キリストの再臨とは

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キリストの再臨とは

<3またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。4そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。5多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。6また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。7民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。8しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
9そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。10そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。11また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。12また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。14そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。>

<21その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。22もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。23そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。24にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。25見よ、あなたがたに前もって言っておく。26だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、部屋の中にいる』と言っても、信じるな。27ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。>
<30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。31また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。>
<36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。>

(使徒1:9~11)
<9こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。10イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて11言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。>マタイによる福音書 24章 3節から14節

マタイによる福音書24章の御言をお読みしました。ここは、イエス様ご自身が、最終の日とか、終末に訪れについて教えておられるところです、いわゆる最後の審判とも言われる、聖書の予言で見あります。預言と言うより、約束と言った方がいいと思います。確かに、最終的な裁きの時でもありますが、それは同時に神の御国の完成でもあり、救いが完成する時でもあるからです。クリスチャンにとっては永遠の命と平安、栄光の希望が実現する時です。
 そして、聖書に聞いてまいりますとその終末が訪れる時は、イエス・キリストが再び地上に来られるときであることが明らかにされています。今現在、神の一人子イエス様は、人の肉体を持ったまま、天で神の右の座に座しておられます。そこから聖霊を遣わし、御自身の民を集め、来るべき日まで天地の主権者として支配されているわけです。その神の御子イエス様が、かつて、御父によって遣わされ聖霊によって人となって来られたように、再び天から、そのお姿を現される、と言うのが再臨ということです。
 本日、この部分に聞いてまいりますのは、最近ご存じのように、また統一教会の問題が世間をにぎわしており、先日のいずみ会でもそのお話をいたしました。そこで、この問題点を信仰面から、聖書的に明確にすることと、現代社会における問題を区別すること。そして、同時に、根本的には両者が結びついていることも、教えられたいと願っています。
 ただし、この信仰的な面、霊的側面については、ある意味クリスチャンでなければ、理解しにくい部分でもあります。逆に言えば、この世の社会にとっては、問題にならない部分になります。ある意味、信教の自由。個人が何をどう信じるかの自由、ということが保証されていますから、そうなるのですが、実は個人的な問題ではなく、世界に関わる問題であることを、私たちは神様の御言によって教えられているわけです。
 もう一つは、この終末ということについても、あらためてみ言葉から教えられたいと思います。
 まず、異端と言う問題について。キリスト教系の異端と言うか、キリスト教の皮をかぶった別物なのですが、有名なのは、いわゆる「エホバの証人」、「モルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)」そして「統一教会(世界基督教統一神霊協会)」の三つは良く知られています。統一教会からは一般的に「摂理」呼ばれる団体が生れています。こちらは「キリスト教福音宣教会」と言う、非常に紛らわしい名前を語っていますので、なかなか困ったものです。
 これらは、どこも正統的なキリスト教会からは「異端」認定されています。はっきりキリスト教ではない、という意味です。また、国家レベルで、社会に悪影響を及ぼすセクト、として認定しているのは、ドイツ、フランス、ベルギー、オーストリアなどの欧州諸国。あと比較的寛容なアメリカでも一応監視対象とされているようです。日本ではそのような法制度が充分ではないので、それこそオウム真理教のような、反社会的なテロリズムに繋がる場合や、または国防上の問題などが出てこない限り、あまり表だって規制されることはないようです。
 ただし、民事レベルではもう数十年も前から、霊感商法など、さまざまな問題を起こしてきたことは周知の事実であります。この問題に取り組んできた団体や、弁護士の方から、これが、何故ここまで放置されてきたのかという理由を問題視する、指摘がなされているのも知られているところではあります。
 では、なぜこのような異端的な宗教が跋扈するのか、というところです。一つには、日本等いう国の宗教に対する寛容性と、寛容であるが故の無知と言う点ではないかと思います。誤った信教の自由と言う概念の浸透もあるかもしれません。信教の自由は、政治や国家権力によって、個人の信仰を妨げられないために、大切な権利ではありますが、日本ではあまりにも個人的問題の中に閉じ込めてしまっている感があります。信仰とは、心の中の問題だけでなく、信仰に基づいく生活であり、生き方、社会形成の問題でもあるからです。
