命の光を信じよ

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命の光を信じよ

 (1)初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。(2)この言は初めに神と共にあった。(3)すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。(4)この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。(5)光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
(6)ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。(7)この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。(8)彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。
(9)すべての人を照すまことの光があって、世にきた。(10)彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。(11)彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。(12)しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。(13)それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
(14)そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。ヨハネによる福音書 1章1節から14節

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」
 
 ヨハネによる福音書1章1節から5節のみ言葉でございます。「初めに言があった」という、有名な書き出しではじまる、み言葉です。クリスチャンで無い方でも、ご存じの方が多いと思います。私も、クリスチャンになる随分前から、知っていた記憶がございます。ある意味、問答のような、哲学的な謎を含んだみ言葉だと思います。強いインパクトもって、この福音書が始まります。
本日、共にお祝いするクリスマスとは、人類の罪のあがない主、神の一人子イエス・キリストが、私たち罪人が生きているこの地上に、人となって来て下さった。私たちを、永遠の死、滅びから救い出し、天の御国で永遠の命に生かすため、救いの御業を果たしに、神様が来て下さった。この人類史上最大にして、一度きりの喜ばしい出来事。これを、記念するのが、クリスマスであります。

 救い主降誕の出来事は、マタイ、ルカ、ヨハネの福音書に、その記事がございます。マルコは、イエス様の地上のご生涯での御業、働きを中心に教えていますので、イエス様が成人になられて、バプテスマのヨハネの洗礼を受けられるところから始めています。
 マタイとルカの福音書では、お生まれになった経緯が描かれており、似通っていますが、目的に従って、視点が変わっています。マタイは、約束されていたダビデの末。まことの王であるメシヤが、ついに私たちのもとに来られたという、旧約預言の成就がその背景にあります。ルカの場合は、神の子が人となって来られた。世界の歴史の中に、神が降臨された、歴史的事実を伝えようという、目的にかなう記事となっています。
 同じ出来事を、違う方向から見た、マタイとルカの違いが典型的に表されている箇所の一つが、イエス様の系図になります。マタイでは、アブラハムからダビデ王を経て、イエス様に至る、正統な王権の系図。ルカでは、逆にイエス様から遡って、ダビデ、アブラハム更にアダムから、造り主である神様に至る、人としての出生の系図となっています。
 また、マタイで、天使ガブリエルによるメシヤ誕生の告知は、ダビデの子孫である父ヨセフにおこなわれました。ルカでは、肉体の母として召された、マリヤに対して行われたことが記されています。二人は、それぞれ、み使いを通して告げられた、神様の御旨、ご計画の実現を知らすみ言葉を受け入れ、信じて、み言葉に従ってその歩みを進めていくわけです。

 本日お読み致しました、ヨハネの福音書の、書き出し。救い主降臨の記事は、マタイ、ルカの福音書とは、全く趣が異なっていることが分かります。マタイ、ルカが、目に見える出来事、歴史的事実という書き方をしているのに対して、ヨハネの場合は、キリストの誕生を、世界の創造の前から書き始めています。この出来事の真実の意味、真理を明かにしようとしていることが分かります。それは、ヨハネ福音書の性質、書かれた目的を示すものでもあります。
 ヨハネが福音書を記した目的は、ヨハネ自身がはっきり述べています。20章31節(177頁)

「しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。」

 すなわち、この福音書を読んだ者が、人間イエス様を、神であり救い主と信じるため。信じることで、命を得るため。御国での永遠の命と、地上での新たな命、真実の意味と祝福の内おかれた命を得るためであります。憐れみ深い神様は、恵みの契約。信仰による、永遠の命への招きを、ヨハネをお用いになって、私たちに送って下さったのであります。

