キリストの勝利

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キリストの勝利

【1さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

 5それから悪魔は、イエスを聖なる都に連れて行き、宮の頂上に立たせて6言った、「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために御使たちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』と書いてありますから」。7イエスは彼に言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』とまた書いてある」。

 8次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて9言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 11そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。】マタイによる福音書 4章 1節から11節

「10するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。 11そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」

 マタイの福音書4章10節11節の御言です。荒野の試練と呼ばれる有名な個所です。その40日に渡る試練の最後に、イエス様がサタンが試みに遭われました。「試み」という言葉は「誘惑」という意味でもあります。サタンによる最後の3つの試みを退けられた、イエス様がサタンの敗北を宣言された御言葉でございます。本日はこの荒野の誘惑から、サタンの誘惑の真の意図と、イエス・キリストの勝利が意味するところを聞いて参りたいと思います。

 結論から申し上げますと、サタンの誘惑の狙いは、御子イエス・キリストのヘリ下りの妨害でありました。人となられたイエス様を、不従順と高慢に導くための試みです。さらにその先にある真の目的は、十字架の贖いの阻止、ということでありました。
 それでは、順番に見てまいりたいと思いますが、先週見ました、民数記のことを少しおさらいしたいと思います。そこでは、イスラエルの民が奴隷の地エジプトから救い出され、主なる神から契約と律法を与えられて、神の民として、約束の地カナンまで、あと一息のところまで導かれてまいりました。しかし、カナンの地を調査に向かった結果、自分の目を信じ、神様への不従順をあらわして、さらに人々に悪く言いふらして扇動し、神に背かせると言う罪を犯してしまいました。同じ現実を見ていた、カレブとヨシュアだけは、主がその現実を支配されることを確信し、人間の判断を超えて働かれる主の言葉に信頼して進もうとしていました。御言に信頼を持てず、自らの判断で神に背いた人々は、40年の荒野での試練の時に入れられることになりました。その試練は、主なる神の民として、主のみを神とし、その御言に聞き従う、従順を身に着けるための試練でした。そこで多くのものは試され、整えられて、やがてヨシュアに導かれて、カナンの地に入っていくことになります。

 さて、イエス様に戻ります。マタイ4章の1節から3節。
【1さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。2そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。】
イエス様も荒野での40日の試練へと向かわれました。しかし、御霊によって導かれた、とあります。ルカによる福音書では「聖霊に満たされて」と書かれています。荒野に向かわれる前に、イエス様はバプテスマのヨハネから洗礼を受けられました。ヨハネの役目を認め、また悔い改める必要のない罪なき神の御子が、人として、人の代表として、神への従順の模範を示されました。そこで、イエス様に聖霊が下り、天から神の宣言が響き渡りました「これは愛する私の子」である、という救い主到来の宣言であり、イエス様の地上でのお働き。宣教と救いの御業の開始を告げるできごとでありました。
 こうして、聖霊に満たされたイエス様は、荒野へ向かわれます。それは、救いの御業を始められる前の最後の準備であったといえます。この準備期間、40日間の断食を行い、肉体的に弱り切ったところにサタンが現れて、試み。誘惑をはじめます。まず、サタンの誘惑について考えてみたいと思います。サタンの誘惑の目的は、常に人を神様から離すことを目的とします。最初にエバを誘惑したときからそうでした。人を神から離し、神の側ではなく自らに支配の下に置こうとする試みです。そのために、誘惑するのですが、そこには一定のパターンがみられます。
 第一に、弱っている時に試みがあります。イエス様はこの時お一人でした。バプテスマのヨハネや、家族らと一緒ではなく、また町や神殿でもなく、一人で荒野にいて空腹の状態でした。このように、孤独、疲労、空腹や病、困難、混乱、不安に乗じて、サタンは誘惑を仕掛けてきます。神に背くことで問題がが解消されるかのように迫ってくるのであります。
 第二に、さらに危険な誘惑は、強い時。人の強さを通して試みがなされる点であります。この時、イエス様は、肉体的に人として確かに弱っておられましたが、本来神の御子でもあり、神なるお方であります。ですから、サタンが適うはずもない力をお持ちでした。そこに、サタンは巧みに働きかけます。3節で、「もしあなたが神の子であるなら」と、「イエス様が神の子である」ということを知っていながら、その真実を交えて、誘惑を図るサタンの巧みさです。大﨑先生がよく、逆境より順境、上手くいって調子のいい時の方が恐ろしい、と仰っていました。サタンは、ひとの順調、強さをくすぐり、その高慢をあおって神ではなく自らの力に頼るように働きかけるのであります。力を得ている時こそ、謙虚にへりくだることを覚えなければならいことを、聖書は繰り返し教えてくれます。
 以上の二点、人の弱さと強さに加えて、黒崎幸吉先生は第三の注意点を上げておられます。それは、私たちが自分を取り巻く周囲の事情や境遇を第一に置く場合です。まず、境遇が変化すれば、信仰も自然にこれに従うだろうと考えてしまっていることがあります。周囲の境遇に目を取られる時に、サタンは巧みに私たちを捕らえ、境遇改善を餌に、または理由にして自らの支配の下に置いてしまう、ということでした。民数記でもそうでしたが、神の民であるべきイスラエルの民や王達が、度々主に背いていく姿は、このようなサタンの働きを教えてくれています。当然、それを超えて守り導かれる主のご計画と御業が勝っているのですが、多くの人がサタンに抗いきれなかったことも覚えなければなりません。先の民数記では、カレブとヨシュアを除く10人の斥候たちは、土地を持たない放浪の民としての弱さの中で、乳と蜜が流れる豊かな土地と、強力な異民族の姿を見せられ、恐れと混乱の中で、御言に信頼し、従うことができませんでした。主により頼むことを退けた民は、却って主に背き、逆らう道を選んでしまいました。
 しかし、今現在の私たちには、このサタンに対し、完全な勝利をおさめられたイエス様が共にいてくださるわけですから、御霊によってイエス様に繋がれていることで、例えひと時、サタンの試みに会おうとも、必ず守り抜いて下さるわけですから、安心して歩んでいきたいと思います。そのためにも、しっかりと心に神の御言、福音が刻まれますよう、一層の御霊の導きを祈りたいと思います。

