御霊はひとつ

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御霊はひとつ

(1節)兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。
(2節)あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。(3節)そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。
(4節)霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。(5節)務めは種々あるが、主は同じである。(6節)働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。(7節)各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。
(8節)すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言葉、(9節)またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、(10節)またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。
(11節)すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。コリント人への第一の手紙 12章 1節から11節

「(4節)霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。(5節)務めは種々あるが、主は同じである。(6節)働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。(7節)各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。」
 コリント人への第一の手紙。12章4節から7節の、み言葉をお読みいたしました。ここでは、教会の本質的なことが教えられています。キリストの教会と、その中にある一人一人の信徒が、どのような関係にあるのか。一つの教会と、大勢の多種多様な賜物を与えられた、個人との関係であります。
今朝は、宗教改革の記念日とされています。16世紀に、西方カトリック教会内で発生した、宗教改革。それは、キリストとその使徒たちが建てて行った教会が、長い労苦と年月を経て、聖霊のお働きによって、世界に拡がっていく中で起こりました。
 初代教会は、主のご節理により、ローマ帝国という、当時最大、かつ最先端の国家の下で、ユダヤを出て、民族の垣根を超えて広がっていきました。ローマがもたらした、広範囲の平和。言語や、インフラの整備などによって、帝国内はもとより、アラビアやインドまで宣教が行われました。ユダヤ民族は、卵のような存在だったと言えます。その中で、イエス・キリストがお生まれになり、殻を破って、世界へと福音がのべ伝えられていきました。その時、激しい迫害もありましたが、ローマ帝国という、歴史を主はお用いになりました。
 そして、16世紀。15世紀後半から始まった大航海時代によって、さらに広い世界へ。新しい大陸へと、伝道が地球規模で進められていく、その時代に、宗教改革が起こりました。これらを鑑みますと、本当に主は、歴史において働かれる方であることを思わせられます。天にいまして、永遠の内におられる主は、人を救うため、地上の現実の歴史の上に、超自然的に働かれ、摂理されている。まことの王、主権者であられます。この主が、私たちを愛して下さっておる、という幸いをかみしめたいと思います。
 教会は、中世を経て、使徒達が立ち上げ、長老・監督たちに委ねた教会の上に、様々な人間的な要素を積み重ねていきました。広がり、大きくなり、地上で強大な権力や富を得ることで、そこにサタンが働く余地も与えてしまいました。根本的には、教会制度の問題であったと思います。特に、聖書の権威の上に教会を置き、その教会の上に教皇という、ただ一人の人間を置いて、使徒的権威を集中させたところでしょうか。教皇を頂天とした、階級制が固められ、世俗の権力や財力。国家や貴族、大富豪と密接に結びついた教会は、世的権力者でなければ、教会の支配層になり得ないという、いびつな状態を生み出しました。
 もともとローマ教会は、イエス・キリストから「天国のカギを預けられた」とされる使徒ペテロを継承し、諸教会の筆頭で最高権威を持つ、と自認していました。その根拠は、先週、瀧田先生にお説教頂いたマタイ伝16章です。第一に、イエス様が「この岩のうえに私の教会を建てる」といわれた、岩=ペテロであること。第二に「あなたに天国の鍵をさずける」と言われた。だからペテロが首長である、最高権威というわけです。 そして第三にペテロはローマ教会の監督だったので、その権威を継承している、ということになります。
 それぞれ簡単に触れますと、「岩」がペテロという一人の人を指しているとは確定されません。彼が、使徒たちの代表として答えた、「生ける神の子キリスト」という信仰こそ、教会の土台となります。また、この時点で、イエス様がペテロに優位性を与えたのでないことは、この後、弟子たちが、誰が一番偉いか論争していることからも明らかです。マタイ伝18章、マルコでは9章の記事になります。そして、天国の鍵の件も、そこで明らかにされています。マタイ伝18章18節でイエス様は「よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれる。」とおっしゃっています。鍵の機能を「あなた」ではなく、「あなたがた」。つまり、個人ではなく、使徒全員に等しく委ねられた、ということです。
 さらに、使徒とはイエス様が直接選び、任命された12名とパウロだけに許された称号で、同等の権威や、力は継承されていません。使徒は使徒を選んでいませんから、一代限りです。使徒たちは、代わりに複数の長老・監督を教会に立てていきました。付け加えれば、ローマ教会の三代目監督であった、クレメンスという人がいます。ローマのクレメンスと呼ばれる古代教父のひとりですが、彼の多くの書簡が現代まで残っており、その中では、彼はあくまでローマ教会の監督であって、ローマの監督が他の諸教会への監督権を持っているような、優位性を表す内容は出てこないそうです。
 長い時を経て、世的な力との不適切な関係によって、キリストの教会もまた、地上にあっては過ちや、腐敗から完全に逃れることが困難であることを示すことになりました。そこで、ルターやツヴィングリ、カルヴァンらが声を上げることになったわけです。本当の、使徒たちの教会に立ち帰るために。聖書のみ、信仰のみ、万人祭司を旗印に掲げました。教会が、イエス様を神の子キリストと告白する信仰の上に立つ。すなわち御霊によって信仰をもたらす、神のみ言葉。霊感された聖書にこそ、権威の源があること。人が様々に作り上げ、塗り重ねた儀式ではなく、そのキリストへの信仰のみが救いの条件であること。全ての信徒が、御霊によって、キリストに繋げられて、等しく神との交わりのうちに置かれる、という、福音の大原則の、これは「再確認」でありました。私たちと、父なる神様との仲保者は、ただお一人。御子イエス・キリストのみであること。御子と御子の霊以外に、私たち全て、一人一人と神様の間を、仲保・仲介する存在はないのであります。

