言う意味の言葉が重ねて使われています。与えて、さらに与えられた。惜しげなく。の語源は、散らす、ばら撒くといったいみです。
広く、惜しみなく、全てを与えらえた。貧しいものに。
 
 それによって
とこしえの義を得られた。
 この方の義にあずかる。
 
 どこまでも従順であられた方。あらゆる、苦難を受けられた方。
(続く)

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