裁きはあった

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裁きはあった

(5節)あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。(6節)主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。(7節)ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。(8節)しかし、これと同じように、これらの人々は、夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている。(9節)御使のかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、ただ、「主がおまえを戒めて下さるように」と言っただけであった。(10節)しかし、この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な知識にあやまられて、自らの滅亡を招いている。(11節)彼らはわざわいである。彼らはカインの道を行き、利のためにバラムの惑わしに迷い入り、コラのような反逆をして滅んでしまうのである。ユダの手紙 5節から11節

「あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。」 

 ユダの手紙、5節のみ言葉です。今日は5節から11節をお読みいただきました。イエス様の兄弟、弟であるユダは、教会に入り込んだ、偽教師がもたらした異端を知って、キリストの教会の危機を察知致しました。そこで、使徒たちによって伝えられた正しい福音と、救い主イエス・キリストへの信仰を、しっかりと守るために、急遽書き送った、警告と励ましの手紙であります。
 ユダは、人間の傲慢さから生まれる、人の知恵や、欲望を満たすのに都合の良い、聖書の勝手な解釈。イエス・キリストを否定する、危険な教えに対し、信仰の戦いに供えるよう、勧めました。ユダが、書こうとしていた手紙の内容を、急遽差し替えてまで、この手紙を書いた、ということは、異端というものが、キリストの教会において、それほど危険だ、ということを察知していたということになります。そこには、聖霊のお導きが確かにあったと言えます。
 まことの神を神としない、神と扱わない、敬わない。それは人の高慢です。イエス・キリストが、救い主、神の御子であることを認めず、否定するような考えは、信仰の根幹を揺るがすものです。この世界と命の造り主であり、支配者であられる全知全能の神様について、その御力や、予知全知などについて、制限を加えたり、旧約と新約の神様を区別したりする考え。これはもう人の考え出す偶像に他ならないのですが、世界中の様々な宗教の神様を混同して、すべて同じ神様と言ってみたり、逆に神は既にこの宇宙を離れておられるとか、人の科学や哲学といった、一時的相対的な物差しで、神様を推し量ろうとする態度。神様の上に、み言葉の上に人の理性や感性、都合を置くこと。これらは、いつの時代も、繰り返し現れます。結局、人が自分で逃れることができない、罪の姿だということになります。信仰は、聖霊のお働きによる。聖霊を遣わして下さる主の愛によるしかない、証拠であります。
 ユダが、より緊急性を感じたのは、偽教師が「しのび込んだ」と書かれていますが、その意味は、教会の内部に、そのような誤った教えを説く人々がいた、ということです。教会の中から出てきたという場合もあります。これは、外からの迫害や不信仰より、教会にとって一層危険なことであることが分かります。
 そこでユダは、信徒たちが、誤った教え、異端や、それを主張する偽教師たちと戦うこと。信仰の戦いを勧めていました。そのために、まず伝えたことは、クリスチャンが、父なる神から愛されている存在であること。そして何より、イエス・キリストに守っていて下さること。そして、そのイエス様の証し人として、与えられた正しい福音と信仰を伝えていくために召されている、ということを再確認していました。
 つまり、正しい信仰の戦いは常に、主なる神様が、力となって下さるという、確信に満ちた励ましで手紙をはじめたのであります。そして、もう一点。ユダが忘れず付け加えていたことは、イエス・キリストを否定する者。主に背く者を、主はそのままにしておかれない、ということでありました。不信仰に対しては、主が裁かれるという事実でした。
 み言葉の5節から7節をお読み致します。

「(5節)あなたがたは皆、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不信仰な者を滅ぼされたことを、思い起してもらいたい。(6節)主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。(7節)ソドム、ゴモラも、まわりの町々も、同様であって、同じように淫行にふけり、不自然な肉欲に走ったので、永遠の火の刑罰を受け、人々の見せしめにされている。」