 そこで、本日お読みいたしましたみ言葉は、まさしく、このような真の信仰に立つ教会の姿が教えられているところであります。
まず、第一に、キリストの主権性であります。1節から3節。

「(1節)兄弟たちよ。霊の賜物については、次のことを知らずにいてもらいたくない。(2節)あなたがたがまだ異邦人であった時、誘われるまま、物の言えない偶像のところに引かれて行ったことは、あなたがたの承知しているとおりである。(3節)そこで、あなたがたに言っておくが、神の霊によって語る者はだれも「イエスはのろわれよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と言うことができない。」

 第Ⅰコリントは、偶像と不品行に満ちた社会の中で、順応と聖別の間で混乱していた、コリント教会に対し、パウロが送った、教理的かつ具体的な指導の数々です。コリントからの陳情や問い合わせに答える形で書かれています。1章から4章は、教会の一致についてでした。5章から6章は不品行について。特に性的な不品行の問題でした。そこから7章は結婚について。8章から10章までは、偶像社会とのかかわり方の問題への回答になります。11章が行動の礼拝に関する指導。そして、12章から14章では、御霊。教会と、個人に働かれる聖霊がそのテーマとなっています。

 ここでは、特に、信徒一人一人の賜物について語り、その賜物の源と性質、目的を明らかにしています。その背景には、コリントでの異教社会での偶像礼拝と、そこでの熱狂的な状態、恍惚とした宗教的体験などがあったようです。
 パウロが、「兄弟たちよ」と語りかけ、彼らに「知らずにいてほしくないこと」。つまり、必ず知っていて欲しいことを告げます。それは、神の御霊の見分け方になります。クリスチャンになる前。あるいは、なってからでも、偶像の礼拝儀式の中で様々な神秘的な経験や、興奮を経験したり、目にすることがあるでしょう。それらは、霊的と言えるかもしれません。しかし、それらは「物の言えない偶像」、つまり、造られた者であり、全く存在しない者をあがめているにすぎないということです。このことを、パウロは10章の「偶像への供え物」の件で、「何か意味があるのか。偶像は何かほんとうにあるものか。そうではない。」と明言しています。存在しない物に供えられたからと言って、その食物を嫌う必要はない。全て、主が与えられたものである、という原則でした。
 同様に、ここでも真の霊と言える存在は、今この時、天の神の右から、イエス様が送って下さる、聖霊。キリストの御霊ですから、その真の霊が働かれる時に、だれも、送り主でありご自身でもある「イエスは呪われよ」と口にすることは、ありえないわけです。同時に、「聖霊によらなければだれも「イエスは主である」と言うことができない。」と言われる通り、イエス・キリストへの信仰を口にできることは、すなわち、聖霊がその人のうちに生きて、働いておられ、共におられる証であります。

