自由の記念

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自由の記念

21) そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。
22) また一束のヒソプを取って鉢の血に浸し、鉢の血を、かもいと入口の二つの柱につけなければならない。朝まであなたがたは、ひとりも家の戸の外に出てはならない。
23) 主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。
24) あなたがたはこの事を、あなたと子孫のための定めとして、永久に守らなければならない。
25) あなたがたは、主が約束されたように、あなたがたに賜る地に至るとき、この儀式を守らなければならない。
26) もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、
27) あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』」。民はこのとき、伏して礼拝した。
28) イスラエルの人々は行ってそのようにした。すなわち主がモーセとアロンに命じられたようにした。出エジプト記 12章 21節から28節

<26 もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、27 あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』」。民はこのとき、伏して礼拝した。>
 出エジプト記の12章26節から28のみ言葉です。いわゆる「過ぎ越し」の出来事になります。過越しは。エジプトに対する主の裁きであり、それまで頑なだった、エジプトの王パロが、イスラエルの民を解放することになった、決定的な主の御業でした。
 それは、エジプトの全ての初子。長子を撃つ。王様から、奴隷から、家畜に至るまで全ての長子が撃たれると言う、凄まじく、激しい主の御業でしたが、主の民だけは逃れることができたというものでした。今朝は、この過越しの出来事から、導かれたいと願っています。
 歴史的には、ノアの洪水によって、あまりにも罪に満ちた世界を洗い流された後、主は地を滅ぼすことはないと約束されました。それがノア契約です。しかし、ノアの家族から増え広がって行った人類は、やはり神から離れ、罪への道を歩み始めます。偶像礼拝や、様々な罪に満ちてゆく世界の中から、主は一つの家族を選んで、ご自身の民として召されました。それがアブラハムの家族になります。
 主は、アブラハムを選び、召されて契約を立てられました。アブラハム契約と言われます。この契約は、アブラハムに信仰を与え、土地。カナンの地を与え、子孫を星の数ほどに増やすこと。そして、主がその民の神となる、と宣言されました。領土と民が揃う、ということは、国家です。つまり信仰による、神の国を地上に立てることを約束された、ということになります。
地上の歴史において、神が民を選び、守って神の国を建てられた目的ですが、主はアブラハムとの契約で、アブラハムによって、全ての民族。国々が祝福を受けることを告げられました。王が出る、ということも言われています。つまり、全ての国の人を救い、治めるまことの王。救い主を彼の子孫に遣わされる、という暗示でした。こうして、イスラエルは、救い主を地上に迎えるため。イエス・キリスト受け皿として、地上に供えられた神の国であったということが教えられています。
ノア契約では、もう世界を滅ぼさないという、主のご決心があらわされましたが、神の国の土台となったアブラハム契約においては、滅ぼさないから進んで、救われる、ということが啓示されていました。その救いは、主の選びによること。そして、召された者の信仰と、従順という応答が求められる事が明らかにされます。
ただ、選ばれたアブラハムの子孫、イスラエルの人々が、十分にこれに応えてきたか、というと決してそうではなかったということが、繰り返し教えられます。救われては背き、恵まれては呟く。主の民とされても、まだ罪の支配の下にある人の姿は、ずっと変わりませんでした。アブラハムの子らも、度々、判断を誤り、嫉妬や誘惑に負け、み心に適わないことが多くありましたが、ただ、主が共におられ、時に懲らしめ、また赦し、支えて導いていかれたのであります。
こうした地上の歩みの歴史の中で、神の民イスラエルは、エジプトに定住するようになりました。元々は、主がヤコブの子ヨセフを用いて、イスラエルを大飢饉から救うためにエジプトに導き、迎え入れられたところから始まりっています。しかし、400年経つって時代が変わる中、イスラエルは奴隷とされて、虐げられていくことになってしまいました。
出エジプト記は、その名の通りこのエジプトから、主の民が脱出していく記録となっています。そしてこれは、創世記15章で、主がアブラハムに言われた預言通りの出来事でした。主はアブラハムに、次のように言われました。
「あなたの子孫は他の国に旅人となって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年悩ますでしょう。しかし、わたしは彼らが仕えたその国民を裁きます。その後彼らは多くの財産を携えて出て来る」
 神の永遠からのご計画通り。イスラエルの民はエジプトから脱出することになります。そのために、主は、モーセという人物を備え、召されました。旧約聖書中の、最も大きな人物であり、イエス様のひな型でもあるのがモーセになります。二番目はダビデ王になるでしょうか。彼もまたイエス・キリストのひな型になります。
 
 こうして、民を導き出す者として主に召されたモーセは、最初は、何度も抵抗しますが、結局その召しに従い、エジプトの王と交渉を始めていきます。しかし、エジプトの王はそう簡単に、民を解放してくれません。数百万の奴隷を手放すと言うことは、国にとっても大きな損失ですから、当然と言えます。口語訳聖書では、エジプトの王を「パロ」と呼んでいますが、これは名前では無く「ファラオ」の旧表記で、「王」という意味です。

