悔いて祈りなさい

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悔いて祈りなさい

(14)エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。
(15)ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。
(16)それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。
(17)そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。
(18)シモンは、使徒たちが手をおいたために、御霊が人々に授けられたのを見て、金をさし出し、
(19)「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と言った。
(20)そこで、ペテロが彼に言った、「おまえの金は、おまえもろとも、うせてしまえ。神の賜物が、金で得られるなどと思っているのか。
(21)おまえの心が、神の前に正しくないから、おまえは、とうてい、この事にあずかることができない。
(22)だから、この悪事を悔いて、主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが、ゆるされるかも知れない。
(23)おまえには、まだ苦い胆汁があり、不義のなわ目がからみついている。それが、わたしにわかっている」。
(24)シモンはこれを聞いて言った、「仰せのような事が、わたしの身に起らないように、どうぞ、わたしのために主に祈って下さい」。
(25)使徒たちは力強くあかしをなし、また主の言を語った後、サマリヤ人の多くの村々に福音を宣べ伝えて、エルサレムに帰った。 使徒行伝 8章14節から25節

○「(22)だから、この悪事を悔いて、主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが、ゆるされるかも知れない。」

使徒行伝8章22節の御(み)言葉でございます。使徒行伝のみ言葉に聞いて参りたいと思います。
 サドカイ派に加えて、市民の多数を占めたパリサイ派による迫害がはじまり、エルサレムの信徒たちは、エルサレムを追われ、周辺のユダヤから、北隣のサマリヤ地方へと散っていきました。信徒たちは、逃げながら、その道々、また先々で、イエスをキリストと信じる信仰による救いをのべ伝えていきます。
本日のみ言葉は、このサマリヤでの伝道についてであります。ここで、ステパノと同じく、執事に任命されていたピリポが大きく用いられ、大きな成果を上げていました。この後、ピリポは主の使いの命に従い、ガザへ向かう途上、エチオピアの高官に出会い、イザヤ書からイエス・キリストを解き明かしていました。み言葉が、当時の使徒達が想定を超えて、遠くへ、世界へと伝えられていく、前兆ともいえる記事でした。
 今朝は、ここからサマリヤ伝道の様子、サマリヤのシモンという回心者を中心に起きた出来事について見て参ります。
 さて、サマリヤの伝道ですが、先々週見た8章の8節まででは、ピリポが目覚ましい奇跡を行い、人々が、彼の語るキリストについて、耳を傾けていました。その結果、12節。
「ところが、ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えるに及んで、男も女も信じて、ぞくぞくとバプテスマを受けた。」
 サマリヤ地方というのは、もともとイスラエル王国の一部で、ソロモンの後、分裂してからは、北イスラエルがあったところです。北イスラエルの首都がサマリヤという町で、その町の名が地方の呼び名となりました。
北イスラエルは、紀元前722年頃、アッシリアによって滅ぼされてしまいました。その後、異邦人の入植地となり、異教の宗教が多く入り込みましたが、その中でも、イスラエルの神「主」への信仰は、独自の形で保たれていました。ただ、後に南ユダがバビロン捕囚から帰郷が赦され、エルサレム神殿の再建や、聖書の再編が進められていきました。これがユダヤになります。ユダヤにとって、サマリヤは、もともと主から離れて異教に走った北イスラエルの跡地であり、信仰的にも亜流で、蔑んだ目で見ていたようです。
福音書でも、サマリヤ人に対して、ユダヤ人が差別的なというか、避けるべき存在だったことを前提として描かれた記事が多く見られます。有名な「善きサマリヤ人」とい例話があります。これも、「サマリヤ人は悪い」という前提、常識があって、その悪いはずの人が「善い」と表現されるわけです。そこでは、サマリヤを軽蔑していたユダヤが、結局、自分たちも主なる神様のみ心からは離れていた、ということが教えられていました。
 ですから、サマリヤは全くの異邦人、異教徒というわけではなく、近親憎悪に近い、いわゆる差別。そのようなものであったと考えられます。ただし、実際に主がメシヤを遣わして下さるために、契約をもって守り続けられたのは、南ユダに保たれたダビデ王の系図でありました。
 主の救いのご計画、イエス・キリストは、ダビデの末でしたが、それはユダヤ自身の善さでも
功績でもないので、区別して考えなければならないところです。
 
これも今でこそ分かることで、当時のユダヤ人はユダヤの外に主の救いがあるとは考えていませんでしたし、使徒たちも、少なからずその常識の影響を受けていたと言えます。12節のあったように、ピリポの働きによって、多くのサマリヤ人が洗礼を受けていきました。それが、エルサレムの使徒たちに伝わります。そこで14節。

