月報 2022年8月 「神の右に座すキリスト」
『神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、彼を、全ての支配、権威、権力、権勢の上におき、またこの世ばかりでなく、きたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。』エペソ人への手紙 1章 20節から22節
イエス・キリストとはどのようなお方か。それを知るには、聖書に聞くしかありません。聖書の言葉を通して働かれる聖霊によって、人は聖書をまことの神様の言葉と確信し、真実と受入れ、信じて、救いへと導かれます。 そして私たちは、応答します。「このように聞き、信じました」ということを、信仰告白や信条という形で表すわけです。
その最も古く、基本的な応答が「使徒信条」になります。私たちは、礼拝での信仰告白として「使徒信条」唱えています。使徒信条では、クリスチャンの信仰の基本が、全能の父なる神を信じること、神の御子・救い主イエス・キリストを信じること、聖霊を信じること、キリストの民の集合である教会と、赦しと復活と御国での永遠の命を信じること、とまとめられています。
その中でも、イエス・キリストについては「我らの主」として、特にくわしく、キリストのご生涯が「へりくだり=低い状態(謙卑)」と「栄光=高い状態(高挙)」の、二つの状態を取られたことを告白しています。キリストは、この二つの状態において、預言者・祭司・王としての務めを果たされます。それが、私たちを救うために、キリストが実際に示してくださる御姿であり働きです。使徒信条は、私たちを救う信仰の中心に、イエス様がいて下さることを告白しているわけです。
前回まで、キリストの高い状態(高挙)について聞いてまいりました。高挙は「復活」・「昇天」・「神の右への着座」・「再臨」という、四つの点に表されている、と教えられました。今回は、その三つ目。キリストが「神の右に座しておられる」こと。キリストが十字架での死を経て、復活・昇天され、今現在、「神の右に座して」世界を統治されている、という点でございます。
「キリストが神の右に座しておられる」という表現は、いわゆる比喩になります。まことの霊、神の御子であるキリストに、座るべき座は必要ありません。この表現は、キリストが父なる神の隣の、至高の地位を占めておられることを表しています。神の一人子であるキリストは、全てにおいて、父なる神と完全に同等であり、御心を共にされています。「わたしと父は一つである」と言われた通りであります。
しかも、神の右にいます今この時も、キリストは私たちと変わらない、人の体を持っておられます。それは、父なる神と私たち罪人の、唯一の仲保者としての救い主のお姿であり、万物のまことの王なる方が、私たちの王であられることの証しです。私たちがキリスト同じように、肉体を持って天国に迎えられる保証でもあるのです。
標記のエペソ人への手紙にありますように、ウェストミンスター大教理問答の54問(別掲)では、キリストが神の右に座しておられることを、次のように説明しています。
父なる神の右の座に着くということは、キリストが全権を委任され、天地の全ての主権をもって、世界を治めておられることを意味します。そして、その統治の目的が「教会(全てのキリストの民)のため」だということです。
それでは、教会の(益の)ため、どのように統治されているか。
それは、天から聖霊を遣わし、
①選びの民を教会に集めること(エペソ4章11-12)
②その民を敵から守り、敵を従えること(詩110篇)。
③役員や信徒たちに、恵みと賜物を与え、教会を満ち足らせること(エペソ4章13)。
④その民のために(父なる神に)執り成しをされること(ローマ 8章34)。
このように、神の御子が私たちのために、常に働き続けていて下さることを聖書は教えています。
世界の全ての主権を持ち、万物を御足の下に従わせた、まことの王なるイエス・キリストが、私たちの主として、初穂として、長子として、また唯一の頭(かしら)として、天において、絶えず私たちのために、尽くしていて下さいます。イエス様が神の右の座に着かれているとは、そのような、測り知れない愛と恵みの主であることを意味するのです。今この時も、働いていて下さるイエス様への感謝を新たにし、御手の内にある平安を覚えたいと思います。