真の王の約束

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真の王の約束

11 天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜わるいつくしみは大きい、
12 東が西から遠いように、主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる。
13 父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。
14 主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられるからである。
15 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。
16 風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。
17 しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、
18 その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。
19 主はその玉座を天に堅くすえられ、そのまつりごとはすべての物を統べ治める。
20 主の使たちよ、そのみ言葉の声を聞いて、これを行う勇士たちよ、主をほめまつれ。
21 そのすべての万軍よ、そのみこころを行うしもべたちよ、主をほめよ。
22 主が造られたすべての物よ、そのまつりごとの下にあるすべての所で、主をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。詩編 103篇 11節から22節

今朝は、先週に続いて、詩篇103篇。その後半の、み言葉に聞いてまいりたいと思います。この103篇を含む、詩篇第4巻の中心的なテーマは、「まことの王である主」「主の王権」をほめたたえること。王権の讃美集と言うことができると思います。
 ただし、前回の1節から10節では、まことの神、主が王であられる、ということについて、直接言及している、み言葉は無かったと思います。それが表されてくるのが、本日の後半部分でございます。

 詩篇は、韻文で書かれていて、独特の繰り返しや、左右対称の形式で書かれていることが、ほとんどであります。また、韻を踏んでいることが多いことも見てまいりました。ヘブル語原文を目で見たり、読んで耳で聞くと、その変わり目にポイントがある、ということが分かり易くなっています。主を讃美する歌詞でもあり、文字ではなく、口伝で伝えていく場合に、み言葉を覚えやすい、ということもあります。
 先週103篇前半の各節の最初の音を少し見てまいりました。1節と、2節はともに「B」で始まります。3節から5節は最初の言葉がHで始まります。6~7節がY、8~10がRの音で始まっています。そして11以降、今度はKで始まる節が続くことになります。

 10節までの103篇前半を振り返ってみますと、まず讃美への招きがありました。主を讃美すること。私たちが、天地を統べ治め、すべてを裁かれる権をお持ちの唯一の神である、主をほめたたえるのは、主が私たちに与えて下さる、すべての恵みを心に留めることから始まります。その恵みとは、私たちを不義。すなわち罪と、その結果である、永遠の死から救い出し、永遠の命を与えて下さるという、命の恵みでありました。
そして、その恵みは、ただ、慈しみ豊かな主の、一方的な恩寵のゆえであることが教えられました。完全な義をもって公正な裁きをなさる方が、神に背く私たちを、罪にふさわしく、直ちに滅ぼすことなく、測りがたい忍耐と、憐れみをもって、救うため、そのご計画を勧めてこられました。主の深い憐れみを覚えたいと思います。

 このように、103篇の前半では、私たちを讃美に招く主の恵み。新しい人生と永遠の命を与える、命の救いの恵みにあずかっていることが歌われました。その中で、私たちを救うご計画の実行。救うための御業も教えられていました。それは、罪の贖いであり、神のみ言葉、福音の宣教であります。そして、その御業を果たして下さったのがイエス・キリストでありました。イエス様によって、ほめたたえるべき恵みが実行され、現実のものとして、今私たちに与えられているのであります。
 そこで教えられた、主の救いの御業は、究極の祭司と、預言者としてのお働きでした。その働きを、神のみ子、イエス・キリストが全て成し遂げて下さったのであります。
 神であり、完全に聖なるご自身を生贄として捧げ、私たちの罪を贖い、父なる神にとりなし給う祭司としての御業。預言者達を通して、預言や戒め、幻によって、主が語って来られた。恵みのみ言葉を、秘められたみ心を、全て解き明かし、明らかにして、救い主なるご自身を信じるように、ご自身のみ言葉と御霊を遣わして下さる、預言者としてのお働きであります。
 
 それでは、後半の11節以降に着てまいりたいと思います。11節から16節をお読みいたします。

 「11 天が地よりも高いように、主がおのれを恐れる者に賜わるいつくしみは大きい、
  12 東が西から遠いように、主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる。
  13 父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。
  14 主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられるからである。
  15 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。
  16 風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。」

