苦難に耐える模範

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苦難に耐える模範

18僕たる者よ。心からのおそれをもって、主人に仕えなさい。善良で寛容な主人だけにでなく、気むずかしい主人にも、そうしなさい。
19もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。20悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。
21あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。
22キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。23ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
24さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
25あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。ペテロの第一の手紙 2章18節から25節

<22キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。23ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
24さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。>
ペテロの第一の手紙、2章22節から24節の御言でございます。今朝はこの御言に聞いてまいりたいと思います。ペテロが、キリストへの信仰ゆえに、世のさまざまな試練をうける信徒たちに教えていたことは、11節から12節では、キリスト者はこの世の寄留者であり旅人であること。それゆえ立派な行いをするようにとのこと。そして、そのキリスト者の行いによって、世の人たちもまたまことの神をあがめるようになる、という召された者の証し人としての使命を告げました。天に国籍を持つ、この世の旅人として求められた生活態度は、この世の欲の支配から離れること。立派な行い、立派にふるまうようにとの教えです。立派とは、善良とかためになる、または神に喜ばれるという意味の言葉でした。かの放蕩息子が送った好き勝手な生活ではなく、この世的にもまっとうな生活です。ただその基本はキリストにあって、まことの神に信頼し神を礼拝する信仰生活にあります。御霊に満たされたキリスト者のよろこびが、人々が神をあがめる証しとなるということであります。
 そして、13節から14節では社会生活についても教えられました。この世の権威との関係です。
<13あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。>
 ここでは、この世の人が立てた「全ての制度」に従いなさいと教えられています。積極的に服従することです。しかし、従う理由は「主のゆえに」ということ。それは、世の権威の源が、主なる神様にあるという事実によります。ですから「悪を行うものを罰し善を行うものを賞する」ための世の権威に従いますが、世が神に対する罪を求めるなら、私たちは世の罪より、神への罪を畏れなければならない、ということであります。もう一つは、まさにイエス様が、そのように従順であられた、ということであります。父なる神への罪は犯されませんでしたが、それゆえのこの世からの裁きを甘んじて受けられました。
 そしてキリスト者は、キリストにあって神のしもべ、奴隷であり、それはすなわち真の自由人であることも教えられています。これはパウロも同じことを教えていました。(Ⅰコリント7:22-23、P263)
<22主にあって召された奴隷は、主によって自由人とされた者であり、また召された自由人はキリストの奴隷なのである。23あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。人のどれいとなってはいけない>
主に召された奴隷。つまり、神の御子キリストがその血をもって、罪の奴隷であった者を買い取って下さいました。クリスチャン買いとられた主の僕となることで、限られたこの世の価値観から開放され、また自らの功績によって救われようとする、律法主義的な拘束からも解き放たれています。何よりキリストの死と復活によって、罪と死から自由にされました。罪へと誘う者に完全に勝利し、永遠の滅びから救いあげられました。この主にある自由をもって、全ての人を敬うこと、兄弟姉妹への愛、まことの神を畏れること、世の権威を尊重することが根拠づけられ、かなう、ということであります。
 
