偽りの証人
(7)こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。
(8)さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。
(9)すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、 (10)彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。
(11)そこで、彼らは人々をそそのかして、「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
(12)その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。
(13)それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。
(14)『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。
(15)議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。使徒行伝 6章7節から15節
○「(15)議会で席についていた人たちは皆、ステパノに目を注いだが、彼の顔は、ちょうど天使の顔のように見えた。」
使徒行伝7章15節の御言葉でございます。ここで、ステパノの裁判が描かれています。ステパノの殉教という出来事は、使徒行伝序盤の、大きなターニングポイントの一つになります。
それでは、この殉教者ステパノが裁判にかけられるに至った状況を、少し遡って見て参りたいと思います。6章の1節から6節(189頁)。
「(1)そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちのやもめらが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。(2)そこで、十二使徒は弟子全体を呼び集めて言った、「わたしたちが神の言をさしおいて、食卓のことに携わるのはおもしろくない。(3)そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出してほしい。その人たちにこの仕事をまかせ、(4)わたしたちは、もっぱら祈と御言のご用に当ることにしよう」。(5)この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、(6)使徒たちの前に立たせた。すると、使徒たちは祈って手を彼らの上においた。」
前回は、キリストの使徒たちが、2度目の逮捕をされましたが、御使いによって解放されています。そして御使いから、脅されても変わらず、命の言葉を語ること。つまり「救い主、イエス・キリストへの信仰による救い」をのべ伝えるよう、命じられていました。御使いに命じられた通り、神殿に行って、大勢の人々に福音を教えていたところ、みたび役人に捕まり、サンヘドリンで尋問を受けます。ただし、著者であるルカは、使徒を捕まえた祭司たち、いわゆるサドカイ派の人々は、嫉妬に満たされていた、ということを証言しています。神のみ前に正しいかどうか、ではなく、権力者の自尊心や妬み、自分たち権威や利益、立場の保持が目的だったと見抜いていました。使徒たちは、裁判においても、神様に従順であること。人に従うより神に従うべきである、と答え、イエス様こそが約束のメシヤだという、信仰を撤回することはありませんでした。自分たちはその証人で、何より聖霊が証人であると答えます。これに、激しく怒った祭司たちは、使徒の命を奪おうとしました結局は、むち打ちの刑にし、イエスの名によって語ることを禁じて、解き放ちました。
使徒達は実刑は受けましたが、それを恥とせず、かえって喜びました。それはイエス様が以前、教えておられた事が、今、実現し続けている、それを実感していたからであります。イエス様の言葉が現実となっているのですから「イエス様のために罵られ、迫害を受ける時には・・よろこび、喜べ」「天において受ける報いは大きい」という、大きな報いもまた、確実だと確信していたわけであります。
使徒たちは、喜び、毎日、神殿や家で福音を宣べ伝えることをやめることはありませんでした。そうして、イエス様を信じる弟子たちが増えていきます。6章1節から6節は、大きくなった教会で、使徒を助けるために、7名の執事職の任命が描かれています。執事が任命される理由は、福音が広がり、教会が大きくなったからですが、広がり具合は婉曲的に記されています。信徒の中で、ギリシャ語を話す人々がかなり増えてきていた、といところです。
エルサレムを中心とするパレスチナ地方では、ヘブル語。当時はすでにアラム語と言われました。アラム語が日常語で、ギリシャ語はローマ帝国の公用語でした。ギリシャ語が日常語になっている人々というのは、ローマなどの支配者によってパレスチナから散らされ、その先でユダヤ教を守っていた、ディアスポラと呼ばれる人々になります。使徒の伝道によってディアスポラにも信徒が増えていきました。
教会の規模が大きくなると、仕事が増えていきます。ここでは、やもめに代表される貧しい人々への支援体制について、充分でないとの申し出があって、12使徒は祈りと伝道に専念し、それ以外のサポート役として、新たに7人の役員が選ばれ、按手を受けます。いわゆる執事職の始まりとされますが、7人は完全な専従ではありません。もともと「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人」を選んでいましたし、実際ステパノやピリポは、福音伝道においても、この後重要な働きをしていきます。
さて、新たに任命された7名の中で、ルカはステパノを最初に上げて、「信仰と聖霊に満ちた人」として、特別な評価をしています。それほど、ステパノの働きの大きさ。彼を主が大切な御用のためにお用いになったことを示しています。体制が整えられて、宣教が加速していきます。6章7節から8節。
「(7)こうして神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。 (8)さて、ステパノは恵みと力とに満ちて、民衆の中で、めざましい奇跡としるしとを行っていた。
とうとう、クリスチャンを最も敵視していた、サドカイ派である祭司たちの中にも、回心する
者が現れました。それも、多数とあります。この宣教の拡大に、ステパノが大きく貢献していました。人々の間で、大いなる奇跡としるしを行っていました。しかし、多くの祭司まで回心していく状況。それをもたらす、象徴ともいえるステパノの働きは、逆にユダヤ人たちの危機感をと反発を生むことになります。9節10節。
「(9)すると、いわゆる「リベルテン」の会堂に属する人々、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤからきた人々などが立って、ステパノと議論したが、 (10)彼は知恵と御霊とで語っていたので、それに対抗できなかった。」
