朝ごとに神に祈る

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朝ごとに神に祈る

「聖歌隊の指揮者によって笛にあわせてうたわせたダビデの歌」
1;主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、み心をとめてください。
2;わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください。わたしはあなたに祈っています。
3;主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待ち望みます。

4;あなたは悪しき事を喜ばれる神ではない。悪人はあなたのもとに身を寄せることはできない。
5;高ぶる者はあなたの目の前に立つことはできない。あなたはすべて悪を行う者を憎まれる。
6;あなたは偽りを言う者を滅ぼされる。主は血を流す者と、人をだます者を忌みきらわれる。

7;しかし、わたしはあなたの豊かないつくしみによって、あなたの家に入り、聖なる宮にむかって、かしこみ伏し拝みます。
8;主よ、わたしのあだのゆえに、あなたの義をもってわたしを導き、わたしの前にあなたの道をまっすぐにしてください。
9;彼らの口には真実がなく、彼らの心には滅びがあり、そののどは開いた墓、その舌はへつらいを言うのです。

10;神よ、どうか彼らにその罪を負わせ、そのはかりごとによって、みずから倒れさせ、その多くのとがのゆえに彼らを追いだしてください。彼らはあなたにそむいたからです。
11;しかし、すべてあなたに寄り頼む者を喜ばせ、とこしえに喜び呼ばわらせてください。また、み名を愛する者があなたによって喜びを得るように、彼らをお守りください。
12;主よ、あなたは正しい者を祝福し、盾をもってするように、恵みをもってこれをおおい守られます。詩編 5篇 1節から12節

「3;主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待ち望みます。」
 詩篇第5篇3節のみ言葉でございます。詩篇の第1巻は、多くが、私と言う言葉で語られ、個人の生活の讃美が導かれます。この5篇をふくむ、3篇から6篇は、私たちひとりひとりの日々。朝夕の讃美と祈り。み言葉による主との交わりが導かれています。

クリスチャンの生活は、まず朝夕。神様の恵の御座の前にひれ伏す、という事のリズムで支えられます。5篇では、そのデボーションの真実の内容が歌われています。ここでは、クリスチャンの直面している問題を、まっすぐ主に訴えています。笛にあわせて。英語でフルートと訳されています。朝に、まず神様の前に出て。そして、この世に出て行く、そのための準備をするのです。ちょうどフルートの音のように、孤独な自分の、小さくても真実な心の笛。それを鳴らすような詩篇です。その笛の澄んだ音に乗せて、私たちの真実の訴えが、主のもとに登っていきます。
そして、心を、これからの一日の戦いの備えとして、導いていきます。目の前の、さまざまな敵が待ち受けています。それを、いろいろ数えて、
神様に訴えつつ、神様の正義と恵を確信して、そして「あなたは悪を喜ぶ方じゃない」と、心に言い聞かせて、この詩篇は始まっていきます。
朝、この世へ出て行く前の、私たちの心に下さる、神様の讃美です。1節から3節をお読みいたします。
「1;主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、み心をとめてください。2;わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください。わたしはあなたに祈っています。
3;主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待ち望みます。」

標題でダビデの歌、と書いてあります。王であるダビデが、まことの王なる方に。朝、祈っています。不真実な人々の中に入って行く前に。み前にうめいて、叫んで。一日を準備しています。恵のみ座にひれ伏して、主の義を求めています。
ダビデの一生を考えますと、最初のうちはサウル王や、さまざまな敵に追われました。そして戦いの生涯でした。さらに、王になると、今度は自分の罪に苦しみました。しかし生涯、主を拝して、一日を始める歩みだったと思います。ダビデは本当に、神様から正しいと認められた王でした。
最初に、「主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、み心をとめてください。」 ここで、主は太文字です。契約のみ名。私を契約の中に入れて下さった主。愛して下さった主と言ってもいいです。その主を、「わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください。わたしはあなたに祈っています。」 この主が、私の王、私の神。私を愛し、守って下さる、導いて下さる王よ、と。私たちの祈りは、この方に祈ります。