 さて、13節で語られた「世の全ての制度」について、まずは政治的な制度との関係がおしえられましたが、18節では主従関係について言及されていきます。
<18僕たる者よ。心からのおそれをもって、主人に仕えなさい。善良で寛容な主人だけにでなく、気むずかしい主人にも、そうしなさい。>
 僕と主人の関係ですがここでの「僕」という言葉は、「οικετεια」といって、16節の「神の僕」とか第一コリントの「キリストの奴隷」で使われる「δουλος」に比べて、もう少し軽い意味になります。家の召使いとか、使用人、雇われ人という立場を表す言葉です。ですから、現代的には主従関係というより、むしろ雇用関係といったほうがニュアンスとしては近いと思います。使用人は雇い主に、仕えなさい、服従しなさいと教えています。それも、善良で寛容な主人だけでなく気難しい主人に対して、と言われています。気難しいと言うと性格のようですが、言葉は「曲がった」という意味です。横暴な、不公平な主人、という意味ですから、少々理不尽に感じられます。
 そこで19節から20節で、その理由が教えられています。
<19もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。20悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になるのか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。>
 19節の最初には、「というのは」「なぜなら」という意味の接続詞が入っています。18節の理由を述べていることがはっきりと明瞭です。苦痛は「悲しみ」「悩み」といった精神的な苦悩です。横暴な主人による不公平な扱い、その苦悩や悲しみに「神を仰いで」耐え忍ぶことを、神はよみせられる。新改訳では「神が喜ばれること」と訳しています。直訳すると、それは神による恵みである、愛顧であるという意味になります。ここで強調されているのは、単に苦悩に耐えることを神様が喜ばれるのではありません。「神を仰いで・・耐え忍ぶ」こと。神様の御前における良心にゆえに耐える。あるいは神を認めて、認識して耐えるというところに、御心があります。文語聖書では「神を認むるによりて憂いに堪ふる事をせば、これ誉むべきなり」となっています。自分の忍耐力ではなく、神を仰いで耐え忍ぶことが求められ、また耐えることができるということです。
もう一点は、善を行って苦しみを受け、耐え忍ぶこと。悪いことを行って罰を受けて、その罰に耐えることは当然ということですが、ここでパウロは、ルカによる福音書の6章にある、イエス様の教えを意識していたことは確かだと思います。ルカの福音書の6章32節~33節(新約94頁)。
<32自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。33自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。>
 このルカ伝の「手柄」という言葉と、20節の「よみせられる」は同じ「χαρις(カリス)」という単語が使われています。自分を愛さない者を愛する、自分に良くしてくれない者に良くする。同じように、自分を公平に扱わない主人にも仕えることに、神は好意を寄せて下さる、喜ばれるのだというこが教えられます。しかし、この求められる事の困難さに、私たちは戸惑いを覚えてしまします。少し前にドラマで「やられたらやり返す。倍返しだ。」というのが流行ったのを覚えています。他にも「お返しと仕返しはきっちりさせてもらう」という決め台詞もありました。その気持ちは、誰しもが心に持つものです。だから、共感を得ますし、それが実行されたらすっきりするということになります。
 しかし、神様が求めておられるのは、そこにない。この世の人の基準とは違うようです。良くしてくれない者に良くするのは、また良くできるというのは、それがイエス・キリストの御姿であったとちうことであります。21節から23節をお読みいたします。
<21あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。22キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。23ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。>
 ペテロは、神が良しとされる、しかし私たちには困難な振る舞いを命じています。それは、正にこの世の基準とは違う、神様の基準。神の国の民が従い歩む道であります。そうするために、キリスト者は召されたとまで断言しています。なぜなら、キリストがそのようにあられたからであります。様々な不当な苦しみや、不公平、苦悩はこの世の常です。しかし、イエス・キリストに目を向けるなら、その苦痛がやわらげられます。ペテロは、神の御子にして人となられた救い主、キリストの地上でのお姿を示して、私たち、弱き者の慰めとして、励ましとして与えています。キリストが生ける模範である、と言うことでありあります。ロマ書5章にあるように、キリストは正しい人や、善良な人の為ではなく、私たち不信仰な罪人にために、御自身を生贄として捧げて下さいました。一切の罪を持たず、また行わず、この世の罵り、さげすみ、無知、裏切り、迫害を受けられました。御父への完全な信頼によって、従順を貫かれたのであります。
 神の御子、私たちの主が、私たちに先立って忍ばれました。まことの神にして私たちと変わらない人となって下さったキリストは、私たちの初穂として、長子として、頭として進まれました。主は、御父がご自身の下に集められた民を、主に繋がるものを決して拒まれることはありません。主の御足跡に続く者を
拒むことなく、共にいて、先立ち導き給うのであります。それ故、この世にあって、少数で、弱く見えても、真のキリスト者は強い。苦難、苦悩の中にあってこそ強くされます。常に模範なるキリストが、共いいて下さいますから、そのお姿を御言なる聖書に聞いて、さらにキリストに似たものとして頂けるよう、聖霊の導きを願う次第です。
 続いて、24節をお読みいたします。
<24さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。>
 イエス・キリストは、ただ、忍耐の模範だけではありませんでした。苦難を受けて忍ばれただけではなく、自ら進んで苦難へと向かわれました。そては、私たちの罪をその身に負われるためです。全く罪のない身に、滅ぼされるべき人の、一切の罪、全ての罪を負って下さり、汚れ無きいけにえの小羊となって、血を流し、十字架で死なれました。それは、父なる神のご計画に従い、聖霊によって人となられた神の一人子が、そのつとめを完全に全うされたということであります。救いの御業を成し遂げて下さいました。御子イエス・キリストが果たされた救いの御業は、父・御子・御霊による御業であって、その救いは完全であります。信仰によって約束された天の栄光もまた、確実であると言うことです。永遠においては既に実現しています。私たちの赦しと解放は、キリストの死によってなり、永遠の命と栄光は、主の復活と召天、御座への着座によって保証されているのであります。私体はこの確実な希望によって。また、模範なるキリストを仰ぐことで、苦難の道を、しかし安全に御国へと導かれる、恵みのうちに置かれています。感謝を新たにしたいと思います。
 最後に25節
<25あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。>
 主イエス様は、さ迷う私たちの牧者であられます。ヨハネの福音書で、イエス様はご自身でも、牧者である、と仰いました。それも「εγω ειμι」、牧者なる神である宣言されました。この神なるイエス・キリストへの信仰。主は、永遠より私たちを知り、御自身の羊として選び分けていて下さいました。そして自ら血を流し、救って下さったキリストへの信仰によって、私たちの魂は、既に牧者なる主の下に立ち帰っていると言われています。ここに救いがあります。私たちが、新しい永遠の命に生きるために、キリストは死に至るまで従順であられました。キリストの死と共に、罪の支配のもとにあった、古いこの世の命に死に、主と共に生きる幸いを与えられました。
 キリスト者は、主にあって世の苦悩に耐え、自らの罪に死んで、キリストが得られた神の義に生きるものとして頂いたのであります。ここで、「立ち帰った」という言葉は、受け身です。世にさ迷い出た羊は、自ら飼い主のもとへ戻ることは適いません。罪の霧に包まれて、迷っていることも気づかず、狼の餌となるしかない存在です。しかし、主が探し出して下さり、つれ戻して下さったということです。この主の測りがたい、深い憐れみと、御自身をも捧げてくださった御愛を思い、また日々私たちと共にいて、その模範を示して下さるお姿を仰ぎつつ、この世の苦難を乗り越える力を得たいと願う次第です。

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■ヤコブの手紙 4章の御言葉で語られる「裁いてはならない」という教えの、意味を教えられたいと願ってい…

神に近づきなさい

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真実の知恵

幸いなこと!

■神の御言葉である讃美集、詩篇。その冒頭にある第1篇から、幸いな人生を教えられたいと思います。