「(14)エルサレムにいる使徒たちは、サマリヤの人々が、神の言を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネとを、そこにつかわした。」
 迫害によって散らされた先。誤った信仰と、蔑んでいたサマリヤの地に、イエス様への信仰が広がっているようだ。そこで起きた出来事を確認する必要があります。ペテロとヨハネが向かうことになりました。これは、後に、アンテオケで異邦人伝道に成功したとき、やはりバルナバがエルサレムから遣わされるのと同じ構図になります。
 14節では、ユダヤの外。地域というより、ユダヤ教の外に福音の伝道が進む時に、教会はそれを吟味し、慎重に扱っていたことがわかります。つまり、その根本には、後に異邦人教会で問題になるユダヤ主義の萌芽が既にあったということが分かります。
 また、もう一つは、初代教会の統治について。ペテロもヨハネも使徒で、教会の中心でした。特にペテロは使徒の筆頭とされています。しかし、彼等は使徒たちによって、「つかわされて」サマリヤに向かいました。独断で行ったのでもなく、頼まれてでもなくリーダーであるペテロとヨハネは遣わされました。教会で協議して派遣を決めています。ペテロたちは、教会の柱ではありますが、頭ではなかったのであります。
 教会の唯一の頭。それはイエス・キリストただお一人ですが、イエス様は弟子たちが、弟子の中で誰が一番偉いかを議論したとき、「みんなの中で一番小さい者こそ、大きいのである」とお答えになりました。ずっと後の教会で、そのTOP、教皇に使徒の権威の継承者として、権威と権力が集中していきましたが、実際の使徒は、教会に仕える存在であったのであります。

 つづく、15~17節。
「(15)ふたりはサマリヤに下って行って、みんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った。
(16)それは、彼らはただ主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだだれにも下っていなかったからである。(17)そこで、ふたりが手を彼らの上においたところ、彼らは聖霊を受けた。」
 ここは、少々難解なところになります。分かっていることと、明らかにされていないことがあります。まず、はっきりしていることは、サマリヤの人々が「イエス様の名による」バプテスマを受けていたにもかかわらず、聖霊が降っていなかった、ということです。ペテロとヨハネが祈って、按手してはじめて聖霊を受けた、とあります。
 パウロが、エペソで初めて宣教したとき、エペソの人々は、アポロから「ヨハネの名による」バプテスマしか受けていませんでしたので、パウロから「主イエスの名による」バプテスマを受け直しています。また、使徒行伝の2章では、次のように書かれています。
 「2:38すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」
 はっきりとイエス・キリストの名によるバプテスマによって聖霊の賜物を受ける、と教えられています。バプテスマ、洗礼はイエスをキリスト・救い主と信じ、その御名によることが必要になります。しかし、バプテスマの行為、儀式そのものに何らかの力があるものではない、ということであります。教会による祈り、主を信じる信仰。聖霊のご臨在があって、初めて有効に成立いたします。つまり、洗礼によって御霊・聖霊を受けるのではなく、まず聖霊が働いて下さって、洗礼が行われるということになります。聖餐式も同じ。
 もう一つのポイントはペテロの言葉のはじめある「悔い改める」ということになります。
これは、後で触れるとして、はっきりと書かれていないことは、ピリポが行った、イエス様の御名によるバプテスマから、ペテロたちが按手するまで、どうして聖霊が授けられなかったか、ということです。
 これについては、執事ではなく使途が必要だったということも、按手が必要だということもありません。明らかにするみ言葉がありませんので、様々な解釈がなされていますが、当時の、世に顕されたばかりの教会にとって、新たな広がりが、同じ一つの主、同じ信仰による交わりにとして迎え入れられる印として、ペンテコステのような聖霊体験が与えられたのではないか、とも言われています。

 こうして、使徒伝の最初でイエス様が言われた通りサマリヤへの伝道が、実を結んでいることが使徒たちによって確認されました。これは大きな喜びでありましたが、その中には、問題も生まれていました。それが、サマリヤのシモンという人であります。このシモンについては9節10節で説明されています。
「(9)さて、この町に以前からシモンという人がいた。彼は魔術を行ってサマリヤの人たちを驚かし、自分をさも偉い者のように言いふらしていた。(10) それで、小さい者から大きい者にいたるまで皆、彼について行き、「この人こそは『大能』と呼ばれる神の力である」と言っていた。」
 このように、魔術を行って、自らを偉大な、力あるものと称し、注目と称賛を浴びていたシモンは、より大きな目覚ましい奇跡を行いながら夫君を伝道していたピリポによって洗礼を受けています。13節。
「(13)シモン自身も信じて、バプテスマを受け、それから、引きつづきピリポについて行った。そして、数々のしるしやめざましい奇跡が行われるのを見て、驚いていた。」
 洗礼を受けたシモンは、しかし、やってきたペテロとヨハネの働きを見て、申し出ました。18~19節。
「(18)シモンは、使徒たちが手をおいたために、御霊が人々に授けられたのを見て、金をさし出し、
(19)「わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように、その力をわたしにも下さい」と言った。」

 このシモンという人は、確かに、信じて洗礼を受けたかも知れません。しかし、彼が信じたのは、自分の力、利益になることを信じた、ということになるでしょうか。まるで儲け話に乗るように、クリスチャンになることが、自分の為。大きく強く見せ、高くしてくれるという、自分中心であった、ということであります。
 象徴的なのは、シモンの態度で、彼が「見ていた」と書かれています。ピリポの業を見て、ついて行き、また使徒たちの按手を見て、その力を欲した。金銭で得ようとしました。み言葉を聞いて・・というところがないです。
シモンが求めたのは、人の力。まことの神ではなく、自分の者になる力を求めていた、ということであります。これを聞いたペテロが、激しく

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