思い煩いを委ねなさい

問い合わせ

神戸市のプロテスタント教会 日本キリスト住吉教会のホームページへ戻る

思い煩いを委ねなさい

1:そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。
2:あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。
3:また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。4:そうすれば、大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。
5:同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。
『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う。』 からである。
6:だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。
7:神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。ペテロの第一の手紙 5章 1節から7節

「7:神はあなたがたを かえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」
 今朝もペテロの第一手紙のみ言葉に導かれたいと思います。今、お読みしましたのは、5章7節のみ言葉です。ペテロの第一の手紙も、最終盤に入ってまいりました。先週、私たちは、自分のたましいを、真実なる神様にゆだねなさい、と教えられました。神の御旨に従って、苦しみを受ける。信仰ゆえの苦難は、神様のみ心によるのだから、たましいを、命を、世界と命の造り主である、神様に。しかも、真実な神様にゆだねなさい、ということでした。
 なぜなら、真実なる神様は、かならず守り通して下さり、その先に、大きな栄光が約束されているのだから、ということです。ですから、試練や苦難に、驚かされ、不安にされるのではなく、むしろ喜びなさい、という教えでした。その何よりの保証は、私たちの救い主、主イエス・キリストが。実際そのようであられたからであります。
 神のみ子、イエス・キリストの地上でのご生涯は、すべて苦難の内にありました。十字架の死だけではなく、復活されるまでの、人としてのご生涯すべてが、へりくだりと苦難の時でありました。聖なる至高の存在。神のひとり子にして、まことの神なるお方が、この地上に、人の姿を取って、貧しいさまでおいでになりました。罪から最も離れた、罪を犯すことのできない方が、罪にあふれるこの世に、降りて来られたこと自体が、究極のへりくだりであり、苦しみと言えます。
 更に、神の御子は、救うべき人々から、あざけられ、罵られ、石を投げられ、唾を掛けられました。裁く権威を持った方が、罪人に裁かれ、呪いの木にかけられるという、苦難を歩まれたわけでございます。しかし、それは私たち。自ら救われ得ない、罪人を、救って下さるためでした。
 神の戒めを完全に成就しながら、死に至るまで、従順であられたイエス様は、やがて復活と、昇天。そして今、天の神の右の座におられるという、栄光の御姿を示して下さいました。これは、私たちへの保証であります。私たちは、聖霊によって、このキリストに、霊においても、肉においても、繋げられています。私たちは、与えて頂いた信仰によって、救い主、イエス・キリストが、主となって下さり、私たちの王となって下さり、初穂として。また長子として、私たちが、そのみ足跡を、辿って、たどり着く、天の栄光の希望を、確実なものとして下さっています。

 前々回。時がキーワードになっていることを申し上げました。そこには、このキリストの、苦難と栄光。謙卑と高挙が表された、時の流れも関係しています。苦難の時。へりくだりの時。それに続いて、栄光と、平安の時が備えられているのであります。
 先週の4章後半からは、「ゆだねる」という言葉を、キーワードに見てまいりたい、と申し上げたと思います。4章の最後。19節での結論が「たましいを ゆだねるがよい」という教えで終わっていました。そして、先程お読みしました、5章の7節でも「自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」 という勧めで、まとめています。
 4章後半は、具体的な教えに入りながら、全体的な教え。各教会全体、信徒全員に向けた教えが中心でした。5章では、更に具体的な、それぞれの立場に応じた勧めが語られています。それぞれのまとめとして「ゆだねなさい」という言葉で終わっていますが、先週少し申し上げたように、4章19節5章7節では、同じ「ゆだねる」という言葉が、全く違うギリシャ語が使われています。
 4章19節は「παρα-τιθημι」というギリシャ語です。παραというのが、○○のそばに、という接頭語で、そこに「τιθημι」がついて、「任せる。」「ゆだねる。」という意味になりますが、「τιθημι」というのは、預金するとか、委託するという商業用語でもあります。ですから、大切な財産、資産を、安心な銀行に預けるとか、信託する、といったニュアンスです。そのように、最も大切な、私たちのたましい。いのちを、最も安心な、真実な神様に預けなさい。お任せしなさい、という表現をしていたわけです。
 それで、5章の7節「ゆだねる」は、といいますと、こちらは「επι-ριπτω」。になります。○○の上にという、接頭語の「επι」と、投げる、投げ出す、という意味の「ριπτω」が繋がって、直訳すると「投げかける」という意味になります。「ριπτω」には、衣服を脱ぎ捨てる、という意味もあります。「投げかける」ということを、比喩的な表現で「ゆだねる」というわけです。ですから、「自分の思いわずらいを、いっさい」。全て、神様に全部なげかける。まるごとお渡しする、というように感じられます。
 「思いわずらい」は「μεριμνα」という名詞ですが、元は「μεριζω」という動詞で、分ける、分割するという言葉です。いろいろな出来事。悩みや、思いに、心がバラバラに乱されて、集中できないような、ざわざわする苦しさ。それらをすべて、一切、主の前に投げ出して、お委ねしなさい。なぜなら、あわれみに満ちた神が、「私たちをかえりみてくださる」からです。
 
