人生を変える御言
(32)彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、
『彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、
また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ小羊のように、
口を開かない。
(33)彼は、いやしめられて、そのさばきも行われなかった。
だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、
彼の命が地上から取り去られているからには』。
(34)宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。(35)そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。(36)道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。〔(37)これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。〕
(38)そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。(39)ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。」使徒行伝 8章 32節から39節
○「(38)そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。(39)ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。」
使徒行伝8章38節から39節のみ言葉でございます。ここでは「ピリポの宣教」または「ピリポのエチオピヤ人伝道」と言われる、出来事が記されています。今朝はこのみ言葉に聞いてまいります。
ここでは、登場人物が二人います。まず一人はピリポ。このピリポは、使徒行伝6章5節で任命された、7人の執事の一人です。12使徒のピリポではなく、執事ピリポになります。ピリポが選出された時、殉教者ステパノも、ともに執事になっています。ピリポの伝道は、ステパノの死の後。その死と、迫害から始まることになりました。
そして、もう一人はそのピリポから洗礼を受けることになった「宦官(かんがん)」。この人は、エチオピヤの高官で、女王の財産管理をしていた、高い地位にあった人になります。エチオピヤ人の宦官が馬車で聖書を読んでいたところに、ピリポが現われました。この二人の出会いについて、直前のみ言葉をお読みします。8章の26節から31節(新約194頁)
「(26)しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。(27)そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、(28)その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。(29)御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。(30)そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。(31)彼は「だれかが、手引きをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。」
主の使いがピリポに南へ向かうように命じました。ピリポはみ使いの言葉に従って、ガザに向かう、荒野の道を歩き始めたわけです。この直前、ピリポはサマリヤへ伝道に来ていて、そこで大きな収穫を得ていました。ピリポは、キリストをのべ伝えながら、悪霊を追い出し、病を癒すといったしるしを行い、多くの人々が洗礼を受けていました。サマリヤはかつて、イスラエルの一部でしたが、南北分裂後にアッシリヤの占領地となったことで、他の様々な民族が入り込んだため、南ユダの系譜にあるユダヤ人たちはサマリヤ人を純粋な神の民と認めず、蔑視していました。そのサマリヤで、ピリポによって、ぞくぞくと受洗者が出てきたため、教会の中心的な存在であった二人の使徒、ペテロとヨハネが、サマリヤへ出向いて行ったわけです。
このサマリヤは、エルサレムのあるユダヤ地方の北側に隣接していました。サマリヤの更に北側がガリラヤになります。サマリヤの町で奇跡を行い、宣教して、町の人々に喜ばれていた、そのようなピリポに対して、み使いが臨んだわけであります。「南に行きなさい。ガザへ下る道に出なさい」。ガザはエルサレムの南西、100キロほど離れた地中海沿岸の町でした。現在でも、イスラエルとパレスチナの紛争が報じられる際に、ガザ地区と耳にすることがあると思います。
み使いの言葉を聞いたピリポは、その命従って立ち上がりました。大きな成果が上がっていた、サマリヤの町を出て、わびしく廃れつつある、ガザへの道へ進んでいったわけです。
このピリポの姿から、キリスト伝道の大切な本質が教えられます。伝道は、効率を考えるものではない。人の知恵によるものではないということであります。宣教、伝道の主体は御霊。聖霊であり、伝道者はその器に過ぎません。何も考えなくてよい、ということではありませんが、伝道がその実を結ぶのは、ただ、御霊のお働きによるのであり、私たちは御霊の導きをいのり、それに従うということであります。
主が示されるところへ向かう。導いて下さるよう祈りつつ進む。その先が、荒野であっても、廃墟であってもということです。ピリポは、このことを充分に悟っていました。御霊が共におられたからです。サマリヤでの伝道と奇跡の業が、ピリポ自身の力ではなく、主の霊によるのだということを理解し、そして忘れることはありませんでした。人間は、成功し、称賛を得ると、すぐそれに執着し、高ぶり、自分中心になってしまうものです。実際、サマリヤ伝道でも、ピリポから洗礼を受けたシモンという人物が描かれています。この人は、自分の名誉や、金もうけのために、ペテロやヨハネにお金を払って、その力を買い取ろうしました。結局、ペテロから、きつく叱られてしまうことになります。
このあたりの記事は、きれい事だけではなく、誤解や、課題も記されていて、当時の本当にリアルな宣教の姿をみることができます。キリストの教会も地上にあっては罪から逃れ難く、現在に至っても、御霊によって絶え間なく改革され続ける必要があるということが教えられます。
ただ、こうしてピリポが、み使いの言葉に従って、荒れた道へと進むことで、大きな出会いへと導かれました。それが、エルサレムへの巡礼から、帰国の途にあった、エチオピヤの宦官でした。アフリカの国である、エチオピヤの、それも国の非常に高い地位にある高官が、礼拝のためにエルサレムを訪ねていました。女王の財産全てを管理するほどの人ですから、今で言えば財部大臣の訪問になるでしょうか。個人的ではなく、多分に外交的な、それも宗教的な意味でのエルサレム巡礼だったようです。なお、女王の「カンダケ」という名は、女王の称号、呼称で、エジプトの王をパロ、ファラオというのと同じになります。
