神の前の正しさ

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神の前の正しさ

(13)人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め、(14)かつ、彼らにいやされた者がそのそばに立っているのを見ては、まったく返す言葉がなかった。
(15)そこで、ふたりに議会から退場するように命じてから、互に協議をつづけて(16)言った、
「あの人たちを、どうしたらよかろうか。彼らによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全体に知れわたっているので、否定しようもない。(17)ただ、これ以上このことが民衆の間にひろまらないように、今後はこの名によって、いっさいだれにも語ってはいけないと、おどしてやろうではないか」。
(18)そこで、ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと言いわたした。
(19)ペテロとヨハネとは、これに対して言った、
「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。(20)わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。
(21)そこで、彼らはふたりを更におどしたうえ、ゆるしてやった。みんなの者が、この出来事のために、神をあがめていたので、その人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。
(22)そのしるしによっていやされたのは、四十歳あまりの人であった。使徒行伝 4章13節から22節

○「(19)ペテロとヨハネとは、これに対して言った、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。(20)わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。」

使徒行伝4章19節20節のみ言葉でございます。
復活した後、天に昇られたイエス・キリストが遣わされた聖霊を受けることで、弟子たちによる福音の宣教が始まりました。エルサレムの町で3000人が回心し、今また、神殿のソロモン回廊で、ペテロとヨハネを通して癒しの奇跡が行われました。そして、この癒しが、天の父なる神様が、死人の中から甦らせた、御子イエス様の名前によることを証ししました。
天の父が、罪人に「帰って来なさい」と呼び掛けておられる。罪の下にあるものが、父の下に帰るためには、赦されなければなりません。赦されるために、必要なことはただ一つ。イエス様を救い主キリストと信じ、キリストのより頼むしかないということでした。
 
こうして、ペテロたちの癒しと、説教を通して、神殿では、男性だけで5000人ほどの人。ユダヤ教徒がイエスを救い主と信じるようなります。彼らは、神を信じ、また復活を信じる人々でした。この出来事は、社会的には、ある意味、事件が起こったと言えるでしょう。このような騒ぎを起こしたことで、当時のユダヤ社会の権力者たち。サドカイ派の大祭司をはじめ、役人や律法学者によって、ペテロとヨハネは逮捕されて、裁判にかけられることになりました。
そして、そこでもペテロたちは、堂々と、福音を宣言していきます。
 天の父のみもとへ、帰るために必要なことは、たった一つでしたが、それは唯一の道でもあり、他に道はない、ということ。イエス様こそが、目的地に確実につづく道。そして、イエス様だけが唯一の道である。これは父なる神が、救いのために、あらかじめ定めておられたことである。聖書を引用しながら、ペテロは語りました。その証拠に、イエス様の御名のみが、足を癒し、罪をゆるす権威を与えられたお方である。これを証言したところでした。

 ペテロがいったん語り終えたところで、13節から14節
「(13)人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め、 (14)かつ、彼らにいやされた者がそのそばに立っているのを見ては、まったく返す言葉がなかった。」

 人々。これは、ペテロたちを見る人たちです。サンヘドリンのメンバー。祭司や役人と言ったサドカイ人と、パリサイ派の律法学者たち。彼らまず、不思議に思いました。よく「驚きあやしんだ」と言われる言葉で、理解できなかった。今彼らの前で、弁舌をふるったペテロたちが大胆さが、どうしてか、何故かわからなくて、驚きました。
 それは、ペテロたちが無学なただの人だったから、と書かれています。正式な、神学的な教えを受けていない人。サンヘドリンのメンバーのような、権威や権力、身分を持たない、庶民。いわゆる平民とか。そのような人が、民族で最も権威のある最高裁判所に呼び立てられて、多くの権力者や、学識者に囲まれた中で、聖書に基いて、出来事を解き明かして、恐れることなく、堂々と発言していることは、考えられない出来事であったわけです。
 さらに、ペテロたちの証言に様子や内容だけではなく、彼らが「イエスと共にいた」を確認しました。その上、実際に足が癒された本人も横にいましたので、生きた初認を目の前にして、反論のしようがなくなってしまいました。権威者の集まりではあっても、その中では立場や思想の違いもありましたから、あまりに一方的な決めつけや、無理な断罪はできなかったようです。その意味では、この世の司法、権力としては、常識的な判断が下されたと言えます。少なくとも、この状況で、ペテロたちを、律法的な厳しい罪に問うことは難しいと判断されました。
 ただ、そのままにしておくわけにもいかないです。彼らは、イエスを神の子、メシヤだと証言しました。そのメシヤを、直接十字架に送ったのは、かれら大祭司たちでしたから。ペテロたちが、このまま不思議な奇跡を行い、癒して、それをイエスの名によって宣言していけば、サンヘドリンの権威は失墜してしまいます。実際、エルサレムでは、この短期間で多くの人々がイエス・キリストを信じ始めていました。これは、ユダヤに政治的な不安定をもたらす危険でもありました。
 そこで、彼らは対応策を考えます。15節から、18節。
(15)そこで、ふたりに議会から退場するように命じてから、互に協議をつづけて (16)言った、
「あの人たちを、どうしたらよかろうか。彼らによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全体に知れわたっているので、否定しようもない。 (17)ただ、これ以上このことが民衆の間にひろまらないように、今後はこの名によって、いっさいだれにも語ってはいけないと、おどしてやろうではないか」。
(18)そこで、ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと言いわたした。

