神の恵みの管理人

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神の恵みの管理人

 1このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。
2それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。
3過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。
4今はあなたがたが、そうした度を過ごした乱行に加わらないので、彼らは驚きあやしみ、かつ、ののしっている。
5彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。
6死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。
 7万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。
8何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。
9不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。
10あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。
11語る者は、神のみ言葉を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。ペテロの第一の手紙 4章 1節から11節

「10.あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。」
 ペテロの第一手紙 4章10節のみ言葉です。今朝もペテロの手紙から、特に、この世に遣わされているクリスチャンの心構えと態度について導かれたいと思います。心の持ち方、と言った方がいいかも知れません。
 この第一の手紙で、ペテロは信仰に関する教理的なことと、この世での行動や振舞いについて、いろいろ教えてきました。内容は豊富ですが、ゆっくり読んでいきますと、論理的なつながりや、展開がしっかりしていて、文章の形や内容において、繰り返して語っていることが分かります。そこで整理する意味で、ペテロの教えている内容、そのパターンをまとめてみたいと思います。
 まず、ペテロが語っている相手は、信仰を与えられたクリスチャンで、彼らは、同じ信仰を持たない社会で困難を覚えている、ということはお話してきました。そのため、ペテロは、まずクリスチャンの受けている恵みの大きさを再確認させてから、第一にクリスチャンのあり方、信徒同士の交わりについての教えを語ります。第二に、クリスチャンではない人々との関係について、社会での振舞いについて教えていきます。そして、その教えの根拠にあるのは、イエス・キリストの御姿である、ということを示してきました。
 私たち罪人を救うために、この世に来てくださった神の御子が、地上の生涯をどのように過ごされ、振る舞われたか。その救い主の姿こそ、救われた者が、仰ぎ、つき従う道であることが示されています。父なる神様と私たちの唯一の仲保者であるイエス・キリストは、クリスチャン同士をつなぎ、また私たちと世を繋ぐ、架け橋でもある、ということであります。

 それでは、本日のみ言葉に聞いて参りましょう。4章の1節から2節。
「1,このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。2.それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。」

「このように」と始まります。これは、3章の18節から22節を受け、その内容をひきついでいます。特に18節「キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。」というみ言葉を、そのまま,私たちに当てはめて教えていきます。
 キリストが、肉において苦しまれた。死に至るまで従順であられた。キリストの苦難と従順。しかもそれは、私たちを救うためである。したがって、キリストの命によって罪と滅びから買い戻された、私たちクリスチャンも、キリストにならう者として、同じ覚悟で心を武装しなさい。苦しみの中にあっても善を求める事。それは、私たちを守るためでもあり、同時に神を知らない人々への証し、すなわち救いへの伝道であるということであります。(私たちの心の武装は、エペソ4章で教えられるように、その中心は。み言葉=聖書になります)
 このように、信仰ゆえの、この世での苦難を受け、耐え忍ぶものは、「罪から逃れた」。これは「罪を終わらせている、やめさせている」という完了形です。新改訳では「罪との関りを断っている」と訳しています。それでも地上に生かされている間は、完全に罪を断ちきることが叶わないのも事実であります。完全にはできない(ヤコブ3章2節)。ただし、救いと言う永遠のレベルでは、確かにそうです。キリストの贖いと復活によって、私たちは既に、罪と永遠の死から開放されています。こちらの真実を心に覚えて、神に従う道を歩みたいと願うところに、御霊が働いて下さいます。
 そして、それは「肉における残りの生涯」という、私たちの人生が変えられる、ということを教えています。すなわち、自分中心、欲望の支配から、神中心へ。み言葉をとおし、御霊によって回心し信仰を与えられると、生きる規準が自分の感情・欲望ではなく、神の御心になっていく、ということです。ご存じのように、回心は改める方ではなく、回る方です。心の向きが変わる。シューブ「立ち帰れ」と言われた通り、心を神様の方に向けて、生きていくということです。
 
 続く3節をお読みいたします。
「3.過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。」 
 3節の冒頭には「γαρ」=「なぜなら」という接続詞が入っています。残された生涯を御心に生きる。「なぜなら」、それは、もう十分だからです。何が十分か? 異邦人のように欲望に任せて活きてきた、「時」がもう十分と言う意味です。日本語で読むと「好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな 偶像礼拝など」の不法な行いがもう十分、というようにも読めますが、「好色、欲情、偶像礼拝」などの言葉は全て複数形の女性名詞で、「十分」は単数・男性形になっています。それに対応するのは「時代」という言葉になります。「十分」は「時代」にかかっています。時代とは「時」、「時間」を指す「χρονος」という言葉です。神さまの御心に背いてきた時間はもう十分である。これ以上必要ない。ということ。そして、実は2節の「残りの生涯」の「生涯」も同じ「χρονος」です。
 そこから、4章冒頭のキーワードは「時」。クリスチャンとは、残された地上の人生の時間を、神中心に生きるために回心され、召されているということを教えています。一人一人の人生の長さも、残された時間も、また自分の欲望に支配された時間も、それぞれ違いますが、それぞれに時が満ちて、相応しい時に主が御許へ招いてくださり、心の向きを変えて下さるのであります。主の恵みによる回心と、回心した者が、地上で残された時間をいかに生きるかが、ここで教えられるテーマです。

