恵みの主をほめ讃えよ

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恵みの主をほめ讃えよ

1 わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。
2 わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。
3 主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、
4 あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、
5 あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。
6 主はすべてしえたげられる者のために正義と公正とを行われる。
7 主はおのれの道をモーセに知らせ、おのれのしわざをイスラエルの人々に知らせられた。
8 主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。
9 主は常に責めることをせず、また、とこしえに怒りをいだかれない。
10 主はわれらの罪にしたがってわれらをあしらわず、われらの不義にしたがって報いられない。詩編 103篇 1節から10節

 本日は、詩篇103篇のみ言葉に聞いてまいりたいと思います。103篇は、詩篇の第4巻の中にあります。詩篇の第4巻は、90篇の出エジプトを歌ったモーセの祈りから始まり、101篇からダビデによる賛歌。讃美になっていきます。この第4巻の中心は、「まことの王である主」「主の王権」をほめたたえる。王権の讃美集と言うことができると思います。

 詩篇は、その名の通り「詩」ですから、散文ではなく韻文で書かれています。繰り返しや、対照的な言葉を組み合わせた、形を持ちます。例えば、行ごとに、A/B、A/Bと続いていたり、A/B/C・C/B/Aのような形式が用いられています。また、韻を踏んでいることが多いのですが、翻訳されると分かりにくくなってしまいます。
103篇の原文を見ますと、1節と、2節はともに「B」で始まります。これは「バーラキー」「ほめよ」と訳されている言葉です。「主をほめたたえる」という「ハレルヤ」の「ハレル」とは違って、直訳すると「祝福せよ」という意味になります。その違いを表すために、口語訳では「ほめたたえよ」ではなく「ほめよ」としているようです。新改訳では共に「ほめたたえよ」と訳しています。詩篇の146篇を見て見ましょう(旧約877頁)。146篇。ハレルヤ詩篇の始まりです。146篇1節。
「主をほめたたえよ。わが魂よ、主をほめたたえよ」
「主をほめたたえよ」が「ハレルー・ヤー」で「わが魂いよ、主をほめたたえよ」が「ハレリー・ナフェシー・エト・アドナイ」。この後ろの部分が103篇の1~2節の一行目と全く同じ形です。違いは「ハレル」の代わりに「バラク」が使われているだけです。ナフェシーは「魂」=「ネフェズ」の変化形です。この「祝福せよ」「ほめよ」という「バラク」で始まった、讃美への招きの讃美は、最後の20節以降。やはり同じ「バラク」「ほめよ」の繰り返しで、締めくくられています。以前に導かれました、詩篇1篇と2篇が同じような形を取っていました。1篇が「幸いなるかな」ではじまり、2篇の最後がやはり「幸いなるかな」で終わって、詩篇全体の序文となっていたと思います。
103編では、この後も、3節から5節は最初の言葉がHで始まります。6~7節がY、8~10がR,11~14がKで始まって、韻律を備えた文章になっています。主を讃美するための歌詞。み言葉の讃美歌であるということです。

 今朝、主のお守りのうちに、新しい年を迎えるにあたり、「わがたましいよ、主をほめよ」というみ言葉ではじまる103篇に導かれたいと願っています。私たち人間が生きていく、そのおもな目的である「真の神を喜び、栄光表わす」こと。それは、主をほめること。讃美する中に表されてまいります。主への讃美のみ言葉に聞いて参りたいと思います。それでは、1節から2節をお読みいたします。
 
「1わがたましいよ、主をほめよ。わがうちなるすべてのものよ、その聖なるみ名をほめよ。
2わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」
まず、最初の1節と2節は、103篇全体の序文となっています。そして、私たちを、その目的である、「主をほめる」「主をほめ讃える」、讃美へと招いているわけです。「私の魂よ、主をほめよ」。ダビデは自分に命令しています。「私の内にあるすべてのものよ、聖なる御名をほめたたえよ。」
イエス様が「あなたは心をつくし、いのちを尽くし、知性をつくして、あなたの神、主を愛しなさい」と言われたように。自分の、内にあるもの。心、命。魂とも霊とも訳されます。そして、思い、知性。私たちを構成している全てをもって、主をほめたたえなさい、と招かれているわけであります。それは、「そのすべてのめぐみを心にとめよ。」と歌われているように。主への讃美は、主が私たちに賜っている、そのすべての恵みを覚えて、心に留めるところから生まれてまいります。直訳では「忘れてはならない」。主がして下さったことを何一つ忘れず、心に覚えて主をほめたたえよ、という招きです。

