心を変える神の言
(8) その時大祭司ヒルキヤは書記官シャパンに言った、「わたしは主の宮で律法の書を見つけました」。そしてヒルキヤがその書物をシャパンに渡したので、彼はそれを読んだ。
(9) 書記官シャパンは王のもとへ行き、王に報告して言った、「しもべどもは宮にあった銀を皆出して、それを工事をつかさどる主の宮の監督者の手に渡しました」。
(10) 書記官シャパンはまた王に告げて「祭司ヒルキヤはわたしに一つの書物を渡しました」と言い、それを王の前で読んだ。
(11) 王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。
(12) そして王は祭司ヒルキヤと、シャパンの子アヒカムと、ミカヤの子アクボルと、書記官シャパンと、王の大臣アサヤとに命じて言った、
(13) 「あなたがたは行って、この見つかった書物の言葉について、わたしのため、民のため、またユダ全国のために主に尋ねなさい。われわれの先祖たちがこの書物の言葉に聞き従わず、すべてわれわれについてしるされている事を行わなかったために、主はわれわれにむかって、大いなる怒りを発しておられるからです」。列王紀上 22章8節から13節
○「(10) 書記官シャパンはまた王に告げて「祭司ヒルキヤはわたしに一つの書物を渡しました」と言い、それを王の前で読んだ。(11) 王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。」
今朝は、列王記のみ言葉に聞いて参ります。先にお読みただいたみ言葉は、列王記下に記された、ユダの王様、ヨシヤによる宗教改革の記録でございます。10月の最終聖日が、宗教改革記念礼拝となっておりますが、それはプロテスタント教会が生れることになった、16世紀の宗教改革を記念するものです。ルターやカルヴァンが改革を進めていきましたが、これに対して、旧約時代でも、何度か大きな宗教改革が行われていました。そのうち、最も有名な一つがこのヨシヤによるものと言えると思います。
ヨシヤ王について、列王記から見てまいります。列王記はその名の通り、ダビデが統一したイスラエル王国の歴史と、治めた歴代の王の働きが記録されています。上巻の前半は、ダビデの統一王国を引き継いだ、ソロモン王の知恵と功績、神殿建設について。後半は、ソロモンの堕落と、その報いとして、王国が、北イスラエルと南ユダに分裂していく様子が描かれていました。
そして、下巻は分裂した王国における、それぞれの王の治世が描かれますが、前半は、預言者エリシャの働きが中心に描かれます。そして中盤は、北王国の滅び、アッシリアによる征服。終盤は、南王国の滅び。バビロニアに征服され、捕囚となる記録であります。通して見ますと、神の民とされた人々の国が、主なる神様の方を向いていたかどうか、歴史が記されています。その記録がユダヤに教えていたのは、神様に背くことが災いであるということになると思います。
主に背を向けた者には、かならず懲らしめがある。裁きが訪れるということ。それが確実なことを告げ、その上で、たとえ懲らしめられても、一時的であること。心から悔い改めて、主に立ち帰るなら、主に聞いて従おうとするなら、必ず主はかえりみ給う。回復して救ってくださる。恵みの契約を最後まで果たしてくださる真実の愛の神、それが主であることが明かされているわけです。歴史を通して、歴史の上に実際に実現される恵みの契約が描かれる。それが預言書、ネビーイーム全体が示す大きな枠組みとなります。その歴史の先に、約束のメシヤ、究極の救い主まことの王イエス・キリストを指し示しているわけであります。
さて、そのようなイスラエルの背きの歴史の中で、宗教改革、それはまさに主に立ち返る、という働きをなしたヨシヤについて、見て参りましょう。列王記下22章の1節から4節(p556)。
「(1) ヨシヤは八歳で王となり、エルサレムで三十一年の間、世を治めた。母はボヅカテのアダヤの娘で、名をエデダといった。(2) ヨシヤは主の目にかなう事を行い、先祖ダビデの道に歩んで右にも左にも曲らなかった。
(3) ヨシヤ王の第十八年に王はメシュラムの子アザリヤの子である書記官シャパンを主の宮につかわして言った、(4) 「大祭司ヒルキヤのもとへのぼって行って、主の宮にはいってきた銀、すなわち門を守る者が民から集めたものの総額を彼に数えさせ、(5) それを工事をつかさどる主の宮の監督者の手に渡させ、彼らから主の宮で工事をする者にそれを渡して、宮の破れを繕わせなさい。」