 寛容性という面からみますと、もともと日本は八百万の神様が住んでいる国、と認識されています。しかし、ある意味四季が豊かで、自然に恵まれた環境から生まれた宗教観でもあると思いますが、所謂自然宗教、原始宗教といわれるような部分が、根強く残っています。また、そこから生まれた神道も、「教え」が存在しないですね。穢れと清めの概念、祟りと鎮守の関係。そういったものが中心です。仏教には教えがありますが、仏教のが日本に導入された経緯の一つに、この元々の祟り、怨霊を鎮めるために、大陸の最新の宗教を取り入れた、という側面があるようですから、本来の釈迦の教えや仏教に、日本土着のものが塗り重ねられていった経緯があると思います。仏教もこの国での歴史が長いのでいろいろありますが、見分け方があって、「いろいろ供養しないと、先祖が成仏できない」というところは、危ない、と聞いています。私の先輩で、住職になっている人が二人ほどいますので。宗派にもよるともいますが。
 さて、先に挙げた、キリスト教系の異端について、大きな特徴が三つあると思います。一つは、経典について。二つ目は、権威の集中が、この世にあるという点。三つめは、伝道、献金などの行いと救いが直結している点ではないでしょうか。
 キリスト教の経典は、プロテスタントについて旧約新約併せて66巻の聖書のみです。カトリックでは、第二正典や教外典といった書もある程度認められています。しかし、先に挙げました、例えばモルモン教では、聖書以外にモルモン教典というものがあって、そちらが聖書より正確な教典として重視します。そして三位一体の神が否定されています。
 エホバの証人も、三位一体を否定して、イエス・キリストを天使ミカエルと同一と見なしています。そのため、三位一体を明かさないように独自に訳し直した聖書(新世界訳)をつかっています。ここは、19世紀後半にはじまり、当初は何度も終末予言、ハルマゲドンの戦いが始まることを喧伝して、人を集めていました。
 統一教会でも「原理講論」と言う聖書の解説書の体を取った教典が用いられていました。統一教会だけが神様の教会だということ、また、この世で財を持つこと自体が罪だと教え込みます。ですので、この世の人から財産を回収して教会に収めることが、その人を救うことだと信じさせるらしいです。特に日本は「サタンの国」だから、何をしてもいい、ということのようです。それら根底にあるのは、教祖(文鮮明)がメシヤで、イエス・キリストの生まれ変わりだというという教えになります。教祖が再臨のキリストと言うわけです。その人は2012年に亡くなって、奥さんと子供が権力争いをして、分かれています。
 これは、統一教会からでた「摂理」でも同じことを言っています。摂理の教祖が、この時代の再臨のメシヤだというわけです。こちらも教祖が、猥褻行為などで、国外逃亡したり、実刑判決を受けていますが、迫害だと言っているようです。
 しかし、聖書自体をきちんと読むと、終末も、キリストの再臨も、キリストご自身がきちんと説明されていることが分かります。そして、キリストを名乗る偽物が多数現れることまで、教えられています。ただ、信者ではない一般の方にすれば、そこまで知っている人は少ないと思います。ですから、正体を隠して、紛らわしい名前で近づいて、キリスト教の耳触りのいいところや、良いところを使って、肝心のところでだましている、と言うことなのだと思います。そういう意味では、私たちも、きちんと説明できるようになりたいと思います。
 本日のマタイによる福音書の記事は、マルコ、ルカを含んだ共観福音書全てに、同様の記録がある、重要な聖書の箇所です。ここでは、キリストを名乗る偽物が多数現れることが、キリストの口からはっきりと教えられています。24章の4~5節。
<4そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。5多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。>
 また、すぐあとの23節以降でも繰り返されます。
<23そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。24にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。>
 そして、偽物が現れるだけでなく、キリストご自身の再臨の御姿も明かされています。それは、27節
<27ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。>
さらに、30節。
<30そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。31また、彼は大いなるラッパの音と共に御使たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。>
 イエス・キリストの再臨は、天に印が現れて、地上の全ての人々が、認識できるような、間違えようの無い形で来られるということです。雲に乗って、御使いを伴い、大いなるラッパの音とともに、再臨されると明言されています。
 どこかにこっそり、一部の人にしか知らされないような、そんな形ではないことが明らかです。でも、知らないとだまされるんです。もう一ヶ所、聖書を引きます。使徒行伝の1章です。
<9こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。10イエスの上って行かれるとき、彼らが天を見つめていると、見よ、白い衣を着たふたりの人が、彼らのそばに立っていて11言った、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。>
 11節で「あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」。
と教えられます。つまり、みんなが見ている前で、人間の肉体を持って天に昇られたイエス様は、同じように、みんなの前で天から降りて来られる、ということを明らかにされました。このことは、しっかり覚えたいと思います。神が人類の救いのために、永遠のご計画に基づいて、御子を地上に遣わされたのは、天地の歴史において、ただ一度きりの出来事でありました。御子による贖いと救いの御業が、一度の降臨において完全に成し遂げられたからであります。それは初臨といわれます。そして、次に来られるのも一度きりです。何度も姿形を変えて来られる、といったことを、聖書は明かしていません。なぜなら、再臨が最後の審判、終末だからです。この点について、ヘブル人の手紙には次のように書かれています。
【初臨】降臨 目的(ヘブル2:14-15 P344)
<14このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、15死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。>
【再臨】目的(ヘブル9:26b~28 P352)  
<26・・しかし事実、ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。27そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、28キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。>
 父なる神の愛の表れである、唯一の救い主、神の子イエス・キリストが地上に来られるのは、聖霊によって地上に生まれられた初臨と、やがて来る再臨の二度きりであるということです。

