私にあるもの
さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。
ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。
民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。使徒行伝 3章1節から10節
○(6)ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
(7) こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、(8) 踊りあがって立ち、歩き出した。
使徒行伝3章6節7節のみ言葉でございます。先週のペンテコステと、その少し前にも使徒行伝に聞いてまいりました。今までも、取り上げておりましたが、部分的でしたので、今回は使徒行伝を続けて見て参りたいと考えています。
使徒行伝を学んでいくことは、内容自体もそうですが、新約聖書全体を俯瞰する上でも、重要な視点が与えられることになります。新約聖書27巻のうち、半数近く、13通あるパウロの書簡が、いつ、どのような流れ、状況で、誰に何のために書かれたか、ということが、使徒行伝と照合することで、より分かり易くなってまいります。これは書簡の理解を深めるうえで、助けとなってきます。初代教会が生れ、発展していく過程が描かれた使徒行伝は、新約聖書を貫く、梁、横軸のような存在だと言えると思います。
この、使徒行伝の全体の構成は、幾つかの分け方、視点から見ることが出来ます。例えば、地理的な面から。これは、キリスト伝道が進む地域になりますが、1章8節でイエス様が弟子たちに言われたお言葉の通りとなっています。1章8節(P180)
「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」
実際、使徒行ででは、まず「エルサレム」。次いで「ユダヤ・サマリヤ」。そして「地の果てまで」と言うように、三つの地域に段々と広がりながら、福音の伝道が展開していきます。
ざっくり章で分けますと、1章から7章がエルサレム。8章から12章がユダヤ。サマリヤ。13章以降が、地の果てまで。エーゲ海を超えて、最後は、パウロが囚人としてローマに行くところまでとなっています。
次に、中心となる登場人物。伝道者で分けて見ますと、前半はペテロ。後半はパウロ。この二人の行動を追う形で記事が進んで行きます。パウロは、8~9章から、サウロとして出てきますが、その宣教活動が描かれていくのは、13章以降ということになります。先ほどの地理的な視点と併せると、パウロは「地の果てまで」に該当しています。
これを、宣教の対象で見ると、ペテロはユダヤ人に対して。パウロは異邦人に対して用いられた、という見方もできます。二人の伝道は、主にユダヤ人と異邦人に分けられることは確かですが、対照的に切り分けて、分断してしまうことは棄権な面があります。最初に完全な異邦人の回心に出会ったのはペテロでしたし、パウロの宣教も、各地のユダヤ人の集会所。シナゴグで行われていきます。二人を対立的に置くよりは、その共通点を見て行く方が、より深く、使徒行伝のみ言葉に触れることが出来ると思います。
ここまで、使徒行伝の構成を、分類する形で見てまいりましたが、全体を通して共通する点。
一貫している点について、お話したいと思います。
それは、先々週・先週と見て参ったところになります。まず、ルカ福音書の最後で、イエス様が弟子たちに、ご自身が約束の救い主であることを、旧約聖書全体から解き明かされました。聖書が教える救い主、メシヤの予言がどういうものかを、三点に要約して教えられていました。それは、メシヤは「受難すること」「復活すること」「のべ伝えられること」。イエス様の御名による赦しが、もろもろの国民にのべ伝えられる、ということでした。
この三つ。十字架と、復活と、イエスの御名による赦しの宣教の拡大。これがそのままテーマとなって、使徒行伝を貫く、大きな三本の柱として、全体を支えているということであります。
さらに、全体で共通すること。それは、使徒行伝の主人公が、聖霊である。聖霊なる神様であるということであります。
この使徒行伝は、共同訳では使徒言行録、新改訳では使徒の働き、という書名になっています。先ほども申し上げましたように、著者であるルカは、前半はペテロ、後半はパウロの働きを辿るように記録していきます。ペテロとパウロを中心に、ステパノ、ピリピ、バルナバ、ヨハネやマルコ、テモテらの働きがあります。ルカ自身も名前は出てきませんが登場します。せっかくなので、一ヶ所見てみましょう。使徒行伝16章10節(P208)
「パウロがこの幻を見た時、これは彼らに福音を伝えるために、神がわたしたちをお招きになったのだと確信して、わたしたちは、ただちにマケドニヤに渡って行くことにした。」
ここで、「私たちは・マケドニヤに・・行くことにした」と書かれています。直前の6節では、
「それから彼らは、アジヤでみ言葉を語ることを聖霊に禁じられたので、」 と三人称で書いていて、10節以降急に「私たちは」と一人称に変わっていますので、ここからルカがパウロに同行し始めたのかもしれません。
少し話がそれましたが、使徒行伝では、多くの使徒や伝道者の働きが描かれていきますが、その宣教の働きの主体、最初から最後まで通して働く主人公は、主ご自身。おもに聖霊なる神さまであるということであります。先の16章6節でも「言葉を語ることを聖霊に禁じられた」と書かれている通り、著者であるルカ自身、この宣教が聖霊の御業であることを確信して、記録していったことが分かります。
先週のペンテコステでも見て参りましたように、福音の宣教は、イエス様が天から遣わして下さった、聖霊の降臨により始まりました。先生と呼び、師と呼び、主と呼んでつき従っていたイエス様が、あろうことか、神に呪われた罪人として、十字架で死なれ、打ちひしがれて混乱していた弟子たちが、復活のイエス様と会って、心を開かれて、様々な教えを受けました。
十字架と復活。御名による赦しの宣教。つまりイエス様こそが、約束の救い主で、イエス様を信じる信仰による救いを、のべ伝えるのが、弟子たちに命じられたことでした。しかし、その働きは、何しないことから始まります。イエス様が約束の助け手を送る、その時まで待っていること。福音宣教のための、最初の行動は、ひたすら祈って待つことでした。まず、祈りから始めるということであります。