 11節から16節は、節の最初の文字が、Kで始まっています。ただ、15節だけは、Kの前にAが一つ入っています。それは、11~14節は、主体が主、神様であるのに対し、15,16では人の描写になっています。その切り替え部分として、15節に少し変化が見られます。ただ、内容としては一体としてとらえて良いと思います。
 ここでは、主なる神様と、私たちの関係を通して、主の憐れみと、慈しみが表されていきます。直前の8節から10節で歌われていたのは、主の恵みは、裁くことを忍耐された、完全に一方的な、憐れみによる恩寵だということした。
なぜなら、11節。天と地の距離ほどに、造り主と、私たち被造物の距離は離れているからであります。私たち人は地の塵にすぎない存在です。そこに、主が命の息を吹き入れて下さり、生きるものとされた、被造物に過ぎません。そこで、世界と命の造り主であり、主権者であられる全能の神を畏れなさい、と教えられます。それは、畏怖する、ということですが、私たちはただ怖がるのではなく、憐れみと慈しみの豊かさ覚えて、讃えて平伏す、ということが赦されています。御子ゆえに、主は私たちを子としてくださいました。私たちの神となって下さり、私たちは主の民とされました。その恩恵を覚えて、主を讃美しましょう。
 私たちの神、主は、主を畏れ、主に聞く者を、特別に憐れんでくださいます。私たちの罪、咎を、主が遠くへ話して下さいます。造られて後、サタンの誘惑に負けて罪を犯し、主のみ前に、姿を隠してしまった私たちに対し、改めてサタンとの間に敵意を置いて下さり、私たちを罪から離れさせ、逃れさせ、御自分のものとして、神の子として扱って下さいます。
 それは、「私たちの造られた様」人間の成り立ち。塵に息を、命を吹き入れ、御自身の似姿として、特別な愛をもってお造りになりました。主はそれを覚えておられます。私たちを、永遠に主を褒めたたえる、命へと導くためにお造りになった、そのご決意を主は変えられることはなかったのであります。
 塵から造られ、愛されつつ罪に落ちた人の生涯は、長いようで短く、地上でのひとときに過ぎません。しかし、主の恵みは、その一時だけではなく、永遠であります。
 
17節から19節。

「17しかし 主の恵みは とこしえからとこしえまで 主を恐れる者の上にあり 主の義は その子らの子たちに及ぶ。18その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。
19主はその玉座を天に堅くすえられ、そのまつりごとはすべての物を統べ治める。」

 これは、主が私たちに賜る、とこしえの命の恵みは、契約に基づく、ということでございます。この17節から19節が、実はこの詩篇の注目ポイントになります。この詩篇が、韻を踏んでおり、数節ごとに文頭の音が繰り返されていると申し上げましたが、17~19節だけは、それがありません。破調、というのでしょうか。韻を踏んでいない部分になります。ですから、ヘブル語で見聞きすると、あきらかにこの部分が浮き上がっているのが分かります。蛍光ペンで囲んでいるような感じでしょうか。歌詞だとそこだけ英語になっているとか、そんな感じです。この詩篇の、中心、肝はここです、と教えているわけです。
では、そのポイントは何か。私たちが主を讃美する、その恵み、とこしえの命の恵みは、天地のまことの王の契約による、ということであります。
 主のとこしえの恵みは、「18その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。」とあるように、主は恵みのご契約によって、この豊かな恵みを与えることを約束されました。主はその契約の中に、私たちを招き入れて下さいました。イエス様が獲得された神の義は、とこしえに主を恐れる者、その子たちに及びます。限定的に言えば、主の契約を守り、戒めを行うことができる者は誰でしょうか。それは神なる御子イエス様ただお一人でした。この方に繋がる者、信仰による子たちに、主は、とこしえの恵みを約束してくださったのであります。私たち約束されたのは、更に豊かな恵みでした。守るべき契約は、イエス様を、救い主キリスト、と信じること、ただその一点であります。
 さらに、この契約は、19節「19主はその玉座を天に堅くすえられ、そのまつりごとはすべての物を統べ治める。」とありますように、天地を統べ治められる、まことの王の約束であり、真実であること。まことの王、愛の主の王権と、その下に生きる恵みの讃美でございます。今や、私たちの命を穴から贖い出して下さった、贖い主、御子イエス・キリストにその全権が委ねられ、いのちの恵みは現実のものとなりました。そして今この時も、この王が私たちの主として、天から守っていて下さるのであります。
 