 現代の裁判所が裁く、その規準は法律です。法律の正しい解釈によって、善悪・可否を判断しています。行政もまた様々な法律に基づいて行われます。これが法治国家。当時のイスラエルは、ローマ帝国の支配下にありましたが、ユダヤ民族として、ある程度自治が認められていました。そんなユダヤ人の法律、規準はモーセの律法ということになります。この頃には、モーセ律法は、憲法的な存在で、その上に慣習や、社会要請、権力者の都合などから、多くの細かな決め事が定められて、恵みの律法の、本来の意味が覆い隠された状態にありました。
 それでも、ユダヤの最高機関としては、やはり、彼らの神、主の言葉である聖書が基準であり、神の言葉を根拠として、神の民、であるユダヤを治めることが求められていました。それにもかかわらず、大祭司たちは、ペテロたちを断罪する聖書的根拠を見いだせなかった、ということになります。少なくとも、ペテロたちは病人を癒すという、善い行いをしていたことが確かだったからです。
そのため、彼らは、その行為をとがめることができず、ただ「イエスの名」によることを禁じました。それも、判決ではなく、脅しとして告げられました。神の言葉の権威ではなく、支配者の権力によって、イエス様の名を隠そうとしたのであります。この脅しに対して、二人の使徒が答えました。19節から21節。

「(19)ペテロとヨハネとは、これに対して言った、
「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。 (20)わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。
(21)そこで、彼らはふたりを更におどしたうえ、ゆるしてやった。みんなの者が、この出来事のために、神をあがめていたので、その人々の手前、ふたりを罰するすべがなかったからである。」

「判断してもらいたい。」というのは、命令形です。ペテロたちは大祭司たちに「判断しなさい」と命じているわけです。ほんとうに大胆な態度です。
しかし、判断を求めた内容は「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか」 ということ。つまり使徒が投げかけたのは、「神である主の言葉に聞くのか、人の言葉に聞くのか」という問題でした。このイエス様の使徒による問いかけは、主の民とされた、私たち自身が、自ら問いかけるべき問題であります。
何を前提とするか、優先するか、規準とするか。世界の造り主、愛をもって世界を保ち、統べ
治められる、唯一の生けるまことの神・主であり、そのみ言葉。神の言葉によって治められ、養われ、支えられ、導かれるのが神の民であります。私たちは、この第一の規準を、つねに心に覚えたいと思います。
 ペテロたちの宣教の言葉は、ユダヤ人の祭司たちを前に、より根源的な領域へと進んで行きました。あらゆる存在の、あらゆる意味の根拠に、主なる神がおられる、という前提であります。そして、何よりまず、この方に聞き従おうとする生き方こそ、罪人にゆるされた正しい姿勢と言うことになります。
 「神に聞き従うか、あなたがたに聞き従うか」というみ言葉はそれだけで十分に力強い、大切なメッセージでありますが、これがどのような状況で、誰に対して語られたか。周りはどう反応したかと言う、文脈の中で見て行くことで、よりその輝きが増します。また正確な理解が促されます
 引き出されたペテロたちの前にいたのは、神の民ユダヤの指導者、権威者たちでした。彼らこそが、神の言葉に聞き、神の言葉に基づき治め、導く務めに召されたはずです。しかし、彼らがペテロたちに示したのは、み言葉に従った判断ではなく、地上の権力による脅しでした。さらに、このペテロの問いかけに対して、彼らがとった反応は「さらに脅すこと」。その上で赦してしています。その理由は、
「みんなの者が、この出来事のために、神をあがめていたので、その人々の手前、ふたりを罰するすべがなかった」
 つまり、権力者は第一に「神をあがめ、神の言葉を規準とする」と言う正論に、反論できなかった事。第二に「人々の手前」罰することが出来なかった。もしかしたら、祭司や律法学者は、自らの信じるところに従い、聖書を用いてペテロたちを裁くことが出来たかもしれません。しかし、人々の手前、それが出来なかったとあります。結局、神の言葉ではなく、人々反応や評判、世の判断を優先した、と言うことが示されたわけであります。ペテロたちが投げかけた言葉によって、彼らの矛盾が浮き彫りになっていきました。
 
