曲がった時代から救われよ

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曲がった時代から救われよ

36)「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。
37)人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。
38)すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。
39)この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。
40)ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。
41)そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。
42)そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。使徒行伝 2章36節から42節

○「40ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。」

 使徒行伝2章40節のみ言葉でございます。今朝は、地上におけるキリスト教会の始まり。全世界に向けて、イエス・キリストによる救いの福音伝道の始まりである、ペンテコステを記念する礼拝であります。これは「聖霊降臨」とも表されるように、復活のイエス・キリストが天に昇られ、着座された神の右の座より、約束通り送って下さった聖霊がおいでになったこと。聖霊による伝道と、ご支配の始まりを知らせる出来事でありました。
 私たちが今こうして、この国のこの地で、イエス・キリストの救いに与って、共に礼拝を捧げておりますのも、このペンテコステの日に来て下さった聖霊のお働きによるのであります。そして、その聖霊が今この時も、変わらず、私たちと共いて、働き続けておられることを、改めて心に覚えたいと思います。

 さて、先週、ルカの福音書では、復活のイエス様が弟子たちに、聖書のみ言によって、ご自身についての証しをされました。十字架の受難と、復活のイエス様こそ、預言された救い主であられるということ。そして、イエス様の御名による赦しが、のべ伝えられる、ことを明かされました。さらに、聞いている弟子たちが証人となって、もろもろの国にのべ伝えて行く、と仰いました。
 その上で、イエス様によるご命令は、エルサレムにとどまっていなさい。待っていなさい、という命令でありました。この時、弟子たちは、これから起きるであろうことについては、まだ十分悟ってはいなかったようです。使徒行伝1章6節で、次のようにイエス様に尋ねています。
「さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。」
 当時のユダヤでのメシヤ観は、かつてイスラエルを栄えさせたダビデ王のような、強い王が現われて、神の国イスラエルを復興させる、というイメージが強くありました。弟子たちもまだ、当時の常識的な希望から抜け出せていなかったようです。
 それでも弟子たちは心が開かれていましたし、天に昇られる姿も見ていましたので、イエス様のみ言葉に信頼して、命じられた通りに、エルサレムに戻り、心を合わせてひたすら祈っていました。イエス様が約束された、助け手なる聖霊を遣わされる時を待つことが出来たわけです。
 そうして、とうとうその時がやってきました。それが、五旬節。本日のペンテコステであります。旧約聖書で言うところの、七週の祭。シナイ山での律法授与記念の日でありました。
 この日の朝。弟子たちが集まっているところに、天から、激しい風のような音がなり、炎のように分かれた舌が現れて、一人一人の上に留まりました。そして、聖霊に満たされた弟子たちは、一斉に様々な国の言葉で、神の大いなる御業を語りだしたのであります。この時は、祭りのために、様々な地方に離散していた、熱心なユダヤ教徒が集まっていましたので、これを怪しんだ人々に対して、ペテロが立ち上がり、福音宣教の最初の説教を行いました。これが、本日の2章36節までのできごとになります。

エルサレムから、とイエス様が言われたように、ペテロの説教は、まずユダヤ人に対して行われました。その内容は、ルカ伝でイエス様がなさったように、聖書のみ言葉の解き明かしでした。ヨエル書や、詩篇、サムエル記などを引用して、イエス様こそが約束のメシヤであることを証ししていきました。詩篇はダビデの詩篇を使い、メシヤは、皆が待ち焦がれたダビデのような人ではなく、偉大な王ダビデ自身が「わが主」と呼ぶお方であること。ダビデは死んだままだが、メシヤは死んで甦り、神の右にあげられた方であることを明かしたのであります。
先にお読みした1章の6節で、国の復興を望んでいた時とは、別人のような力強い解き明かしでした。ペテロは元々漁師でした。この後、大祭司や律法学者たちから、無学なただの人たち、と不思議がられた人です。このペテロの変貌こそ、聖霊のお働きということになります。
 ペテロのメッセージを見て参りましょう。36節。

「「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」。」
 ここは、ペテロはそれまで語ってきたこと。聖書から解き明かしてきた、イエス様こそキリストである、というメッセージのまとめになります。ひとこと目は「しかと知れ」という命令です。確かに、しっかりと認識しなさい。イスラエルの全ての家よ。神の民全員が、このことを、しかと知りなさい。知るべきことは、直訳しますと。
「神が、この方を主とされ、キリストとされた、それはイエス様で、あなた方が十字架に架けた方である」
 全能の父なる神が、イスラエルの民に約束されていた救い主、それこそ全家が待ち望んでいたメシヤ。それを、あろうことかあなた方が十字架に架けてしまった。ペテロはそう断言しました。これを聞いたイスラエルの人々は、畏れ、慌てふためきます。37節。

「人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。」
 人々は、強く心を刺され。聞いたみ言葉によって心を刺されるのも聖霊であります。彼らは、心を痛めて問いかけました。おそらく、この人々は、イエス様を十字架に架けることに賛成したり、バラバを救え、と叫んでいたのかもしれません。あるいは、引かれて行くイエス様を見物していただけかもしれません。いずれにしても、ペテロの言葉が彼等の心に突き刺さり、「とんでもない間違いをしてしまった、一体どうすればよいのだろうか。」という、思いに駆られ、弟子たちに問いかけました。それに答てペテロの説教は、適用と締めくくりに入っていきます。38節。