そして、心に留めるべき「そのすべての恵み」について。つづく3節以降、主の恵みを忘れないよう、心に刻むために。主の恵みを数えるように、網羅するように、主が私たちになして下さっている、愛の御業が歌われていきます。その愛の主の恵みを、み言葉に沿って、順に聞いてまいりたいと思います。
103篇の3節から5節をお読みいたします。

「3 主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし、4 あなたのいのちを墓からあがないいだし、いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、5 あなたの生きながらえるかぎり、良き物をもってあなたを飽き足らせられる。こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。」

主の恵みについて、ここで教えられることは、結論から申し上げますと、主の恵みは「命の恵み」である、ということであります。まず、主なる神は私たちの不義を赦されます。不義とは、咎。神様に背く罪であります。「義人はいない一人もいない」という通り、アダムの堕落以来、人は誰一人として、主が満足される義を持つことが叶いません。主の忍耐と憐れみの下で、かえって主に背く私たちを、それでも主は赦して下さる。それが主の恵、慈しみの第一であります。
そして、「すべての病を癒し、命をお墓の穴から贖い出して下さる」。さらに、慈しみと憐れみを、私たちの上に被らせられ、生きながらえる限り。生涯、良い賜物、必要を満たして下さる、と告白しています。病の癒しと、死からの解放、地上の必要。全て、主が与えて下さる恵みであります。
ここでの「病」「墓」という表現は、肉体的な苦しみや、死を思い起こしますし、また、生涯の良い物も、表面的には、現世的、具体的恵みのように表されています。神様の祝福と、地上の繁栄をストレートに結びつけている、旧約的表現と言えます。
実際、主の恵みは現実的であることも真実です。単に、信仰者の心の問題、平安といった内面的な範囲に収められるべきことではなく、私たちが生きる現実を、世界の全てを主は摂理され、愛によって恵みを賜わっていることも真実であります。
その上で、ここでは、同時に霊的な恵みの前提が示されています。3節から5節は、言葉を重ねてはいますが、実は、ただ一つの事を語っていることが分かってきます。それが分る一番のポイントは、4節の「あなたの命を、墓からあがない い出す」というみ言葉になります。単に、墓から生き返らせるとか、穴から救い出す、というのではなく、「あがない出す」と歌われています。「あがなわれる」必要があるのは何か。それは「罪」だということです。神様に対する罪は、あがなわれる必要がある、あがないが無ければ、肉体の死は永遠の死、滅びに至る、ということを、主はモーセを通して明かされました。
3節の最初にあげられた恵みは「不義の赦し」でした。主は私たちの罪を赦し、命をあがなって下さる。代価を払って私たちの命を、死から買い取って下さると言っています。ですから、癒して下さるこの病も、私たちの命を永遠の死に至らしめる、罪の病ということになります。

私たちを讃美へと導く、主の恵みは、私たちの背きの罪を赦し、生きかえらせ、死の支配から解放して下さる、あがないの御業、永遠の命の恵みであります。その命をあがなう、代価として支払われたのが、神の一人子、イエス・キリストの血であり、命でございました。そして、主はあがない出したもの。主の民を慈しみ、憐れんで、信仰を与え、必要な賜物で満たし、若返らせ、新たになる。主を信じる者を、新たな命に生かして下さいます。信仰による、新生ということが歌われています。主が、私たちに与えて下さる恵みは、地上の新しい命。人生と、その先にある、天の永遠の命に生かして下さる、命の恵みであります。これを覚えて、主を讃美いたしましょう。

続いて6節から10節です。

「6 主はすべてしえたげられる者のために正義と公正とを行われる。
7 主はおのれの道をモーセに知らせ、おのれのしわざをイスラエルの人々に知らせられた。
8 主はあわれみに富み、めぐみふかく、怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。
9 主は常に責めることをせず、また、とこしえに怒りをいだかれない。
10 主はわれらの罪にしたがってわれらをあしらわず、われらの不義にしたがって報いられない。」