朝、私たちは神様のみ前に出ます。そして「私の言葉に耳を傾けてください。嘆きに、み心をとめて下さい。叫ぶ声を耳にとめてください。」と祈ります。ここでの「嘆き」。これは第1篇2節(750頁)。「昼も夜もそのおきてを思う」の、「思う」と同じ語源です。英語でメディテイト「瞑想する」と訳してありますが、瞑想というよりも、ここではもっとネガティブな要素があるようです。元々、つぶやきとか口ずさむ、黙想するというような意味です。1篇では「おきて」=トーラー。主のみ教えが、自然と口から出て来るように、心にあって、それを喜ぶ、それが幸いだと歌われていました。
ここでは逆に、心で、その悪い瞑想と言いますか、さまざまな心配。不安が心に入ってきて、心の中で膨らんで、そして、私たちは嘆きます。新改訳では「うめき」です。それを、まず神様に申し上げています。私の叫ぶ声に心をとめて、その場で動かないで、受け止めてください。そういうような感じです。神様。私のためにそこにいらしてください。そして、その場で動かないで、私の叫びを。うめきを受け止めてください。そして、告白になります。
 3節。
「3;主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのために いけにえを備えて待ち望みます。」
朝ごとに。私は神様に向かって、「いけにえを備え」とありますが、「いけにえ」という言葉は原文にはありません。「備え」という言葉だけですが、これは「準備する。用意する。」という意味。「並べる。提出する。申し出る」といった意味が読めます。口語訳は後者の意味を強くとって、主の御前に、あなたのために並べて、捧げる・・それは生贄。という意味の訳になっていると思います。そして「待ち望む」は直訳すると「しっかり見張る。」です。そこから「仰ぎ見る」。あるいは「期待する」、「待ち望む」。というような姿が描かれています。口語訳は、特にメシヤを意識した訳だと思います。
 毎朝、起きたとき。私たちは神様に対してそのまま。自分たちの心配なこと、辛いことを、うめいて、つぶやき、ため息を神様に申し上げます。そして、神様、どうか私がそんなことを言うことを、聞かずにどこかへ行ってしまわないでください。耳を傾けてください。聞き取ってください。耳に留めてください、とお願いします。神様は、それをして下さる方です。主でいらっしゃいますから。だから私たちは言います。「朝ごとに、あなたは聞かれます」。私はあなたの前に、朝おきて、用意を整えて、あなたの前に全て差し出して、そして、あなたを仰ぎみて、準備いたします。まず、最初に朝の、主への備えの祈りから、一日が始まる。それを導く詩篇です。
 朝ごとの、主のみ前での備え。ダビデは捧げものも用意したのかもしれません。主に聞いて頂くために。しかし、主は聞かれます。そのために必要ないけにえを、主ご自身が既に用意して、捧げて下さいました。完全な、一切の罪を贖い、その全ての民に、主との交わりを回復させるため。いけにえとして、御自身神の一人子を送ってくださいました。その御名のゆえに、主は聞き給う。その幸いの中に、今、私たちは入れられているのであります。
 1節から3節は、5篇の導入であり、あらすじでもあり、全体をまとめる結論でもある、と思います。主の恵みの契約に入れられた者。主のとこしえの幸いに与りながら、世の困難へと向かう、朝の、不安な心を、イエス様の御名のゆえに、主が共にいてくださり、守り、支えて下さる。そのような確信へと導く、朝の祈りであります。

 続いて、4節からお読みします。
「4;あなたは悪しき事を喜ばれる神ではない。悪人はあなたのもとに身を寄せることはできない。
5;高ぶる者はあなたの目の前に立つことはできない。あなたはすべて悪を行う者を憎まれる。
6;あなたは偽りを言う者を滅ぼされる。主は血を流す者と、人をだます者を忌みきらわれる。」
ここであらためて神様の前に朝、私たちは自分のこれから外に出て、色んな不信仰な人たちの中に入って行く前に、自分のうめきをそのままに。申し上げます。聞いてくださいって言います。そこで私たちが確かめることは、それは「あなたは悪しき事を喜ばれる神ではない。悪人はあなたのもとに身を寄せることはできない。」