 最後に、その再臨の時。終末の訪れについて御言の教えに聞いてみましょう。マタイ24章6~10節
<6また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。7民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。8しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。9そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。10そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。>
 戦争、争い、地震、飢饉、憎み合い、といったキーワードが並んでいます。ルカの福音書では疫病ということも言われています。私たちが待ち望む、イエス様の再臨ですが、その前にはこのような、困難が待ち受けています。ただし<8しかし、すべてこれらは産みの苦しみ>である、と言われています。そして24章13節、その時に<13最後まで耐え忍ぶ者は救われる。>のです。では、その終末いつ訪れるかについて、14節には
<14そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。>
 とだけあります。この時については、イエス様が24章の36節で語っておられます。
<36その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。>と教えておられるように、誰も知らされていないのです。キリストご自身にも知らされていないことを、人には知りようがありません。安易な終末を叫び、不安を煽ることは、相応しい伝道ではないことが分かります。確かに、先のさまざまな前兆。戦争、地震、飢饉、疫病など、逆に昨今の私たちを取り囲む状況に、目や耳にすることと重なってまいります。しかし、過去にもこのような状況は幾度もありました。天然痘、ペスト、スペイン風邪、エイズと言った疫病。ヨーロッパでの勢力争い、第一次、第二次世界大戦など。
 不安な社会情勢に合わせて、極端な異端が生れたり、卯木機を活発化させたりしました。
私たちは、最終まで神の御力によって守って下さることを主が約束して下さっています。この終末までに、あるいは終末の時に、わたしたちはどのような形で、この世から召されるかは分かりませんが、救われて御国に入れられることは確定しています。ただ、イエス様が言われたように、その日がいつ来るかは分かりませんので、心構えをもって、主を仰ぎつつ、真実な主に信頼して、御言にはげまされて、福音が全てのひとに正しく伝えられるように、聖霊のさらなるお導きを祈りたいと思います。

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真実の知恵

幸いなこと!

■神の御言葉である讃美集、詩篇。その冒頭にある第1篇から、幸いな人生を教えられたいと思います。