 少し前、詩篇6篇のみ言葉を味わってまいりました。一日の働きを終えて、傷ついて、主のみ怒りを感じるようなことがあって、打ちひしがれた寝床での歌でした。それでも、その弱った心を、そのままに主の前に、広げて、投げ出して、み言葉に聞いて。願い、讃美する。その内に、御霊によって、こころが整えられ、励まされて眠りにつく、そのような讃美でした。
 「神さまがかえりみていて下さる」。神様が私たちを心配して、気にかけていて下さる、というのです。それも、いま現在です。詩篇6篇で「主よ、かえりみてください」は、「帰って来てください」でした。しかしこのペテロの手紙での、神の「かえりみ」は「心配する」になります。私たちには、自分のたましい。命の預け先があります。造り主なる神様が、最も安全で確実に、私たちのたましいを、守り通して下さいます。み子キリスト・イエスの仲介によって、神様が受け入れて下さるのであります。また、日々の思いわずらいも、ばらばらになった、傷ついた心もまた、そのままに、委ねること、投げかけることを主が赦して下さっています。むしろ、勧めていて下さいます。
 この、主の全てを引き受けて下さる、御愛と憐れみを覚えて、心からの感謝と、讃美をささげたいと願うものです。

 さて、それでは、私たちを心配していて下さる神様は、どのようにして下さるか。6節をお読みします。
「6:だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。」
 み言葉にきいて、主の前に心をひらいて、お委ねすることで、主は、御霊によって、わたしたちを平安へと導いて下さいます。そして、さらに、「時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。」いわれています。4節で「大牧者が現れる時には、しぼむことのない栄光の冠を受けるであろう。」 という通り、大牧者。イエス・キリストの再臨の時。最後の審判において、永遠の栄光へと入れて下さる、それが確実であるということです。
 そのために、私たちに勧められていることは「自らを低く」すること。「謙虚」ということであります。前回から今回。「ゆだねる」というキーワードに注目してみました。ここで、同時に、全体を通して、教えられているキーワードが「謙虚」ということになると思います。なぜなら、私たちが味わう苦難や、おとずれる試練に耐える力の源にあるのは、先に申し上げたとおり、み子イエス・キリストのヘリ下りにあるからであります。
 ペテロは、常にイエス様のお姿を通して、謙卑と高挙を思い起こして、全ての信徒たちに教えていることが分かります。本日のみ言葉を、頭から見てまいりましょう。1節から3節。
「1:そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。わたしも、長老のひとりで、キリストの苦難についての証人であり、また、やがて現れようとする栄光にあずかる者である。
2:あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧(ぼく)しなさい。しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためではなく、本心から、それをしなさい。
3:また、ゆだねられた者たちの上に権力をふるうことをしないで、むしろ、群れの模範となるべきである。」
 ここから、ペテロは、手紙を書き送った教会の、ここの立場の人々に教えていきます。特にここは、教会制度や、牧会。長老について学ぶ際に、必ず引用される聖句でもあります。長老であるペテロが、長老たちに勧めている。それも、つよく勧める。懇願するような教えです。その内容は、長老の務めと、その務めを果たす手段。心がまえです。
 内容に入る前に、2節と3節で二度「ゆだねられた」という言葉が出てきます。しかし、ここでは「ゆだねる」。とか「まかせる」。といった単語は使われていません。2節の「あなたがたにゆだねられている神の羊の群れ」は、「あなたがたの、なかにある」とか、「内にいる」、神の羊の群れ。という意味です。3節の「また、ゆだねられた者たち」、というところは、「分配された、割り当てられている人々」。という意味の言葉になります。意味的にまちがっているわけではありませんが、日本語の翻訳の難しいところです。同じ「ゆだねる」という言葉を使うことで、4章19節と、5章7節の対比が、分かりにくくなっていると感じます。