さて、本日の箇所、出エジプト記の12章まで。7章から10章まで、モーセがパロに対して、イスラエルの解放を求めてきました。これにパロが応じないことは、主が予言されていた通りですが、その都度、主はエジプトに対して9つの禍をもたらしてきました。
 最初の三つは、アロンの杖によって行われています。それは、「ナイルの水を血に変える」、「かえるが大量発生する」、「地の塵がブヨにかわる」。一つ目と二つは、エジプトの魔術師も、対抗して同じような業を行って見せます。そのためパロは心を頑なにして、主の業だと言うことを認めずモーセの願いを拒絶しました。民を去さらせませんでした。三つ目のブヨの発生からは、魔術師が真似できませんでした。
現在でも、聖書の様々な奇跡を、科学や様々な研究で、自然現象や、錯覚や、トリックで説明しようとしますし、それで説明できないことは、作り話だ、と決めて、み言葉をそのままに受け入れることをしない、というところは変わっていないようです。確かに、全能の主は、自然現象も用いられますが、世界を自在に操るお方であり、その業自体は超自然的な働きであります。いわゆる法則や、人間の見識を超えたところに神はおられる、ということを認めず、人間の理解認識の中に神様を治めようとすること自体、罪からくる人間の高ぶった姿であります。
エジプトの魔術師たちは、自分たちがまねできなかったモーセの業が「神の指」の業だと言いました。しかし、それでも、パロは、申し出を受け付けませんでした。当時、最も栄え、軍事や文化の進んだ大国であり、また多くの神々を崇めていたエジプトの王ですから、奴隷の神には十分対抗できると考えたのかもしれません。
 エジプトの対する災いの次の四つ目から六つ目は、「アブが大量発生する」。「家畜が疫病にかかる」。「人と家畜に腫物ができる」です。ここでは杖がつかわれませんでした。ただ、さすがに四つ目以降、パロはモーセに妥協を示していきます。生贄を捧げる礼拝に出ることを赦す、などがあって、それによって災厄はいったん除かれましたが、民を去らせることはありませんでした。
残り七つ目から九つ目は「大量の雹が降る」。「イナゴが大発生する」。「エジプト全土が暗闇でおおわれる」というものでした。これは、モーセの杖と手で行われました。ここでもパロは、モーセと一部の人が主に生贄捧げることは認めても、民全体を同行させることは認めず、とうとう、モーセとの面会すら拒絶してしまいます。
 
主がモーセを通して行われた災いは、三つずつ、三回に渡ってエジプトを襲いますが、それぞれ三つの内の最初は、川岸でパロに対して宣言。二つ目はパロを訪問して伝える。三つ目は、通告なしに行われる、という、同じパターンを三回繰り返しています。そして、どんどんその災いは大きくなり、エジプトを苦しめるようになって行きました。
 そして、いつまでも頑ななエジプトの王に対して、最後に行われた、10個目の主の業が、「全ての人と家畜の初子を打つ」という御業でした。主は、「これによって、パロはイスラエルを解放する」と言われ、実際その通りになります。
 イスラエルの解放を求めた主の御業は、最初は環境、家畜、農産物など、全てに対する裁きとして行われ、エジプトの国がどんどん衰えていく中で、なお頑なな王の態度に対し、とうとう「命」に対する、主のご主権が発動されることになったわけです。
すべての初子、長子を打つという、激しい主の裁きの御業を免れるために、主がイスラエルに命じられたのが、過ぎ越しの食事。小羊をほふること。そして、その血を鴨居と柱に塗る、ということでした。この生贄の血が、主の裁きの手が及ばないように、救いの約束に与っているしるし、ということになりました。23節をお読みします。

「23 主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。」

生贄の小羊血は、主の民の印。そして主が救って下さったことを証しする印だと言うことです。このエジプトに対する、命の裁きによって、それを免れたイスラエルは、やっとエジプトから解放されることになりました。この、奴隷からの解放。血の印は、やがてイエス・キリストの血による、罪による永遠の死という、主の裁きからの解放。信仰による、命と自由への解放を指し示す、ひな型ということになります。
 少しもどって、12章の14節をお読みします。
「14 この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。」

このように主が命じられた通り、主がその民をエジプトから救い出された。奴隷から雌雄の身になったことを記念する、過ぎ越しの祭は、主なる神様が彼らと共におられて、救い出し、守られたということを、忘れることなく記念すると同時に、世界に示していくことでもありました。神の民イスラエルの最も大切な祭りとして、イエス様の時代まで、長く守り続けていかれます。
そうして、イエス様の最後の晩餐もまた、過ぎ越しの晩餐でした。そして、その後イエス様が十字架の上で血を流され、贖いの御業を完成されて以降、自由への救いを記念する過越しの祭は、イエス様が命じられた「聖餐式」へと切り替えられていくことになります。最終の完全な救い。罪と死の奴隷から、永遠の命へ。神との完全な和解。主に従う自由への解放。その記念が、聖霊によって、キリストの肉と血に与る聖餐式になったわけであります。
 聖餐式で読む聖句。マタイによる福音書26章27節(新約44頁)では、
「27また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。28これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」
 罪許される契約の血、と言われました。聖餐式に与ることで、主が聖霊によって、私たちと共にいて下さり、救いの契約に入れられている、その証を確認し、強められるわけです。

今朝、見て参りましたように、モーセと主の民が、エジプトの奴隷から救いだされた歴史は、イエス様による究極の救いの御業の、正にひな型として、主が表された出来事でありました。
 イエス・キリストを信じる信仰を持つ、ということ。これは与えられて、それを認めることに他なりませんが、実際、信仰を受け入れるまでは、信じるということが、何か制約を受けるとか、不自由になるといった、恐れというか、感覚を持つ方が少なくないようです。
しかし、そうではないと言うことを、聖書は教えています。救いは、自由への救いであり、信仰は信じる者を、自由にする主の恵みです。この世のしがらみ。価値観。評価。肉の欲の支配から。なにより、罪と永遠の死から、私たちを自由にする。それが、まことの神を信じる、恵みの信仰であります。

 真の自由を与えていただいている幸いを覚え、感謝のうちに、主を仰ぎつつ、信仰の歩みを進めてまいりたいと願います。

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<26 もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、27 あなたがたは言い…

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