そして、ペンテコステの朝、その時が訪れ、聖霊が降りました。この聖霊に満たされて、弟子たちは、作り変えられました。ペテロは、聖霊に押し出されて、それまでと打って変わって大胆に、力強く、イエスさまを証ししていったのであります。使徒行伝は、そのまま聖霊行伝の記録であります。それは、この時以来、今もまた続いている、終末に向かっての終わりの時であり、聖霊による伝道のために、私たち一人一人が召されておるということでもあります。この聖霊が働かれる、み言葉の力に、私たちはいっそう信頼してまいりたいと思います。
こうして、聖霊に満たされたペテロの説教によって、多くの人が回心し、宣教が広がり始めました。彼らは、生活を共にし、不足を分け合い、心を一つにして礼拝を捧げ、パンを裂き、神を讃美していました。教会生活が始まっていきます。そして2章43節では
「みんなの者におそれの念が生じ、多くの奇跡としるしとが、使徒たちによって、次々に行われた。」
使徒たち。イエス様に召されたもの達には、特別な力が与えられました。使徒自身の力ではなく、聖霊が働く器として用いられ、多くの奇跡としるしが行われたたとあります。本日お読みいただきました箇所は、まさにその印の一例ということになります。
3章1節から3節をお読みいたします。
「(1)さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、(2) 生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。(3) 彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。」
2章46節で「絶えず宮もうでをなし」とあるように、ペテロとヨハネは、この日も神殿を訪れました。そこで出会ったのが「生れながら足のきかない男」 であります。彼は、生まれながら足がきかず、生活の糧を得るため、人が集まり、しかも敬虔な心になる神殿で物乞いをしていました。それも、人にかかえられて「美しの門」に置かれていました。未完了過去形なので、これは繰り返す、いつものことだったようです。そして、通りがかったペテロとヨハネに、施しを願ったところです。
これにペテロが答えます。4節5節。
「(4) ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。(5) 彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、(6) ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。
短いやりとりですが、ペテロは、慎重に言葉を選んでいます。まず、注意喚起しています。これから行われることは、ただの施しや善行ではなく、奇跡の業でした。そのために、足の悪い男性が、集中するように。私たちを見なさい、と命じています。そして、答えたことは、第一に、ペテロは、男性がその時望んだものは与えられない、ということでした。「金銀は私たちにはない」。その瞬間、男性はどう感じたでしょうか。わざわざ、見るように言われて、注目していたら、お金はないというのです。失望か、怒りか、あるいは戸惑いでしょうか。
そこで、ペテロは続けました。
「しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。」
ここは、大変簡略化されています。ペテロは、金銀財産はもっていないが、私にあるものをあげよう、と言い、それは、イエス・キリストの御名による癒しでした。キリストの御名によって歩きなさい、とはキリストの御名にあって。ナザレ人イエスをキリストと信じて、ということになります。ペテロにあったものは、ペテロ自身が与えられた、救い主イエス・キリストへの信仰。そして、人を癒し、罪をゆるす子ができる、天地の主権者イエス様の権威が、聖霊によってペテロのうちにありました。
この、美しの門の癒しの記事から、ヨハネ福音書9章の、イエス様による「生まれつきの盲人」の癒しを思い浮かべました。その要素もありますが、もっと近いのは、やはりルカ福音書5章の中風の人の癒しだと思います。
そこでは、家の中でイエス様が人々を教え、癒しておられるところに、屋根をはがして、天井から中風の人が床に乗せたままつり降ろされました。そこで、「イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われ」ました。これに対して律法学者たちが、神にしかできない罪のゆるしを口にするのは、冒涜だということを議論し始めます。これに対して、イエスは次のようのお答えになりました。(ルカ5章22後半~25節)
「(22)「あなたがたは心の中で何を論じているのか。(23)あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。(24) しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。(25) すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。」
つまり、イエス様は、地上で罪をゆるす権威をお持ちの方であること。すなわち神の子メシヤで、地上の全権を持ったお方であることを明かされました。その証のために癒しの業をおこなわれていたと言われています。ここでのイエス様の癒しの業は、まず、信仰を見られたこと。そしてイエス様自らがお命じにならえたことが教えられています。
それでは、ペテロの場合はどうかというと、彼が語ったのは、「イエスの御名によって歩きなさい」ということでした。つまり、赦す力を持つ方、イエス・キリスト信じて歩きなさいということであります。ペテロの内にあったもの、聖霊によるイエス様への満ち溢れる信仰でした。
その結果3章7節から。
「(7) こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、(8) 踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。(9) 民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、(10)これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。」
美しの門の癒しのもう一つのしるしは、いつも門に置かれていた者。儀式律法の汚れから、宮に入れない。汚れとされ、宮から除外された弱い者。足の不自由な人を癒すことによって、神の救いの御手が届かない人がいるという考えを覆し、世界のあらゆる片隅迄、イエス様の罪に赦しが及ぶことを示したのであります。全世界に広がる救いの始まりであります。