神の恵みの訪れ

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神の恵みの訪れ

【イザヤ書 61章】
1 主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
2 主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、
3 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。イザヤ書 61章1節から3節

イザヤ書61章1~3節の御言をお読みいただきました。本日はペンテコステ記念礼拝です。ペンテコステという日は、元々は、旧約時代から、モーセの律法に定められた「七週の祭」または「五旬節」といわれる、大切な儀式でありました。400年の奴隷の地エジプトから、多くの力ある御業によって救い出して下さったことを記念する過ぎ越しの祭にはじまり、主なる神を覚え、感謝し、その恵みと御業が歴史的な出来事として表された記念として、伝えていくために定められた祭りの一つであります。
過越しでは、主の民の証しとして、玄関に塗られた小羊の血によって、エジプトを襲った主の災いから逃れることができました。この血が、最終的な神の裁きから私たちを救うために、イエスキリストが十字架で流される血の予型であるとされています。
さて、ペンテコステは、過ぎ越しの祭から50日目に当たり、大麦の最後の収穫と、小麦の最初の収穫を祝い、主なる神様への恵みの感謝を捧げる、そのような季節の祭であります。それと同時に、ペンテコステは、過越し、エジプト脱出から50日目に、シナイ山でモーセが主から恵みの律法を与えられた、律法授与記念の日でもありました。
そして、新約の時代。イエス・キリストが復活された、過越しから50日目。ペンテコステに起こったのが、聖霊降臨といわれる、地上の教会の始まりと言われる出来事でございます。この日、使徒行伝の2章に書かれた通り、イエス様を信じ、集う全ての人々の上に、天から炎が分れるように、聖霊が下りそれぞれの上に留まりました。そして、皆がそれぞれの国の言葉で一斉に福音を語り始めました。ここから、全世界への宣教が始まります。シナイ山で主がモーセとイスラエルに岩に刻んだ律法を与えられた同じ日に、今度はイエス様が天に昇られる直前、助け手を遣わすまで待つようにと約束されていた通り、聖霊が臨んで、人々の魂に救いの律法、イエスキリストを救い主と信じる福音の教えが刻まれることになりました。昨年も引証しましたが、ローマ人への手紙8章2節で次のように解説されています。
「なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。」「法則」という言葉は「律法」と同じだと申し上げました。キリスト・イエスの律法はいのちの律法である。私たちに罪を教え、死から逃れ得ないことを教える律法の呪いから、解放されたということであります。
大切なポイントは、第一に旧約から示されていた預言と、イエス様のお約束が実現したこと。そして聖霊が下る前には、人々は心を合わせて祈っていました。イエス様への信仰の下に集っていたこと。つまり第二に、信仰による集いの中に聖霊が共にい給うこと。聖霊は信仰あるところにあり、信仰は御言を通して聖霊によることであります。地上の教会が、キリストの御霊に満たされるところと言われるのは、ペンテコステの出来事に表されている通りでございます。そうして、ペンテコステはいわゆるこの地上の教会が世に生れた、記念すべき日となったわけであります。これは同時に、宣教が聖霊の御業であることの宣言でもありました。