 そして、回心するとどうなるか。4節をお読みしますと。
「4.今はあなたがたが、そうした度を過ごした乱行に加わらないので、彼らは驚きあやしみ、かつ、ののしっている。」
 回心した後、人は変えられていきます。自分で気づく場合も、そうでない場合もあるでしょう。しかし、事実変わります。信仰とは、それを持つことで、周りや世界が、何か都合よく変わることではなく「自分が変えられる」ことだと教えられました。「心の目が開かれる」という意味でもあると思います。まことの神様がおられる、と言う前提の有無が、やがて違いとなって表に出て来る。思いや行動に表れます。そうすると、周りの人々は違和感を抱くことになります。「驚きあやしみ、かつ、ののしっている。」 
 人は、理解できない事がらに不安を抱き、やがて非難に変わることもあります。4節で、個人的にキーワードだと思ったのは「度を過ごした」という言葉です。まことの神様を知らない人々との関係を完全に断つとか、非常に禁欲的な、修行僧的な感じではなくて、「度を過ごした」。度を越した、過剰な乱行に加わらなくなる。節度、になるでしょうか。これも個人差はあるでしょうが、それでも、それぞれが「み心」にあって、実際に、主が守って下さる。それが、ののしられもしますが、また、救いの証でもあります。
 
5節から6節
「5.彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。6.死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。」
 クリスチャンを怪しむ、あるいは罵った彼らは、やがて裁き主なる神様の前に出ざるを得ません。これは、全ての人は裁きの場に着く、ということです。生きている人も死んだ人も、キリストの民も、そうでない者も全員同じく、であります。しかし、クリスチャンは信仰によって、キリストのゆえに無罪とされます。福音の宣教、伝道とは、全てのキリストの民が、神に従って生きるようになるためになされるわけです。そのため「死人にさえ・・宣べ伝えられた」のは、3章の19節と同じです。「今は既に死んでいる人々も、生きている間に福音を聞いた」ということです。宣教によって信じた人も、人間としては原罪によって、全ての人は肉体的死を与えられています。しかし、霊において生きる=永遠の命に生かされるのです。神によって。神のように。さらに一度は朽ちた肉体さえも、キリストの再臨によって復活させられます。これはクリスチャンに約束された恵みであり、朽ちない希望です。
 
 すでに、私たちの過去の「時」と、残された人生の「時」について語られました。そして、やがて裁きの「時」が確実に訪れることがここで示されました。そこから、終末へと向かう時について話が進められます。7節から9節をお読みします。
「7.万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。8.何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。9.不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。
 万物の終わりが近づいている。つまり、今はある意味、終末の時であります。イエス様が来られたことで、神の御国・王国はもう始まっています。完成はしていません。イエス・キリストの再臨によって神の御国が完成するのを待っている、それが今この時であります。「万物の終わりが近い」と言われるのは、創造、堕落、贖いの御業という、神の救いのご計画の主要部は、既に完了している、と言う意味です。
 そして、ここではこの終末を生きる上で覚悟すること(4章1節)。クリスチャンの心構えが教えられます。終末を生きる、教会での生き方です。それは二つのこと。「祈り」と「愛」についてになります。
 まず、心を整えて、真摯に、努めて祈る。直訳すると「祈りに向かって、心を確かに、身を慎む」ということになります。つまり「祈るために」しっかり備える。力を注ぐように。なぜなら、御心にかなう祈りは主の御名によって叶うからであります。私たちに力があるのではなく、信仰による祈りに力がある。イエス様ゆえに父は聞きたまいます。祈りこそ、神との交わりが赦され与えられている証であります。
 そして「愛」。ここでの愛は「αγαπη」です。神の愛は罪を凌駕する。その神の愛に生かされて、互いに愛することで、この世の交わりにおける、細かな罪、欠けは埋められるのであります。そのように、神の愛のうちに、教会は御霊に満たされ、一つとなるのであります。

 10節。
「10.あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。」
「それぞれ」は「悉くみんな」と言う意味です。「役立てる」は直訳だと「奉仕する」。相互の愛から進み、互いに「奉仕」する者であれと教えられます。何によってか。神からの賜物によって。一人一人みな、神様から数えきれない様々な恵みを賜っています。その「良い」管理者として、神が賜ったのは、奉仕するためであります。お互いに、とあります。最も小さな者、弱い人への奉仕が、イエス様への奉仕になります。奉仕すべき。何となれば、まことの神、造り主にして、天地の主権者である、まことの王、イエス・キリストは、仕える方であられた。私たち罪人に仕えるために来て下さったからであります。
 私たちに与えられた全ての恵みが、主が一人一人に委ねられたものであること。主を崇め、主があがめられるために、預けていて下さることを覚えたいと思います。
 最後に11節。ペテロの頌栄をもって終わりたいと思います。
「11.語る者は、神のみ言葉を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。」

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