恵みは、主の一方的な恩寵であります。憐れみによります。主は、虐げられる民のために、正義と公正を行われます。「公正を行う」とは、「裁きを行う」という意味でもあります。主は、完全な義を持ったお方であります。この世での罪の抑制も、そして最終的な究極の命の裁きも、主がなさるということが約束されています。さらに、公正な裁く権を持たれる主は、憐れみ深い方でもあります。裁きの基準も、裁きを逃れる術も、御自身のご計画、み心を、モーセをはじめとする、代々の預言者たちを通して、イスラエル。神の民にのべ伝えて来られました。裁きを逃れさるように、救いへと招いてこられました。その究極の預言者として、御子イエス・キリストが来て下さったわけであります。
憐れみ深い主は、ノア契約でご自身の心に言われたように、「人は心に思うことが幼い時から悪い」存在でしたが、その悪さに相応しく、常に責めることはなさらず、いつまでもお怒りにならず、忍耐強くあられました。公正で完全な義をもって裁かれるお方が、永遠の死の滅びに相応しい、罪ある私たちを、それにふさわしく扱わず、かえって憐れみと慈しみを注いでくださるお方だ、この方をほめたたえよ、ということが教えられます。
8節の「主は あわれみ深く 情け深い。 怒るのに遅く 恵み豊かである。」は、出エジプト記34章で、シナイ山から、なかなか下りて来ないモーセを待ちかねたイスラエルの民が、金の子牛の像を造って、礼拝するという、十戒の第二戒に違反した事件がありました。あの事件は、偶像礼拝の罪ですが、礼拝の対象を定めた、第一戒ではなく、礼拝の方法を定めた第二戒への違反になります。イスラエルはあくまで、エジプトの地から救い出して下さった「主」を礼拝しようとしましたが、その手段として「偶像」作って利用した、という第二戒違反です。
その、主の戒めに背いたイスラエルに対し、主は、たしかに罰は与られましたが、完全に滅ぼすことなく、モーセに命じて、改めて二枚の岩で契約の書を与えられました。その際に、主がご自身を表すために宣言された、主のご本質を表す、最も確かな自己開示のことばが「主は あわれみ深く 情け深い。 怒るのに遅く 恵み豊かである。」であります。元旦を迎え、憐れみと慈しみに満ちた、主の恵みを覚えて、主をほめたたえ、新たな一年を初まりといたしましょう。

主を讃美すること。私たちが、天地を統べ治め、すべてを裁かれる権をお持ちの唯一の神である、主をほめたたえるのは、主が私たちに与えて下さる、すべての恵みを覚えることから始まります。それは、私たちを不義。すなわち罪と、その結果である永遠の死から、救い出し、新たな命を与えて下さる、命の恵みでありました。その代償の重さ、恩寵の大きさを覚えたいと思います。完全な義をもって公正な裁きをなさる主は、憐れみ深い主であられました。罪ある私たちを、罪にふさわしく、直ちに責めることなく、測りがたい忍耐と、慈しみをもって、救うための御業を果たして下さいました。

詩篇103篇の前半で、私たちが主の恵み。新しい人生と永遠の命を与える、命の救いの恵みを、あずかっていることが歌われました。その中に、私たちを救うために、イエス・キリストが果たして下さった御業が、埋め込まれていました。
それは、イエス様は、私たちの命を墓穴からあがない出す「あがない主」であるということ。あがないは、生贄を捧げ、父なる神にとりなす「祭司」の職務であります。そしてもう一つ。その救いの福音、神様のみ言葉を、のべつたえて下さいました。それは「預言者」の務めであります。イエス・キリストのご生涯と、その御業の中にこそ、主の全ての恵みが、実現したものとして明確に、表されているのであります。イエス様のみ姿を仰いで、主を讃美致しましょう。

 ここまでで、もうお察しの方も多いと思います。次週、103篇後半は、キリストの三職「預言者・祭司・王」残り。まことの王について、歌われてまいります。そこに主の恵みの。更に本質を聞いてまいりたいと願っています。

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