まずヨシヤは、8歳で王になっています。ヨシヤの前の王、ヨシヤの父アモンと、祖父マナセは共に、偶像礼拝に走った悪い王様として記録されていいます。その前王が一部の家来によって倒されて、その後に幼いヨシヤが王にとして立てられました。そこから成長して、18年後26歳の時に、神殿の修復をしようといたしました。歴代誌ではもう少し詳しく書かれています。
歴代誌・下34章の3~4節(p)
「(3) 彼はまだ若かったが、その治世の第八年に父ダビデの神を求めることを始め、その十二年には高き所、アシラ像、刻んだ像、鋳た像などを除いて、ユダとエルサレムを清めることを始め、」
と、あります。8才で王位に就いたのが紀元前640年頃です。8才で王になって8年後ですから16才。成人男子と認められる年ですから、王としての政、自主的な方針を打ち出していったところかと考えられます。そして12年後、先代の王たちが、立てた、異教の偶像を取り除いていきました。
ここまででも、ある意味では宗教改革、判断できそうですが、実際は、どちらかというと、政策というか、政治的な意味合いが強いものでした。良くない政治が続いた後、若いヨシヤが目指したのは、歴史的に最も偉大な王とされたダビデでした。ヨシヤから見ると、自分の国の約400年前の王様に倣おうとしたわけです。現代で計算すると、江戸時代初期、それこそ徳川家康の時代になります。ですから、どちらかというと、原点回帰と言いますか、伝統的な文化を大切にする、復古運動、政策を打ち出した、という方が正確かと思います。実は、ヨシヤのお父さんお爺さんは、不道徳な、主に背いた王でしたが、ひいおじいさんのヒゼキヤは、数少ない、主に従順な王様で、やはりダビデ王に倣った、と記録されています。ヨシヤはヒゼキヤに倣ったかもしれません。
いずれにしましても、ヨシヤによる本当の宗教改革は、この後に、進められることになります。伝統回帰の政策を進める中で、3節以降にあったように、ヨシヤは政府高官シャパンや、大祭司ヒルキヤに働きかけて、エルサレム神殿の修復計画を進めていきました。神殿を再点検していく中、ヨシヤに報告がもたらされます。8節から10節。(p556)
「(8) その時大祭司ヒルキヤは書記官シャパンに言った、「わたしは主の宮で律法の書を見つけました」。そしてヒルキヤがその書物をシャパンに渡したので、彼はそれを読んだ。
(9) 書記官シャパンは王のもとへ行き、王に報告して言った、「しもべどもは宮にあった銀を皆出して、それを工事をつかさどる主の宮の監督者の手に渡しました」。
(10) 書記官シャパンはまた王に告げて「祭司ヒルキヤはわたしに一つの書物を渡しました」と言い、それを王の前で読んだ。」
大祭司ヒルキヤが、神殿の中で「律法の書」を見付けた、として書記官シャパンに渡しました。シャパンは高官らしくきっちりした人で、まずは元々王から命令されていた、神殿工事の監督への賃金支払いを果たしたことを、報告しました。そしてその後、祭司ヒルキヤから託された書物を読み上げています。「律法」はここでは「ハトゥーラー」。冠詞がついているので、「あの律法の書」になります。特別な律法、モーセ五書。一部か全体かは不明ですが、聖書であります。
読み上げられた、聖書の言葉を聞いたヨシヤの反応が、11節から13節。
「(11) 王はその律法の書の言葉を聞くと、その衣を裂いた。
(12) そして王は祭司ヒルキヤと、シャパンの子アヒカムと、ミカヤの子アクボルと、書記官シャパンと、王の大臣アサヤとに命じて言った、(13) 「あなたがたは行って、この見つかった書物の言葉について、わたしのため、民のため、またユダ全国のために主に尋ねなさい。われわれの先祖たちがこの書物の言葉に聞き従わず、すべてわれわれについてしるされている事を行わなかったために、主はわれわれにむかって、大いなる怒りを発しておられるからです」。
ヨシヤは着ていた衣を裂きました。これは、聖書ではよく用いられる表現です。嘆き悲しんだり、激しく悔しがったり、悔い改める思いが溢れるようになったことを表わしています。律法の書の、神様の言葉を聞いて、はじめてヨシヤは、感情を爆発させました。聖書を通して、御霊によって心の目が開かれて、ヨシヤは自分が学んできた多くの事、国の歴史、さまざまなしきたり、そういったことの意味が明らかにされて行きました。
主は、その言葉によってヨシヤに語りかけました。あなたの神、わたしのもとに帰ってきなさい。主の招きに、ヨシヤは心を震わせ、そして、ここから真の宗教改革に進んで行きます。それまで進めていた、いわゆる政策的な伝統回帰ではなく、アブラハムと、モーセと、そしてダビデに約束して下さった、契約を交わされた神、主を知りました。生けるまことの神、主に聞き従おうという、思いと決意を与えられたのであります。ヨシヤを、その表面的な行いではなく、心から変えたのは、主なる神の言葉であったということであります。
