自由な神のしもべ

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自由な神のしもべ

11愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。
12異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。
13あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、14あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。
15善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。
16自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。
17すべての人をうやまい、兄弟たちを愛し、神をおそれ、王を尊びなさい。ペテロの第一の手紙 2章11節から17節

今朝もペテロの第一の手紙から導かれたいと願っております。今、99%かあるいはそれ以上の人が、まことの神を知らない、この日本で生きる私たち。クリスチャンが教えられることが多い御言でございます。ここまでは、まず救いの原則、信仰を与えられ救われた者の恵みの豊かさの再確認が行われました。キリストへの信仰ゆえに、世のさまざまな試練をうける信徒たちに教えていたことは、ひとときの苦難を耐え忍ぶために、すべてのクリスチャンに約束され、保証された天国の資産を受け継ぐこと。御国での永遠の栄光と喜びの希望でした。さらに、ペテロは、希望を確かなものとするため、信仰を成長させる、魂の栄養を得るために、御言を常に慕い求めなさい、と命令していました。
 そして、その恵みに与った信徒の集まりである教会の使命が教えられます。教会は、聖霊に満たされ、聖霊によって神がご臨在される、神殿。まことの神にして人となられた、救い主イエス・キリストを土台に、一人一人の信徒がキリストと一体となってくみ上げられた、霊の家であると言われました。私たちが教会に属すということは、聖霊によってキリストとに繋げられ、まさに一体となることでございます。従って、私たちはキリストの心をわが心とし、キリストの悲しみを悲しみ、喜びを喜ぶ、キリストに似たものとされていくのであります。そして、永遠の死と罪の暗闇から、キリストの栄光の光に満たされた恵みの中に召されたのは、ただ神の一方的なあわれみに満ちた恩寵ゆえであり、その目的はイエス・キリストの救いの御業を、語り伝えるためでありました。
 こうして、クリスチャン個人と教会の恵みと指名、キリストと一体にされる、救いの御業と祝福の原則を再確認したペテロは、この世での具体的な生活についての教えへと進んでいきます。まず、基本的な教理を述べて、実践編、生活編への指導を行う、という構造は、パウロの書簡でも同様の形が多く見られます。パウロ程、明確に区切られていないようですが、その分論理展開とつながりはスムーズに進んでいくようです。
 それでは、実践編にはいる2章の11節から12節をお読みいたします。
<11愛する者たちよ。あなたがたに勧める。あなたがたは、この世の旅人であり寄留者であるから、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。12異邦人の中にあって、りっぱな行いをしなさい。そうすれば、彼らは、あなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのりっぱなわざを見て、かえって、おとずれの日に神をあがめるようになろう。>
 ペテロは「愛する者たちよ」と語りかけています。ヤコブは、強調するときや大切な教えを語る時に、「わたしの兄弟たちよ」と呼び掛けていました。ここまでペテロは「あなたがは」と言っていましたが、急に「愛する者たち」と呼びかけました。ここから、大事な話をする、という注意喚起です。今までも大切でしたが、ここからテーマが切り替わることを表しています。ペテロが「愛する者たちよ」と呼び掛けるのは、この11節と、手紙の最後のまとめに入る、4章の12節だけになります。因みに、ヨハネはその手紙の中で、終始「愛する者たち」と「子たち、子供たち」と呼び掛けています。それは手紙の内容に則した意味ある呼びかけです。ペテロの場合は、「愛する者たち」と呼び掛け、そして「あなたがたに勧める」と言います。この「勧める」はただのお勧め、ではありません。強く勧める。あなたがたに強く訴える、というニュアンスの言葉です。
ペテロがこの11節から12節の一文で、つよく訴えていることは大きく3つのことになります。まず、キリスト者はこの世の寄留者であり旅人であること。第二に、それゆえ立派な行いをすること。これは1章の14節、15節と同じです。その具体的な教えに入っています。そして第三は、そのキリスト者の行いによって、世の人たちもまたまことの神をあがめるようになる、ということです。
しかし、普通にというか、人間的に見るとやや矛盾しているかのように感じられます。この世の寄留者であり、旅人であるということは、その本籍が天にある。キリスト者は御国の国民で神の家族である、ということです。1章の1節の挨拶で、「選ばれた寄留者たち」と呼び掛けたことを繰り返し、その意味をあらためて考えさせています。ここの論理のつながりは、本当に聖霊によって心の目が開かれて、御言に聞かないと、伝わらない内容になっています。
最初は、天に永遠の本籍を与えられた、この世の寄留者であり旅人であるから、この世の一時の苦難に負け、流されてはいけない。罪の世にあふれる、不品行や、肉の欲、高慢、そこから生まれる偶像礼拝から離れるべきだ、ということが教えられています。地上ではなく、天に目を向けること。この世の基準や、富ではなく、神の御旨に従い、天の資産を積むこと。それも私たちが積むというより、キリストにあって、天の資産を受け継ぐことが約束されているということです。主なる神の御心を第一に、前提にした生き方が、すなわち召された者の、聖なる生活である。聖別されているということでございました。「聖」という意味が、まさに、区別されたもの。選び分かたれ、区別されて、特別に神のものとされているという意味であります。だからこの世の、肉の欲を避けなさい、という勧めになります。