 戻りまして、長老の務めは、「神の羊の群れを、」牧(ぼく)すること。そのために用いられるべき手段は、「模範となること。」の2点に集約されています。対象が、「神の羊の群れ」。神さまの民、神様のものを、牧(ぼく)する。つまり養い、世話をする、ということです。神の羊を養うために必要な糧は、み言葉であります。したがって、長老は、福音のみ言葉を正しく理解し、それを語るか、体現することが求められている、ということです。長老とは、そのために主が召された、ということであります。主が召された人を、信徒が選ぶわけです。
 一ヶ所、聖書を引きます。新約聖書304頁。エペソ人への手紙 4章11節から13節です。
「11:そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。12:それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、
13:わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。」
 「そして彼は」とあるように、これらの奉仕者を立てられたのは、イエス様であることが明言されています。また、ここでは「使徒」。「預言者」。「伝道者」。「牧師・教師」と、4つの職務が示されていますが、これは、それぞれの賜物による、働きの面が述べられていることになります。牧師と教師は、同じです。四つとも、長老ということになります。使徒の筆頭であるペテロ自身、「わたしも、長老のひとり。」と、自分のことを表しています。

 このように、長老は、イエス様が教会のため、信仰と知識の一致のために、立てられた存在だということです。長老が立てられる、ということは、それほどに教会にとっては、喜ぶべき、主の祝福であります。
ただ、このように、聞いてまいりますと、自分が長老として召され時、どれだけよくわかっていなかったかを思い知らされます。また、長老というものを、重責に感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ペテロは教えています。「神に従って自ら進んで」なすように。主が召して、立てられたのですから、その主に頼って、ただ従えばよい、ということです。
 そして、務めのための手段も教えられます。それは「群れの模範となる」ということです。主が立てられたということは、主の権威を伴います。しかし、権力を使って支配する、というのではなく、「模範となる」ことが勧められています。それでもまだ、人の模範となること自体、恐れ多いと感じてしまいます。自分が模範になれ、と言われれば、しり込みしてしまいそうです。
 もう一ヶ所、聖書を引いてみましょう。コリント人への第一の手紙、11章。新約聖書268頁です。11章1節。
「わたしがキリストにならうものであるように、あなたがたも わたしにならうものになりなさい。」
 つまり、長老自身が模範、というより、「キリストを模範とする模範」ということになります。何か、立派であろうとするより、キリストを模範とする、へり下った姿が求められています。この姿自体、御霊の賜物であります。

 そこから、5節をお読みしますと。
「5:同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う。』 からである。」
 長老ではない人々。ここでは「若い人たち」と呼ばれていますが、一般の信徒も、長老と同じく、互いに謙遜であるように、という教えです。5節の中の、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う。』 は、箴言3章34節の引用で、ヤコブの手紙、4章6節でも、全く同じ聖句が引用されていました。ヤコブの手紙の4章の前半のまとめは、10節の「主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主はあなたがたを高くして下さる」でした。初代教会の、最も早くに書かれた手紙と、後半の手紙で、二人の教会の柱から、同じことが教えられていることも覚えたいと思います。
 イエス・キリストが、私たちを、死と滅びから救うために、この世で低くあられたこと。そしてその後、栄光のお姿を示して下さいました。私たちも、この主に倣って、神様のみ前に、心を低く、たましいをゆだね、また日々の思いわずらいを、すべて一切をお委ねできる幸いを覚えて、地上の困難を、「神の羊の群れ」。単数です。一つの群れとして、共に歩んで参りたいと思います。

2022年度 メッセージ一覧

命の光を信じよ

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのもの…

神が共にいます

「イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。」 マタイによる福音書1章18節のみ言葉でございます。こ…

良い知らせ

イザヤ書61章の、み言葉をお読みいただきました。イザヤ書61章全体では、終末における、主の民が受ける祝…

月報 2022年11月 「キリストの再臨」 

今回はキリストの高挙(高い、栄光の状態)の4つ目。再臨についての聖句です。今、天で神の右に座し給うキリ…

神様が立てた契約

「 主は言われる、「わたしが彼らと立てる契約はこれである。あなたの上にあるわが霊、あなたの口においた…

神が守って下さる

「(20節)しかし、愛する者たちよ。あなたがたは、最も神聖な信仰の上に自らを築き上げ、聖霊によって祈り…

裁きはあった

「あなたがたはみな、じゅうぶんに知っていることではあるが、主が民をエジプトの地から救い出して後、不…

月報 2022年10月 「執り成し給うキリスト」(Ⅱ)

 ヨハネによる福音書17章では、イエス様が、ユダの裏切りによって祭司長やパリサイ人に捕まる直前、天を…

月報 2022年9月 「執り成し給うキリスト」

 前回、キリストの高い状態(高挙)のうちの3つ目。私たちと変わらない肉体を持って、天に昇られたキリスト…

月報 2022年8月 「神の右に座すキリスト」

 イエス・キリストとはどのようなお方か。それを知るには、聖書に聞くしかありません。聖書の言葉を通し…

異端への警告

「不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたした…

御霊はひとつ

「(4節)霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。(5節)務めは種々あるが、主は同じである。(6節)働きは種…