さて、このずっと大昔。イスラエルが最も繁栄した時代、最初に神殿を建てたソロモンの下に訪れたのがシバの女王でした。シバの女王は、ソロモンの知恵と、その繁栄をもたらした主をほめ讃え、両国は友好な関係を結んだとされています。このシバという国は、完全に確定されていないようですが、エチオピヤだった、という説が残っています。事実、ピリポが伝道したこ記事を見ますと、非常に筋が通っていて、納得させられるものがあります。
ソロモンの時代に伝えられた、聖書がずっとその地で受け継がれて、完全に純粋な形で国教とまでは言えなくとも、廃ることなく守られていた、と考えると、この宦官のエルサレム訪問は、公式なものでも不思議ではないと思います。そして、なにより使徒行伝に書かれている、位置も重要な要素になります。
ピリポはみ使いの言葉に従って、荒れた道へ向かい、エチオピヤの宦官に会いましたが、その直前はサマリヤ伝道をしていました。サマリヤ人は、ユダヤ人ではありませんでしたが、民族的には深い繋がりがありましたし、サマリヤ人はユダヤから認められていませんでしたが、自分達独自で、やはり主なる神様を信じ、メシヤを待望していました。そのようなサマリヤ人に、キリストの福音をのべ伝えてきました。それに続いて、ピリポに与えられたのが、エチオピヤ人です。エチオピヤ人も、聖書を読み、主を崇拝していましたが、完全な異民族、異国民になります。ペンテコステ以降、エルサレムで瞬く間に多くの受洗者が生れ、その後、迫害によって散らされていきますが、その宣教の対象が、だんだんと広がって行く、その過程が描かれています。
使徒行伝の1章8節をお読みいたします。(新約180頁)
「(8)『ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう』。(9)こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。」
先ずエルサレム。次にユダヤとサマリヤの全土。そして、地の果てまで、とイエス様は仰いました。これは、単にだんだん広がって行く、という譬えではなく、実際その通りに宣教が行われて行くことを明かされていました。ピリポは、エチオピヤの宦官に伝道した後、主の霊にさらわれて見えなくなりましたが、その後、アゾト、そしてカイザリヤまで、サマリヤ伝道を続けていくことになります。そして、その先、地の果てまで、と言われた通り、全ての国々。あらゆる民族に、救いの福音、イエス・キリストに御名を伝えるために、主がサウロを召されることになります。それが9章以降に描かれていくことになります。
このように、宣教の大きな流れは、主が示された通りですが、その中でエチオピヤの宦官は洗礼を受けることになりました。彼の個人的な経緯を見てまいりましょう。8章28節の途中から。
「(28)彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。(29)御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。(30)そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。」
宦官は、馬車の中で聖書を読んでいました。おそらく豪華な馬車だったと思われますが、ピリポは御霊の言葉に従って、その馬車に近づきました。そこで、馬車の主人がイザヤ書を音読している声を耳にして、問いかけたわけです。よその国の、高官が載った馬車に近づくことは、相当な勇気がいったことでしょう。万が一、命に係わるかも知れません。それでも彼は御霊言葉に従いました。そして、当の宦官にもまた、御霊が働かれます。彼は答えました。8章31節。
「(31)彼は「だれかが、手引きをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。」
突然近づいてきた、裕福には見えないだろう男のことばに宦官は、素直に答えました。そして、イザヤ書の53章の7節8節を読み、聖書に書かれた意味を問いかけます。私たちは、それが直ちに、メシヤ、救い主、御子イエス・キリストの予言であることは教えられていますが、イエス様を知らない人にとっては、まだ十分に明かされていませんでした。34節。
「(34)宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。(35)そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。」
預言者が教えているのは、誰のことか、どんな意味があるのか。ピリポは旧約聖書のみ言葉を解き明かしていきました。預言の解き明かし。それは、イエス・キリストをのべ伝えることであります。エチオピヤの宦官は、聖書を読み、真理を求めて、謙虚に聞きました。御霊が遣わされたピリポを受け入れて、その解き明かしに耳を傾けました。み言葉に聞いて、そして、宦官の望んでいたものが与えられます。イエス・キリストを神の御子、約束の救い主と信じて、救われること。神の国の民とされ、永遠の命に至ること。その約束であります。み言葉が解き明かされ、彼の心の目が開いた瞬間でした。
「(38)そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。(39)ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。」
信じた宦官は、直ちに洗礼を受けます。これもマタイ28章の大宣教命令の通りと言えます。洗礼を受けて、すぐピリポが見えなくなってしましますが、宦官はそれを恐れませんでした。それどころか、「宦官はよろこびながら旅をつづけた。」のであります。
彼は信じて告白して、主の民とされ、救いに入れられました。それが、主の御霊の業であることを感じた、悟ることができた、ということでしょう。エチオピヤ人の人生はここで大きく変わりました。御国に向かっての歩みが始まったのであります。それをもたらしたのは、旧新約両聖書に記された、まことの神様のみ言葉と、み言葉を通して働かれる、主に御霊のお働きでした。
「み言葉には、あなたがたの魂を救う力がある」
昨年の標語聖句、ヤコブの手紙のみ言葉です。み言葉のみが、人の心の中心に神様をおいて下さいます。み言葉によって信仰が与えられ、み言葉によって御霊が私たちの内に働いて下さり、私たちの命に、神様が愛してやまないという意味を見出します。愛の主の栄光を表し、永遠に喜ぶという、人生の目的が明らかにされます。そして永遠の命の約束。人生がこの世の一時ではなく、永遠の喜びにいたることを、み言葉と御霊によって私たちの魂に刻むまれるのであります。