月報 2023年3月 「御言に聞く自由なしもべ」
【主はきて立ち、前のように、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれたので、サムエルは言った、「しもべは聞きます。お話しください」。】サムエル記上 3章10節
「しもべは聞きます。お話しください」。この御言は、私がまだ学生で、教会に通いだして間もない頃、大﨑先生が、ほかの箇所のお説教の中でも、よく引用されていた記憶があります。「まず聞く」ということ。その心構えの大切さを強調されていたように思います。ただ、当時の私にとって、少し心に引っかかる言葉でした。「しもべ」という単語が持つ、何か卑屈な印象。そこに、窮屈さや、不自由を感じたように記憶しています。
しかし、先生がサムエル記3章を説教された時には、逆に「自由」が語られました。それは、神様に従う自由。そして罪のこの世と人からの自由でした。まことの神様に服従することは「自由になること」だと教えられました。罪の下に生きる私たちは、自ら神様に聞く自由を失っているということです。
そのような私たちに、まことの神様である主が、まず語りかけて下さいます。サムエルも「しもべは聞きます」と答える前に、三度も「サムエルよ、サムエルよ」と、主から呼ばれています。サムエルは、それが主の呼びかけだと気づかずにいました。仕えていた祭司エリの声だと思ったのです。主に召された祭司であるエリは、サムエルの様子を見て、それが主の声であることを悟り、どのようにお応えすべきかをサムエルに指導します。サムエルは素直に従い、主の呼びかけに「しもべは聞きます。お話しください」と応じて、神様の言葉を受けることになりました。
このように、人は神様からの働きかけ・啓示が無ければ、神様を知ることも、交わることもできない状態にあります。それが罪の状態です。そのような私たちを、神様が招いて下さり、聖書を通して、ご自身を開示され、聖霊によって信仰を与え、救い主・御子イエス様にあって、主との交わりを回復して下さいました。この一方的な恵みにより、私たちは、唯一の生けるまことの神様がいらっしゃること。その神様は愛の神様で、私たちを愛していて下さること。私たちを罪と死の滅びから救い出し、永遠の命を与えるために、御子を遣わされたこと。常に私たちと共にいて、私たちの益のために、世界を摂理されている事実を、信じるに至るのです。
この世界を造り、統べ治められるまことの神様・愛の主を知らないということは、世界を知らないことになります。神様の言葉である聖書に聞いて、世界を照らすまことの光によって、人が罪の闇の中に生きていることが分かります。心の目が開かれ、信仰によって見えないものを見、世界の成り立ち、摂理の真実を知ることは、まさに暗闇から自由になるということです。この信仰によって、人の罪により混沌としたこの世と、死の滅びから、天国での永遠の命の希望へと、私たちの魂と肉体が解放されます。主に仕える「しもべ」は、強制的な奴隷ではなく、最も自由な喜びに満ちた、神の民となるのです。
「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉からくるのである。」(ローマ10:17)。「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確信することである。」(ヘブル11:1)。 聖書に聞いて、見えていなかったことが見えるようになり、まだ見えない未来を確信することができるようにされます。そしてさらに一層、御言葉に聞き、主に仕えようとする、自由が増し加えられ、喜びのうちに、天国への道を歩むことがかないます。その神様の御言葉の中心におられるのが、私たちの主となって下さった、イエス・キリストなのであります。