互いに祈りなさい(Ⅱ)

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互いに祈りなさい(Ⅱ)

【15:信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。16:だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。
17:エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。18:それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。
19:わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち、真理の道から踏み迷う者があり、だれかが彼を引きもどすなら、
20:かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。】ヤコブの手紙 5章 15節から20節

【15:信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。16:だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。】

ヤコブの手紙、5章15節16節の御言でございます。先週、祈りについて聞いて参りました。クリスチャンの祈りの基本は、まず「御心にかなうように」ということ。なぜかと言いますと、主の御心であれば何事でもなる。逆に言えば、御心しかならないということです。そこから、祈りは信仰によって、ということ。主を信じる信仰の前提がなければ、御心を思い、御心に信頼した祈りとなることはありません。信仰によって、御心にかなうよう祈れるならば、その祈りは時を選ばず、状況や環境、自分の状態にかかわらず祈ることができ、またそこに喜びが与えられるということであります。
そして、「互いに」と言われたように、特にお互いに祈る、共に祈ることの大切さを語っていました。主の御心にかなうように祈るのであれば、主イエス様の御名の下に、共に祈る時、そこには御霊によって主が共にいて下さる、というお約束によって、より私たち自身が祈りを通して、主に似た者へと導かれることになります。これが聖化であって、この共同体の祈り。教会の祈りをとおして、主の贖いの御業とその恵みがもたらされるのであります。
本日は、同様に祈りについて、聞いて参りたいと思いますが、前回触れることができなかった御言について、少し細かく聞いて参りたいと思います。
 まず、病いと祈りについて。14節では、病気の人に祈ってもらうように勧めています。「教会の長老たちを招き、オリブ油を注いで祈ってもらう」。「長老たち」とあるように、複数の長老を示しています。長老や監督と言われた人々は、主がその群れを守り育てるために召された人々、ということですから、主に召された者が、信徒のために、主に御名によって共に祈るということが勧められているわけであります。15節で、その理由が書かれています。
【15:信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。】
 この1節の中心は、「主が立ち上がらせて下さる」という点です。祈りは病んでいる人を救う、という点にかかっています。つまり、祈りが病を治すのではなく、癒しの主体は主であります。主が御心であれば病を癒し、立ち上がらせて下さる。もしも、その病に罪がかかわっているような場合は、それもまた赦される、とあります。罪を許す事が出来るのは主ただお一人ですから、主が立ちあがらせ、主が許して下さいます。そして救いは信仰によります。ですから、信仰による祈りは、病んでいる人を救うのです。この15節の「救い」は、20節の「たましいを死から救い出し」の「救う」と同じ言葉です。守るとか、救い出す、と言う意味から、肉体的な癒しにも、永遠の死や滅びから救うと言う、霊的な意味の両方で使われる表現です。病いに弱っている人への祈りは、霊的に弱っている人への祈りへと、繋がっていることが分かります。
 ここで、病の癒しについて、見てまいりたいと思います。14節の「オリブ油を注いで祈る」「油を塗る」が正確ですが、この聖句が、カトリックの終油、という癒しのサクラメントの根拠とされています。しかし、これは結構こじつけ、な面がありまして。例えば「長老」という言葉を「司祭」に置き換えていることも一つですが、聖書的には、オリブ油を塗ることが霊的な癒しとは違うと言うことが分かります。
 確かに、使徒たちは、イエス様から癒しの力を授けられていました。ここ以外では、マルコによる福音書6章の12節13節にオリブ油に記事があります。新約聖書60頁です。
【そこで、彼らは出て行って、悔い改めを宣べ伝え、多くの霊を追い出し、大ぜいの病人に油をぬって癒した】
 ここでは、確かに油を使っています。しかし、油は必須条件ではないことが分かります。ルカによる福音書10章の、善きサマリヤ人が、強盗にあって傷ついた旅人に施したのは「傷にオリブ油と葡萄酒を注いで包帯をして」やったとあるとおり、あくまで、当時の治療手段に過ぎない、ということです。何より、病を癒す権威を授けられたイエス様が命じられたのは、「手をおく」という行為でした。マルコによる福音書16章の17節18節をお読みします。新約81頁です。
【信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる。】
 ここで、はっきり「手をおく」ということを言われましたが、オリブ油のことは命じられていません。
肉体の病や障害を癒す、御業。そして悪霊が原因であればそれを追い出す力は、イエス様のものでした。イエス様はそれらを、ご自身の言葉でもって行われました。悪霊に命じて出て行かされましたし、病を癒すだけでなく、すでに死んでいた者を生き返らせもなさいました。病人がイエス様の裾に触れるだけで癒されることもありました。
 そして、イエス様は使徒たちにも、同様の権威を授けられていたのであります。実際、使徒行伝をみますと、ペテロやヨハネ、そしてパウロによる病の癒しが、数多く記されています。ペテロはイエス様の御名によって命じたり、宣言していましたし、死んだ若者を生きかえらせることもありました。パウロも同様に、病の人を癒しましたが、エペソではパウロの手ぬぐいや前掛けに触れていやされる人もいました。また、嵐で漂流した後、マルタ島では病人に手を置いて、島中の病人をみんな癒した、とあります。
 ただ、これほど、多くの人々のいやしたパウロであっても、自らの肉体のとげは取り去られることがなかったのです。それは、すなわち御心であって、癒しに増して大きな恵みを備えられていた、ということになります。また、パウロが悩んでいた以上に悪くしないよう、抑えられていたと面もあると思います。
 
