【7:そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。8:神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。】
ヤコブの手紙4章7節から8節の御言でございます。神に近づきなさい、というヤコブの命令から、その意味するところを教えられたいと思います。
選集聞いて参りました3章後半で、ヤコブは教会に混乱と分裂、秩序の乱れをもたらすのは、妬みと、敵対心。自分を高くする心であることを指摘してまいりました。知識があって、知恵があると高ぶるものは、その口から、兄弟姉妹を裁き、呪う言葉を発していました。しかし、上からの知恵。信仰を与えられて信じていると告白している、天の神様から授かる知恵がもたらす者は、平和であって、柔和な心であることが教えられました。自ら誇っていた人々が自慢していた知識は、天からのものではない、と戒めたのであります。
本日、お読みいただいた4章では、さらにその罪の本質的な部分に、強く踏み込んで指摘し、また指導していきます。そして、その誤った、表面的な信仰の姿。そこから離れることについて教えはじめます。まことの信仰者、キリスト者どうあるべきか、何を求めるべきか、ということを明確にいたしました。
結論から申し上げますと、それが「神に近づく」ということでございます。そして、さらにその意味は、
前提として、すでに神が近づいてきてくださっている。神の国がすでに到来していることを知る、ということになります。もっと具体的に言いますと、思い起こす、目を背けないように、という教えであります。
8節でヤコブは、「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。」と言っています。この「下さるであろう」という書き方は、口語訳の常で、たびたび申し上げますが、「多分○○だろう」という不確定な未来形でなく、必ずそうなる、という確定形ですから、ここでは「神が近づいて下さる。」「近づいて下さいます。」と断言した言葉でございます。
この8節前半の書き方は、まず自分から神に近づきなさい、という命令で、そうすれば神が近づいて下さる、と続きます。ここだけを読むと、7節の「神に従って」「悪魔に立ち向かいなさい」という、自分の心構え的な教えとあいまって、自分の力といいますか、人間主体。人の努力や意識で、自ら神に近づけるように、受け取られかねない表現となっています。しかし、これは、主の祈りの一部と同じ形になっています。つまり「我らに罪を犯す者を我らが許すごとく、我らの罪をも許したまえ」というところです。この祈りは、私たちが許しますから許して下さいではありません。私たちの行いが条件で許されることを願う祈りではありません。
まず、私たちが許されているということが、大前提となっています。なぜ許されているか。それはイエス・キリストの贖いと執り成しによって、イエス様を神の子、救い主と信じる信仰によって赦されているわけであります。このような罪人が、大きな代価を払って赦されました。それでもなお、日々罪を重ねる弱き者を、日々許して、そして守っていて下いる。このキリストにある神の愛。あわれみが御霊によって
私たちの内に刻まれているので、私たち自身、許すことがかなうわけであります。これがそもそも。主が許して下さっているので、私たちも許す事が出来ますように、ますます赦して下さい、という意味の祈りであります。
同様に、この8節も、自分から神に近づくから、神が近づいて下さるのではないです。神はもうすでに近づいてきてくださっているのであります。何より、ご自身の一人子イエス様を、私たちのもとに遣わしてくださいました。私たちが、みもとに近づくことができるように。神様の下に立ち返り、罪によって立たれていた、神との交わりを回復し、やがて天の御国を継ぐように、主なる神が、まず私たちに近づいて下さったのであります。かつて、バプテスマのヨハネは「悔い改めよ、天国は近づいた」と宣べ伝えました。ヨハネは、自分の後に、真の救い主、メシヤなるキリストが来られることを知っていました。ルカの福音書では、受胎しマリヤが妊娠中のエリサベツを訪れた時、マリヤの挨拶を聞いたヨハネはエリサベツの胎の中で踊った、と記録されています。
イエス様も、「時は満ちた、神の国は近づいた」と宣教されました。悪霊に着かれた人から悪霊を追い出された時は、「わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」と仰いました。そして、十字架の死から復活され、上から助けを送ると言われた通り、多くの弟子たちに聖霊を遣わされました。さらに、「私は天においても地においても、一切の権威を授けられた」と宣言され、「世の終わりまであなた方と共にいるのである。」と保証して下さったのであります。これは、イエス様が天で神の右の座に着いておられるいま現在、世界は既に、聖霊によるキリストのご支配のもとにある、神の国時代であるということを教えています。ただ、神の国の完成は、やがてイエス様が再臨される時を待つことになるのですが、その完成する神の国、天に御国も前味。ひな型が地上の教会です。地上における天国の大使館とも表現されます。私たちは天に本籍を持つ御国の一員として、地上に遣わされた外交官ということになります。このことは、これから、どんどん世界中に大使館を建てていく、その始まりの時代であった、ヤコブが手紙を書いた時代においても、同じでありました。
ですから、8節のヤコブの言葉は、神様が来てくださっている。皆もそれをわかっているでしょう、あなた方が、信仰があるというなら、そのことを思い起こして、神に立ち返りなさい。こころの内に、たましいに証ししていて下さる、聖霊のお働きに目を背けるようなことをしてはならない、という教えであります。ヤコブは1章の終わりで「自分の心を欺いているならば、その信心はむなしい」と言いました。3章の終わりでも「真理に背いて偽ってはならない」と諭していました。
彼が言う、神に近づきなさいというのは、すでに知らされたている、神様が来てくださったことを思い起こし、仰ぎみて、御心にかなうように祈り務めなさいという意味でございます。
そのためにどうするべきか。8節後半では、
【罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。】と教えています。汚れた心が、手を汚します。貪欲や、欲望、妬みなどに支配された心から、汚れた行いが生まれ、表れ出ています。これを、回復するには、心を何とかするのではなく、まず手を清める。行いを正すところから始めるということであります。そこから、次に心の問題に取り掛かります。
専門ではありませんが、精神的なストレスから、体に不調が出た場合も、まず自律神経とか体の異常を治めて、整えることで、内面的な問題に向かうことができるようになります。それと同じような手順を示しているように思われます。まず確認できる行動を変化させていきなさいという指導です。