 ヨハネを通して、神様が語りかけます。今、人として生まれようとしているイエス様は、まことの神様である。造り主である。神ご自身が、私たちが命を得るために。永遠の滅びから救い出すために、来て下さった。この方を信じなさい。永遠から、自律自存。三位一体の、唯一にの生けるまことの神様による、救いの宣言であります。この神様のみ言葉を、今朝、あらためて心に刻み、救いの喜びと感謝を新たに、新しい年への歩みを進めたいと願うものです。
 9節から11節をお読みいたします。

「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」

 神さまのみ言葉は教えます。世に来られたイエス様は、まこと光である。私たちの命の光である。闇に打ち勝たれた光である。死の闇から私たちを解放さた、光そのものであられました。その光を見れば、光に向かい、その中を進めば、命にいたることができる。しかし、人はその光を認めることができなかったのであります。闇より強い光を受け入れませんでした。それが、全ての人が陥っている罪、現在の闇であります。
 光の届かない、洞窟の奥に住み続ける生物たちは、やがて眼を失い、光を感知する術を失っていきました。それでも闇の中では生きているわけです。同じように、この命の光によって、目を開かれない人々は、自らが闇の中にいる事すら分からないまま生き、やがて命を終えると、永遠の死に向かいます。クリスチャンは違います。地上での死は、この世の務め終えただけで、直ちに御国に入れられ、全ての困難と苦しみ、痛み、悩み、嘆きから開放されて、完全な平安と喜びの中に置かれるのです。
 神様との親しい交わりが回復され、先に天に召されている、代々のキリスト者と共に、主を讃美する永遠の命を得るのであります。12節をお読みします。

【しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。】

 神様の招きを受け入れること。信じた、その名は「イエス」です。イエスと言う名は、旧約聖書のヨシュア。つまり「主は救い主」という意味のお名前です。イエス様を、その名をの通り、救い主と信じたものを、神の子として下さり、天国の相続者として下さるという、神の恩寵であり、真実なる恵みの約束であります。この良き知らせを、信じ、伝えてまいりたいと思います。
 み名を信じることで、私たちの地上の人生と、そして天国での永遠の命を照らし出す、光が見えてまいります。光を光と、認めることができるのであります。
 また、ここでは、イエス・キリストを信じる信仰が、いわゆる盲信ではないということを表しています。昔は、恋は盲目などと言った表現が使われましたが、イエス様への信仰は、かえって目を開くものであります。逆に、目が開かれなければ、光が見えません。信仰の無い状態こそ、盲目なのであります。

 イエス様は、神様の教えで最も大切なものは何か、と問われた時、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」これが一番大切な、第一の戒めである、と解き明かされました。第二は「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」でした。第一が、十戒の第一戒から四戒。第二が五戒から十戒のまとめでした。まず、第一が神への愛、それに続くのが隣人への愛です。隣人愛とは、社会愛、社会正義と言っても良いかも知れません。それが第二なのは、神への愛、神を知るということが咲きなければ、隣人愛が本質的な意味を持たないからです。隣人愛の土台は、隣人にある神の形であるからであります。
 さて、第一の神を愛することに「心と、精神と、思い」を尽くすように教えられました。新改訳では「心と、命と、知性」を尽くし、と訳されています。命は魂でもあります。つまり、信仰とは、ただ気持ちや、思いだけではないということです。感情も、知性も、命も、私たちの内にあるものを、全て動員して、あらゆる面で、信じるということであります。
 
 先程、人は罪ゆえに光が見えない、と申し上げました。コリント人への第一の手紙1章21節では、「この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。」 と言われました。ま
た、エペソ4章18,19節でも、「彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、自ら無感覚になって」いると教えられています。
 それでは、一体どうすれば良いか。同じエペソ1章の御言葉では、

「17)どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、(18)あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、(19)また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように」 
 パウロが、知恵と啓示の霊を賜るように、と祈っています。つまり、神様の言葉である聖書を通して、聖霊が私たちに働いて下さることで、私たちの心の目が明らかにされるのであります。イエス様は、神の戒め。つまり聖書の教えの第一は神への愛、第二は隣人愛と教えられました。聖書の教えの中心は、信じるべきことと愛です。真に信じるべきこと、愛とは何であるかを求めて、神様が、何と仰っているかを聞こうと聖書を開く時に、聖霊が心の目を開いて下さいます。神を知るに至らない知性にも、光を与えて下さいます。有限で、誤りに満ちた人の知恵に頼るのではなく、全知全能の神様の変わらない真理の言葉に聞こうとする心を、与えて下さるよう、祈ります。