 ここで、イエス様が使徒たちに、癒しの業を命じられた福音書記事を見てまいりますと、共通点があることがわかります。そこで、もう1ヶ所見たいと思います。ルカによる福音書10章9節です。新約聖書104頁。【そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。】
 マルコ6章では、イエス様が12使徒に対して、村々への伝道を命じられたところでした。このルカ10章も、72人を選んで遣わされた時にお命じになりました。また、マルコ16章は「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」という、宣教命令の後、天に昇って行かれる直前のお言葉です。つまり、癒しの奇跡、しるしは宣教と併せて命じられ、行われた、ということであります。このしるしは、信仰のあるところ、御霊と共にありました。宣教によって信仰を与えられ、癒され、また生き返った。すなわち、死に勝ち、サタンに勝利された、真の救い主メシヤが来られた。キリストの到来と、神の国の始まりを証しするためのものであったと言うことであります。
 何より、救いは祈りの結果にあらず、信仰によります。ですから、信仰によって、御言に聞いて、共に祈る交わりのうちに、御霊がはたいて下さり、迷える魂の救いがもたらされ、御心であればまた肉体をも癒し給うということです。
 
 17節から18節をお読みいたします。
【エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。】
ヤコブはここで、義人の祈りに力がある、ということを言った、譬えとして、エリヤの例を出して教えています。エリヤ(主は神、主はわが神、という意味)は、預言者に中の預言者と見なされていました。モーセが律法の代表、エリヤは預言者の代表と言われます。イエス様が、高い山で変貌した姿を顕された時、イエス様と共に語っていたのがモーセとエリヤでした。そのエリヤの祈り語り、実際、現実に起こったことを示しています。
これは、列王記上の17章から18章の記事の、最初と結果だけを要約しています。そこで、列王記を見ますと、実際にはエリヤは、雨が降らないようにと祈ったとは書かれていません。三年半後に、雨が降った時は、かがんだ姿勢は書かれていますが、雨を降らすために祈ったとは書かれていないです。この三年半に及ぶ飢饉は、当時のイスラエルの王、アハブ王の、節操のない偶像礼拝に対する、主のさばきであり戒めでありました。雨を止めて飢饉にされたのも、主に御心であったということであります。エリヤは予言者として、主の御言をとりつぎ、語り、よく従っていました。
エリヤは予言者として主に用いられ、従順に御言に聞き、御心に仕えたのであります、それゆえ、エリヤの思いは主の御心と同じくされ、その願いは御心にかなったものとなったと言うことです。ここでも、祈りの中心は、主の御心であり、エリヤの力ではありません。祈りが御心と同じくされてその力を働かせると言うことが教えられているわけです。

 そして最後19節から20節。
【19:わたしの兄弟たちよ。あなたがたのうち、真理の道から踏み迷う者があり、だれかが彼を引きもどすなら、
20:かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。】
(続く)

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