救いうる名はひとつ
(5)明くる日、役人、長老、律法学者たちが、エルサレムに召集された。
(6)大祭司アンナスをはじめ、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな集まった。
(7)そして、そのまん中に使徒たちを立たせて尋問した、「あなたがたは、いったい、なんの権威、また、だれの名によって、このことをしたのか」。
(8) その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、
「民の役人たち、ならびに長老たちよ、(9)わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人がどうしていやされたかについてであるなら、(10)あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。(11)このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。(12) この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。使徒行伝 4章5節から12節
「(11)このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。(12) この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」
使徒行伝4章1節から12節のみ言葉でございます。今朝も、使徒行伝のみ言葉に聞いてまいりたいと思います。
本日お読みいただきました、4章の前。使徒行伝3章では、ペテロによるエルサレム神殿での伝道が描かれておりました。福音宣教はイエス・キリストが告げられた通り、まずエルサレムから始まります。ただし、ユダヤ民族に限定するのではなく、イスラエルの神・主の神殿に参拝していた「ユダヤ教」の人々。主を信じる人に対して行われていきました。 アブラハム・イサク・ヤコブの神という表現も先祖の神というのも、単に血縁、単一の民族を表わしているのではなく、恵みの契約の内にあるもの。契約の民を意味しています。パウロは信仰によるアブラハムの子孫、という表現をしました。
使徒たちは同じ、唯一の生けるまことの神・天の父なる神様と、その神様のみ言葉である、聖書を共に与えられた人々に対して、福音をのべ伝えて行きます。なぜなら、その聖書に記された預言の成就。救い主メシヤ、油注がれたものが、この地上に、とうとう来られたから。聖書が明かす通り、メシヤがご自身の民から苦しみを受け、そして死んで甦る方であり、それが、彼らが十字架に架けたナザレ人イエスに他ならないからであります。
さらに、そのような、深い罪を犯した者に対して、父なる神様が、「帰って来なさい、父のもとへ立ちかえりなさい」と、呼びかけておられる、そのような招きでありました。救い主なる御子イエスを信じることで、父なる神のもとに子として迎え入れられる。神との交わりが回復される。神様はそれを喜び、待っておられる。ペテロが伝えたことです。その証拠に、イエスの名による癒し、という奇跡が表されました。
こうして、ペテロとヨハネが行った癒しの奇跡と、聖書を解き明かす説教によって、この日、およそ5,000人の人がイエス・キリストを信じた、と4章の4節に記録されています。
「しかし、彼らの話を聞いた多くの人たちは信じた。そして、その男の数が五千人ほどになった。」
エルサレムの町で3,000人、そして神殿で更に5,000人もの人が、イエス様を救い主と信じる、クリスチャンとして加えられていきました。恐ろしい勢いで、数を増していくクリスチャンに対して、ここから「迫害」が始まってまいります。
キリスト教宣教の歴史というものは、3つの歴史として見ることができます。一つは、迫害の歴史。もう一つは「宣教の誤り」の歴史であります。この世からの迫害、弾圧と共に、教会自身の様々な過ちや失敗。これが宣教の歴史であります。世の人々も、地上の教会もともに罪の下にあって、間違い続けます。しかし、その誤りの歴史の中を通して、聖霊が働いて下さり、神様の言葉、真の福音が、現代にいたるまで変わることなく、保たれ、届けられて来ました。これが3つ
目。つまり、世の不信仰、教会の間違い、聖霊の導きの歴史であります。
宣教・伝道は御霊なる神様ご自身の御業であること。主が、時代時代、その時々。世界のあらゆる、本当に片隅で、様々な人を召して、お用いになって、イエス・キリストの宣教が進められたことは、歴史の中に明かにされています。このような、今に続く、聖霊による宣教。その始まりが、使徒行伝に表されているところであります。
さて、宣教を初めて、すぐにおおきな成果をあげた使徒は、迫害の対象となります。4章1節から3節。