 最近、少々気になっていることがります。それは、信教の自由とか、思想・信条の自由と言った言葉が、ごちゃまぜに理解され、表面的な意味に捉えられる傾向があるのではないか、ということです。宗教二世問題という言葉も、気を付けないと、誤った方向へ人を導く、サタンの罠だと思います。
 信教の自由とは、本来、霊的問題について教会に対する国家権力の介入を拒む、教会の自律を意味しています。国家や地域ごとに、また時代や政権ごとに変わる地上の権力から、永遠の真理を守ろうというものです。思想・信条の自由も、罪さえ犯さなければ何でもいい、というものではなく、まことの神様に自由に従おうとする、新たな命に生きる自由のはずです。だいたい、自由を制限する、罪そのものの定義が、地上では曖昧で、恣意的に適用されてしまいます。全てに法の原点は、変わらぬ神の戒めにあります。

 二世問題もそうです。信仰は一人一人の個人と神様の問題ですが、その祝福は家族単位、共同体に及びます。クリスチャンの親は子供たちに、命のみ言葉を伝える義務があります。それは、クリスチャンだからです。福音の伝道は、クリスチャンにしかできない地上の務め。その先に、信仰を与えて下さるのは聖霊の御業です。ですから、クリスチャンでない親には、その務めはないというか、できないです。
私は、両親や親類にクリスチャンはいませんでした。たら・れば、はありませんが、それはきっと、私がクリスチャンホームに生まれていたら、神様の元に来ることができないことを、主がご存知で、そこに主のご配剤があったと思っています。
 私たちが、その生涯において、聖書のみ言葉に触れること。クリスチャンに出会うこと。それぞれの時が備えられています。それらは、全て、まことの神様が、私たちを天国の命へと招いておられる、愛のご摂理であります。その愛が、全てのキリストの民を、一人も残すことなく、捕えて下さることを主は宣言されています。主の恵みの御約束に信頼し、信仰が与えらえ、また一層固くされますよう、聖霊のお導きを祈ります。

私たちを永遠の命へ導く、神様のご計画が、まことの光であり命である御子イエス様が、この地上に来て下さって、実現しました。この救いの御業に感謝し、聖霊が共にいて下さることを思い、この後、聖餐に与る幸いをおぼえましょう。

2022年度 メッセージ一覧

命の光を信じよ

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのもの…

神が共にいます

「イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。」 マタイによる福音書1章18節のみ言葉でございます。こ…

良い知らせ

イザヤ書61章の、み言葉をお読みいただきました。イザヤ書61章全体では、終末における、主の民が受ける祝…

月報 2022年11月 「キリストの再臨」 

今回はキリストの高挙(高い、栄光の状態)の4つ目。再臨についての聖句です。今、天で神の右に座し給うキリ…

神様が立てた契約

「 主は言われる、「わたしが彼らと立てる契約はこれである。あなたの上にあるわが霊、あなたの口においた…

神が守って下さる

「(20節)しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り…

裁きはあった

「あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不…

月報 2022年10月 「執り成し給うキリスト」(Ⅱ)

 ヨハネによる福音書17章では、イエス様が、ユダの裏切りによって祭司長やパリサイ人に捕まる直前、天を…

月報 2022年9月 「執り成し給うキリスト」

 前回、キリストの高い状態(高挙)のうちの3つ目。私たちと変わらない肉体を持って、天に昇られたキリスト…

月報 2022年8月 「神の右に座すキリスト」

 イエス・キリストとはどのようなお方か。それを知るには、聖書に聞くしかありません。聖書の言葉を通し…

異端への警告

「不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたした…

御霊はひとつ

「(4節)霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。(5節)務めは種々あるが、主は同じである。(6節)働きは種…

