月報 2023年1月 「’主にある’幸い」
◆主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。◆エペソ人への手紙 6章10節
2023年度の標語聖句は、標記の「エペソ人への手紙」6章の御言葉に決定いたしました。たくさんのご応募、ありがとうございました。
現在、世界では、コロナウィルスの問題が和らいだとは言え、まだ終息していません。更に、国家間での戦争が続いており、多くの尊い血が流されています。この争いが、いつどのように解決するのか。また、その後にどのような世界情勢となるのか、私たちにはなかなか想像できない状況です。戦場となった地域の人々の、測り知れない困難はもとより、多くの国々で食糧が不足し、飢餓の中で苦しんでいる人々が存在します。地上の混乱に目をとめる度、私たちがいかに罪深く、また無力な存在かを突きつけられている思いです。
そのような中で、標記の聖句が私たちに与えられました。「強くなりなさい」という命令です。はたして、このような私たちが強くなれるのでしょうか。この聖句のギリシャ語原文を見ますと「強くなりなさい」と言う言葉は『ενδυναμουσθε』(エンドゥナムーッセ)です。この単語は命令形ですが「受動態」の命令形になっています。直訳すると「強くされなさい」と言う意味になります。私たちの本当の強さは、訓練や努力で手にするものと言うより、強く「される」ものである、と言うことです。
それでは、誰に、どのように強くされるかを聞いて参りましょう。まず、「主にあって、」と言うことです。
「主にある」や「主にあって」という表現は、特に新約聖書で多く使われています(パウロが好んで使います)し、クリスチャンの日常的な表現でもあります。原文は『εν κυριω』(エン キュリオゥ)。「εν」は、英語で「in」と翻訳されることが多い単語です。いろいろな意味がありますが、大きくは「~の中」という意味を持っています。「κυριω」は「主」(キリストまたは神:他に、主人・王など権力者)。つまり、私たちは「主の中にいること」で強くされる、そのようなイメージです。
そこで「主にあって」。つまり「主の中にいる」と言うことを考えてみましょう。この宇宙、被造世界はすべて主の御手の内に置かれています。その中で、あえてクリスチャンが「主にある」と言う場合、一つは主の恵みの契約の中に入れて頂いている、と言う事実があります。生まれる前から、永遠の内に、主が選び分かち、ご自身の民として、永遠の命を与える救いの約束。その契約に入れられ、救い主を信じる信仰を与えられて、私たちは強くされるわけです。主が終わりまで守り通して下さるとの、主のお約束の力です。
もう一つの面は、その救い主イエス・キリストの中に含まれていると言うこと。すなわち、唯一の頭なるキリストに繋がる、体の一部として、キリストとまさに一体とされていることを表わしています。私たち一人ひとりは、一つの肉体が繋がっているように、イエス・キリストと有機的に繋がる体の一部。手足や目や耳のように、キリストの体である教会の一員です。キリストに繋がっていることで、血管や神経などを通して、栄養が届けられ、弱り傷んでいる部分が癒され、キリストの命の力が注がれるのです。(聖霊のお働きです)。
そして、私たちが強くされるのは、天地の主権を持たれるキリストの、その強さによって、と言うことになります。主の力強さ。「その偉大な力によって」の原文を逐語に訳すと以下のようになります。
『εν τω κρατει της ισχυος αυτου』(エン トウ クラテイ テイス イスキュオス アウトゥ)
(~により その 強さに その 力(強さ)の 彼の)
・・強さに強さを重ねて、主の偉大な御力が表現されます。そして、ここでも「εν」が使われています。主の御力の強さの中にあって、私たちは強くされます。「クリスチャンは困難の時ほど強い」と言われます。自らの弱さを覚え、主に信頼し、主を仰いで御言葉に聞く時。私たちの力ではなく弱さの中に、主の御力が働いて私たちを支え、主の御栄光が顕されるのです。『εν κυριω』。私たちが「主にある」ことの幸いを覚えたいと思います。