「(1)彼らが人々にこのように語っているあいだに、祭司たち、宮守がしら、サドカイ人たちが近寄ってきて、(2) 彼らが人々に教を説き、イエス自身に起った死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て、(3) 彼らに手をかけて捕え、はや日が暮れていたので、翌朝まで留置しておいた。」
ペテロとヨハネは、今で言えば留置場に放り込まれた、ということになります。ペテロたちを捕まえたのは、「祭司たち」「宮守り頭」「サドカイ人」と書かれています。つまり、キリスト教徒への迫害は、まずサドカイ人によって始まったわけです。
それでは、サドカイ人というのは、どのような人たちか、と言いますと、ユダヤの支配層と言われています。大祭司をはじめとする祭司たちや、役人、長老など。宗教的な、あるいは政治や行政的な指導者といった、権力を持った、いわゆる上流階級の人々になります。
政治的には、当時占領されていたローマに対する協力する、現実的な妥協姿勢を打ち出していて、一般庶民とは少し隔たりのある存在でした。一方、大多数を占める人々は、パリサイ派・パリサイ人と呼ばれる人々になります。律法を守ることに熱心で、それで救われると信じていました。また、死者の復活を信じ、メシヤが現われることを待ち望んでいました。ただ、彼らがメシヤ・救い主としてイメージしていたのは、かつてのダビデのように、戦いに強く、地上のイスラエルを守る王、そのような存在でした。
そのため、支配層のサドカイ人は、一般市民が、信仰的な熱心さから、過激な独立運動を起こすような、熱狂的になることを警戒していました。
さらに、サドカイ人は神学的には、死者の甦りや、ひとりひとりの個人的な永遠の命、といった教えについては、これを否定する立場を取っていました。彼らがペテロたちを捕まえたことについて、2節で「イエス自身に起った死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て」と、捕まえた理由が、死人の復活を堂々と、しかもおひざ元の神殿で宣伝したこが、けしからん!となったわけです。その上で、宮の中で、大勢の群衆が一ヶ所に集まるような大騒ぎの原因になりましたから、これを捕まえた、というわけです。
私は、使徒行伝を読んでいると、特に前半を見て行く中で、パリサイ人へのイメージが、少し変わって行きました。福音書でパリサイ人と言うと、イエス様に議論をふっかけたり、揚げ足を取ろうとしたりして、イエス様に叱られている、というイメージで、どちらかと言うと敵キャラ扱いなのですが、サドカイ人と比べると、むしろ信仰が厚く、神様の律法を大切にしていて、最初の伝道の対象となった人達だったことが分かります。
イエス様を十字架に架けてしまった、と責められますが、彼らを扇動して、声を上げさせたのはサドカイ人の方でした。地上で力を持つことは、それ自体悪いことではありませんが、どうしても世的なことに目が向いて、み言葉を取捨選択し、神中心ではなく人間中心。霊よりも肉優先へと引っ張られやすくなります。その意味で、地上では多少窮することがあっても、霊的に恵まれることの幸いを覚えたいと思います。
さて、ペテロたちは癒しの奇跡を行い、イエス様の復活を宣伝し、この方こそメシヤだ、と証しして行きました。神殿に参拝していた人々が、5,000人も彼らの言葉を信じ、受け入れることになりました。ある意味、事件ではあります。そこでサドカイ人は、捕まえた使徒を、裁判にかけることにしました。5節から7節をお読みします。
「(5)明くる日、役人、長老、律法学者たちが、エルサレムに召集された。(6)大祭司アンナスをはじめ、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな集まった。(7)そして、そのまん中に使徒たちを立たせて尋問した、
「あなたがたは、いったい、なんの権威、また、だれの名によって、このことをしたのか」。」
行政の役人、民の指導者・長老、そして学者。多くは律法主義のパリサイ派の学者でしたので、律法学者と言われます。さらに、大祭司とその一族郎党、という顔ぶれになります。この集まりは、いわゆるサヘドリンと言われます。ユダヤの最高裁判のような、司法的にも行政的にも最高決定権をもった機関ということになります。イエス様も、ピラトの元に送られる前に、このサンヘドリンで審問を受けていました。
ペテロたちも同様に尋問を受けました。ただ、この尋問を見ますと、不自然な点があります。最初、サドカイ人が使徒を逮捕したのは、宮の中で「イエス自身に起った死人の復活を宣伝」した事にいら立ったためでした。しかし、裁判では「なんの権威、また、だれの名によって、このことをしたのか」 と尋ねています。現代で言えば、逮捕理由と、起訴理由が違うような、別件逮捕のような感じがします。この裁判では、サドカイ人だけではなく、パリサイ人も一緒にいました。パリサイ人は「死者の復活」を信じていましたから、それを表立った罪状として挙げなかったと考えられます。