 主がご自身に背く者を、お裁きになることについて、ユダは「あなたがたは皆、充分知っていることだ」と語っています。正確には「あなた方は、ひとたび、充分に知らされていた」という意味になります。実際に、主の裁きがすでにあったことを、聖書は教えていました。信徒たち。特にユダヤ人クリスチャンは、みな当然のこととして旧約聖書を教えられていました。しかし、「ひとたび」、一度は十分知らされていた、と言っていますので、旧約の教えが軽視されていたり、誤った解釈が広がっていたのかもしれません。
 そこで、ユダは、あらためて既に教えられていた、神様の啓示である旧約聖書を引用して、聖書の事実を思い起こすように導いています。5節から7節では、主が裁かれた、背く者について三つの例を挙げています。一つは、5節にある、イスラエルの民です。主がエジプトから救い出されたうちの一部になります。二つ目は6節の「み使い」。そして三つ目が7節、「ソドムとゴモラ」、その周辺の町、という、罪と不品行に満ちた偶像礼拝の異教徒たちになります。
 神の民とされたイスラエルの民、神に仕えるみ使い、そして神を知らない世の人々という、それぞれ違った、三つの存在が挙げられました。人と、み使いですから、霊的な存在です。信仰と不信仰が、ただ、知的な問題ではなく、霊的な問題だということを示しています。
 
 主の裁きの例、三つそれぞれを見ていきましょう。エジプトから救い出された後、主の裁きに遭った人々については、出エジプト記、そして特に民数記に詳しく出てきます。彼らが主のみ怒りを受けた理由は、大きく三つ挙げられると思います。おもに、偶像礼拝。次に不品行。そして、つぶやき、主を試みるという、不信仰であり高慢な言動でした。このことは、コリント人への第一の手紙10章に、そのまま、三つの罪としてまとめられています。(新約267頁)
「(10章6節)これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである。
(7節)だから、彼らの中のある者たちのように、偶像礼拝者になってはならない。すなわち、「民は座して飲み食いをし、また立って踊り戯れた」と書いてある。
(8節)また、ある者たちがしたように、わたしたちは不品行をしてはならない。不品行をしたため倒された者が、一日に二万三千人もあった。
(9節)また、ある者たちがしたように、わたしたちは主を試みてはならない。主を試みた者は、へびに殺された。
(10節)また、ある者たちがつぶやいたように、つぶやいてはならない。つぶやいた者は、「死の使」に滅ぼされた。
(11節)これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。」

さらに、ここでは、その裁きが、終末に生きる私たちのための、訓戒である、と明言しています。ユダは、このパウロの書簡と同じ理解にあったはずです。
 次に、二つ目は9節のみ使いです。イザヤ書の14章12節から15節を引いて見ましょう。
(旧約961頁)
「12 黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。
13 あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、14 雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。
15 しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。」

 これは、み使いが陥った、高慢の罪が明かされています。貪欲と言ってもいいかも知れません。主から与えられた、み使いとしての地位と特権。それを保つことを良しとしなかった、満足しなかったわけです。自らをさらに高く持ち上げ、神に等しい存在になろうとした、尊大な姿。高慢です。それによって、この、み使いは黄泉に落とされたわけです。また、偽典である「第一エノク書」というユダヤ文書には、さらに具体的に、悪しきみ使いが犯した罪と、その裁きについて描かれており、ユダはそれを参考にしているようです。この偽典の利用によって、ユダの手紙が、正しく評価されなかったこともあります。但し、ユダはエノク書を正典として認めているのではなく、皆によく知られた話、昔話のように、譬えに用いたということです。

 そして三つめは、有名なソドムとゴモラの町です。これは創世記19章で、アブラハムの甥、ロトが関わる物語として書かれています。また、回りの町々、とありますが、これは申命記の29章23節で、アデマ、ゼポイムという町であることが記されています。
 これらの町は、なぜ滅ぼされたか、といいますと、端的には不品行ということになります。これらの町々は、非常に性的に乱れた地域でした。彼らは、神を離れ、偶像を祀り、肉欲の支配のもとに、自ら進んでいきました。主はこれらを見逃されなかったということです。
 このように、ユダは、教会に入り込んだ異端、誤った教えを説く人たちが陥っていたのは、かつて歴史において、神のみ怒りにふれた、多くの人々やみ使いと同じ罪の内にある、ということを鋭く指摘したわけであります。