 本日のイエス様の荒野の試練という話の大切な面は、これが例えば、たとえ話や、神話的な出来事、あるいはイエス様の内面での出来事ではなく、歴史的な客観的事実として書かれていると言うところです。イエス様はサタンを実体として存在するものとしてみておられることが分かります。神学的にも重要な出来事であることを理解する必要があります。実際にイエス・キリストが体験されたことが大切な意味を持っていると言うことです。例えば、マタイの12章23節以降で、イエス様が悪霊に着かれた人を、悪霊を追い出していやされる話があります。その癒しの業に対して、パリサイ人が「悪霊を追い出したのは。悪霊のかしらの力によるものだ」といって貶めようとしました。これに対してイエス様は、内部で争う国は自滅する・・と譬えられ、「わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」と答えられました。このできごとの背景には、荒野でのサタンに対するキリストの勝利が大切な前提となっています。もっとさかのぼれば、創世記3章15節にある、神の呪いに込められた「原福音」において、蛇の姿をとったサタンに、女のすえがお前の頭を砕く、と仰ったことが、ここに成就したということでもあります。

 それでは、サタンの誘惑とイエス様の戦いを見てまいりましょう。4章の3節から4節。
【3すると試みる者がきて言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。4イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。】
まず、空腹を覚えられたイエス様に、サタンは食べ物を持ち出して試みました。「もし神の子なら」石をパンに変えることができるだろう、誘導であります。確かに、イエス様はその力をお持ちでした。5,000千人の給食の話にもあるように、荒野のイスラエルにマナを降らせ、水を湧き出させたように、超自然的に解決する力を持った、神ご自身であられました。サタンはそのことを充分知っていたことが分かります。できないことを言って試すのではなく、出来ることが分かっていて誘う、巧みな誘惑でした。
 このサタンの誘惑に対して、イエス様は御言をもって応えらえます。
『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』
これは、申命記8章3節後半の御言でした。この答えは、人が生きるのは物質的、肉体的な要素だけではなく、霊的なものが重要だ、と受け取れます。しかし、肉と霊の対比だけでは充分ではありません。それだけではサタンが退くほどの内容としては、少々弱く思われます。この御言の意味は、引用された御言の直前。8章2節から3節前半を読むと分かり易いと思います。お読みいたします。(旧約258頁)
【2あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった。3 それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。】
 これは、人が主なる神の全能の力に信頼して、より頼んで生きていく、ということを教えています。シナイの荒野を放浪する中で、苦しみの中にあっても、それは主の御心による訓練でありました。究極の目的は民を救い、約束の地に入れるところにあります。罪と偶像礼拝にに満ちた地で国を建て、神の民として生きていくにふさわしく整えられるためです。そのため、困難の中でも導き、養い続けられたのは、全て主なる神様でした。その中で、民が主の命令を守るかどうかを試みられた、とあります。
 サタンの誘いは、自分の力で石をパンに変えて生きていくように、人の意志と主権を神様から切り離そうと言う試みでした。ですから、イエス様はこれを否定し、退けられたのです。人として、一切を全能の主なる神により頼んで生きていくことを宣言されたのであります。この御言による回答によって、サタンの最初の試みは退けられた、ということであります。イエス様は、その超自然的な神の御業を、可能であったにもかかわらず、御自身のためにはお用いになりませんでした。人となられた神の御子は、究極のへりくだりをもって、私たちと変わらない形を取ってくださいました。断食をして、空腹を覚え、肉体の弱さを知り、父なる神に従順に生きることを示して下さいました。そして罪なき人として、やがてその罪の贖いの生贄となる道を歩み始められたのです。
 その第一歩目に、キリストの御業を妨げようとするサタンによる、荒野の誘惑が備えられていました。私たちの救い主キリストは、この試みを完全に打ち破ることが求められ、それを果たして下さいました。しかも、それは神の子の権威と力をもってではなく、人として、御言をもって果たされました。その姿を私たちに示して下さいました。ここにキリストの愛と覚悟が表されたのであります。
御言をもってサタンの誘惑を退けられたイエス様に対して、さらなるサタンの攻撃が続いてまいります。二つ目以降の試練については、次回、詳しく聞いて参りたいと思います。

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