失われたものをなおも愛する神

問い合わせ

神戸市のプロテスタント教会 日本キリスト住吉教会のホームページへ戻る

失われたものをなおも愛する神

(20)そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
(21)むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。
(22)しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。(23)また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。(24)このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。
(25)ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、(26)ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
(27)僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。
(28)兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、(29)兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。(30)それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。
(31)すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。(32)しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」。ルカによる福音書 15章 20節から32節

「しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当たり前である」

今朝もみ言葉に聴いて参りましょう。
今お読みいただいたのは、有名な放蕩息子のたとえの一部であります。このたとえはここにおられるどなたもご存知のことと思います。またキリスト者でなくても知っている方の多いたとえだと思います。有名な話で知る人が多いのですが、一方で何かしら釈然としないという感想を持たれる方の多い話でもあります。私は、以前キリスト教主義の学校で働いておりましたが、そこでこの話を取り上げると、学生から疑問や反発の声が上がるのが常でした。「これでいいのか」「兄息子が気の毒だ」「そもそも父親の教育が間違っていたのじゃないか」と、いろいろな声が上がって、ディスカッションが盛り上がったものです。
私もかなり長い間何か釈然としない思いを抱いていたのですが、最近その思いが少しほどけてきたので、今日はそのことをお伝えしながら、み言葉に聴いていきたいと思います。

放蕩息子のたとえを理解する上で、最初のきっかけになったのは、瀧浦先生の「15章の3つのたとえを連続して読むべきです」というアドバイスでした。放蕩息子のたとえだけではなく、「迷える子羊」、「失われた銀貨」のたとえと共に読むと言うことですね。そのようなわけで、今日は15章全体を見ながら放蕩息子のたとえについて、み言葉に聴きたいと思います。

15章1節
 「さて、取税人や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。」
取税人や罪人たちが皆、イエス様の話を聞きにやってきたとあります。ルカによる福音書では、これまでイエス様の話を聞いていたのは弟子、群衆、律法学者、パリサイ人であって、取税人や罪人たちはイエス様の話を聞きにくることはありませんでした。彼らは人々から蔑まれ、疎まれて、交わりに入れてもらえない人たちでした。しかし今や彼らもイエス様の話を聞こうとやってきました。イエス様なら自分たちを受け入れてくれるのではないかと、望みを抱いてやってきたのでしょう。

すると早速15章2節
「するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて、「この人は罪人たちを迎えて一緒に食事をしている」と言った。」
パリサイ人や律法学者達がブツブツ言いはじめました。一緒に食事をしている、罪人を仲間扱いしていると文句を言いはじめたのです。そのような状況の中で、イエス様がたとえをお話しになりました。

イエス様のたとえを読み解く上で、どのような状況で誰に向かって話されたのかと言うことは、とても大切です。
ここにはいつもの人々と、初めてやってきた、おそらく恐る恐る、みもとに近づいてきた取税人や罪人がいました。そして、パリサイ人や律法学者がいつものように、イエス様が罪人を仲間扱いすると非難の声をあげている、その中でイエス様が3つのたとえをお話しになったのです。

まず「迷える子羊のたとえ」です。(15章4節~6節)
「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。」
 100匹の羊を持つものが、いなくなった1匹を見つけるために、99匹を野原に置いて懸命にさがす話です。そこにはいなくなった羊を懸命にさがす姿と、見つけたときの喜びが鮮やかに描かれています。さらに見つけた喜びは持ちぬし独りに留まらず、友人や隣人にも及ぶ喜びであるとされています。そして15:7それは罪人が悔い改めたときの、天にある喜びの姿であると教えられます。

そして「失われた銀貨のたとえ」です。
「また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。」
これも失われた1枚の銀貨を懸命にさがす女の姿と、見つけたときの友だちや近所の女達に及ぶ喜びが描かれています。
そして15章10節。
「よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。」
それが罪人の悔い改めに対する神の御使達の前の喜びであると教えられています。
ふたつのたとえの中心テーマは、「罪人の悔い改めに対する天にある喜び」であることがよくわかります。

そして3つ目が「放蕩息子のたとえ」です。
15章11節~13節
「また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。」
ある人の二人の息子の弟の方が、父親に財産分けを求め、自分の取り分をもらうと遠いところにいって、そこで身を持ち崩して財産を使い果たしてしまいます。

そして15章14節~16節
「何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。」
そこに飢饉が起こり、弟息子は堕ちるところまで堕ちてしまいました。

そして15章17節~19節
「そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。」
彼は父の下に帰ろうとしました。