避けなさい、というのは離れなさい、距離をおいて近づかないという意味ですが、この世と全く関わるな、と言っているのではないことを覚えたいと思います。そのことはこの後の教えに繋がっていきますが、簡潔に申し上げると、この世、肉的といわれる、自分も含めた現世の基準に支配されるな、ということであります。それは世がまことの神を知らず、罪の下に置かれているからです。そこでは、自分中心の欲望が人を支配しています。勧められているのは、罪を抱えた有限な人の基準を第一にするのでなく、神の御心を第一とせよと教えているわけです。避けるべきことは限定して示されています。肉の欲をさける。第一とするな、支配されるなという意味です。聖なる生活とは、所謂、修道院的というか、修行僧のような生活を言っているのではありません。避けよと言っているのも、世間から離れて山にこもるようなことを意味していません。例えば、お酒に酔っぱらうこと。酩酊することは戒められていますが、飲むこと自体は禁じられていません。要は、支配されていけないということです。財産を得ること、しっかり働いて富を得ることも否定されていません。そのことを第一としない。世の富の奴隷とならないように。全ての世の富も、栄光も全て主なる神からの賜物であり、主が目的をもって与えて下さるものだからです。
そして、そのよう生けるまことの神様を前提とする、第一とする生活態度は、欲の支配から離れるだけではなく、この世においても、立派な行い、立派にふるまうようにとの教えに進んでいきます。「立派な」振る舞いというのは、どういうことでしょうか。「立派」という言葉は「καλος」という単語で、美しいとか善良、ためになるという意味の言葉です。神に喜ばれる、とも訳されています。同じ言葉が使われている、マタイの5章16節をみてみます。(新約6頁)
<そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよい行いを見て、天にいますあなたがたの神をあがめるようにしなさい>
これは、イエス様が、「あなた方は地の塩」、「世の光」である、とおっしゃった後の御言であります。「あなたがたの“よい”行い」の「よい」と「立派な」が同じ「καλος」になります。ペテロの12節の強い勧めがが、イエス様の教えをそのまま適用していることが分かると思います。立派にふるまうことは、私たちの光を人々の前に輝かすことから始まります。では、私たちの内にある光とは何か、と申しますと、それこそイエス・キリストに外なりません。全ての人を照らすまことの光が世に来てくださった、それがイエス様でありました。私たちの内に、御霊によって住んでいて下さる、イエス様が光を放たれるのであります。イエス様の愛と憐れみと、完全なる救いの御業ゆえに、どのような苦難や苦境にあっても、クリスチャンは根本的に喜びの内に置かれています。悩み、悲しみ、苦痛を感じ、不平を漏らしながらも、最終的にクリスチャンはポジティブで楽観的です。朽ちぬ希望を頂いていますから、主により頼む究極の平安を与えられています。そして、まことの神をほめたたえ、感謝し、祈りを捧げる中に喜びの生活が備えられているのであります。キリストにあって、まことの神に信頼し神を礼拝するキリスト者のよろこびが、人々が神をあがめる証しとなるということであります。
 さて、クリスチャンの礼拝生活から信仰生活から、さらに世的なことがらへとペテロは勧めを展開していきます。13節から14節。
<13あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、14あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。15善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。>
 天に国籍を持つ、この世の寄留者であるクリスチャンは、世の肉の欲から離れるようにめいじられました。しかし、ここではこの世の、人が立てた制度に従いなさいと教えられています。従う、というと消極的というか、受け身な印象がありますが、もっと積極的な服従を意味します。後に出て来る、僕に対して主人に「仕えなさい」とう単語と全く同じです。権威に服従する、仕えるという意味になります。
 この教えで、注目すべき大切なことは、盲従ではない、ということであります。その証拠に、従うことに二つの条件が示されています。一つは「主のゆえに」従うこと。もう一つは「悪を行うものを罰し善を行うものを賞する」ための権威に従う、ということであります。さらに「主のゆえに」という理由には二つの意味があります。それは、「全ての制度」が、その権威の源が、主なる神様にあるという事実であります。この世の社会のさまざまな制度や法令は、「悪を行うものを罰し善を行うものを賞する」ため、と目的を限定しているように、この世の罪を抑制するために、神様が与え給た一般恩恵によるものでありますから、主が認められている範囲において、その制度に従わなくてはならないという意味なります。そのれは、「この世の権威が、神様に対する罪を命じる時以外は、服従しなさい」ということを教えているわけであります。ローマ人への手紙13章1節(新約250頁)で、パウロは次のように教えています。
<すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。>
ペテロの手紙と同じ「従う」が使われています。私たちは、永遠の救いに入れられる、神の特別な恩恵にを賜っています。この特別恩恵により、救われ、心の目が開かれて、世のすべての権威の根源が、まことの神様にあることを知らされています。しかし神を知らない世はそのことが分かりません。私たちが、世の権威に従う、従順であろうとすることは、主の立てたもう権威を尊重するからであります。ですから、当然、世が神の対する罪を求めるなら、私たちは世の罪より、神への罪を畏れなければならない、ということであります。出エジプト記で、モーセを生かした助産婦たちは、神を畏れて、エジプトの王の命令に背きました。ダニエル書でも、ネブカデネザル王に偶像礼拝を迫られた三人のユダヤ人が、拒否して燃え盛る炉の中に入れられています。まことの主権者、全ての権威の源なる神に従う、という前提において、私たちは、この世の権威に従わなければなりません。
 「主のゆえに」のもう一つの意味は、まさにイエス様が、そのように従順であられた、ということであります。人の子となられた神の子イエス様は、人の両親に従われました。また、税金も納めらえました。なにより、父なる神への罪は犯されませんでしたが、それゆえにこの世での裁きに甘んじられました。この主が示して下さった従順の御姿をこころに刻みたいと思います。クリスチャンの従順は、主のゆえに、ということであります。
 