人の思い、神の思い

「サタンよ、引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている…

朝ごとに神に祈る

「3;主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待…

あふれる恵みの神

思い煩いを委ねなさい

魂をゆだねなさい

神の恵みの管理人

助け出して下さい

キリストの霊の宣教

私を愛するか

義のために苦しむ幸い

祝福を受け継ぐため

月報 2022年7月 「キリストの昇天」(2)

キリストが、復活後に人の体をもって天に昇られた、昇天の意義について、ウェストミンスター大教理問答で…

月報 2022年6月 「キリストの昇天」(1)

イエス・キリストの高挙については「復活、昇天、父の右の座に着いておられること、世を裁くための再臨」…

月報 2022年5月 「キリストの復活の栄光」(2)

キリストの「高挙」(高く挙げられた状態)の内、「復活」について学んでいます。前回はウェストミンスター…

月報 2022年4月 「キリストの復活の栄光」(1)

神の一人子キリストが、へり下りによって人となられました。そして、どこまでも父なる神様に従順で、律法…

月報 2022年3月 「神の子キリストのヘリくだり」

今回は「キリストの謙卑」について教えられたいと思います。まず、キリストが真の神であられ、真の人とな…

月報 2022年2月 「神は永遠に私たちを守り給う」

2021年の8月から、「カルヴィニズムの5特質(※)」と呼ばれる、5つの教理命題について、聖書に学んでまいり…

命の恵みを共に受ける

キリストの再臨とは

苦難に耐える模範

自由な神のしもべ

暗闇から光へ

御言を慕い求めよ

信仰と希望の源

・「終末の希望への心構え」 ・「聖なる生活の勧め」 ・「まことの裁き主を畏れる」 ・「主の御業なる救い…

苦難に続く喜び

「試練によって磨かれる信仰」 「見えない者を信じる信仰は主による」 「預言の成就・救いの客観性」 「危…

天の資産を受け継ぐ

神の恵みの訪れ

イエス・キリストの復活から50日目。ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が下った、聖霊降臨のできごとにつ…

サムソンの祈り・主の選びの器3

◆士師サムソンについて、み言葉に聴いて参りましたが、今日はその3回目となります。

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◆イエス・キリストが死からよみがえられた歴史的事実とその意味。さらに復活によって約束された、恵みにつ…

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◆神様の唯一の御子であるイエス・キリストが受けられた様々な屈辱、虐げや迫害、そして十字架刑という悲惨…

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キリストの勝利

◆有名なイエス・キリストの荒野の試練(誘惑)から、サタンの真の意図と、キリストの勝利の意味を学びます。

主が共におられるから

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互いに祈りなさい(Ⅱ)

互いに祈りなさい

◆ヤコブの手紙5章から、祈りの三つのポイント聞いて参ります。第一は、いついかなる時も祈りなさいという…

月報 2021年12月 「願いを起こさせ給う神」

全知全能の創造主にして全世界の主権者であられる、唯一の生けるまことの神様。キリストにあって、私たち…

耐え忍びなさい

富める者の責任

◆今朝、会員がお一人天に召されました。メーッセージ入力が途中ですが、続きは後ほど記載します。

虚しい誇り

◆人はいつの誇り高ぶり、自分を何より上に置こうとします。自分を自分の主、自分の神とします。神の上に立…

主の選びの器

■主なる神が遣わされたモーセに導かれ、400年にわたる奴隷の地、エジプトから脱出が叶ったイスラエルの民…

裁いてはならない

■ヤコブの手紙 4章の御言葉で語られる「裁いてはならない」という教えの、意味を教えられたいと願ってい…

神に近づきなさい

(※前半部分のみ。後半は改めて記載します)

真実の知恵

幸いなこと!

■神の御言葉である讃美集、詩篇。その冒頭にある第1篇から、幸いな人生を教えられたいと思います。