「38すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。」

 ペテロの答えは明瞭でした。命令形は二つ。「悔い改めなさい」そして(και)「バプテスマを受けなさい」です。イエス様の御名によるバプテスマ。そのバプテスマは、諸々の罪の赦しへと向かうバプテスマです。イエス様の御名による、ということは、イエスこそ救い主キリストと信じて、それを表わすことです。主に立ち帰って。この世に向いていた心を、主イエスに向けて、仰ぐ。信仰とは信じて仰ぐと書く通り、イエス・キリストを仰ぐ、信仰と悔い改め。これによって、聖霊の賜物を受ける。救われて、御国での永遠の命が約束されるのであります。それが、イエス様を十字架に架けた人であったとしても、であります。
 救い主をあざ笑い、辱め、痛めつけた者であっても、悔い改めて信じれば救われる。ペテロが答えたこの言葉は、代々変わることのない、福音の真実でありました。今に至るまで、そしてやがて訪れる、終末。主の再臨の直前まで、私たちがのべ伝える、変わることの無い恵みの契約であります。それは先週のルカ伝24章で、イエス様が仰った言葉に他なりませんでした。
「37その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる」

 さらにペテロは言葉を続けます。39節。
「39この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである。」
 ペテロは、聖霊にどこまで悟っていたのかは分かりません。かつて旧約の預言者達が、その時は意図していなくても、与えられた言葉がキリストや福音を指し示していたように、ペテロの言葉も含蓄があります。
 「この約束」。福音信仰による救いの恵みの契約は、「神の召しにあずかる全ての者」に与えられている。つまり、全ての人にではなく「神に召される人々」ということになります。そして、召される人は、必ず、一人残らず全ての人に与えられる。神の選び、限定的贖罪、不可抗的恩恵という、改革派信仰につながる教えであります。
 さらに、その恩恵は、あなた方と、その子らと、遠くの者まで。ペテロが言う「遠くの者」という表現は、当時あちこちに散らされていた、いわゆる離散のユダヤ民族。ディアスポラの事を想定していた、という指摘があります。確かに、この後、ペテロは異邦人が回心していく姿を目にして驚いていますので、ペテロ個人の表面的な理解はそこまでだったかもしれません。しかし、聖霊に満たされて、語った言葉は、それを、個人の思惑を超えて行きます。
 なぜなら、事実、地の果てまでとイエス様が言われた通り、福音は遥か世界の果てまでめぐっていきました。しかも、この時ユダヤ人に向けて語られた救いの条件は、異邦人に対する福音と何ら変わりのないものです。全ての時代、全ての国の民に等しく、イエス・キリストを信じて悔い改めよ、なのであります。

 ペンテコステのペテロの様子の最後。40節。
「40ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。」
 ここに記された他にも、ペテロは多くを語っていたようです。それをルカは「証し」と表現しています。この証しという言葉は、テモテへの第二の手紙4章1節で、パウロがテモテに向かって「厳かに命じる」と語った言葉と同じです。
 つまり、聖霊によるイエス様の権威をもって、厳かに、強く、明確に証ししていったということです。「曲がった時代」から救われるために。「曲がった時代」は、何か特定の時を指していると考えなくて良いと思います。私たちは、すぐ、この時代、あの時代とか、あの人、この人というように、個人的な感覚で「曲がった時代」を捕えがちです。しかし、現実は、アダムの堕落以来、ずっと曲がっているわけです。
「曲がった」というのは、不義という、地上の不正や、御前における罪の状態と共に、気難しく、ひねくれた、という意味もあります。神様への背きの罪によって、死と呪いの下にある、地上の歴史は、つねに曲がった時代であり、私たちもまた曲った存在であります。それでも、あらゆる時代の罪の中から、救いだして下さるのが、愛の主であります。
 このように、み言葉の宣教によって、悔い改めてバプテスマを受けた結果。41節から42節。

「41そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。42そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈をしていた。」
 使徒たちの教えはイエス様の教えです。すなわち、主のみ言葉と、交わりと、聖餐と、祈り。この四つが、これも変わらないクリスチャンの生活。信仰生活を支える基本であります。福音宣教の第一歩から、今まで変わる音ことのない真実。幸いであります

 ここまで、ペテロの宣教をみてまいりました。多くの示唆がありますが、内容自体は、今もまったく変わらない、実にシンプルな福音でした。そこで、聖霊のお働きだけに焦点を合わせますと、まず、ペテロは、まるで人が変わったように、力強く福音を語っています。その土台は神のみ言葉である聖書でした。聖書は、人の言葉で書かれた書です。文字や音であらわされた概念。意味を与えられた記号に過ぎません。しかし、それが現実の世界。人生と、完全に一体化していくのです。聖書の言葉によって世界が照らされ、真実が浮き上がります。
この言葉と世界の一致は、人となってこの世界に来て下さった、神の御子イエス・キリストによって初めて現実になります。キリストは正に生ける神の言葉であり世の光でありました。イエス様を仰ぐことで、み言葉が、変わりやすい、曲った世界より、より確かで信頼すべきものであることを悟るわけです。このイエス様に私たちを繋いでくれるのが聖霊のお働きであります。
花壇で言えば、曲がりくねって、風が吹けば折れてしまいそうな茎が私たちですが、すぐ隣に立った、天まで届く、どんな風雨からも守ってくれる、まっすぐな支柱がイエス様です。この柱に、繋げていく針金のような存在が、聖霊なる神様ということになります。倒れていても、捻じれていても、御性霊が私たちをイエス様に繋いで下さって、天の父の元まで昇っていくことが書います。イエス様が、この御霊を天から送って下ったペンテコステの朝と同じく、こうしてともに御名を讃美する幸いを感謝したいとおもいます。

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