そして15章20節~22節
「そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。」
父のもとへ行くと、まだ遠く離れているうちに父は息子を見つけて、哀れに思い走りよって、その首を抱いて接吻しました。息子が考えていた詫びの言葉は、半分までしか言えませんでした。父は息子に皆まで言わせず、僕に言いつけて最上の着物を持ってこさせて着せ、指輪をはめ履物を履かせたのであります。
息子は父に背いて出た自分は最早息子と呼ばれる資格は無い、せめて雇い人として置いてほしいと臨みましたが、父は憐れみをもって受け入れ、たちどころに彼の身分を回復させたのでありました。

そして15章23節~24節。喜びの宴が始まります。
「また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。」

そこへ兄息子が仕事から帰ってきます。そして15章25節~27節。
「ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊りの音が聞えたので、(26)ひとりの僕を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。
(27)僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。」

宴会の理由を知ります。そして15章28節~30節
「兄はおこって家にはいろうとしなかったので、父が出てきてなだめると、兄は父にむかって言った、『わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに、友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。それだのに、遊女どもと一緒になって、あなたの身代を食いつぶしたこのあなたの子が帰ってくると、そのために肥えた子牛をほふりなさいました』。」
宥めにきた父に兄は怒りの言葉をぶつけます。

それに対して父は、15章31節~32節。
「すると父は言った、『子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである』」
―と述べるのです。
さてこの3つのたとえに共通するのは、失われたものを探し求める熱心と、探し得たときの喜びであります。羊、銀貨、息子、いずれも神様のもとを離れた罪人を表していることは、皆さまよくご存知のところです。神様はご自分のもとを離れ去った民をなおも憐れみ、探し給う。そしてご自分に背いた罪人であっても、見いだし連れ戻すときには、天に大いなる喜びがわき起こるのです。
羊、銀貨、息子これは罪に陥ったものの、3つのタイプを表すと考えられます。「羊は愚かにも罪に陥ったもの」、「銀貨は罪を犯してそれを知らずにいるもの」、「息子は故意に罪を犯したもの」を表すと考えられます。
そのいずれに対しても、神様は見放されず熱心に探し求められる、そして帰ってきたならば大いなる喜びを持って迎えてくださる。15章を貫くメッセージは、そのような神様の愛と憐れみにつきます。

この章の冒頭にあるように、このとき取税人や罪人がイエス様の話を聞こうと来ていました。共同体の中で蔑まれ疎まれていた彼らが、み言葉を求め救いを求めてイエス様のもとに来ていました。このときイエス様が最もみ言葉を伝えたい相手は誰であったか。その取税人や罪人でありましょう。あなた達も神様の大切な民である、神様はあなた達の独り独りをかけがえの無いものとして探し求めてくださる。そしてあなた達が悔い改めて神様の下に帰って来るならば、それは神様と天のみ使いたちの大いなる喜びである、これが3つのたとえを通して語られました。

たとえが語られるとき、そこで語られるテーマは一つです。ここでは神様のご愛と憐れみ、神様はご自分を離れていった罪人をも愛し憐れんで迎え入れてくださる、あなた達取税人も罪人も、漏らさず神様のご愛によって迎えられる、救いに入れられるということが、懇切に語られたのです。
ですから、パリサイ人を思わせる兄息子に対しても、弟息子を取り戻した喜びのみを語って、彼を論破する方向にはいきません。
私たちは、どうしても物語の内容に引かれていろいろ考えてしまうのですが、イエス様のたとえ話は中心テーマに沿って聞くべきで、そこを離れて連想をめぐらせると、迷路に迷い込んでしまいます。
ここでは、自らの罪に怯えつつ、それでも救いを求めてイエス様に近づいた取税人や罪人が聞いた神様のみ心、背いたものすら見捨てたまわない神様のご愛に聞くべきでありましょう。
「しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当たり前である」
私たちもまた、この神様のご愛によってみ救いに与ったのであります。

2023年度 メッセージ一覧

義とされ聖とされる

<(5)そして希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜っている聖霊によって、神の愛がわた…

変わらない約束

○「(15) わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえの…

神様の奥義

○「(17) このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにも…

心を変える神の言

○「(10) 書記官シャパンはまた王に告げて「祭司ヒルキヤはわたしに一つの書物を渡しました」と言い、それ…

神様の奥義

○「(17) このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が彼らにも…

私も同じ人間です

○「(25) ペテロがいよいよ到着すると、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝した。(26) すると…