私たちは、あらためて、神の言葉である聖書の力、そしてその権威というものを覚えたいと思います。私たち人間は、聖書を通さずして、まことの神様に出会うことがかないません。確かに、造り主であり、摂理の主の栄光、全被造世界に明らかにされています。有名なロマ書1章20節にある通り「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」
しかし、罪の支配の下で、全ての人は自らまことの神を見出すことは適いません。第Ⅰコリント1章21節「この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。」
宣教とはすなわち、イエス・キリストへの信仰による救いであります。ヘブル1章1-2節「(1) 神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、(2) この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。」
新旧約聖書が全て、最終の救い主、神の御子イエス・キリストが、私たちの元に来て下さること、そして実現したことを示しています。それは、愛の主の御計画でありました。このことを受け入れ、信じること。それは、神の言葉による以外にないのであります。主ご自身が、聖霊によって自らを現わして、語りかけて下さる、聖書の言葉によって、人は初めて、まことの神様に向き合うことができます。また、自らを省みることができるようになる。神の言葉を規準として自らを点検する。(十戒:神への愛、人への愛)足りないことを確認。それでも、救われておる幸いに感謝できます。
ヨシヤは、神の言葉「律法の書」を聞いて、衣を裂きました。つまり、それまで聖書を直接呼んでいなかった、ということになります。祭司ヒルキヤは。律法の書を「見つかりました」と言ってシャパンに差し出しました。ヒルキヤが、本当に発見したのか、あえてそう言ったのかは分かりません。しかし、この神の言葉が、多くの人の目から隠されるとどうなるか。人間は誤って行きます。神様から離れ、罪へと加速する。これは歴史が表しています。
瀧田教師がお説教して下さった、ルターによる宗教改革もそうでした。ルターを信仰義認、イエスキリストを信じて義と見なされる、という確信に導いたのは、教会のサクラメントではなく、彼が聖書の言葉と向き合ってのことでした。宗教改革によって、地上の教会の中だけに隠されていたラテン語聖書は、様々な国の言葉に翻訳され、世界へと解放されました。宗教改革は、神の計画のうちに、神の言葉によって始まり、進められたのであります。神の言葉に上に、教皇や教会の権威を置くのではなく、聖書こそ誤りなき神の言葉、神の権威として、全ての上に置くこと。教会もまた聖書の権威の下にあること。この事を改めて覚えたいと思います。
振り返れば、歴史の宗教改革は、すべて、神の言葉との出会い、神様の言葉によって果たされてきました。
アダム、ノア、アブラハムには神の言葉が臨みました。改革のはじめを考えると、モーセもそうだと言えます。律法授与。エジプト文化の中から、主のもとへ民を救い出しました。今回の
ヨシヤ王。そして、旧約ではもう一つ、バビロン捕囚の後、エズラによる宗教改革もまた、律法によるユダヤの再生でした。因みにエズラは、祭司ヒルキヤの孫になります。
・エズラ7章10節(p658)
「(10) エズラは心をこめて主の律法を調べ、これを行い、かつイスラエルのうちに定めとおきてとを教えた。」
・ネヘミヤ8章2-3節(p674)
「(2) 祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、(3) 水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。」
聖書での最終の宗教改革は、すなわち新約聖書になります。ヨハネ福音書。イエスは、言葉であられました。神の言葉の受肉、命の言葉が地上に来られた。この方を信じ、聞き従おうとする心を生み出し、永遠の命へと導いて下さるのが聖書であります。また、救われた者が、地上を生きる規準としても備えられた神の言葉。私たちにあたえられた,この幸いを覚えて、この一回りも、み言葉に聞きつつ歩んで参りたいと思います。