 悪いことは決して、あなたと共に、人生の中にやってくることがありません。具体的にそれを言います。「あなたの目の前で、愚かなもの、高ぶる者は自分で立つことができません。あなたは悪を行うすべてのものを憎まれます。偽るものを滅ぼして。」血を流すもの。人の血ですね。また騙す者を忌み嫌われます。一言で言うと「あなた、神様は、悪を決して喜ばれません。」朝、私たちは祈る時。神様は悪を決して喜ばれない。本当に、必ず私たちを正しく導いて下さる。だから、私たちは悪に足を取られてはいけない、ということを改めて思います。
 1から3節が、主により頼む者の朝の祈りが歌われました。4から6節は、逆に悪しき者。神に背く者の存在が語られます。そして、そのような悪を神様は決して喜ばれない。1篇の前半と後半のように、対照的に描かれています。

 そして、7節から10節をお読みします。
「7;しかし、わたしはあなたの豊かないつくしみによって、あなたの家に入り、聖なる宮にむかって、かしこみ伏し拝みます。
8;主よ、わたしのあだのゆえに、あなたの義をもってわたしを導き、わたしの前にあなたの道をまっすぐにしてください。9;彼らの口には真実がなく、彼らの心には滅びがあり、そののどは開いた墓、その舌はへつらいを言うのです。
10;神よ、どうか彼らにその罪を負わせ、そのはかりごとによって、みずから倒れさせ、その多くのとがのゆえに彼らを追いだしてください。彼らはあなたにそむいたからです。」

 7節は、神様の愛に平伏して礼拝すること。礼拝する中でのみ言葉です。私は、あなたの恵み、聖さの中に、御前におります。そして私は、あなたの恵みを信じる者が、あなたの家に入ることができます。それは、私たちの正しさではなく、神の慈しみによるのだ、ということを忘れていません。本来私たちも、4から6節にあるように、神に喜ばれない存在です。しかし、恵みによって、あなたの家に入って、あなたに向かって畏れて、平伏します。
こうして私たちは朝、神様の前に出て、心を開きます。そしてそのままに訴えます。神様、そこにとどまって、どうか受け止めてください。と、お願いします。そうしていると、だんだん、私たちの心に入ってきます。神様は決して悪を喜ばれない、という確信。神様の豊かな恵みによって、私たちは神様を畏れつつ、平伏して、出ていくのだ、というその思い。朝デボーションすることを通して、私たちは、このように心を整えられて、そして、御前に出て行くことになります。
 8節から10節では、三つの告白が、朝の告白がなされている、といえると思います。第一の告白は「朝の願い」。第二の告白は「朝の訴え」。第三の告白は「朝の祝福」でございます。
 まず、第一の告白。「朝の願い」。「あなたの義をもって私を導いて下さい。」8節の2行目。私の前に、神様の義によって。私の前におかれている神様から頂いた義。私が獲得した義ではなくて、神様が、義を私達にお与え下さいます。不義な私たち、罪びとに。ただ御霊によって信仰っを与え。義をお与え下さいます。これは旧約でも新約でも同じです。基本の基本。そして一番深いところです。この神様の、与えていただいた義によって。どうか、私を、今日一日導いて行って下さい、と祈ります。私の前にあなたの道をまっすぐにしてください。まっすぐに。私の前に。神様の道を。まっすぐに、見せてください。そしてまっすぐにしていってください。
 私はいろんな困難ですぐ曲がります。まっすぐに歩んでいけるようにしてください。神様がせっかく下さった義を。それによって私を、強めて導いてください。私の歩みをまっすぐにしてください。まず朝。この世に出て行く前に導かれます。これは朝の願いです。
8節の「わたしのあだのゆえに」。あだは「仇」。敵が待ち受けているから。私が出ていく先には、私を待ち伏せている者。陥れようとする者がいます。人々の中に。私たちはまるで、丸裸で出ていくようです。
 9節は、彼らの口には。固くしっかり立っている、そういうものがありません。真実ということは英語で「trust」という訳になっていますが。何も確かなもの、信頼できる言葉が彼らにはない、ということです。だからあてになりません。何を言うかわかりません。彼らの心の中には、邪悪が、実は潜んでいます。彼らの喉は、これは死への道です。開いた墓。滅びへの落とし穴です。その上、彼らの舌は、表面はこびへつらいます。そういう人々の中に。私たちが出て行きます。彼らが悪なのではなく、神に背いている間は、サタンがそこに働く場所となります。彼らの言葉に悪魔が働いて、道を曲げよう、逸らせようとする。私たち同じく悪ですが、今は、あなたの慈しみによって。あなたの義が与えられています。
 そして、10節で、二番目の「朝の訴え」があります。先に、神様に願いをしました。あなたが下さった義によって、私を一日導いてください。どうか、あなたの道を真っ直ぐに行けますように、見せてください。そういう願いのもとに。「朝の訴え」が始まります。
 待ち伏せている人たち。私たちを陥れようと観察している人たちがいます。どうか、彼らを、告発してください。神様どうか。彼らが自分たちの図り事によって倒れますように。彼らの罪。神様への違反です。彼らの、数々の、無数の神様に背く事柄。それがたくさん、私たちを取り囲んできます。私たちも巻き込んで行きます。それを、どうか追い散らしてください。彼らは、あなたに逆らっていますから。どうか、あなたが追い散らしてください。この敵。待ち伏せする者の、事実に対して、神様に願っています。神様どうか彼らを告発してください。彼らが倒れますように。無数の、彼らの群れが私を取り囲む。それを追い散らしてしまってくださいという訴えです。