 もう一つ大切なことが教えられています。ペテロたちの言葉は、サンヘドリンの矛盾。最も神の権威を与えられているはずの存在が、神に聞かず世の人々に聞いている、という点を指摘するために用いられました。したがって、神に聞くか、あなた方に聞くか、という問いは、優先順位の問題であって、どちらか一方を求めるものでは無い、ということです。天か地上か、霊か肉かのAll or Nothingではありません。
 どちらも大切で、しかし優先、というより土台であり前提が神様。天であるということです。地上の権力者に求められているのは、み言葉による統治でありました。地上における、平安と繁栄のために、み言葉を規準にして治める。それが幸いです。天が大事で地上はどうでもよい、でも、世の人の求めに反するみ言葉は無視する、と言うのでもありません。真に、地上の世の幸いは、み言葉のうえに成り立つということ。まことの神様を知り、前提とし、その上に世界が成り立っていることを知るべき、ということであります。
 私たちは、イエス様によって救われた神の民として、地上を歩んで参ります。それは、まず神様に聞くということ。み言葉を規準に判断していく。神のみ言葉に治められていく歩みでもあります。ただ、これは、聖書を丸暗記することが求められているのではないです。神のみ言葉、律法は御霊によって心に刻まれる、愛の主の、み心であります。
 み言葉を通して、御霊が私たちの内に働いて下さり、世の様々な声にたいして、神様の言葉、主の招きの声をもって応えてまいりたいと願いものです。

2023年度 メッセージ一覧

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 2023年度の標語聖句は、標記の「エペソ人への手紙」6章の御言葉に決定いたしました。たくさんのご応募、…

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この二つの聖句で、共通して教えられている真理は「信仰の主体は神様である」、ということだと思います。…

語るべき言葉

○「(19) ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、(20) 「さあ行きなさい(命)。そして…

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力や信心にあらず

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人生を変える御言

○「(38)そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマ…

あなたがたは私の宝

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キリストの体の甦り

○(39)わたしの手や足(両手両足)を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はない…

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○「9 P彼は惜しげなく施し、貧しい者に与えた。Tuその義はとこしえに、うせることはない。 Qその角は誉を…

主の偉大な御業

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永遠の命の約束

○「(24)初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あな…

旅の始まり

○「19 パロの馬が、その戦車および騎兵と共に海にはいると、主は海の水を彼らの上に流れ返らされたが、イ…

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○「(3)もし、わたしたちが彼(神)の戒めを守るならば、それによって彼(神)を知っていることを悟るのである…

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<26 もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、27 あなたがたは言い…

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「わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少…

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「主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。」 エペソ人への手紙、第6章10節の御言葉でござい…

主イエス・キリストの諭し

「マリヤはその良い方を選んだのだ」  今日もみ言葉に聴いて参りましょう。  今お読みいただいたみ言葉…

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○「9節)神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって…

天は喜び、地は楽しむ。

 「1新しい歌を主にむかってうたえ。全地よ、主にむかってうたえ。2主にむかって歌い、そのみ名をほめよ…

真の王の約束

今朝は、先週に続いて、詩篇103篇。その後半の、み言葉に聞いてまいりたいと思います。この103篇を含む、…

恵みの主をほめ讃えよ

 本日は、詩篇103篇のみ言葉に聞いてまいりたいと思います。103篇は、詩篇の第4巻の中にあります。詩篇の…