私を愛するか

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私を愛するか

15:彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
16:またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
17:イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。18:よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
19:これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。ヨハネによる福音書 21章15節から19節

「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」
今朝もみ言葉に聴いて参りましょう。今日のみ言葉は、復活のイエス様がテベリヤの海で、弟子達の前に姿を現された時の出来事です。

【21章1-14節要約】イエス様が十字架にかけられた後、シモン・ペテロをはじめとする弟子仲間は、テベリヤの海辺でもとの漁師に戻って暮らしていました。(21章3節)ある夜、シモン・ペテロが漁に行くと言うと他の者たちも、私たちも一緒に行くと言って、漁に出ました。しかしその夜は、何の収穫もありませんでした。その時、岸にイエス様が現れたのですが、ペテロ達はそれがイエス様であるとは分かりませんでした。イエス様は彼らに声をかけられ、船の右の方に網をおろして見なさいと言われました。彼らが言われた通りにすると、引き上げることができないほど多くの魚が捕れたという出来事がありました。

シモン・ペテロは、(兄弟アンデレも)
<「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」>(マタイ4:19、マルコ1:17)
というように、人間をとる漁師即ち伝道者として召された者でした。今また復活のイエス様が、彼らに伝道者の何たるかを教え、改めてその使命に召されたのであります。
ペテロは「わたしは漁に行くのだ」と言い、仲間達も「わたしも一緒に行こう」と出かけました。しかし一晩中何の収穫も得られませんでした。人をとる漁=伝道も、わたしの思いで始めたのでは失望に終わることが多いのです。
彼らが何の収穫も無いまま夜を明かしたとき、イエス様が船の右に網をおろすよう言われました。ペテロ達は、それがイエス様とは気づかないまま、素直に従いました。そうしたところ、思いがけない大漁で、網を水から引き上げることもできないほどでありました。
このエピソードには、伝道の本質が語られていると言えましょう。人をとる漁=伝道は、「わたしが行こう」「わたしも行こう」という、人の発意で行うものではないのです。人の思いで伝道を行っても、実を結びません。ただイエス様のみ心に従い、召しによって進むときに、大きな成果を上げることができるのであります。また彼らは漁師として経験や知識を持っていたにもかかわらず、一晩中不漁でありました。しかしイエス様のご指示に従った時、思いがけない大漁でありました。伝道は、伝道者の知識や経験に頼るのではなく、イエス様のみ心に従ってこそ、成果を上げる小のができるのです。
岸には炭火が起こしてあり、魚とパンの用意もありました。彼らはイエス様のもとに素晴らしい成果を携えて行き、喜びの食事をしたのであります。

そして、今日お読みいただいたところになるのですが、21章の前半が、イエス様が人をとる漁師=伝道者として召された弟子達に、彼らの生業である漁を通して、もう一度伝道者のあるべき姿、心構えを教えられた出来事でありました。

そして15章からは、ペテロの再召命とも言うべき出来事であります。
ペテロは、イエス様の公生涯の始めに「人間をとる漁師にしてあげよう」と召された人でありました。さらにマタイ16:13-19(26)
<13イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は人の子をだれと言っているか」。14彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。15そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。16シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
17すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。18そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。19わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。>
というように、イエス様に他の弟子達に先立って「あなたは生ける神の子キリストです」と信仰を告白し、イエス様からペテロ=岩と呼ばれ、あなたの信仰の上にわたしの教会を建てようと、言われた人です。
しかし、ペテロは大きな失敗をしておりました。イエス様が捕らえられた夜、「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」と問われて、「そうではない」と打ち消しました。尋ねられては打ち消すこと3度、そのとき鶏が鳴いて、ペテロは「あなたは今日鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」というイエス様の言葉を思い出したのです。イエス様について行きたい、そのためには命も惜しまないと言っていながら、肝心のときに師を裏切ってしまったと、ペテロは大きな後悔と悲しみに打ちひしがれておりました。