「リベルテン」というのは、リバティの語源からくる、自由の意味で、当時はローマ帝国に捕らえられて、その後に解放された人々を指していました。ローマ帝国内の、さまざまな地域から帰ってきた、ギリシャ語を話すユダヤ教徒になります。彼らは、ステパノに議論を挑みましたが、これに対抗できなかった。ステパノ使徒たちと同様に、知恵と御霊とが与えられていました
信仰の証し、福音の弁明において、イエス様はルカの福音書12章で、助け手なる聖霊を遣わすと約束されましたし、ルカ15章では、だれも対抗できない言葉と知恵を授ける、と仰いました。実際、ペテロやヨハネがそうだったように、誰も議論でステパノを打ち負かすことが出来ませんでした。そこで、かれらはステパノを裁判にかけて、罰しようと陰謀を図ることになります。
11節から14節。
「(11)そこで、彼らは人々をそそのかして、「わたしたちは、彼がモーセと神とを汚す言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。(12)その上、民衆や長老たちや律法学者たちを煽動し、彼を襲って捕えさせ、議会にひっぱってこさせた。(13)それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。(14)『あのナザレ人イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』などと、彼が言うのを、わたしたちは聞きました」。」
まず、人々をそそのかして、証言させます。ステパノが「モーセと神」を汚すことを述べたということ。ペテロたちの時は、預言とイエス様に関することでした。今回はテーマを絞り、より具体的で、ユダヤ人が敏感な問題について訴えたことになります。
そして、権力者たちに構成員に申し出て、煽って裁判にかけさせました。その上で、公的な場で、偽りの証人を建てて証言させています。モーセと神を汚すこと。具体的には「聖所と律法とに逆らう言葉を、やめない」「イエスは、この聖所を打ちこわし、モーセがわたしたちに伝えた慣例を変えてしまうだろう』と言った」という、証言です。
律法の破棄と神殿の破壊を主張している、ということになります。これは、ユダヤ教徒にとって、最も根幹的な、民族のアイデンティティにかかわることで、同時に、非常に現実的な問題でもありました。生活の全ての規準である律法と、イスラエルの神、主を祀るエルサレム神殿。神殿は民族のシンボルで、一年の祭と神礼拝の中心でした。神様の臨在と、交わりの証しであります。さらに、もっと現実的な、世的な問題もありました。エルサレムという町自体が、神殿を中心にした、宗教都市。門前町でしたので、今で言えば観光の目玉でもあります。
ユダヤの祭などに各地から訪れる、多くのユダヤ人による経済によって、成り立っていました。後にパウロがエペソを追われたのも、女神アルテミス神殿での模型を売っていた職人の反発を招いたからでした。
ですから、エルサレムに住む多くの人々に取って、神殿の否定、破壊を語ることは、即生活に関わる、大問題でもあったわけです。この、律法と神殿が取り上げられたことが、結局、ユダヤ教徒による本格的な迫害へと繋がっていくことになります。
→マタイ26:59-63(p46)
「 「59さて、祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にしようとしてイエスに対する偽証を求めた。60偽証者が何人も現れたが、証拠は得られなかった。最後に二人の者が来て、61「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました」と告げた。」」
この時も、サンヘドリンは証言ではなく、偽証を求めています。ただ、複数の証言がかみ合わず、最後の神殿の問題について、初めて二人の証言が出て、これに続くやり取りの後、イエス様は断罪され、辱めを受けてピラトに引き渡されました。
同様のことが、ステパノに対しても行われようとしていました。本来、最高法院は、礼拝を司り、律法を司る存在ですから、偽証を求める、偽りの証人を建てる事自体、モーセの律法の根幹である十戒。第九戒を完全に犯しているわけですから、そこに信仰は無く、主なる神様の権威の尊重、御前の正しいかどうかという、基準が失われていたことが分かります。
それでは、律法や神殿について、偽りの証言ができたのはどうしてか。ステパノがそのようなことを語っていたのか、ということになります。使徒たちが語っていたのは、イエス様について。イエス様の教えを語っていました。イエス様が律法や神殿について語っておられたところを見て見ます。
【律法】律法と言いながら証言は「慣例」
Mt5:17-18(p6)
Mt12:5(p17)安息日に穂を摘んで食べる:作業禁止=食事OK、宮の奉仕はOK=キリストへの奉仕
イエス様は、律法については「一字一画廃れない」と断言されました。律法については、律法が意味する本来の御心を解き明かされました。それは、律法そのものではなく、正しい解釈の問題になります。同時に、当時のユダヤに根付いていた、本来の意図から離れた、人間による都合の良い解釈、付け加えられた習慣、慣例に対する批判でもありました。
ですので、ステパノへの偽りの証人も、裁判では「律法」ではなく、「慣例」と言っています。イエス様が公生涯では、多くの律法学者と議論されていたので、露骨な直接的な偽証ができなかったようです。そこで、本丸が神殿の否定。
ヨハネ2:18-21(p138)
「18ユダヤ人たちはイエスに、「こんなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せるつもりか」と言った。19イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」20それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、三日で建て直すと言うのか」と言った。21イエスはご自分の体である神殿のことを言われたのである。」
この直前で、イエス様は宮清めをされているので、神殿を聖として尊重されているのは明らかで、そこで行われていた慣習への批判でした。その上で、イエス様は語られたのですが、「神殿を壊してみよ。三日で立て直して見せる」という言葉の表面だけを利用し、取り上げました。人間による、世の都合による、御言葉の切り取りが、行われます。その危うさを覚えたいと思います。イエス様は当然、その御言葉が、聖霊によらない人がどう聞くかご存じではありました。
私たちは、あらためて主の御言葉は、その前に平伏し、謙虚にまず聞く。御霊の導きを祈り、信仰と愛をもって、信仰と愛を求めて聞くことを、改めて心に刻みたいと思います。
ステパノは、偽りの証言を受けて、これから弁明へと進んでまいります。その顔は天使のようでありました。