さて、本日は少し視点を変えて、ペンテコステの出来事に聞いてまいりたいと思います。一つは、さきのローマ人にもありましたように「解放」ということ。もう一点はペンテコステという通り「50日」という、50の意味するところについてであります。
 まず、イスラエルにとって「7」という数字が、大変重要なものであることは、ご存じかと思います。完全数と言われるの「7」の起源は、創造主なる三位一体のまことの神が、この世界とそこにある全てを「7日間」という区切りで、お造りになって、休まれた。創造の御業にあります。7日目の安息日。カインへの復讐は7倍、イエス様の教えでも罪を犯した兄弟をゆるすのは7の70倍までも、と言われました。黙示録でも7つの教会とか、7つの霊と星などという表現があります。最初に一週間の7日目の安息日をあげましたが、年にも「安息の年」が定められていました。土地を6年間耕して収穫を得たら、7年目には休ませる、というものです。そして8年目にまた種を蒔きます。その土地から収穫を得るのは9年目になりますから、そのため6年目には3倍の収穫を与える、という主の戒めと約束です。これはレビ記25章で教えられています。荒野の放浪で、6日目に2日分のマナが与えられことと重なると思います。これは、それほど主の安息の大切さを示すものであります。
 そして、同じレビ記25章で、この7年ごとの「安息の年」を7回数えた次の年。つまり50年目に「ヨベルの年」という特別な1年を設けることを主が命じておられます。この50目の7月10日に、ラッパを吹き鳴らし、その年を聖別することが命じられています。レビ記23章によると7月1日が当時の市民歴で言う元旦であり、通常は7月1日にラッパを鳴らします。そして7月10日は「贖罪の日」と定められた安息日であり、聖会を開き、火祭を捧げ、悔い改める。「主の前にあがないをなすべき、贖罪の日」だと教えられています。「ヨベルの年」では、この贖罪の日に「ラッパを響き渡らせ」ヨベルを知らせる、特別な年であることが定められます。これは「ヨベルの年」が贖罪、贖いと深くかかわっていることを示していると言えます。少し踏み込んで言えば、贖罪の完了。実現を表している、といってもいいかもしれません。
 ヨベルとは「喜びの響き」とか「ラッパの響き」という意味の「ヨ-ベール」というヘブル語から来ていますが、その名の通り、この年に定められていたことは、びっくりするような内容でした。イスラエル人同士で、奴隷や従者になっていた人は、この年に解放されて自由にされる決まりでした。また、落ちぶれて土地を売っていても、その年には返されることになっていました。50年経っていなくても、残りの年数に従って買いもどすことができる年と定められていました。その理由は、地上の土地は全て主のものであり、人は寄留者にすぎないということ。またイスラエルの人々も皆、主のしもべであって、所有権、主権は主にあると言う理由でした。ただ、残念なことに、人の社会に大きな変化をもたらす、重要なヨベルの年の教えがしっかりと守られてきたと言う記録が旧約聖書にはありません。
 本来50年に一度と定められたこのヨベルの年は、いわば社会における一大変革の時であり、人の営みを超えた主のご主権と憐れみが、実現する、そのような恵みの年であったわけであります。
 同様に、新約での、50日目。ペンテコステにおける聖霊降臨もまた、世界が変わるというより、変わったこと。変化が完了したことを知らせる、大きな出来事でありました。7を7度繰り返した後の次。50を数えることは、実現、成就、完了が表される時であったと言うことであります。
 ペンテコステの50日前にあった出来事は、主イエス・キリストの復活でありました。イエス様は、死んで黄泉に下り、3日目に肉体を持って甦られました。そしてこのイエス様が、甦られた日は、安息日の翌日「初穂」を揺り動かして捧げる儀式の日です。事実、パウロは第一コリントの15章20節で「しかし、事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」と説明しています。初穂とは、最初に収穫されたものに、後のものが続くことを意味しています。ペンテコステにおいて、イエス様が天から聖霊を遣わされた出来事は、聖霊によって、救い主を信じる者がみな、初穂であるイエス・キリストと同じようにされることの宣言でありました。天からの炎と激しい風の音によって、誰に目にも、耳にも明らかにされた、新しい時代。天で神の右に着座されたイエス様が天地の全権を授けられ、聖霊を通して世界を支配される、救いへと招かれる時代が、ここに既に着ている、実現していることを明らかにされた、ということであります。時代と世界が変わったこと。贖いに御業の実現と成就が宣言され、それを全ての国民に、ラッパを響かせるように、宣べ伝える時が始まったのであります。
 キリストの贖いの御業によってもたらされる救い。恵みの内容を、御言に聞いてまいりたいと思います。
先に、お読み頂きましたイザヤ書61章の御言は、この「ヨベルの年」の意味が根底にあると言われています。1節で「捕われ人に放免を告げ、縛られている人に解放を告げる」とうたわれる、「解放」はヨベルの年の「奴隷の解放」のことが下敷となっています。
 イザヤ書の60章では、主なる神ご自身が、新しい神の都エルサレム、シオンに対する、栄光と祝福のことばを述べておられます。そして61章では、同じくシオンに対して、今度は主のしもべ、すなわちメシヤなるキリストが、その喜びと回復の恵みを語っておられます。1~3節をもう一度お読みいたします。
<1 主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、
2 主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、3 シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。>
 まず、キリストに聖霊が臨むこと。油を注ぐとは聖別して召されると言うことです。その目的は、福音を宣べ伝えること。貧しい者とは貧乏ではなく、人の弱い状態。心が打ち砕かれて悲しんでいる人という意味です。そのような人のために、救い主は遣わされました。心の痛み、魂を癒し、何より、罪と死の奴隷から解放し、放免して下さるという、主の恵みの日、そして神の報復の日。つまり救い主の降臨と再臨を告げるために。悲しむ者を慰め、喜びに変えて下さる。憂いと不安を、讃美の心へと変えて下さる。このように、イエス様の御業と教えは、信仰を通して、全てを喜びと讃美へと、切り替えて下さる、という約束であります。そのような恵みが私たちに与えられるのは、主がその栄光を表されるため、と教えられています。罪深く、功なき私たちが、これほどに愛され、恵まれ、召されているのは、主の栄光が表れるためでありました。
 このイザヤ書61章の1~2節は、イエス様ご自身が、会堂で朗読され説明されています。ルカによる福音書4章の15~21節(新約89頁)
<15イエスは諸会堂で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。16それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。17すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
18「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、19主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
20イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。21そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。>
 これは、荒野でのサタンの誘惑を退けられたイエス様が、聖霊に満たされて、ガリラヤ伝道を始められた際の記事です。17節で、イエス様ご自身がこの箇所を選ばれたことが分かります。そして、このイザヤ書61章の1~2節に書かれた主の僕がご自身であり、イエス様によって人々が解放され、目が開かれ、自由にされること。その主の恵みがすでに始まっていることを、明かされています。ただし、イザヤ書61章の2節の一部だけ、触れておられません。19節で「主の恵みの年を告げ知らせる」と読まれていますが、イザヤ書の同じ個所では告げ知らされるのは「主の恵みの年」と「神の報復の日」と書かれています。イエス様が間違われたのでしょうか。御言の主、神ご自身であられるイエス様にそれはあり得ません。30節でイエス様は聖書を自ら閉じておられます。充分分かったうえで、途中まで読まれたわけです。つまり、イエス様が語られたこの時、預言された「主の恵みの年」が成就したことを仰っています。今、もう訪れている。しかし、報復の日は、まだである。まだ成就しないのだ、ということであります。それは、主が再び天から再臨される日を待つことになります。ですから、あえてまだ成就しない報復の日については、読み上げられなかったということであります。
 イエス様が復活されてから50日目、イエス様が天からが遣わされた聖霊によって、すでに約束された恵み。イエス様の贖いの御業の成就と、イエス様を信じる信仰による永遠の命への救い。甦りの初穂であるイエス様と同じく、信じる者の甦りが確実であることが明かされました。そしてやがて来る、神の報復の日まで、主が待っていて下さる最後の期間。福音を宣べ伝える時代へと、大きく世界が変革されたことが示されました。
 私たちは、この時代に恵まれて召されたものとして、また昨今のような混乱の中にあってこそ、あらためて聖霊の御業に信頼し、御言の伝道の御用に務めてまいりたいと願う次第です。

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