神は守り導き給う

○「(11) 主よ、大いなることと、力と、栄光と、勝利と、威光とはあなたのものです。天にあるもの、地にあ…

ただ恵みによって

「すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、値なしに、神の恵…

聖霊のとりつぎ

「(19) ペテロはなおも幻について、思いめぐらしていると、御霊が言った、「ごらんなさい、三人の人たちが…

ペテロの奇跡

○(34) ペテロが彼に言った、「アイネヤよ、イエス・キリストがあなたをいやして下さるのだ。起きなさい。…

聖霊の励まし

○(19b)「サウロは、ダマスコにいる弟子たちと共に数日間を過ごしてから、 (20) ただちに諸会堂でイエスの…

灯を保つ主

○<(36) その子には一つの部族を与えて、わたしの名を置くために選んだ町エルサレムで、わたしのしもべ…

アナニヤの信仰

○(17) そこでアナニヤは、出かけて行ってその家にはいり、手をサウロの上において言った、「兄弟サウロよ…

サウロの回心

○使徒行伝9章5節。迫害者サウロに語りかけた、主の御(み)言葉でございます。今朝も使徒行伝のみ言葉に聞い…

悔いて祈りなさい

○「(22)だから、この悪事を悔いて、主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが、ゆるさ…

神と共に生きる

○「(9)神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストに…

人の業・神の業

○「(1b)その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの…

ステパノの殉教

○「(60) そして、ひざまずいて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい」。こ…

偽りの証人

○「(15)議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見…

喜びに変わる

「(41)使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。 (4…

月報 2023年6月 「神の霊感による聖書」

「私たち人間の生きる、その人生の主な目的は何か?」という、普遍的な問いに対し、聖書の答は「神の栄光…

月報 2023年5月 「旧約聖書について(2)」

 前回は、イエス様がキリスト予言の書を「モーセの律法、預言書、詩篇」と表現されたことについて、それ…

月報 2023年4月 「旧約聖書について」

標記の聖句は、イエス様が復活された後、弟子たちに教えられた御言葉です。イエス様はご自身のことが書か…

月報 2023年3月 「御言に聞く自由なしもべ」

「しもべは聞きます。お話しください」。この御言は、私がまだ学生で、教会に通いだして間もない頃、大﨑…

月報 2023年1月 「’主にある’幸い」

 2023年度の標語聖句は、標記の「エペソ人への手紙」6章の御言葉に決定いたしました。たくさんのご応募、…

月報 2022年12月 「信仰の主体とは」

この二つの聖句で、共通して教えられている真理は「信仰の主体は神様である」、ということだと思います。…

語るべき言葉

○「(19) ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、(20) 「さあ行きなさい(命)。そして…

帰ってきなさい

○「(23)また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。(24)このむすこが死んでい…

あざむく罪

○ 「(3)そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺…

思い切って大胆に

○「(29)主よ、いま、彼らの脅迫に目をとめ、僕たちに、思い切って大胆に御言葉を語らせて下さい。(30)そし…

神の前の正しさ

○「(19)ペテロとヨハネとは、これに対して言った、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の…

救いうる名はひとつ

「(11)このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。(12) …

帰って来なさい

○「だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。」  使徒行伝3…

力や信心にあらず

「(16)そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえにあなたがたのいま見て知っているこの人を、強くし…

私にあるもの

○(6)ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キ…

曲がった時代から救われよ

○「40ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧め…

その時を待つ

「(49)見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あ…

命へと導く神

○「わたしは、きょう、天と地を呼んであなたがたに対する証人とする。わたしは命と死および祝福とのろいを…

神は覚えておられる

(40) しかし、彼らがもし、自分の罪と、先祖たちの罪、すなわち、わたしに反逆し、またわたしに逆らって歩…

失われたものをなおも愛する神

「しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝…

人生を変える御言

○「(38)そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマ…

あなたがたは私の宝

○「5 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたは…

キリストの体の甦り

○(39)わたしの手や足(両手両足)を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はない…

惜しみなく与える

○「9 P彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。Tuその義はとこしえに、うせることはない。 Qその角は誉を…

主の偉大な御業

○「Ph主はその民にあがないを施し、Tsその契約をとこしえに立てられた。Qそのみ名は聖にして、おそれおお…

永遠の命の約束

○「(24)初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あな…

旅の始まり

○「19 パロの馬が、その戦車および騎兵と共に海にはいると、主は海の水を彼らの上に流れ返らされたが、イ…

いのちの言葉

○「(3)もし、わたしたちが彼(神)の戒めを守るならば、それによって彼(神)を知っていることを悟るのである…

自由の記念

<26 もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、27 あなたがたは言い…

神は光であり、

「わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少…

強くされなさい

「主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。」 エペソ人への手紙、第6章10節の御言葉でござい…

主イエス・キリストの諭し

「マリヤはその良い方を選んだのだ」  今日もみ言葉に聴いて参りましょう。  今お読みいただいたみ言葉…

愛はどこにあるか

○「9節)神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって…

天は喜び、地は楽しむ。

 「1新しい歌を主にむかってうたえ。全地よ、主にむかってうたえ。2主にむかって歌い、そのみ名をほめよ…

真の王の約束

今朝は、先週に続いて、詩篇103篇。その後半の、み言葉に聞いてまいりたいと思います。この103篇を含む、…

恵みの主をほめ讃えよ

 本日は、詩篇103篇のみ言葉に聞いてまいりたいと思います。103篇は、詩篇の第4巻の中にあります。詩篇の…