 王権と言うと、聖書を知らない方は違和感を持たれるかも知れません。民主主義の時代に、何を古いことを言っているのだろう、と。現代の世界で、実質的な君主制を取っている国は多くはありません。先進国と言われる国家はほぼ民主制でしょう。
しかし、王、君主も国民によって選ばれた政治家も、本質的には同じです。どちらも不完全です。民主制も独裁者や専制を生み、腐敗します。政治家は国民の負託を受けて、と権威の源を国民に置きますが、その国民一人一人が持つ、治める権威。自分を治め、家族や社会、地を治める権威の源は、主なる神様にあります。創造された時に、創世記2章で、すでに文化命令が下されています。
 世を治める権威は主が源であり、そのみ心にかなう政が求められるわけであります。行政とはまつりごとを行う、と書く通り。全ての物を統べ治める方は、主であって、その方は天に玉座を据えておられます。み使いが讃え、地上の私たちが讃える、主こそが、天地の主権を持たれる、まことの王であられる。人の王ではなく、完全な神なる王。この王は、律法を与えるお方、また、裁き主であり、愛をもって治める真実の王、三権の主なのであります。
 私たちの王となってくださった主が、私たちに約束してくださった、契約の恵み。それこそが、キリストを信じる信仰による永遠の命でありました。この、まことの王の契約を心に留めて、主を褒めたたえましょう。

 最後に、20~22節は103篇のエピローグです。3節とも最初の単語が「ほめよ」のBで次が「主を」のYです。「主をほめよ」という讃美への招きで始まります。19節が「主」で始まり「まつりごと」を重ねて、結びのことばである22節への橋渡しとなっています。この結びの22節では、一つの文の最初と最後に、全く同じ「主をほめよ」と歌われています。特に最後の一文は「わがたましいよ、主をほめよ」という、103篇1節の始まり同じ文章で締めくくっています。もう一度、戻って、1節と2節をお読みします。

「わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」

そして20節から22節。文節順にお読みします。

「主をほめよ。主の使たちよ、そのみ言葉の声を聞いて、これを行う勇士たちよ。
 主をほめよ。そのすべての万軍よ、そのみこころを行うしもべたちよ。
 主をほめよ。主が造られたすべての物よ、そのまつりごとの下にあるすべての所で。
 わがたましいよ、主をほめよ。」

 私たちの、うちにある全て。心、思い、魂、命もって、主を褒めたたえよ。まことの王を恐れよ。その全てを、造り、与え、あがない、養い給う、恵みの契約の主を褒めたたえよ、と歌っています。
 主への讃美は、地上に生きる、私たちだけではなく、主のみこころを行う、天のみ使いもまた、主を褒めたたえます。そして、全ての被造物にいたるまで、造り主なる主をほめよ、と招かれています。真の王、主が統べ治められる全てのところ。天でも地でも、世界にあらゆるところに、主のご主権が臨んでいます。そのまつりごとは、私たちを子とするために、万事を益とするために取り計らわれています。
 
 ロマ書8章で、パウロは「被造物は、実に切なる思いで、神の子たちの出現を待ち望んでいる」と言いました。美しく見える豊かな自然も、人間の堕落によって、不完全な空しい者とされてしまいました。この被造世界が、神の子たちの出現。すなわち、クリスチャンの出現を待っているのであります。イエス・キリストへの信仰によって、罪より贖い出され、救いの初穂とされたのが私たちです。私たちが、主の恵みを覚え、主を讃美することは、全世界の喜びでもあります。
 全被造世界の救いの初穂として、私たちを讃美に導く、主の民に備えられた恵み。命の主権を持っておられる、真実なまことの王による、契約の恵み。103篇全体を貫く、とこしえの命の恵みでありました。私たちの罪を赦し、生きかえらせ、死の支配から解放して下さる恵みであります。これを覚えましょう。

 天地の王の真実なる約束。それがイエス・キリストによって実現されました。私たちの全てを満たす主の恵みを、あらためて心に留めて、主を畏れ、主に感謝し、主を喜ぶものとされたいと願います。

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<26 もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、27 あなたがたは言い…

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