サドカイ人は、自分たちが信じていない教え。神学的な違いに目を瞑って、パリサイ人を味方につけて、使徒たちを裁こうとしていることが分かります。支配層、指導者として、大多数を占めるパリサイ人に対して、気を使っているようにも思えますが、どちらかと言うと、本音を隠して利用しようとしているような、上手く操ろうとしている、と言った、非常に上から目線が感じられます。こうした、階級に捕らわれた振る舞いや考えは、やがてキリストの教会の中にも見られるようになりますが、それはさらに、数百年の後のことになります。
サドカイ人の政治的な思惑が込められた尋問が行われましたが、聖霊はこのような、世の思いをもお用いになります。かえって、ペテロの力強い弁明、キリストの証しが表されることになりました。8節以降をお読みいたします。
「(8) その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、
「民の役人たち、ならびに長老たちよ、(9)わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人が どうしていやされたか についてであるなら、(10)あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。(11)このイエス(原文に無い)こそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』(詩118:22)なのである。(12) この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。」
捕まって、留置場に一晩入れられて、最高裁判所で尋問されました。そこで、ペテロは語りだします。彼の内は聖霊が満たされていました。今朝のメッセージは、このペテロの言葉にあります。ここまでは、宣教の流れを見てまいりました。使徒行伝では、変わらぬ福音のみ言葉と、その背景として流れて行く歴史が描かれます。そこに主の御計画、奇しい御業が表されています。
さて、使徒たちが問われたことは、彼らが行った癒しの業が、何の権威、誰の名によるものか、というものです。この問いの源は、申命記13章1~3節。次のように書かれています。
「あなたがたのうちに預言者または夢みる者が起って、しるしや奇跡を示し、あなたに告げるそのしるしや奇跡が実現して、あなたがこれまで知らなかった『ほかの神々に、われわれは従い仕えよう』と言っても、あなたはその預言者または夢みる者の言葉に聞き従ってはならない。あなたがたの神、主はあなたがたが心をつくし、精神をつくして、あなたがたの神、主を愛するか、どうかを知ろうと、このようにあなたがたを試みられるからである。」
サドカイ人たちは、使徒の口から「これまで知らなかった『ほかの神々』」が告げられることを期待していたのでしょうか。もし、イスラエルの神「主」以外の名が出たなら、パリサイ人たちを巻き込んで、直ちに冒涜の罪や、異教徒として排斥することができます。
ペテロは、この意図を理解して応えて行きます。まず、彼らの行いは、悪いことではなく「病人に対する、良いわざ」だ、と言うことを確認しました。罪の行いではない良いことである。その上で、その良いわざが、何の権威、誰の名によるか、ということ。ここで、ペテロが口にしたのは、エホバではなく、イエス様の御名でした。しかし、その方は
「あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせた」
甦らせたのは神である。死者をよみがえらせることが出来る方、命の主権者は「主」なる神様
のみであります。それを「家造りが捨てた石が隅のかしら石となる」と説明する、詩篇118篇22節を引用して証ししました。
イエスを十字架に架けたこと。その後甦ったと評判になっていること、それが主の救いのわざ
として聖書に預言されていたという解き明かし。大勢の目の前で病人が癒されたこと。ペテロの明確な答は、サドカイ人の思惑を全て覆す救いの宣言となりました。
「(12) この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」
ペテロの弁明は、福音の一番真ん中。最も凝縮された真実。神のもとへ立ちかえる、永遠の命への救いは、唯一「イエスの名による」。罪人を救いうるのは「イエス・キリスト」のみであり、その他には一切の名は与えられていない、ということ。福音伝道の始まりに、聖霊が語らせたのは、イエス様のみが救い主である、この方を信じよ、というただ一つのことであります。
また、それが人の思いによって、いかに曲げられ易いかを歴史は証明しています。常にみ言葉戻って、神が与えて下さった福音に立つことが出来ますよう、聖霊の導きを祈ります。