21章15節。食事の後、イエス様は、
<「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」>
と尋ねます。キリスト・イエスに仕える者に何よりも大切なのは、キリスト・イエスへの愛であります。ペテロは
<「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存知です」>
と、答えました。ペテロの言葉は、謙虚でありました。先ず、イエス様の問いかけの「この人たちが愛する以上に」ということには、答えていません。ペテロは直情的な性格で、イエス様ヘの一途な思いを懸命に現す人でした。イエス様がご自分の十字架について話、「あなたがたは皆わたしにつまずく」と言われたときにも、ペテロは、
「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」(マタイ26:33、マルコ14:29)
と言って、私は他の人とは違うと主張する人でした。しかしここでは、「わたしがあなたを愛することは、あなたがご存知です」というのみで、自分からは何も言わず、評価をイエス様に委ねています。
さらにイエス様が、愛するという言葉に「アガペ」を使っている(アガパース)のに対し、ペテロの答えでは愛するという言葉に「フィリア」を使っています。ギリシア語では日本語で愛と訳す言葉が複数あって、イエス様が使ったアガペの愛は、愛すべき理由の無いものを、自らの意志で愛し、そのことによって愛された対象を価値あるものとする、そのような愛です。神様が、私たちを愛してくださる愛が、まさにアガペです。神様に逆らい、自分を神以上のものと思い上がって罪に沈んだ私たちを、なおも愛し、私の目にあなたは尊いと言ってくださる神様の愛が、アガペなのです。その言葉を持ってペテロに尋ねられたのに対し、ペテロはフィリアを使って答えます(フィロー)。黒崎幸吉はアガペを聖愛、フィリアを自然愛と言っておられますが、友愛とも言うべき、人が人を愛する思いです。(男女の恋愛はまた別)イエス様が言われるような尊い愛し方はできないが、人として精一杯愛する、その思いをあなたはご存知ですと、答えています。
イエス様は「わたしの子羊を養いなさい」と命じられました。ご自分を愛する者に、イエス様が愛する子羊に食べ物を与えて育てなさいと命じられました。この食べ物とは霊的食べ物、イエス様、神様のみ心を教え、主の民として成長させなさいということであります。この霊の食物は主を愛する者でなければ、与えることができません。

21章16節イエス様はもう一度聞かれました。今度は「この人たちが愛する以上に」とは、言われませんでした。ペテロの謙遜な気持ちを受け入れられたということでしょう。ペテロはもう一度同じように答えます。するとイエス様は「わたしの羊を飼いなさい」と命じられました。先ほどは子羊を養うことでしたが、今度は羊を飼えとなっています。それぞれの羊に食べ物を与えて育てるだけではなく、大人から子どもまで、様々な羊がいる、その群を統率し、正しく導くよう命ぜられました。

21章17節イエス様は三度尋ねられました。この3度目の問いに、イエス様はアガペでは無く、フィリアを使われました。(フィレイス)ペテロは、三度も自分のイエス様に対する愛を確かめられて心を痛めました。三度目は自分が使っていたフィリアで尋ねられたことも、彼を動揺させたと思われます。ペテロはイエス様の全知にすがって、自分の思いを訴えました。イエス様は「わたしの羊を養いなさい」と言われました。そして、
「よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」(21章18節)と言われました。
ペテロは実行の人でありました。思ったことはすぐ口に出す、思いついたことは直ちに実行する人でありました。しかし年を取ってからは、自分の思うようにでは無く、他人があなたに帯を結び、行きたくないところへ連れて行く、これは単に老齢で行動が不自由になるということではなく、やがては殉教の死を遂げるということでありました。そして「わたしに従ってきなさい」(21章19節)と言われました。イエス様を愛し、愛するが故に、み跡を辿り、やがてはイエス様がなさったように、殉教の死によって、神様の栄光を現すことを告げられました。

ペテロは、イエス様が捕らえられたときに、思わず臆病さに捕らえられ、三度までイエス様を知らないと言って、己の怯懦(きょうだ)に深く傷つきました。しかし今、イエス様の問いに答えて、同じく三度まであなたを愛しますと告白しました。そして、改めてみ牧の羊を養いなさいと使命に召されました。
キリスト・イエスを愛することが、牧者の基であります。黒崎幸吉は信者はキリストの子羊であって、牧師の子羊ではないと書いておられました。ペテロはイエス様によってその愛を守られ、使命に召されました。私たちもまた、イエス様を愛するその心をいっそう強く育てていただきたいと思います。
(滝田善子 教師)

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