人の思い、神の思い

「サタンよ、引き下がれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている…

朝ごとに神に祈る

「3;主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのためにいけにえを備えて待…

あふれる恵みの神

思い煩いを委ねなさい

魂をゆだねなさい

神の恵みの管理人

助け出して下さい

キリストの霊の宣教

私を愛するか

義のために苦しむ幸い

祝福を受け継ぐため

月報 2022年7月 「キリストの昇天」(2)

キリストが、復活後に人の体をもって天に昇られた、昇天の意義について、ウェストミンスター大教理問答で…

月報 2022年6月 「キリストの昇天」(1)

イエス・キリストの高挙については「復活、昇天、父の右の座に着いておられること、世を裁くための再臨」…

月報 2022年5月 「キリストの復活の栄光」(2)

キリストの「高挙」(高く挙げられた状態)の内、「復活」について学んでいます。前回はウェストミンスター…

月報 2022年4月 「キリストの復活の栄光」(1)

神の一人子キリストが、へり下りによって人となられました。そして、どこまでも父なる神様に従順で、律法…

月報 2022年3月 「神の子キリストのヘリくだり」

今回は「キリストの謙卑」について教えられたいと思います。まず、キリストが真の神であられ、真の人とな…

月報 2022年2月 「神は永遠に私たちを守り給う」

2021年の8月から、「カルヴィニズムの5特質(※)」と呼ばれる、5つの教理命題について、聖書に学んでまいり…

命の恵みを共に受ける

キリストの再臨とは

苦難に耐える模範

自由な神のしもべ

暗闇から光へ

御言を慕い求めよ

信仰と希望の源

・「終末の希望への心構え」 ・「聖なる生活の勧め」 ・「まことの裁き主を畏れる」 ・「主の御業なる救い…

苦難に続く喜び

「試練によって磨かれる信仰」 「見えない者を信じる信仰は主による」 「預言の成就・救いの客観性」 「危…

天の資産を受け継ぐ

神の恵みの訪れ

イエス・キリストの復活から50日目。ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が下った、聖霊降臨のできごとにつ…

サムソンの祈り・主の選びの器3

◆士師サムソンについて、み言葉に聴いて参りましたが、今日はその3回目となります。

命を選びなさい

主は心を見られる

信仰が成長する

信仰によって生きる

主の選びの器(2)

◆イスラエルの民が、約束の地カナンに入植した後、モーセやヨシュアが心配した通り、主の民は異教の民と交…

キリストの復活

◆イエス・キリストが死からよみがえられた歴史的事実とその意味。さらに復活によって約束された、恵みにつ…

キリストの受難

◆神様の唯一の御子であるイエス・キリストが受けられた様々な屈辱、虐げや迫害、そして十字架刑という悲惨…

キリストの勝利(Ⅱ)

◆イエスの荒野での40日の試練。サタンによる最初の誘惑を退けられたイエスに、サタンは続けて誘惑を試みて…

キリストの勝利

◆有名なイエス・キリストの荒野の試練(誘惑)から、サタンの真の意図と、キリストの勝利の意味を学びます。

主が共におられるから

月報 2022年1月 「みことばの力」

互いに祈りなさい(Ⅱ)

互いに祈りなさい

◆ヤコブの手紙5章から、祈りの三つのポイント聞いて参ります。第一は、いついかなる時も祈りなさいという…

月報 2021年12月 「願いを起こさせ給う神」

全知全能の創造主にして全世界の主権者であられる、唯一の生けるまことの神様。キリストにあって、私たち…

耐え忍びなさい

富める者の責任

◆今朝、会員がお一人天に召されました。メーッセージ入力が途中ですが、続きは後ほど記載します。

虚しい誇り

◆人はいつの誇り高ぶり、自分を何より上に置こうとします。自分を自分の主、自分の神とします。神の上に立…

主の選びの器

■主なる神が遣わされたモーセに導かれ、400年にわたる奴隷の地、エジプトから脱出が叶ったイスラエルの民…

裁いてはならない

■ヤコブの手紙 4章の御言葉で語られる「裁いてはならない」という教えの、意味を教えられたいと願ってい…

神に近づきなさい

(※前半部分のみ。後半は改めて記載します)

真実の知恵

幸いなこと!

■神の御言葉である讃美集、詩篇。その冒頭にある第1篇から、幸いな人生を教えられたいと思います。