 最後に、11節から12節。ここで三つ目の告白です。
「11;しかし、すべてあなたに寄り頼む者を喜ばせ、とこしえに喜び呼ばわらせてください。また、み名を愛する者があなたによって喜びを得るように、彼らをお守りください。12;主よ、あなたは正しい者を祝福し、盾をもってするように、恵みをもってこれをおおい守られます。」

 三つめは「朝の祝福」の告白です。まず、11節で、私たちが歌うよう、確信するように導かれていることは「喜び」です。どうか「あなたに寄り頼む者」。「あなた身を避けるもの」という意味です。「あなたはわが避け所」と裏われるように。「あなたにより頼む者が喜びますように。」
 今日、この出ていく一日。待ち伏せている者が、私たちを取り囲んでいる、さまざまな背き。それが私たちを取りこみ、巻き込もうとしています。その中で。どうか神様の義によって、まっすぐ歩ませてください。その願ってきました。そして最後に、どうかあなたに頼る者に、あなたに身を避ける者が、喜びますように。とこしえまでも喜び歌いますように。神様の喜びが一日、私の中にありますように。
 その上で、二番目。神様、御名を愛するものが、本当に神様を誇りますように。そのために、あなたに依り頼む者を、あなたが守って下さいますように。この一日、私の中に神様の喜びがありますように。どうか、あなたが覆ってくださる、庇ってくださる、ということが、体験できますように。そして、私の中に、あなたへの愛。神様への誇りが、いつも留まりますように。
 そして最後に告白します。「盾」は、大きな盾のことです。私たちの全身を覆うことができるような、丸いおおきな盾です。神様が私を、大盾になって下さって。あなたの愛によって。恵という言葉は愛とも訳されます。祝福とも同義語です。恵みよって覆う。私を今日一日、あなたの愛が取り囲んでいて下さいますように。その願いが、主の守りと、祝福の確信へと導かれていきます。
 「主よ、あなたは正しい者を祝福し、盾をもってするように、恵みをもってこれをおおい守られます。」 この確信を持って、私たちは、この詩篇によって、一日の歩みへ出て行くよう、励まされ、導かれるのであります。御名を愛する、イエス様にある、本当の私たちの日々の歩みが、ここに歌われていると思います。

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