 続いて、8節以降。ここまでの例と比較しながら、偽教師たちの姿を明かして、糾弾していきます。8節から10節。

「(8節)しかし、これと同じように、これらの人々は、夢に迷わされて肉を汚し、権威ある者たちを軽んじ、栄光ある者たちをそしっている。(9節)み使いのかしらミカエルは、モーセの死体について悪魔と論じ争った時、相手をののしりさばくことはあえてせず、ただ、「主がおまえを戒めて下さるように」と言っただけであった。(10節)しかし、この人々は自分が知りもしないことをそしり、また、分別のない動物のように、ただ本能的な知識にあやまられて、自らの滅亡を招いている。」

 8節で、改めて偽教師たちの誤りを指摘します。まず、彼らは「夢に迷わされ」た状態だ、と断じています。現実的でない、夢うつつの空しい状態です。その姿を、更に三つ挙げています。
 一つ、肉を汚している。二つ、主の権威を軽んじている。三つ、栄光ある者たちをそしっている。
という三点です。肉を汚す、不品行・不道徳・乱れた行い。人の様々な欲望に支配された状態です。そして、主の権威、主を主と認めない。イエスキリストを否定する言動。それは、教会を軽んじ、
他の人をさげすむ、という姿にも現れます。栄光ある者とは、天的な存在。ユダは直接的にはみ使いの事を指しています。既に、堕落したみ使いの例を書いていました。すぐこの後に続く、9節でミカエルについて言及しています。ですから、例えば、聖書に記された、み使いを馬鹿にしたり、認めなかったり、という解釈をしていたと思われます。
 9節では、先の高慢によって、堕落したみ使いと比較して、ミカエルの謙虚とわきまえた姿を語っています。この9節の部分は、旧約聖書ではなく、偽典である「モーセの昇天」という、伝統的なユダヤ文書に基づいています。モーセが死んだあと、彼を葬るためにミカエルが神から遣わされましたが、サタンがそれに異議を唱えました。モーセはエジプト人を殺した、殺人の罪があるから、サタンが自分のものだと主張し、さらにこの世の物質については、自分に主権があると主張した、というような話です。あくまで偽典ですから、神様の言葉としての権威はありませんので、ユダも、多くの人が知っている、昔話や物語として、例えに用いていました。
 そこで、ミカエルは、あきらかにサタンの主張が誤りであり、不当なものか分かっていましたが、サタンをののしったり、裁くことなく、ただ、主の御手にお委ねしたのだ、ということを思い起こさせようとしています。
 それに比べて、10節。異端の教師たちは、知りもしないことをそしっている。と言います。つまり、主なる神様のみ心、み教え、律法を充分に理解せず、自分勝手に貶め、軽んじているということです。み言葉である聖書を軽んじ、神の言葉として聞かず、受け止めようとしない態度が行きつくのは、動物のような生き方であります。本能によって振り回され、欲望に支配されて、滅びへの道を突き進んでいる、ということが指摘されました。
 神を神と認めず、イエス・キリストを否定し、自分の知識や地位を誇り、この世の地位や、誉れや、欲望を追いかける生き方。それは、ある意味現実的な、地上の生活のようにも受け止められます。しかし、霊的な事柄を軽んじたそのような主義、生き方は、実は逆に「夢を見ているような」生き方であって、本当の現実を見ていない、空しい、と言っているわけであります。
 ユダによって、人を裁きへと導く、誤った生き方が指摘されました。偶像礼拝、不品行、高慢を恐れなさい、ということです。実際の歴史において、これらが裁かれてきました。しかし、私たちは、この裁くお方、イエス・キリストによって守られています。今、天の神の右おられる主イエス・キリストが、世界を統べ治めておられる。これが事実であり、この方を仰ぎ、より頼むことが、み心に適った、現実的な生き方であるということであります。

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