 この、永遠の救いに至る信仰を与える、聖霊のお働きは全ての信徒に等しくあり、そこには優劣も上下も無い、ということであります。個人の救いも、地上の教会も、また世界も、天にいますキリストが、御霊によってご支配されているという、客観的事実です。ある意味、人が信じようが信じまいが、どう感じるかを超えた、れっきとした事実がそこにある、ということです。

 さて、この御霊は、信仰だけでなく、様々な賜物を、一人一人に与えて下さいます。4節から6節をお読みいたします。

「(4節)霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。(5節)務は種々あるが、主は同じである。(6節)働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。(7節)各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。」

 教会員一人一人の賜物について、教えられています。ここでは、教会という枠組みの中で、各自の個性。それぞれ、違う賜物。そして務め。これは奉仕とも言えます。それから働き、それらが色々存在する。種々、というようにみな違うものが与えられ、召され、導きも支えもまた、みな違う、ということが言われています。先日も、神学館で講義の中の会話で、今に至るまでの信仰生活や教会生活での、危機というか迷いについて言葉が交わされることがありました。20代、30代の兄弟がいらっしゃるのですが、彼らはクリスチャンホームで育ってきました。若い頃から教会のさまざまな活動に参加したりて、ある意味、似通った環境だと思います。それでも、それぞれが、その環境での不安とか、迷い、不満は全く違っていたりします。
 さらに、私などは、大学生になるまでは全く違う環境にいました。子供の頃は、夏祭りでダンジリを引いて、御輿を担ぐのが楽しみでした。お寺の報恩講という催しで、ご飯とおかゆ食べ放題なんかに喜んで参加していました。小学生でご飯六杯、おかゆ三杯とか食べて自慢していたのを思い出します。高校で般若心経を唱え、大学で、詩や哲学などに興味を持ってお酒を覚えて、教会とは全く離れたところで生活していました。それでも、今、彼らと同じ神学校で学んでいます。
 今の学生は、教団で言えば、バプテストや同盟、アッセンブリー、インマヌエルとか、全く違う教団から来られていて、微妙な違いも感じますが、それでも福音信仰はやはり共通なのだと確信できます。まさに、キリストにあって一つ。地上の教会は別でも、共にキリストの教会だと実感するところです。主のご配剤というものは、本当に一人一人をご存じで、一人一人に相応しく、時を備え、賜物を与え、試練を用意し、導いていかれます。それぞれに働いて下さる御霊は同じで、おひとりなのです。

 一つの教会の中でも同じです。賜物は違っても、その中に優劣は全くありません。それがこの世と違うところです。しかし、コリントの教会ではそうではなかったようで、異言などの賜物を特別視するなど、勝手に賜物の優劣を競うような、世と同じ価値基準が入り込んでいました。そこで、パウロが教えたことは、全ては違っているけれども、すべて同じで、一つだという全く矛盾しているようですが、実は真実な教会の姿であります。
 4節から6節を見ますと、バラバラであって、一つということが、主の教会だとはっきり表されています。それが、三位一体の神様の御本質からくることを押しています。主の教会ですから、主を反映するのであります。4節「霊の賜物は種々あるが、御霊は同じ」。5節「務は種々あるが、主は同じ」6節「働きは種々あるが・・神は、同じ」。違う賜物、違う務め、違う働き。しかし、賜物を与えて下さる御霊は同じ。務めて使えるべき主は同じ。働きを用いて、み心を実現される神は同じであり、ただお一人であります。
教会は、一人一人が、一つの御霊によって、唯一の頭キリストに繋がる一つの体として、まことの神様に栄光を帰し、福音の伝道のために召された、救われた者の群れです。各々の違いが、全体の益とされるのであります。
 主にあって一つという、初代教会が求めていた姿が、今も、またこの後も、変わることなく、御手のうちに保たれますよう。また自らを振り返りつつ、御霊のお導きに感謝し、一層のお守りを祈りたいと思います。

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■神の御言葉である讃美集、詩篇。その冒頭にある第1篇から、幸いな人生を教えられたいと思います。