 最後に15節から17節。
<15善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。16自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず、神の僕にふさわしく行動しなさい。17すべての人をうやまい、兄弟たちを愛し、神をおそれ、王を尊びなさい。>
 私たちが、救われたものとして、イエス様の光を抱いて生きること。主のゆえに、世の制度に従うこと。神が喜ばれることを喜びとすることが「愚かな人々の無知な発言を封じる」ことになります。「無知」というのはただ知らないだけではなく、もっと強い意味です。「真理を受け入れまいとする頑固な心の状態」を表す言葉と解説されています。原罪によって神に背くようになった人の姿であります。彼らの、神を知らない発言が封じられ、やがて神をあがめ讃美するようになる、そのために私たちが召されていること、これが神の御心であります。
 神に従順であること、世の制度に従うことは、強制ではなく、盲従することではなく、自由に喜んでこれに従うべきことが教えられています。なぜなら、クリスチャンは、キリストのよって罪の支配から。永遠の滅びからも解放された真の自由人だからであります。それ故、その自由は、自分の欲望を満たすだけの、悪を行う自由ではなく、神の僕として、神の御心を喜ぶ自由として与えられた自由であります。神の僕、奴隷は自由なしもべである。主に従う自由から、まことの主権者への従順から、全ての人を敬い、兄弟への愛が生れるのであります。
 キリスト者として、召されて、この世に遣わされたところのみ心を思い、イエス様が、何より御父に従順であられたように、私たちもまた、まず神を畏れ、主のゆえにこの世での信仰生活を全うできますように、一層の御霊のお導きを祈ります。

2022年度 メッセージ一覧

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キリストの霊の宣教

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◆有名なイエス・キリストの荒野の試練(誘惑)から、サタンの真の意図と、キリストの勝利の意味を学びます。

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互いに祈りなさい

◆ヤコブの手紙5章から、祈りの三つのポイント聞いて参ります。第一は、いついかなる時も祈りなさいという…

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全知全能の創造主にして全世界の主権者であられる、唯一の生けるまことの神様。キリストにあって、私たち…

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富める者の責任

◆今朝、会員がお一人天に召されました。メーッセージ入力が途中ですが、続きは後ほど記載します。

虚しい誇り

◆人はいつの誇り高ぶり、自分を何より上に置こうとします。自分を自分の主、自分の神とします。神の上に立…

主の選びの器

■主なる神が遣わされたモーセに導かれ、400年にわたる奴隷の地、エジプトから脱出が叶ったイスラエルの民…

裁いてはならない

■ヤコブの手紙 4章の御言葉で語られる「裁いてはならない」という教えの、意味を教えられたいと願ってい…

神に近づきなさい

(※前半部分のみ。後半は改めて記載します)

真実の知恵

幸いなこと!

■神の御言葉である讃美集、詩篇。その冒頭にある第1篇から、幸いな人生を教えられたいと思います。